泣き面に家族
「お世話になりました」
会釈をしながらキーを大家さんに返した。「頑張ってね」という優しい言葉に素直に返事をしてから敷地を出た。
本日は、僕と詩織の引っ越しの日です。
前にも話したと思うけれど。今の段階はすでに家財道具を業者さんが今までの家から搬出し終えて、僕は家具がなくなったそこを掃除して、大家さんに鍵を渡してきたトコロ。多分、引っ越しのトラックは次の家について色々運び込まれているだろう頃だろう。それはもう家族に任せてあるから、僕は…
僕は今から、そのままバイクを転がして詩織のホテルに向かう。
彼女の方はもともと家財道具を一切持っていないし、荷物も少ない為、夕方以降に移動を開始するみたいだ。まぁそこまで一緒にいれないとは思うけど(KENさんが来るから)。
バイクを停めて、すっかり顔なじみになったホテルマンさんに挨拶をしてからエレベーターのボタンを押す。
呼び鈴を鳴らせば出迎えられた。嬉しいはずのその顔に、なぜか悲しさを覚えてしまった。ヤバいと思う。まだ、1歩も踏み入れていないのにうまく顔の筋肉を緩められない。そんな僕の心情を察してか、部屋に引っ込んでいた筈の詩織がヒョッコリ顔を出してきて、いつもの如く指を絡めてきた。
顔を見れば、相手も寂しそうで、そのくせお世辞にもうまいとは言えない笑いを懸命に僕に向けてきていた。
だから僕も下手な笑いを落とした。
「…荷物、相変わらず少ないね」
「ええ。だからギリギリまで何もしないのよ。寂しいでしょ?」
その問いに…僕は答えられなくて、ゆっくり俯いた。
数秒後、奥歯を噛みしめて口を閉じまま、動かない詩織を引っ張った。そう、この指先を引いて歩くのは僕の特権。引かれるんじゃなく、今日だけは最初から最後まで引いて歩きたい。
部屋の中心まで来て座っても怒られないベッドを見ると、詩織が微笑して「どうぞ」と促してくれた。
二人で並んでベッドに腰掛けて、外の喧噪に耳を傾けて…指を繋いだまま無言で過ごす。
本当は、話したい事がいっぱいあった。引っ越しの準備をしている間も、業者さんが荷物を運び出している間も、掃除をしている間も、大家さんとの頃に行く間も、バイクでここに来る間も、エレベーターに乗っている間も、どれを話そう、どれから話そう、時間は足りるだろうかなんて考えていたくせに、いざ隣に来て話そうと思ったら…胸がつっかえて話せない。言葉を紡ぎたいのに代わりに涙が溢れそうで喋る事さえ叶わない。
乾いた時間が通り過ぎていく。首を反らし喉を鳴らして、右を見ては俯いて、繋がれた指を確認して…。
どのくらい沈黙の時を味わっただろう。
僕は、気がついた。
詩織も話しかけて来ない事に。詩織の目は赤くなって今にも溢れ返りそうな程雫が溜まっている事に。
-----僕だけじゃなかったんだ。
理解した瞬間、溢れてくる感情。これはどんな言葉でも表せない程で…喪失感も、焦燥感も、僕に追いつけない。片腕をもがれたなんて言葉さえ足りない。心の大事な部分が、体で言うなら心臓だけがどこか遠くの世界へ行ってしまう…そう、なくなっても穴が開いても生きてさえいけない位の、そのくらいの感じ。使い古された言葉で表すなら「君がいなければ僕は生きていけない」…こんな感じ。
正直に言って、そんな言葉馬鹿馬鹿しいと思ってた。だけど、今の僕には痛い程その言葉の意味が分かってしまって。
そうだろ?
