夏の本音 #2
会場に入って30分、ようやく食事にありつくことが出来た。
それまで一体何をしていたかと言うと、パーティーの主役だという人物に挨拶を交わし、委員長の会社の役員だという人達にも挨拶をし、はたまた見たことがバリバリある全国的な司会者や芸能人に会釈をしたリだとか、何かと大変だったのだ。しかもその間中、2人が逸れないよう気を使いながら。
イギリス人の紳士ってどういう神経してるんだろ? 尊敬の意を込めて羨んでみたがどうにもならなかった。
お皿を持ってグルグルと料理卓上の周りを回っていると、前を歩いていた詩織が足を止めた。思わずぶつかりそうになり、「おっと」と声を出して静止した。
「ねぇあれって…島波小五郎の、息子じゃない?」
彼女の目線の先には、確かに芸能界の大御所俳優の息子、島波凉がいた。彼は今年の“抱かれたい男ランキング”で1位を獲得した程のイケメンで人気も演技力もあり、二世タレントとは呼ばせない程の実力を持っている今、一番注目の俳優だ(と、朝の番組がよく騒いでいる)。実力を裏付けるかの如く、この夏の映画2本で主演、ドラマで3本、バラエティー番組でもCMでも引っ張りダコとテレビで見ない日はない。正直に言ってしまえば、男の敵なような奴だ。
そんな今をときめく彼が僕たちの目線の先にいた。さすが、いろんな芸能人がいるだけはあるな、と感心していると向こうはこちらの視線に気がついたようで、にこにこと笑いながら僕らのいる中華料理テーブルへやってきた。
「こんばんは、奏さん。お久しぶりです」
「はい。ご招待頂きまして、ありがとうございますぅ」
どうやら島波凉が僕たちをこのパーティーへ誘ってくれたらしい。話の流れから、委員長は彼と何度か面識があるようだった。2人が話し込んでいる間、僕はすることもなく目線を廻らせていると、末長がいろんな芸能人と写真を撮っているのが目に入った。ミーハーな奴め。
視線をこちらへ戻すとまだ2人は喋っていて、仕方なく詩織に話しかけることにした。しかし彼女の目線はなんと、島波凉に釘付けだった。
-----ファンなの?
ドラマやバラエティー番組などの話を学校でしていてもなかなかノってこなかったので、あまり芸能人には興味がないかと思っていたのだがどうやらそうでもないらしい。目を爛々と輝かせ、食い入るように彼の顔を見つめている。
別に…嫉妬してる訳ではないが、ちょっと悲しい。目の前で暇してる友人がいるのだから少しは話しかけてくれたって…。
と、島波凉が端正な顔をそのままに僕らの方に向き直った。
-----う…わぁ、男の僕が見てもカッコいい。
不本意にも素直に思ってしまう自分が情けない。いや、仕方がないこれだけ格好良ければ。感嘆の声を上げなかっただけマシだ。
「初めまして、島波凉です。奏さんにはお世話になりっぱなしで。御学友の方だとか」
すっと、僕が求めていないのに手を出して握手をしてくれた。芸能人なのに、派手な顔とは違って中身は凄く大人で、しかも紳士的だ。慌てて自分の自己紹介をした。
彼は体の向きを少し変え、珍しくポカンとしていた詩織に握手を求めていた。やっぱりファンらしい。言動がいつもと違い、挙動不審だ。
「さすがは奏さん。こんなに心優しい男性と、見たこともないような可愛い子が友達だなんて。芸能界に欲しいくらいですよ」
思わず手を握った。
しかしその手は委員長のもので詩織のそれではなかった。“可愛い”と言われてキレるかと危惧していたが、詩織は全くその素振りを見せない。それどころか恥ずかしそうに顔を赤らめてモジモジし始めてしまった。
-----“可愛い”ではキレないの…?
