准教授以降〜それを決めるのは君じゃなくて僕〜
「うぇ…も、無理…」
口元を押さえて込み上がってくる吐き気も一緒に抑えた。
けれど抑えた所で意味なんてない。だって昨日の昼から何も食べてもいないんだもの。吐く物なんて胃酸くらいなもんだ、出すモノがない。
じゃあなんで気分悪そうなのかって?
それは研究室にこもってすでに1週間、今日で3日連続貫徹で寝ていないからだ。いや、これは喜ばしいことなんだよ? 研究が大詰めにきているから忙しくて寝ている暇もないのだから。父さんや他の大学の先生達だって「血尿が出て初めて一人前の研究者だ」なんて言っているし。出したくないけど…。けど、さすがに僕も限界。若いって言ったって…もう僕もアラサーですよ。体力にも限界があるもの。
……。
ごめん、実はそこはそこまで問題じゃない。嘘吐いた。
実は若いから無理なわけ(といっても、教授職でってこと)。
僕だって男だから溜まってる物があります、僕だって男だから溜まる物があります。大事なことなので2回言いました。これ、前期のテストで出しますよ。
ブンブンとかぶりを振って立ち上がる。
「病院の当直室行って風呂入って寝よ」
せめてこの気分を紛らわせようと、吹き飛ばそうと立ち上がった。
ノロノロと研究室の鍵を閉めて隣の棟へ向かう。
僕の所属している大学は大きな敷地の中にいろんな建物があって講義を行う棟、僕たちが研究するための棟、生徒達がサークル活動に使う棟、大学病院の棟、大学の体育館など様々なものが詰め込まれている。で、今僕は研究の傍ら医者としても働いている。まぁ準教授兼医者ってとこかな…? だから僕は大学だけじゃなく病院の方にも自由に出入りが出来る立場だ。だからこうやってたまに、家には帰らずに当直室にあるシャワールームでお風呂を済ませて、その部屋にある仮眠するためのベッドで寝ちゃうこともしてるわけだ。え? 職権乱用? まさか、この大学のために寝る間も惜しんで働いているのだから別にお医者さんの仕事をしていない後にも使わせてもらったっていいじゃないか。まぁ研究は詩織のためだけど…。でもあれだ、ほら、僕がさ自由に動いてたって特に怒る人なんている訳じゃないんだよ。そうだろ? 言いたくはないけれど父さんはこの大学では十分偉いポストについていて…ね? たまに「七光り」だなんだと指を指されることもあるけれど、僕は面と向かって言えない程の功績はしっかりつけてあるし、今も成果をあげていてスポンサーも十分(委員長と青柳くんとこもあるし)だし。だから大丈夫。使って何が悪い。
研究棟から出ると今までまともに浴びていなかった太陽の光に目がくらんだ。まるで吸血鬼か何かだと自分で笑いながらも脚を急がせる。
いや、だって僕の精神も欲望も爆発寸前みたいでさ、目の前に…詩織の幻影が見える訳だよ。3日寝ないと幻聴幻覚その他諸々異常が起こるって聞いたことあったけど、これっていろんな意味でヤバいでしょ。部屋で一人なら遊んだっていいけれど、ここは外。生徒や患者さん達の前で御用にはなりたくないってなわけで、幻は無視。
だけど夢幻だと分かっていても詩織は詩織、完全無視はやっぱり出来なくて口パクで「今夜いかが?」なんて言ってみる訳だ。焼きが廻ってきたと自分で分かっていつつもこの醜態。阿呆の山田とは僕のことです。
病院の裏口に入りながら白衣のボタンを外し、当直室に入るなりロッカーから常備してある自分の服一式を引っ掴んでシャワールームへ駆け込んだ。冷たいシャワーで1日の溜まった汗を流して、冷静さを取り戻す。ガシガシとシャンプーを泡立てれば、なぜか逆に眠気が吹っ飛んでいった。けれど寝た方がいいだろうと判断して着替えるなり仮眠室へと行った。が…
「あ…れ?」
ベッドが1つも空いていない。
どのカーテンを開けてみても同僚達が軒を連ねている。仕方なく一番仲のいいヤツの肩を揺さぶった。
「ね、中村くん替わってよ」
「あー? なんだ山田くんか。起こすなよ、今ようやく長丁場のオペが終わったとこなんだよ、10時間もかかったんだから…。言っておくけど他の奴もそうだからな。可哀想だから起こすな」
「嘘…」
「嘘じゃない。見てみろ今日の執刀記録を。っとに…、お前自分の部屋(研究室)あるだろ、そこでソファーでも床でも寝ろよ」
「ベッドないもん」
「知るか、俺たちには自分の部屋さえないんだから譲るのが当たり前だ。大好きな本敷いてベッドでも作って寝ろ」
目を開けることも1度しかせず、横になった状態のまま不機嫌そうに言われた。挙げ句の果てに「シッシッ」と猫か何かを追い払うかの如くあしらわれてしまった。恨めしげに視線を落としても、相手はすでに眠りの世界に入ってしまって気づいても貰えない。
