将来の嫁にご用心
こちらは1周年記念に行ったライブ小説を書き直した分です。
「はぁ〜」
深く、しかし誰にも気がつかれないくらいの小さな小さなため息をついた。
別に受験勉強をしたくないだとか、姉さんが家に着たついでにパソコンをクラッシュさせたからとか、そんな理由ではない。
恨めしく右横に並ぶ、ため息の原因を見やった。
「あら、もう疲れちゃった?」
確かに僕は男のくせに女の子より体力はないし、キレるどころか通常状態の詩織よりかなり弱い。でもただ校内を一緒に歩くだけのことで体力が削られちゃうなんてことはあり得ないよ。悪いけど、ため息の所存は君。3年生になっても、詩織は相変わらず美貌を持て余し過ぎていて、しかもキレるのが治っていないから新入生達から君を、キレる君から新入生達を守るために僕がどれほど神経をすり減らしていることか。
真っ黒な瞳から逃げるように視線を窓の外にそらした。
「大丈夫だよ。ほら、日直の仕事もやっと終わったし早く帰ろう? 今日は“オーラの湖”がある日でしょ?」
「あ、忘れてたわ!! そうなのよ、今日は占い大特集なの」
さも嬉しそうに詩織が笑いながら歩く速度を速めた。彼女のスピードに合わせるよう僕も歩幅を多く取る。
と……階段にさしかかった時だろうか。
詩織がピクリと反応を示し、脚を止めた。大きく目を開けて上を見上げる彼女に釣られ、見上げる。
「?」
そこには……真っ黒な髪に加え、上下とも真っ黒な制服を着た男の子と、金色の髪をした女の子が真っ白なワンピースをひらめかせながら階段上から降ってきていた。
「嘘!?」
「嘘じゃないわ! いいから、ユーヤは男の子の方を……!!」
半分突き飛ばされながら、バレーのレシーブのように受け止める体勢を作る。
(って、ちょっと待って。出来れば女の子を受け止めたいんですけど!?)
そうは思うものの男の子が落ちてくる軌道上には僕がいて、詩織と場所を変わるにはもう遅すぎて……柔らかさも、恋の予感も皆無な展開を僕は迎えることとなる。真っ黒な男の子が急接近! 腕の中に重さを感じた瞬間、力を入れた。
が、重力+落ちる時の勢い+彼の体重はひ弱な筋力を優に超え、僕の体までも傾れさせる。重なる形で、男二人が床に転がった。
「だだだ、大丈夫!?」
すぐさま上体を起こして、半分僕の上に乗っている男の子の肩を揺さぶった。けれど彼は全く反応を示さない。
焦った。
仰向けにさせて頭と顔を確認。すると左顎に打撲の跡を発見した。
(よかった、ただ脳しんとうを起こしただけみたいだ)
他に目立った傷がないことに安堵のため息を吐き、詩織の方に顔を向けた。目を剥いた。だって女の子はまだ階段下まで到達していないのだから。それどころか、彼女は宙を漂うようにゆっくりと下降していた。まるで彼女の周りだけ時間がゆっくり過ぎているような、そんな感覚に陥る。
金髪の子がふわりと詩織の腕の中に降りていく。
真っ白なワンピースの裾が、重力に従い項垂れる。ゆっくりと瞼が開けられた。
息を飲んだ。
その女の子は、青い瞳とゆるいウェーブのかかった金色の髪に見合う、あまりに可憐な容姿をしていて……まるで想像上の天使のようだったから。もし神様がいるならば、きっと彼女は神様が手塩にかけて作り上げた愛娘……そう言い切っても余らない。
天使のような顔をした子が、薄く唇を開いた。
「……ナオ。ナオは……?」
その言葉に、すぐさまこの男の子のことだと察する。
急いで僕も口を開いた。
「な、ナオくんは大丈夫!! 気絶してるだけで……」
言った瞬間、なぜかキッと睨まれた。いや、僕ではなくナオくんが睨まれたようだ。僕とは目が合わない。
なんとなく嫌な空気を感じて背中に冷や汗が出始める。
(何か余計なこと言っちゃった?)
