夏の本音 #4
ドアをノックされる音がしているような気がして、耳を澄ますと本当に鳴っていた。
-----誰だよ、こんな朝早くから。
時刻は午前4時半。窓の外には、まだ日も昇っていないような真っ黒な景色が見えた。まさか、今からフラれろ大作戦をするから来いっていうんじゃないだろうな?
番長と末長が説得にでも来たのだろうと、ランプの横に置いてある眼鏡を取って履き心地が最高なスリッパに脚を通し、不機嫌な顔を作ってドアを開けた。
「寝起きで悪いけど、ちょっといいかな?」
詩織だった。いきなり服を引っ張られ、どこかに連れて行こうとする。せめて顔を洗わせてくれと頼むと、本当に歯磨きと顔を洗うしかさせてくれなかった。よかったジーパンのまま寝てて。
前髪が濡れたまま、彼女の後ろを着いていく。ホテルのロビーを抜け、プライベートビーチについてもその歩みを止めない。
「何処行くの?」
彼女は笑っているだけで応えようとしない。
プライベートビーチを通り過ぎ、潮の引いている岩場を抜けると、ホテルからは山が邪魔で見えなかった小さな砂浜が現れた。そこはぽっかりと岩が波によってくりぬかれているような場所で、四方は岩と山に囲まれている。この場所に来る為には先程通ってきた浜辺からでないと入れない構造になっていた。本物のプライベートビーチという感じだ。
「すごい、よくこんな所見つけたね」
周りを見渡しながら懐中電灯で照らした。
「昨日の夕方、見つけておいたの」
彼女は風でなびく髪の毛をかきあげながら、白い歯を見せた。
遠くの沖で漁船の汽笛が鳴り、海を眺めると先程より少し空が明るくなってきているようだった。彼女の座っている岩の横に腰を下ろし、まだ冷たい海に足先を浸けた。
黙ったままの彼女の横顔を見つめた。小さな肩が、なぜかより小さく見える。
「…私、ユーヤに会えてよかった」
「え?」
大きく眼を見開いて彼女の瞳を見ようとしたが、うまく躱され、代わりにいつものように小指が握られた。そして、眉をひそめて微笑する。眉毛をハの字にして、なのにとても愛おしそうな顔をして。そう、まるで…昼間の時のような表情を、彼女はしてみせた。
-----今、誰のことを考えているの?
喉を突いて出そうになる言葉を飲み込んだ。だって、絶対に僕ではない、僕には見せたことのない顔を唯一見せた彼のことだと分かっていたから。世界の誰もが味方する表情なのに、心に棘が突き刺さった。それはいつか内部に入り込み、膿みとなって皮膚を打ち破る予感がした。
ごくりと唾を飲み込み、握られた小指をそっと盗み見た。すると彼女はそれを察したのか、キュッと握る力を一瞬だけ強くして濡れた唇の端を上げた。
「……」
握った小指は僕の物で、決して彼のではないのに…どうしてそんな顔をするんだよ。
隣にいるのは、誰でもない僕なのに。
海から、ふわっと体を持ち上げるような風が吹いた。ツヤのある長い黒髪が僕の肩をくすぐる。海の匂いに混じって、ほのかにシャンプーの甘い香りがした。
思わず眼を伏せる。
-----うそだろ?
絡まる指を、意図に反して解けない。
一体、僕は何を考えているんだ。
-----2人でいるのに、彼のことを考えて欲しくないなんて思ってるんじゃないだろうな!?
きっと顔は強ばっているんだろう。
彼女しかいないのに、僕は誰にも、神様にさえバレないよう、いつもの表情に戻した。
沖の方でまた、汽笛が鳴った。
「……」
彼女は何も喋らない。だから、僕も何も喋らなかった。
もう一度船がサイレンを鳴らした時、首だけこちらに向けて満面の笑みで笑いかけてきた。それは何かを見つけた子どものようでいて、でも少し妖艶な眼差しに満ちていた。
-----何か、企んでる?
