キレる彼女とぼくの関係
「では失礼します」
「ユーヤ、誰もいないんだからその他人行儀はやめなさい」
「…誰が聞いてるか分かりませんので無理言わないで下さい。研修までというのは考えておきますが、せめて在学中はこのままでいきたいんです。だから、これからはあまり今日のような個人的な呼び出しは控えて頂きたいですね」
ペコリと実の父親に一礼を入れてドアノブに手をかけた。
父さんはキツい言葉を何とも思っていないのか、1度鼻で笑った。そして時計を見ながら父親丸出しのセリフをかけてくる。
「だったら、寄り道しないで帰りなさい」
「…失礼します」
イタズラした時の僕と同じ顔を半分だけ見て、勢い良く教授室の扉を閉めた。階段を下りて外に出てからゆっくりと伸びをした。目の前にはようやく見慣れてきた大学棟の窓が晃晃と明かりを漏らして、その向こう側で月がぼんやりと窓越しに見えた。一瞬図書館に寄って返ろうかと思ったけれど、何となく止めて校門の方へ脚を伸ばす。
僕がこの大学に入学して1週間が経った。
授業も始まったし、数人の友達とは遠慮なしに物事を言い合えるような間柄の関係も築けた。あの無駄に広い家に帰るのも、まぁなんとなく普通になってきたし、家に友人を呼んでも寝室まで踏み込ませなければ出窓のフリフリレースカーテン&その他を見られる心配もないと言う事に気がついた。ま、言うなら…今の所不満なんてない状態だ。ただ一つを覗けば…。
そう、僕の隣には今まで当たり前のようにいた詩織の姿がない。
仕方のない事だけどやっぱり寂しくて、いないのは分かっているクセに何度右側を見てしまったコトか。違うのは分かっているクセに何度黒髪の長い髪を持った女の人を目で追いかけたコトか。期待をしてはいけないと思っているのに同じシャンプーの匂いに反応を示してしまったコトか。
電話は今まで通りするけれど、やっぱりそれじゃ物足りなくて…
小さくため息を吐いて街灯の下に立ち、時計を見た。
「うあ、もうこんな時間だったんだ」
強く地面を蹴って急ぎ足で校門を通り過ぎようとした。と、突然春風が吹いた。思わず脚を止め、目を閉じた。アスファルトにパチパチと石ころが弾ける音がして頬に小さな砂が当たる。耳元で通り過ぎていく風の音が少しだけ大人しくなった…
コツン。
首元に何か固いものが当たった。
「動くな」
大きく目を開けた。だって聞き覚えのあるフレーズに聞き慣れた声がしたから。
息を飲むと声の主は続けた。
「そのままこっち向いて。何かしようとしたら容赦なく殴るわよ!!」
怖くなんてなかったけれど、あの時と同じように目を閉じたままゆっくりと振り返った。
目を開けばそこには…何度も目にした美女の姿があった。街頭に照らされているだけなのに天使の輪が何重にも出来る、長くて美しい髪。ふんわりとしたシフォンの真っ白なスカートがかすかな風に揺れている。手には真っ黒な警棒が握られて、それを持つ手は抜けるように白い。泣き黒子の上にある吸い込まれそうな程大きな瞳には、僕だけがくっきりと浮かんでいた。
「動かないで」
首に真っ黒な棒を突きつけながら彼女は僕を暗闇の中に閉じ込める。
何秒間見つめ合っただろうか。
耐えられなくなって口を歪ませれば、その子もまたふにゃりと唇で弧を描く。
「詩織、こんな所で何やってるの?」
「待ってたのよ」
「待ってた? 僕を? っていうか、君大学は? 明日も平日だし、こんな所で油売ってたら最終見逃しちゃうよ」
「その心配はないわ」
「え?」
聞き返すとヒュと警棒が音を立てながら首を離れていった。
そして代わりに指先が僕の向こう側を指す。
「だって、私の大学は隣の女子大学よ?」
-----え…!?
意味が分からなくて振り返って、詩織の差していた方角を見る。知ってたよ、知ってた。僕の通っている大学の前に大通りを挟んで向かい側に大学があるってことは。でも、は? え? ん?