けれど、そんな僕の心中を知らない彼女は小さく口の中で呟いたかと思うと顔を反らした。
と、その瞬間を狙っていたかのように黒髪の女の子が躍動した。真っ白なワンピの制服の肩が掴まれた。
「ねぇアナタ!! 今どこから現れたの!?」
「ユリアだ」
「あ。ごめんなさい、私は詩織。ねぇ、さっきの質問なんだけど……」
「悪いが、それは言えない。私にも言えることと言えないことがあるんだ」
詩織の目がなぜかキラキラと輝いた。どうしてそこで目を輝かせられるのか、よくわからない……。
隣で本当に苦しむ声が漏れた。
「あ……あの、ナオくんだったかな。彼を……」
「ナオなんて捨て置いていいぞ。どうせ死ぬんだ」
あまりに可愛い顔からは想像もつかない言葉が飛び出してきた。
口の端がピクリと反応するが、表情は変えない。冷たい目で彼を見下ろす彼女を尻目に「保健室に連れて行くよ」と、美少女達に次の行動を示唆した。
***
なんだかんだ言いながら、金髪の美少女・ユリアちゃんは僕たちと共に保健室まで脚を運んでくれた。が、彼女は何を考えているのか、ナオくんをベッドに寝かせるや否や彼の顎を閉じ、鼻をつまみ始めた。姉さんも詩織も、委員長も神無月さんも女の子は皆よくわからないけれどユリアちゃんはもっとよくわからない娘だ。さらに保健室の薬棚をゴソゴソ怪しい動きを始めた彼女に僕は言った「ナオくんは僕が観ておくから、二人は時間を潰しておいでよ」って。
あれから数十分。彼女達は二人でどこかへ行ってしまった。僕はと言うと、先生の机の上にあった本を読みながら黒髪の少年・ナオくんを看ている状態だ。
ページをめくると物語は2章目に突入した。
同時にベッドの軋む音。
顔を上げると、先まで横たわっていたナオくんが勢いよく上体を起こしていた。
(瞳も綺麗な漆黒なんだ)
僕の腕にくっついた時計のような真っ黒な瞳。それはキュッと上がった眉毛とつり目によく合っていて、その冷たい感じが男の僕でも「いいな」って思う感じだった。
本に栞を挟み込む。
「気がついた?」
声をかけると、状況を把握仕切れていたいのか首を振り、目を泳がせ、周りを見渡し始めた。
「ここは……?」
「大正学園の保健室だよ」
「大正学園!?」
大きな声で裏返る声に、こっちが吃驚した。
でもすぐに表情を戻して指を制服に持っていく。僕も君に聞きたいことがある。制服はなんか少し違うような気がするし、ネクタイもつけていないけれど、その胸に刺繍された校章はどうみても……
「君は、元禄高校の子だよね? ナオくん」
「え……」
大きく目が開けられた。
と、同時にカーテンが引かれる音。後ろを向くと僕の親友・黒髪美女が目をいつも以上に輝かせながら喜色満面の笑みで立っていた。なんとなく察する。たぶんユリアちゃんのことだろう。
「ねぇユーヤ、すごいの!! さっきから占ってもらってるんだけどね、ものすごく当たってるのよ。でね、ユーヤも占ってくれるって言うから、ナオくんが気がついたらユーヤも……」
「うん。今起きたから、もう少しだけ待ってね?」
落ち着かせるように言う。
すると今気がついたのか、一瞬だけハッとした顔をしてナオくんの方へ視線を向け始めた。全く、甘い物と時代劇、それと乙女なことに関すると本当に詩織はキレたときみたいに周りが見えていない。目的まっしぐらだ。まぁそういうところが可愛いんですけどって、ちょっと待って!!
詩織の手が、優しくナオくんのおでこを覆った。
「熱はないみたいね。頭に痛みがないならもう大丈夫だと思うんだけど、ねぇユーヤどうかしら?」
どうかしら? じゃないよ。
今は熱はないけど、それ以上続けると、たぶんナオくん熱出しちゃうから。
「……多分大丈夫だと思うけど。ナオくん、痛い所ある?」
顔を見れば、表情は変えないものの明らかに困ったような目をする。
わかる。わかるよ、その気持ち。
何も気づかず「大丈夫だって。ね、ユーヤ早く!! ナオくんも!!」なんて、手を引いてくる詩織を挟んで、微笑を送った。ついで、体を傾けマイペースな親友の代わりに僕が謝る。
「ごめん、詩織はいつもこうなんだ。悪いけどちょっと付き合ってくれる? 君の連れもいるから……」
***
3一Bの教室に入ると、一番前の席に座り空を眺める金髪の女の子。振り向く姿はやっぱり可愛い。だけど、その可愛い顔はすぐさま見れなくなってしまった。ナオくんと睨み合うのだ。そういえば保健室に彼を運ぼうとした時も「捨て置いていい」なんて言っていた気がする……仲が悪いのかもしれない。
じゃあ二人の関係性は?