僕の眼をじっと見つめていた詩織は、急に波打ち際にダッシュした。
「誰もいないから、いいよね!」
振り返りながら履いていたサンダルを僕に投げてよこし、海へダイブした。着ていた白いTシャツも、薄い短パンそのままに、彼女はまだ薄暗い海の中で1人はしゃいでいる。見失わないようにライト当ててあげれば、まるで舞台の上の女優のようだった。
「超冷たい!」
近くに泳いできては手で水を跳ね上げ、水をかけては逃げる。
ふざけて彼女のサンダルを沖に投げてやれば、彼女は頬を膨らませながら泳いでいく。追いついたところで詩織はその場で立ち上がる。
「綺麗だよ」
今度は彼女が僕に聞き直した。
「後ろ見てみなよ、太陽が…」
さっきまで白んでいたと思っていた空がどんどん色をつけていく。その光は、岩も、砂浜も、海も、僕たちさえも明るく照らした。
キラキラ光る海の真ん中で、彼女は嬉しそうにクルクル回っている。
「ぷっ」
見るからに子どものような行動に、吹き出してしまった。
-----どうかしてた。
尚もダンスをするように、動き回る詩織に眼を細めた。
そう、僕は…君の友達だ。
約束したじゃないか、友達になるって。そばにいるって。
例え考えや行動が別の道を歩んでいってしまったとしても、望んでいるものとは違った場所だったとしても、僕にはただ君の行く先を案じることしか出来ない。
でも君の信じる道があるならば僕は力になりたい。全てを見届けたい。
今は、ただそれだけでいい。
「ユーヤも濡れやがれ!!」
声と共に大量の海水が体を濡らした。
頭も、ズボンも、中のパンツさえもびしょ濡れだ。雫が眼鏡からポタリと落ちた。
無言で上着を脱ぎ捨て、海に飛び込んだ。
「ぶっ殺す!!」
「キャー、ユーヤがキレたぁ!!」
動く度にジーパンが邪魔をするが、重さに耐え、詩織に思いっきり復讐をしてやる。眼鏡がズリ下がっても気にしない。
気の済むまで、水を掛け合った。
「はぁ、はぁ、もう動けないよ」
「あはは、男のくせに体力なーい」
「だからぁ僕は戦闘要員じゃないんだって」
先に海から上がって詩織に後ろを向くように言い、水で濡れたジーパンを絞った。本当は下着もしたかったけど、さすがにそれはやめ、もの凄く履きにくいズボンをなんとか着た。脱ぎ捨てておいた上着は色が変わったまま、岩に張り付いている。
「詩織、向こう行ってようか?」
黒のタンクトップを着ながら、声をかけた。
「じゃーそうしてもらおっかな」
「あ、懐中電灯もお願い」と付け加えてくる。
Tシャツを絞りながら、満ち始めている本物のプライベートビーチを後にし、しばらく岩1枚向こうで大人しく待った。
「ユーヤ、ダメだと思わない?」
「何が?」
振り返ると、詩織がTシャツのお腹の部分を摘んで立っていた。
「ほら」
手を離した瞬間、水が吸い付くように詩織の細い体にくっ付き、そのラインを露にする。しかも下着までスケスケだ。
「ちょ!!」
不覚にも顔を赤くして、持っていたTシャツでカーテンを作って海1点のみに目線を集中させた。なんてお約束なんだ!?
そう思いつつもまたしても見てしまった下着。今回は黒ではなく、薄いピンク色だった。って、違う!!
「それ脱いでこれ着て! 着たら声かけて」
詩織とは反対方向を向いて腕とTシャツだけ、彼女に近づける。「はーい」という素直な声が聞こえて、僕の手から黒のシャツがなくなった。交代するように濡れた上着がかけられる。おいおい。
「OKよ。…ちょっと大きいけど」
「仕方ないよ。僕、身長だけは人並み以上だから」
ゆっくり振り返ると、ダボついた首元に肩がズレた僕のTシャツを着ていた。かろうじて短パンが見える。
安心してため息をつき、砂をズボンに付けながらホテルへ戻った。
ホテルに戻ると、すでにロビー近くにある朝食バイキングには人の出入りが多くあった。
僕たちはそれを無視してエレベーターに乗って最上階へ向う。一つしかないドアを開けると、カーテンが閉め切られたままの薄暗い部屋だけで、誰も起きている気配はしなかった。予備の着替えを持ってシャワールームで、体に付いた砂や海水を洗い流した。
ベッドルームへ戻ろうとした時、末長の部屋からボソボソと低い声が聞こえてきた。
「またフラれろ大作戦の話し合い?」
ドアを開けながら視線を落とすと、昨夜よりさらに赤いボールペンで書きなぐられた紙が散らばっていた。顔を上げながら、明らかに寝不足ですというように眼の下にクマを作った2人が僕の顔を確認するなり、「ああ」とだけ小さな声を発した。
「どうせ手伝わないんだろ?」
「当たり前」
「山田裕也、お前詩織のことどう思ってるんだ?」
バスタオルで頭を掻きながら、辺り一面に水の雫を飛ばしながら応えた。
「大切な友達…かな」
「じゃあ、俺のときも邪魔するんじゃないぞ」
「当然」
ニッと歯を出して笑うと、番長が驚いたような表情を見せた。意外だった?