不思議だと思いながら、僕は隣にいる彼女を見つめた。そして芸能プロデュースもコナすという島波凉も心底スタイルの良さや顔の良さを感心したように腕を組んで、詩織の顔から体を眺めていた。
そういえば、どこかで聞いたことがある。美人の人はいつも“美人だ”と言われ慣れていて、“美人”と言う言葉では褒められても反応を全く示さず、逆に“可愛い”と言われると凄く喜ぶのだと言う。今、それと同じ状態が詩織の中でも起こっているのではないだろうか。
もう一度マジマジと彼女を見た。喜んでいるように見える。
これは新たな発見をしたな…と、これから詩織を褒める時は可愛いという言葉を使おうと決心した。まぁ僕にそんな言葉を使いこなせる勇気があれば、だけど。
するとどこかで彼を呼ぶ声がした。彼は少し困ったような顔をして詩織の顔を見て一瞬だけ、ふっと笑うとその声の方向へ僕らに手を振りながら颯爽と行ってしまった。
「くぅ、悔しいがあれが“抱かれたい男No1”か…」
いつも間にやら僕の隣に立っていた末長が皿に盛りつけられたエビチリを自分の皿に移しながら口惜しそうに漏らした。
「紳士だったよ」
「知ってる、ムカつく位にな」
フンと鼻を鳴らしたかと思うと、末長は皿を僕に押し付け、何かを頬張りながらカメラのシャッターをまたきり始めた。
彼のカメラの液晶画面には、未だ少し顔を赤らめた詩織がいた。
沖縄旅行2日目。
昨夜は旅の疲れか、慣れないパーティーの所存か、早めに各自の割り当てられたプライベートルームで就寝したので、皆朝だというのに元気だ。昨日から引き続きハッスルしまくっている末長に、昨夜は廃人のように真っ白だった番長に至っては、それ以上にテンションがハチャメチャだった。なぜかって、そりゃ沖縄と言えば海、海と言えば…水着、だ。そう僕たちは今日は海で思いっきり遊ぶ計画を立てていたのだ。本当はダイビングをしてみたかったのだが、如何せんライセンスも何も持っていないので、初心者でも珊瑚礁が楽しめるシュノーケリングをするわけだが。
西表島への巡航船に乗り込み、さらにバスで少し離れた停泊所を訪ねると、中からは白いひげを生やした如何にも海の男という感じの船長が僕たちを歓迎してくれた。話によると末永さん家と何軒かで共有している船を管理している人らしい。
彼の運転する船に乗って、僕たちは始めのシュノーケルポイントで早速潜ることとなった。
言われるままにフィンを付け水中眼鏡をつける。
が、船の上から見えるのは真っ黒な海だけ。大丈夫なんだろうな?
思っているような珊瑚や熱帯魚の群れに出会えるとは到底思えず、何度も深呼吸を繰り返す。先端で行くか行かないかを迷っていると、背中を押されて僕は振り向く間もなく海へダイブするとこととなってしまった。
「まだ心の準備中だったのに!」
プハっと、海上に顔を出すと太陽の光を遮るように詩織が飛び込んできた。
「ぶわっ」
「冷たーい!!」
キャーっとはしゃぐ彼女。
一瞬見てしまった真っ黒なビキニに、思わず顔が赤らんだ。
「ユーヤ、潜ろう!!」
グイグイと海の中に引っ張り込まれた。中は、船から見た時からは想像もできないくらい明るく、想像通り深かった。何もないと思っていた海底には所狭しと色とりどりの珊瑚が並び、向こうの方では鮮やかな色をした魚がスイスイと泳いでいる。そして僕の目の前には、形のいいお尻…。
-----…嬉しくないわけはないけど…、僕としては目に毒だ。目のやり場に困るよ。
まるでイルカか海の生物のように5メートル近くの海底まで来ると、彼女はその場でフィンを動かし留まっている。僕は何分初めてなので気を抜くとすぐに浮かび上がりそうになってしまう。何より耳が痛い、息が苦しい。
彼女の手を引いたまま、浮上した。
「はっ、はっ。あんなに長い時間は無理。ってか、フィンしかつけてないね」
「ふふ。私は何分も潜ってられるからね」
言ったそばから今度は一人で潜っていく。それに続いて委員長も潜っていった。
「人魚見たり」
「うわ!!」
僕に水をバチャバチャかけながら、どこから用意したのか、プロ用と言っても過言ではない水中カメラで2人の人魚を末長は激写する。