(いや、それ以前に二人は何の目的で……)
視線を感じて振り向くとナオくんと目が合った。
笑う。
「ね、ユリアちゃん。ユーヤのことも占って!!」
「いいぞ」
と、いつの間にか美少女二人が並んで僕のことを呼んでいた。情けないけれど断れるわけもなく、詩織が出してくれた椅子に座る。
「先に言っておくぞ。私は見えたモノしか言わないし、ユーヤのことをちゃんと見れるかは保証が出来ない」
「どういうことかな?」
「詩織にはさっき言ったが、相性と言うヤツがあって合わないと全く見えないんだ。それとリンクするのに時間がかかるから、右手以外は自由にしてていいぞ。おしゃべりしててもいいし、勉強してても音楽を聴いていても構わない」
意外だった。占いなんて初めてするけれど、もっとこう「しゃべらないで」とか「こちらに集中して」とか言われるものだと思っていたのに。
詩織とは違い、暖かな指先が僕の手の甲に絡む。
彼女の目が閉じられるのを待ってから置き去りにした彼を手招いた。
「ナオくんは占ってもらったことは?」
「ない」
テンション低く彼が応えた。
「占ってもらおうと思ったこともないの?」
「ない。俺は非科学的なことは大嫌いなんだよ」
「へぇ、じゃあ一緒かも。僕も現実主義でそこまで信じてないから。まぁこういうお遊びは好きだけど」
眉間にシワを寄せ、声まで低くて、かなり不機嫌な具合だった彼の口元が緩んだ。
(本当に占いとか好きじゃないんだ)
理解を示して、今度は逆にそれが大好きな女の子へ声をかける。
「詩織はなんて言われたの?」
「ふふ。まずね、「将来的に“キレる”ことは気にしなくていい」って言われたわ」
思わず声が出た。
そうでしょ? 詩織が「将来的に“キレる”ことは気にしなくなった」場合なんて今まで考えたことなかった。ずっと彼女はプッツンワードでキレ続けて、その度に僕が止めるモノなんだと思っていた。詩織には僕が必要なんだと信じてた。なのに……
(って、何を考えているんだ僕は。それって詩織の“キレる”のが治るってことで、おめでたいことじゃないか)
自分が必要とされることを望むあまり、大切な親友の幸せを置き去りしそうだ。
「それと将来、子供は男の子と女の子一人ずつ」
「仕事と家庭の両立がうまくできるって」
「でもね、やっぱりなんだけど車の免許は持っていないみたいなの。そうよね、運転中キレたら困るものね」
うんうんと頷いて彼女の占いの結果を聞いていく。
僕らは、いつまで親友として一緒にいられることを許されるのだろう? この未来の中に、僕の存在は微塵も感じられない。遊びだとわかっていても、ちょっぴり寂しい気持ちになってしまった。だからか、僕は瞳を閉じたまま占い結果を告げるユリアちゃんの言葉を全て否定にとりたがる。
「ユーヤ、言うぞ。これは……白衣か、将来は医者みたいだぞ」
医者。確かに僕は目指している。詩織が言ったのだろうか?
一応あってはいるけれど、これくらいは当然だよね。将来の夢なんて、公務員とかエンジニアとかランキング上位のものを適当に言っていれば擦るくらいはする。
「ふむ、ユーヤは年をとった方がモテるな。結構後だが」
それってどういう意味?
じゃあ今はダメダメってこと。まぁ実際にダメだけど。
あれ、でもこれも合ってる……。まさか見た目で判断してるんじゃないよね? そうだとしたらかなり凹むんですけど。
「子供がいるな。男の子が2人……あ!!」
(男の子が2人ぃ!?)
