キレlife 妄想彼女にご用心 #4
「演奏、よかったね?」
「そうね」
右手には僕が包み込んだままの詩織の指先。多少緊張してるのか、さっきからその部分を動かす気配さえない。っていうか、あんなに頑に外したがらなかったサングラスもニット帽も頭から吹き飛んでしまったのか…実は僕の鞄の中だったりする。そう、だから今彼女はマスクしか付けていない。
なんだか可笑しい。自分から賭けを振っておいて、サービスタイムを与えてきたくせに、もう少しでキスするトコだったのに、ただ僕から初めて手を握ったからってだけでこちらにまで伝わる程萎縮してしまっている。こっちの方がレベルとしては低いのに。ああ、僕が本気で動き始めたと思ったの?
顔を見れば、いつものような毅然とした顔をしていた。けど目の奥は…。
クスリと苦笑する。
「ねぇもしかして緊張してるの?」
「そ、そんなわけないじゃない!!」
「そう。ならいいけど」
ふいと顔を正面に向けると視界の端で頬を膨らませた姿が確認出来た。なんか、堪らないね。
暗い夜道を無言で腕を引いて歩く。
見上げれば本日は満月。雲一つない綺麗な夜空。周りは人一人歩いてない。公園の端にある街灯がついたり消えたりして、パチンという音を何度も奏でている。周りを虫が飛んで、僕たちが歩く音が木霊する。
「ちょっと待ってて?」
手を離して一人駆けた。ザッと砂を蹴って端にあった赤い自動飯場機の前で立ち止まる。コインを数枚入れて彼女の好きな甘いミルクティーを買って、僕は反対にブラックコーヒーを選択した。
「はい」
戻って手渡せば、意味分からないって顔してる。いや、警戒してる…?
先に街灯の下のベンチにどっかりと腰掛けながら座るように促して、蓋を開けた。腰が落ちるのを見届けて缶を眺める。
「飲んだら? 別に僕もうキスなんてするつもりないから」
布の擦れる音がした。
缶に口をつけ、続ける。
「思ってたんだけど。…君がしたいようにすれば良いと思うんだ。だからその格好も慎重な行動もするっていうなら応援するよ。好きにすれば良いと思う。正直言って一緒にいれるならなんか関係ない気がしてきたし。それに…僕は…詩織のこと大切にしたいと思ってるから、あんまりああいう事は賭けの対象にはして欲しくないかな。もっと自分の事大事にした方が良いと思うよ? っていうか、僕は…」
「それってユーヤは私の事…」
阻まれたから阻んだ。いや、言わせない。次に続く言葉なんて言わせない。
コーヒー缶とマスク越しにキスをさせ、緩んだ指先から落ちてきた缶を受け取った。片手でその蓋を開け、
「それ、苦いから君には無理だと思う」
彼女の缶を突き出した。右手のミルクティーを離し、左手のコーヒーを引き寄せた。
口に含み、すっきりとしたビターを飲み込む。
「飲んだら?」
「…ええ」
隣でマスクが外され無防備な…ようやく本来の詩織の綺麗な顔が見えた。
自然に出てくる笑みを抑えられずに眺めれば「ニヤニヤし過ぎよ、親友」なんて言ってくる。
「そんなにイヤらしい顔してるつもりはないんだけど、それって酷くない!?」
「ふふ。思ってるだけじゃないの?」
いつものやり取りに、いつもより綺麗な彼女の横顔。僕はそれにさらに口の端を上げてしまう。
そう、これでいい。
僕らの関係は親友だけど、恋人じゃない親友以上恋人未満。誰が何と言おうとここは譲れない…。
詩織が飲み干すのを待って、僕も一気に缶をあけた。頂戴と言われるから缶を渡すと…彼女は抜群のコントロールでゴミ箱に2本とも投げた。カランと軽い金属の音が公園に鳴り響く。
と、その投げられた缶の軌跡を追って、僕らよりも少し年上のカップルがこちらを向いた。
「わ。あの黒髪の子、すごい美人!!」
あっと思う時には隣では物凄い形相をした詩織がいた。前を見れば「お前の方が可愛いよ」なんて呑気にイチャイチャ始めるカップル。こちらはもう目に入っていない。
-----ヤバい!!