「俺も人魚を見るぞぉ!!」
水の大きな跳ね上がる音と共に、空から振ってきた巨体が白と赤のストライプの入った大きな浮き輪の中に体をすっぽり被って、雄叫びを上げた。水中眼鏡にライフジャケット、フィンに浮き輪とかなりの重装備。体躯に似合わず海が怖いのか、泳げないのか分からないが、随分マヌケな格好だ。彼もまた僕に海水を大量に噴射して人魚の泳いでいった方へ誘われていった。
「アレが次のポイントの島だ。珊瑚で出来た島でな、船じゃ途中までしか行けないからそこまでは自分で行ってくれ。時間になったらまたここで乗せてやるから」
そう言って僕らを次々と海へ落としていく船長。
周囲1キロ程しかない島に着くと遠くから見ていた通り、砂浜しかなく何も生えていない。ここで時間になるまで休んだり、潜ったりしろっていうことだろう。ある程度潜って楽しんだら、疲れてしまった。持たされたペットボトルの水を飲みながら、島に上がり真ん中であぐらをかいて座った。一瞬熱かったが、体が冷えていたせいかなんだか心地いい。
「楽しんでますかぁ?」
「凄い楽しいよ」
隣に体育座りで座る委員長を横目で見ながら僕は応えた。
「よかったですぅ。昨日は急遽パーティーなんかに誘ってしまって」
「いいよ。なかなか出来ない体験だし」
「…山田くんは優しいですよねぇ。詩織さんが心を許してしまうの、理解できますぅ」
「え?」
委員長は雫の落ちるワントーン落ち着いた色の髪をギュと絞って、髪をかきあげた。しばらく沈黙を守り、よせては返すさざ波を見つめている。
「なんていうか、山田くんと一緒にいるとゆっくり出来るって言うか、ほわ〜とした気持ちになれるんですぅ」
「爺臭いっててこと?」
「決してそんな意味じゃ…」
「分かってるよ」
頬をぷくっと膨らませて怒ったように唇を尖らせている。怒った顔も可愛いけどね。
-----笑ってる方がもっと可愛いよ…なんて言える訳ないし。
自分で思いついて照れてしまう。
恥ずかしくて居ても立っても居られなくなってついつい立ち上がってしまった。はぁー、この位言ってやれるようならいいのに…ん?
今まで座っていて気づかなかったが、向こうの海の上にぽっかりと浮かぶオレンジ色の何かがあった。それはどんどん近づいてきて。
「島波さん!?」
オレンジ色の物体はエンジンの着いたゴムボードで、中には島波さんと何人かの人がいた。僕の驚いた声を聞いて、島波さんは船に乗ったまま爽やかな笑顔を振りまいてきた。悔しいけど、格好いい。
「君たちがここにいるって聞いてね。ご一緒させて頂ければ光栄なんだけど」
口に出さず、肯定した。
彼は笑ってありがとうと言うとTシャツに隠れていた筋肉質の体を露にした。よく鍛え上げられた体に小麦色の肌。夏の男とは正に彼のことを言うのだろう。男の僕でも思わず口を開けて上半身に見とれてしまう。
しかし僕らの視線なんか気づきもしないといったように、彼はシャツを乗ってきたゴムボートに投げて入れて、海へ駆け出した。その顔はおもちゃを与えられた少年のような顔をしていて、売れっ子俳優という顔ではなかった。憶測だけど、こういった子どもの部分を持っていること自体さえも世の女性達を魅了する秘訣でもあるのだろう。
僕は一生、男として敵うはずのない尊敬すべき男の陰を目で追った。
しばらく海に潜って委員長と遊んでいると、海上に顔を出した瞬間に浮き輪が頭を捉えグイグイともの凄い力で引き寄せられた。僕のお尻が着く頃になっても力強く引っ張られ、浮き輪を着けたままの格好で番長の横までとうとう来てしまった。後ろからは「待ってください」といいつつ委員長が追いかけてきていた。
「な、番長何するんだよ!!」
「しっ! 静かにしろ。どうなってるんだ、あれは?」
「あれ?」
番長に頭を抑えられ、鼻までしか海の上に出ていない状態で彼が指差す場所を見た。
「詩織…と、島波凉さんだね」
「だね、じゃないよ!!」
番長の大きな体で見えなかった末長が声を荒げた。隣で委員長が僕たちと同じように顔だけ出して同じ方向を見るのを確認した後、末長は続けた。
「アイツ、僕たちの詩織さんを狙っている」