目を剥き、大きな声で叫ぶユリアちゃんと共に僕も叫ぶところだった。
(いや、占いなんだから別に……)
自分の中のいろんなモノを誤摩化そうと思考を巡らせる。
と、僕の視界の中にまるで宇宙から見た地球のように青い、蒼い瞳に捕まった。同時、握られる力が倍以上になって、爪が食い込んできた。
「ユーヤ!! もしよければ二人で話さないか?」
「え?」
「お願いだ。どうしても話しておきたいことがあるんだっ!!」
巡らせていた思考が空の彼方に消し飛んだ。だって勢い余って可愛い顔が近づいてくるんだよ? 男なら誰しも、ドキリとしないわけがないし……本当は前に顔を寄せたい、だけど理性は後ろに体を引っ張る。はい、すみません。
「い、いいけど……」
「よし。詩織とナオはここで待っていろ。すぐ戻る」
爪が食い込んだまま、腕を引かれた。
教室を抜け、廊下を通り過ぎ階段をずーっとしたまで降りて、ついには下駄箱まで連れて来られてしまった。でも彼女は止まる気配を見せない。僕の目の前を、1年生達が通り過ぎていった。
「ねぇどこまで行くの?」
「……そうだな。もうここら辺でいいだろう」
キュッと音を立て、ユリアちゃんが振り返る。
「ユーヤ、礼を言うぞ。ナオは気がついていないと思うが、アイツはユーヤや詩織に助けられているんだ。だから、ありがとう」
「ああ、さっきの……」
「違う、それじゃない」
「へ?」
素っ頓狂な声が出た。
だって僕はナオくんをさっき保健室に連れて行く以外で助けたこともなければ、出逢った記憶もないんだ。もっと言うならば同じ大正学園に通っていたはずなのにすれ違った記憶もない。もしかして、僕が転校してから入ってきたのなら話は別だけど……」でも本当に彼と直接関わったことなんてないはずだ。じゃあ詩織が……? いや、でもユリアちゃんは確かに“ユーヤと詩織”って言っていて……???
首を傾げる。
と、青い瞳が細められ、金色の髪にも負けない程の柔らかな笑みが零れ落ちてきた。
「今はわからなくていい。そのうちわかるからな」
ますます意味が分からない。でもこれ以上聞いたって深みにはまるだけで、きっと彼女は同じことの繰り返しを言うだけだろう。
なんとなく自分の中で区切りをつけ手首を縦に降る。
それを見届けるか、見届けないかくらいだった。ユリアちゃんが持っていた僕の手を上に引き、黒い腕時計を眺め始めた。
「いい時間だな」
「え?」
「いい時間になったと言ったんだ。これでナオは詩織に……ふふっ」
彼女の、空色の目は弧を描きうっとりとした顔で頬が上気する。
大きく目を開けると、桜色の唇を歪めながら種明かしだと言わんばかりに彼女が饒舌に話し始めた。
「どうして私とナオがココに来たか、どうして今ユーヤをココに連れてきたか。ユーヤはずっと考えていたんじゃないのか? もう時間もいいし、教えてやろう。一つは本当にお礼を言いたかったんだ。ナオは馬鹿だから全く何も気がついていないだろうからな。代わりに言っておこうと思ったんだ」
「そして、ここにユーヤを連れてきた本当の理由だが、私がココにナオを連れてきた理由でもあるんだ」
「詩織には言っていないが、私は“予知”を見ることが出来る。それが“当たる占い”の正体だ。だから知っているし、利用させてもらいたかった……二人の秘密を。私はどうしてもナオを殺さなければいけないんだ。悪いな、ユーヤ」
ユリアちゃんは一体何を言っているのだろう?
ナオくんを僕らが助けた?
でも彼は全く気がついていない?
予知を見ることが出来るって?
僕たちだけの秘密……?
横隔膜が大きく動き、乾いた空気が肺を鳴らす。
ユリアちゃんの後ろに夕日が落ちてきて、金色の髪が夕焼けに染まり、白い肌は桜色。
「もうわかるだろう? キレた詩織はナオを殺す」
体がすぐさま方向転換した。
だけど、捕まっている手首が邪魔をする。
「無駄だぞ。予知は絶対だ」
「それってどこまで当たるの? 君は最後まで見たの!?」
声を荒げる。
すると腕を引くと簡単に僕の腕が抜け解放される。
振り向けば、可憐な容姿に捕まえられる。
「ユーヤ。心配なんてしなくていいぞ」
心配しなくていい……それってナオくんが詩織にやられて“ポックリ”いくから大丈夫ってこと? それとも実は冗談で最初から心配なんてしなくていいってこと? それとも君は本当に予知が出来て実はもっと別の目的があるの?