だって僕は、詩織に出逢ったから今がある。
苛められて、転校して、誰も信じられないと思っていた僕の心を一瞬で覆したのは君。
そう、出逢った瞬間から、僕の世界が見違えるように色彩を帯びた。
七色という言葉だけでは足りない、未だ人類が名前を付けていない程多い、目で認識出来る物だけじゃないカラーとビジョンを引き出してくれた。死の星だと思っていた僕という惑星の周りを君という太陽が光を出しながら回ってくれたから…世界には友情があって、愛があって、嫉妬があって、憎しみがあって、皆懸命に生きているんだってコトを見えるようにしてくれた。
台風のように突然現れて最初は本当に戸惑ったけど…そう、もう僕は君なしじゃ生きられない…。
隣で鼻をすする音が聞こえた。
僕はそれさえも出来なくて、ただただ白い天井を見つめた。
「何時頃…行くの?」
「…詩織が決めて良いよ」
精一杯の笑顔で隣を見下ろした。
でも彼女は僕とは対照的にすでに鼻の頭まで真っ赤に涙をボロボロ零していて、隠す素振りさえ見せずに見上げてきた。
胸を、打ち抜かれた。
息は止まり、思考は停止し、なのに脈拍は上がり続ける。
もう、今にも全てが弾け飛んでしまいそうだ。自分の中のルールを破ってまでも、手に入れたい。恋心に従ってそのまま突き動きたい。
掴まれていない指先を返して、真っ白な指先を包んだ。
刹那…詩織が先程の回答を出してきた。
「なら、もうしばらく…このままで」
僕の心なんて知らないくせに、これからしようと思ってた事を予知していた訳じゃないくせに。
そんな言葉。
でもなぜか、僕はこの言葉に満足してしまって…今までにないくらいの優しい声で言葉を紡いだ。
「もうしばらく、このままでいるよ」
それとなくKENさんが入れたメールを合図に敢えて「さよなら」とか「バイバイ」なんて言葉は二人とも発せずに、僕らは笑顔で別れた。新しい家に着く頃にはもう太陽はとっくに暮れていて、引っ越し業者のトラックさえ見当たらなかった。
違和感のあるドアのインターフォンを鳴らせば、姉さんがスリッパをパタパタさせながら玄関を開いてくれた。ドアを開く瞬間、口が「し」の文字になっていたけれど僕の顔を見るなり、動きを一瞬だけ止めた。そして違う唇の動き変更してきた。
「もう、全部搬入し終わってるわよ。やってないのは本棚だけだから、そこは自分でなさい」
突っ込んで来ない事に感謝しつつ小さく頷いて脚を踏み入れた。次の瞬間まで、それは僕の願望だった事を知らずに。
そう、それを知るのはリビングに繋がるドアを開いたこの時点。
「ちょ!!」
何が見えたか僕は言いたくない。けれど言わなきゃ分からないだろうから言おう。リビングの中央には見た事もないソファーが置かれてあった。そう、僕はこんなもの買った覚えもなければ頼んだ覚えもない。
なんだこれは!? と大声を出そうとしたら、姉さんが僕の腕を掴んでからゆっくりと組んできた。そして囁かれる。
「驚く所はそこじゃないわよ」
「え?」
大きく目を開くと母さんが満面の笑みを零して導くように寝室へ続く扉を開けた。
絶句した。
もう、僕はどこに突っ込んでいいのか分からない。
そうだろ? 僕は18歳の男の子でここで一人暮らしをする身分だ、ちなみに分かっているとは思うがカノジョはいない。なのに僕の視界には…出窓には振り振りのレースがついていて、ベッドのシーツカバーもなんかヒラヒラした裾みたいなのが付いている。しかも極めつけというか、トドメのようにそのクイーンサイズのベッドには枕が2つ置かれていて…。
僕は勿論フリフリレースカーテンなんて付けるつもりなんてなければ、シーツカバーも今まで通りでよかった。というか、むしろ今までの布団はどこに行った!? そしてこのベッドは誰が買ってきた!? 僕は今まで通り板敷きで過ごすつもりだったんだ。
震える体でもう1度「なんだこれは!?」と言おうとしたら、今度は母さんが僕の腕に捕まってきた。
「大変だったのよ、詩織ちゃんの好きそうなフリフリのもの見つけるの。1ヶ月かけて探し歩いたんだから。それにベッドも大変だったの、ここ5階でしょ? だから、あのベッド大きいし運べないって言うからクレーン使ったのよ」
それってつまり…僕にプレッシャーという見えない手錠をかけているんだよね?
ピクピクと目の下がチックを起こした。
すると今まで傍観に徹していた父さんがニッコリ笑って僕を上げてから、
「変えたいなら好きにしなさい。けど、その意思はお前のものじゃない、詩織ちゃんのだぞ。じゃなきゃ…今後一切の援助はなしだ」
どん底に突き落としにかかってきた。
そう、もう僕は罠の渦中。左を見れば母さんが「虹村家にうちから可愛い可愛い娘を出すんだから、交換で丁度いいと思うの」、右を見れば姉さんが「たまに様子見に来るわね、お腹の子達も楽しみにしてるわ」とさらに攻めてくる。
もう僕は抜け出せない。
でもせめて、せめて…一言だけ叫ばせてほしい。
------誰かこの家族を止めてくれ!!
個人ブログの方で、表紙の案内がvv
小出しですが見てみてくださいvv
気になる方は活動報告「吃驚企画 第3弾の続き話 」をクリックで^^