ハーと大きくため息をついて仕方なく言われた通り自分の部屋に戻る。
-----ソファーで寝るかな。
来客用のそれでなんとかしようと鍵を開けてどっかりとソファーに腰を下ろした。さて寝ようとネクタイを緩め、体を横に倒しかけていたら2回、ドアをノックされた。
-----寝かせてよ。
舌打ちをしつつも乱暴に「どうぞ」と入室を許可すると…またしても幻聴幻影だった。
自分の精神も管理できずに精神科医とは笑わせる。膨らむ欲望を「ここは家じゃない」と呟いて抑えつけた。けどやっぱり僕は精神科医失格みたいだ…
「ユーヤ」
幻と現実の区別がついていなかった。詩織が僕のおでこをビシとデコピンしてきたのだ。
瞑っていた目を大きく開けながら半分起き上がると笑いながら今から脚を伸ばそうとしていた場所に座ってきた。おでこの痛みと確実に沈んでいくソファーに目の前の詩織は現実の物なのだとようやく理解をして目を合わせた。
「ふふ、先生何をそんなに驚いているの?」
「いやだって…君、こんな時間にこんなところにいるから幻かと…」
時計を確認しながら言えば、コロコロと笑っている。
「だからさっき、下で会った時もほぼ無視だったのね」
「え!?」
-----下で会った?
ということは、僕の欲望が作り出したイリュージョンだと思っていたモノは本物だったってことだ。……。ということは、僕が口パクで「今夜いかが?」なんて言ったのも、この子には…。
-----イヤー!! キャー!!
恥ずかしいと赤くなりつつある顔を手で覆って、女子高校生のように心の中で何度も叫んだ。
「しばらく顔見てなかったから図書館、抜け出してきたのよ。あと小太郎の様子を伝えにね」
「そりゃどうも…って君、クビになっても知らないよ?」
「あら、随分な言い草ね。疲れてそうだったから癒しにきたって言うのに」
-----振り回しに、の間違いでしょ?
悪態が頭をよぎったけれど言わない。
と、詩織が一度座り直してから僕のネクタイを掴んできた。完全に体が起こされて近づく顔。
-----今日はヤバいって。
じっと見つめられて指先がピクリと動いた。
黙って今にも爆発してしまいそうな欲望と衝動を押さえ込む。こんなこと、いつものことだろう? と逸る心臓を誤摩化す。
「癒された?」
パチパチと目が瞬いて、目が開かれる度に漆黒の瞳に僕が映っている。
グッと下唇を噛むと詩織が満足したかのように声を上げて笑う。
頭を思いっきり横に振った。
ここは大学、ここは研究室、僕はここの職員、詩織もこの大学の職員、場所と立場を考えろ、していいことと悪いことがあるだろ、山田裕也…!!
すぅーと息を大きく吸い込んだ。
「あのさ、そういうことしないでよ。大人なんだからわかってるでしょ?」
最後の理性で必死に欲望と格闘した。
なのに目の前の子はさも楽しげに僕をあざ笑い、しかもこともあろうか、挑発するように目を瞑ってきた。
喉が、鳴った。
ここは大学、ここは研究室、僕はここの職員、詩織もこの大学の職員、場所と立場を考えろ、していいことと悪いことがあ……ブツン。
僕の中で…理性がぶちキレた。
腰に手を回し、ネクタイを持っていた指先をもう片方の手で包み込む。
驚いて開らかれる瞳を決して逃さないように見つめた。
「I have to…Let me SMASH…」
言葉途中で体を反対方向へ倒す。
「え、ちょ。しょうがないって…ユーヤどういう意味!?」
人差し指を立てて詩織のサクランボ色の唇に押し当てた。イヤらしい目で見下ろせば、大きな目がさらに大きくなった。
クスリと笑う。
「日本語訳教えてほしいなら教鞭持つけど、その前に君、サボりが多々あり過ぎてそろそろクビ危ないんじゃない? サボり魔さん。まぁ“SMASH”を指し示す“特別講義”を受けるなら僕のお手伝いをしてたって言って今までの分まで擁護してあげるよ。大丈夫、ちゃんと鍵も閉めるし。でも君が“それ”を拒むなら…」
「拒むわ…って言ったら?」
SMASHの意味を理解して断定的に敢えて言い、イタズラに笑っている。
一度入り口を見て視線を促し「誰も“それ”は、“特別講義”を指し示すなんて言ってない」と、手で拳銃のような形を作って扉の取っ手の下にある鍵穴を指差しながら腕を捻った。今にも飲み込まんとする大きなその瞳が揺らめき、コキュンと喉が鳴るのを確認して嘲笑する。
耳元で優しく囁いた…。
「口塞いでてよ」
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