どうだっていい。
今僕がするべきことはキレる詩織を鎮めること。そう、それが僕の役目、僕の特権。いつまで出来るかなんてわからないけど、それこそ占いみたいに離れてしまうようなことになるかもしれないけれど、今は関係ない。
地面を強く蹴った。
「僕は、行くよ!!」
「そうか。気づいたのならそれでいい」
また、訳の分からない彼女の言葉。でも僕にはしっかり伝わってきたような気がして……後ろを振り向くことなく親友の元へと脚を急がせた。
下りた階段を上り、元来た廊下を走り抜ける。
見慣れたいつもの教室の前でブレーキをかけながら、ドアを開いた。目に飛び込んできたのは、長い脚を振り上げた詩織と呆気にとられたナオくんの姿。
スローモーションの世界の中、教室の中に体が吸い込まれるように入っていく。手を伸ばし、指先に真っ黒なブレザーを引っ掛けた。
「ナオくん、逃げて!!」
振り下ろされる蹴りに間一髪、彼の体を思いっきり引きよけさせることに成功した。そのままの勢いを利用し詩織へ腕を伸ばす。
が、彼女の動きの方が数段速かった。まるで僕が腕を伸ばすのをわかっていたかのように手が引っ込められ、その流れのままスカートが上げられる。ヤバいと思った時にはホルダーから彼女の愛機、警棒がホルダーから取り出されていた。
空気を切る音がし、それが一気に長さを出した。
作戦変更。仕方ないじゃないか。警棒を持ったキレた彼女は持っていない時より数倍強い。なんとかギリギリいつもどうにか触れていた状態なのだ。ナオくんを守りながらなんて、絶対に無理!! とりあえず彼女を一旦撒いて彼をどこかに非難させて再度挑戦するのが最良だろう。
体を反転させ、ブレザーの裾を思いっきり引く。
「ナオくん、早く!!」
「ちょ、ユーヤ!?」
開けっ放しのドアをくぐって教室を後にする。
「な、何アレ!? どうなってんだよ!?」
「ごごご、ごめん!! 先に言っておけば良かった。実は詩織は“美人”って言われるとキレちゃうんだよ!!」
「はぁ!?」
「信じてくれなくてもいい。とりあえず今は……一緒に逃げてっ!!」
ダッシュをかけて階段へ急ぐ。
(階段下はユリアちゃんがいるかも……上だ!!)
咄嗟の判断で上り階段へ、飛んだ。
と、僕の目を大きく開いた。
(なんでユリアちゃんがこっちにいるの!? さっきまで下にいたのに!!)
「だから言っただろう? ナオは死ぬ運命にあると」
僕にか、ナオくんにか、どちらにも取れる言葉をのたまう。
後ろを向けば眉間にシワを寄せた詩織がこちらを睨んでいて、今にも飛び出してきそうだ。階段上はナオくんのことを“殺害すること”が目的のユリアちゃんがいて……。
詩織を見据えた。
「僕は詩織をなんとかするよ。できなかったらごめんね?」
「ユーヤ。お前狙われてないからって、抜けたこと言ってるだろ!」
「キレた詩織には見境なんてないんだけどっ!!」
軽く彼の背中を押せば、意思疎通は抜群。軽快に階段をステップする音が聞こえてくる。
だから僕は、僕の役目を果たす。
駆け下りると同時に、キレた親友も階段を駆け上がり初めた。警棒を前に、半分ガードする形で構えられる。めいっぱい腕をのばした。
「っ……届け!!」
バシン。
ムチに打たれるような、豪快な音が目の前で弾けた。瞬間、痺れるような感覚と鋭い痛み。手がひるんで、脚が止まる。
詩織が風のように僕の横を駆け抜けた。
「「死ね!!」」
重なる詩織とユリアちゃんの声。
振り向く。目の前は真っ赤なプリーツがヒラヒラと踊り、親友の体がまるで羽が生えているかのように高く宙を舞っていた。
いつもなら見とれるだろう。だけどそんな余裕もなくて、僕は彼女を捕まえる。
「詩織!!」
顔は見て取れないがきっと詩織は元に戻っている。
しかし一度振り下ろした力は早々に運動速度ゼロにはならない。代わりに警棒が軌道修正され始めた。
(あ!!)