思う時には詩織は座ったままの体勢からダンと脚を地面につけて飛び出していた。慌てて僕も飛び出す。こんな時こそ、自分の背が高くてよかったと思うことはないね。YES!! 立ち上がる低い体勢の1歩踏み出した状態であの子のフードをリーチの長さでなんとか捕まえられた。
クンと詩織の体が仰け反って小さな声が聞こえた。
瞬間、右足が方向転換。直角に繰り出され、顔がこちらを向き、鋭い目で睨まれた。
次の時には足の甲が思いっきり踏みつけられて下半身の動きが封じられる。でも僕にだって慣性の法則がかかってる。睨まれようがなんだろうが地球の掟で飛び出した体は止められない。
胸ぐらが掴まれ、詩織も加速した。
-----え!?
キスをした。
雰囲気も告白も友情もかっ飛ばして…。
触れるのは本当に彼女の唇だけで、感じるのはビックリする程の柔らかさと思ったより暖かくないもんなんだと言うコト。思考回路は爆発してそれ以外考えられなくって、間抜けにも目を閉じるのも忘れてた。時が止まったかのようなこの空間で、ただただ感触だけを貪るように脳へ叩き込んだ。
体が自然と離れるまでに感じた時間は1時間、だけど実際の行為は1秒にも満たない短い速度。大きく開かれた漆黒の瞳と見つめ合う。ほとんど隙間のない二人の間を夏の蒸し暑い風が通り過ぎて、あの子の前髪が揺れた。薄く唇が開いて…瞳が大きく揺れた。
刹那。
僕の脚は崩れるように落ちる。いや、落とした。手をつき、そのままの勢いに乗ってゴンと地面にオデコを打ち付けた。
「すすす、すみませんでしたーーーーーーーーー」
グリグリとそのまま地面に擦り付けて、もう1度、腹切りショー1歩前の土下座する。
「事故とは言え、すみませんでした」
「この失態は必ず償いますので許して下さい!!」
「ごめんなさい!! 僕が全部悪いです!!」
日本語で足りないのならば世界中の言葉で謝る。許してくれるならこのまま腹だって切る。いや、姉さんの奴隷として一生苦汁を舐めさせられたって良い。ペコペコ何度も音を立てて謝った。麻痺してすでにおでこは痛いのかどうかも分からない。もう、思いつく限りの謝罪の言葉を繰り出した。でも詩織は何も言ってくれなくて、僕は表を上げられない。そりゃそうだよね。女の子の大切なファーストキスを事故とは言え奪った。しかも今さっき大切なんて言っておいて。他に好きな子を泣かせるようなコレはない。詩織が姉さんなら、その靴のつま先で僕の左眼球を思いっきり蹴り上げてる。なのに、詩織は何もして来ない、僕は顔を合わせられない。
怒られたっていい、殴られたっていい、嫌われたっていい、このまま帰られたっていい。
------お願いだから何か反応を示して下さい!!
でも出来る事なら、怒られる程度でお願いします…。ヘタレがヒョッコリ顔を出してそんな情けない事を考えた。バカ、僕の馬鹿!! こんな自分なんて大嫌いだ。
声が降ってきた。
「ユーヤ」
「はいっ!!」
息を飲んだ。待っていた何かしらの彼女の反応。だけど、それは予想以上に僕を不安の渦の中に落とし入れてしまって…後悔した。
沈黙10秒。キスよりも何倍も長い時間が流れた。
「じゃ、これからは元の私でいくわね」
「は!?」
思わず顔を上げると、詩織が腰を下ろして視線の位置を合わせてきた。
人差し指をスッと唇の前に持っていって、僕はまたしても漆黒の中に閉じ込められた。
「賭けはユーヤの勝ちだもの」
そして言うだけ言って立ち上がり、クルリと反対方向を向いて歩き出した。
「え!? ちょ!!」
慌てて立ち上がり後ろ姿を追いかける。追いついて言葉に詰まる。
だって…
詩織はいつも通り過ぎる程の笑顔で僕の事見てきたから。
喉を鳴らした。
「あの、怒ってないの?」
「あら? 怒って欲しいの?」
「そんなことはないけど…」
「じゃあいいじゃない。事故だもの。私は怒ってないのよ?」
「ほ、本当に?」
チラリと目を見れば、眉がピクリと上がった。
そしてまた、そっぽを向くように彼女の体が方向転換。黒髪が肩をくすぐった。
見返る姿も完璧だ…。
「ユーヤ。ファーストキス、ごちそうさまでした」