大きく目を開け、ポカンと口を開けると詩織が待ってましたと言わんばかりに笑い始めた。それでも僕は意味が分からなくって、ただただ笑う詩織を眺めるだけ。彼女はそんな僕を見てさらに声を上げて笑う。
「だから、私はあの女子大学に通ってるのよ」
「だ、だって、君の第一志望の大学は…F女子大受かったって…!? え? どういうこと!?」
「ふふ、ごめんなさい。実は、私もともとF女子大受けてないのよ。最初はね、本命はこっちだったんだけど、点数が足りなくて。でもセンター試験がユーヤのおかげでいっぱい点数取れたじゃない? だから志望ランクを上げても問題なくなったから…本当に行きたかった今の大学を受けたのよ」
今の話だけでも十分ビックリなのに、彼女はさらに度肝を抜いてくる。
もう僕は口をパクパク金魚のように動かす事だけしか出来ない。
「知らないのはユーヤだけ。皆でユーヤを騙しましょって企ててたのよ。ユーヤのお父さんお母さんもお姉さんも知ってたわ。勿論お兄ちゃんだって。委員長も坂東くんも知ってたし、末永くんも知ってたわ。神無月ちゃんに至っては、同じ大学に通ってルームシェアまでしてる仲なのよ?」
「っ…ちょ、ちょっと待って。じゃあ、バレンタインの前の青柳くんのチケットって僕を…」
「そうよ。騙す為の布石、空と一緒に考えたの」
「じゃ、じゃあこないだのお別れの挨拶って」
「この約2週間の為のお別れの挨拶よ。ついでに、今日お父様に呼び出しを受けたのも私と運命的な再会をするためよ。この時間になるように頼んでおいたの」
-----何それ…
愕然と項垂れた。すると今までにないくらい爆笑して聞いてきた「騙されたかしら?」なんて。
…もうね、騙されたとか騙されてないとかそう言う問題じゃない。皆でよってたかって人の事騙そうとするなんて、なんて親友だ、なんて親だ、なんて兄姉だ、なんて友人達だ、なんて後輩だ。
クッと下唇を噛みしめた。そして心に固く決めた。全員に必ず仕返しをする事を。そう、僕の純朴な心を壊した罰は受けてもらう、100倍にして。じゃなきゃ今まで押さえつけてきた恋心もSっ気も収まりがつかない。もう誰も僕が変わっていくのを止められない。始めたのは君達が最初だ、恨むなら自分たちを恨みなよ。まずは僕を貶めるだなんて元凶、原因を作り出した当人から仕返しをしよう。始まりは君なのだから当たり前だよね。…まぁとりあえず、せいぜい僕を楽しませる為に踊り続けてよ。今度は僕が何も知らない振りして、見てるから。
スッと息を吸い込んで未だ恍けた顔して見上げる詩織をチロリと睨んだ。
「でも、君が第1志望校に受かったって言うのは事実だよね?」
「そうね。さっきも言ったけどこれはユーヤのおかげよ?」
「そりゃどうも。…ところで詩織、覚えてる? 君の志望大学を僕らは賭けの対象にしてたってコト。第1志望が受かった場合って、僕の勝ちだってコト。ってことはつまり、賭けは僕の勝ちな訳だ。でも最初に商品も何も決めていなかったから、これって僕が勝手に貰うものを決めていいと思うんだよね」
ハッとしたような顔をする詩織に「詰めが甘いよ」と囁いた。
僕らの間に春の風がまた吹いて、長い髪を靡かせる。
「賭けだからね、絶対に破らないでね」
もう君は抜け出せない。2年前、僕が陥ってしまったように。君の言葉の有効期限が2年間ならば、僕の約束の有効期限は…
ゆっくり指先を頬の輪郭に沿わせれば、2年前とは逆に詩織の体がビクリと反応した。だから敢えてギリギリまで顔を近づけて彼女の専売特許であるイタズラな笑みを零す。
瞳を合わせて…有効期限のない、約束の言葉を発した。
「僕のそばにいてほしい」