声に出そうと思った時には既に遅かった。
警棒に押され、ナオくんの体が階段下へと傾れる。さらに彼が掴んでいる手首に引かれ、ユリアちゃんまで体が傾き始めた。詩織もそれに気がついたのか、僕たちは同時に二人に差し伸べるように手を伸ばす。
けれど手を握り合ったまま、目を合わせたまま……
彼らは落ちていく。
ドサリ。
音の大きさに体が跳ね、落ちた二人の衝撃を貰うように瞼を固く閉じた。食いしばった歯と、痛いくらいに閉じた瞳を解放する。
「え? いな……い?」
階段下には、落ちていった黒髪の少年と金髪美少女はおらず、冷めたコンクリートの床とただただ無音の世界が広がるだけだった。
(どういうこと!?)
今まで確かに彼らは存在し、話して、ぬくもりを感じて、同じ時間を共有していた。それなのに僕が目を閉じていたものの1秒にも満たないその時間で彼らはいなくなってしまった。いや、どちらかというと消えてしまったという表現の方が正しい。でも、現実的に考えてそんなことは……。
落ちていった二人を追いかけるように、段を1歩、2歩とゆっくり脚を下ろす。
「無駄よ」
振り返ると、妖艶な親友の笑顔。
真っ黒な警棒がゆっくりとホルダーへ戻された。
「隠れたわけじゃないわ、あの子達は消えちゃったのよ。ほら、気配を全く感じないでしょ?」
そんなこと言われたって、僕には人の気配を感知する能力なんて備わっていないからわからない。それに僕は、非現実的なことはナオくんと一緒で信じたりしていない。そうだ、あんなに占いとかそういうことに嫌悪感を示していたナオくんが自らそんなコト、あるはずない。
彼女の言葉を無視して、2人が落ちたはずの場所へと脚を下ろした。
そこから廊下へ左右に首を降っても、階段下をずっと眺めていても、彼らの姿はどこにもなくて……
「ね? だから言ったでしょ? 無駄だって」
「でも……」
「だってあの二人は天使なのよ? 消えたって不思議でもなんでもないわ」
「そんなこと……」
「あるはずない? だったら二人はあの短時間でどこへどうやって消えたって言うの?」
押し黙った。
どんなに頑張って頭を使っても、どんなに早く計算しても、彼らが消えたタネが浮かんで来ない。僕は詩織の言うことを信じるしかないのだろうか。キレるのを押さえると言われた、あの日のように。
頭を垂れると足音がして、視界に彼女の上履きが入ってきた。
「天使だから私の未来がわかったのよ。ううん、絶対そう。そうでなきゃ困るわ」
「?」
「“キレたのを気になくていい”って言われたのよ? そんな未来、素敵じゃない」
確かに素敵だ。
綺麗な君はキレなくて、だから思う存分“美人”って言ってもらえるだろう。僕もそうなると嬉しい。もし、その時が来たら僕は手放しで言うよ「詩織は、美人だよね」って。
でもね、詩織。
そうなると僕はやっぱり寂しいよ。君に“美人”だって言っていいのは僕だけじゃなくなるのが。僕が君に必要とされることが1つでも減ってしまうことが。
また、自分勝手な思いが押し寄せてきた。
わかっているんだ。いつかはそうなるんだって、僕もいつか詩織離れをしなきゃいけない時がくるんだって。もう覚悟は決めている。けど、やっぱり寂しくて……
口に出すことは出来なくて、代わりにゆっくりと手のひらを握った。
すると、いつもの冷たい指が僕の固く結んだ拳を包み込んで優しく開かせる。横を見れば、首を傾げて目を細める僕のキレる彼女。
「だって。あれって、ユーヤが私の側にずっといてくれるから“キレる”のを気にしなくていいってことでしょ?」
今日か、明日にはこれの裏バージョン「キレる彼女が俺を殺しにきました」をUPします。