朝食に誘うと2人はのろのろと支度を始めた。僕はその間に髪を乾かし、リビングでテレビをつけていると委員長が挨拶をしながら入ってきた。すでにきちんと髪の毛をセットしていて、小鳥のようなさえずりで話しかけてくる。そうこうしているうちに末長も番長もトランクス一丁だった姿から、ズボンとシャツを着てリビングに出てきた。
「あれ? 詩織さんは?」
「まだ見てないですねぇ、ちょっと部屋見てきますねぇ」
そう言ってパタパタと翔ていく。
「詩織さんがいないですぅ。何処言っちゃったんでしょう?」
「!! 番長!!」
「おう! 行くぞ末長」
奥から聞こえる委員長の声を聞くなり、拳を振りかざして2人は部屋を出て行った。
「お二人は…」
「喜々としてご飯に向かったみたい。僕たちも行こうか、朝ご飯」
「あの、詩織さんはどうしましょう」
「大丈夫だよ、子どもじゃないんだし」
「そう…ですね」
エントランスへ着くと、かちゃかちゃと食器の音が聞こえ、早朝よりも多くの人で賑わっていた。ほとんどが日本人だというのに、皆ナイフとフォークを器用に使い、優雅に食べ物を口に運んでいる。
ボーイさんに案内されバルコニーへ導かれると、白と水色の日傘の下に微笑んで席に着いている詩織がいた。女子2人が話し始めるのを聞きながら、委員長の隣に腰を下ろした。
無言でパンをかじっていると、ふいに話を振られた。
「聞きましたぁ? 凉さんの告白を断ってきたらしいですぅ。今この時点で日本全国の女の子を詩織さんは敵に回したんですぅ」
「へぇ、意外。てっきりOKするのかと思ってた」
「へぇーーって、なんでそんな冷静でいられるんですかぁ? 私、昨夜気になって寝るの遅かったんですよぉ。興味なかったんですかぁ?」
詩織をチラ見すると、ピクリと眉が上がった。
「いやいや本当に、こっちには戻ってこないかと思ってたから…」
「それでもへぇーはないですぅ。もう、山田くん全然女心を理解できないですねぇ」
まるで彼氏を怒るかのような口調で責められた。
そんなこと言われても、もう今日の朝には僕の心は決まっていたし、そりゃホッとしなかったと言えばウソになるけど。
-----れ? そもそも詩織が惚れてると思ってたのは間違いだったの?
今更彼女の行動がわからなくなった。あの表情、挙動不審な行動、あれは一体なんだったんだ?
「なんでフっちゃったんですかぁ? 勿体ない」
詩織はフォークで転がしていたプチトマトを離し、顔を上に上げた。
「私、必勝仕事人の時の島波小五郎のファンなのよ。ちょっと顔が似てたから物語の中の奥方になった気分になっちゃって。だから彼には、興味が…ね?」
「……」
僕と委員長は顔を見合わせた。
まさか妄想ワールドで疑似恋愛をしていたなんて、しかも架空の人物に…。
-----凉さんもいたたまれないなぁ。
よもやそんなことは微塵も考えていなかったであろう彼に初めて同情した。
安堵のため息を着くと、何やら騒がしい。
「詩織ー!! 詩織ー!!」
「詩織さーん、どうしてこちらに!?」
「体は無事か!? 不埒なことさせてないか!? 詩織ー!!」
島波凉フラれろ大作戦に旅立っていたはずの2人が、バルコニーの下でジャンプしながら彼女の名前を連呼していた。騒ぎを聞きつけ、ボーイさんや警備員さん達が庭に出てきたのが見えた。喜色満面に彼女は立ち上がると、プチトマトを手にした。
「凉さんの替わりに付き合ってあげてもいいわょ?」
「っと、いうことは無事なんだな!?」
「よよよ、よかったぁああ」
脱力する2人を眼下に、詩織は赤い実に軽くキスを落とし、
「トマト取って来れた人と付き合ってあげる!!」
投げた。
「「うぉおおおお!!」」
雄叫びを上げながらトマトが落ちたであろう場所に、驚異的な早さで走っていく2人。さらにそれを追いかけるボーイさんに警備員さん。彼女は走っていく後ろ姿を確認すると、元の席に着いた。
「いいの、あんなこと言って?」
「そうですよぉ、凉さんはフっておいてぇ」
唇を尖らせて抗議する委員長の目の前に赤いトマトがぶら下がった。
「さっき投げたのはそこらへんで拾ったスーパーボール。こっちがさっきのプチトマト」
ヘタを取ってパクリと口の中に放り込んだ。驚いている僕らを無視して、詩織は脚と手を組んだ。
「まだ誰とも付き合う気なんてないわ。私には友達の方が大切よ」
軽くウィンクをして、僕と委員長の頭をぐちゃぐちゃにした。
眼鏡っ子2人は、ズレた眼鏡を直した。
そしてハモる。
「「これからも友達でお願いします」」
このお話のみですが、真心ブラザーズさんの「サマーヌード」の歌詞を引用&イメージを使わせて頂いております。あしからず^^