冬の昼の夢
結局僕は詩織の告白の練習後、本当に思考停止して気絶している状態に戻ってしまった。
だから彼女のタイミングで頬を叩かれてようやく覚醒した。色んな意味で大きく目を開けると、優しく微笑んで小指を握ってきた。そして「保健室に連れて行ってあげるわね」と何食わぬ顔で歩き始めてしまった。
僕はというと、嬉しかったのか驚き過ぎているのか知ってしまった悲しささか、それとも同じような事を考えていた僕らの境遇を嘆いてか、ポーッとしてしまった。
でもそれを詩織は“頭を殴られたから”だと当然思っていて「気分が悪くなったらちゃんと先生に言ってね?」と僕を置いていった。
ようやく現世に戻って来れたのは、保健室のベッドの上で11時半を長針が刻んだ時だった。
-----僕は…どうしたらいい?
勿論僕はあの子の事を異性として本気で好きで、でも詩織も僕の事を想ってくれている。でもお互いに親友だからといらないシンクロニシティで言わないようにしている。しかもお互いにそれが相手の為だと信じている。普通なら、自分が好きで相手も想いを寄せてくれている事を知ったのなら、迷わず告白だろう。しかし、僕は一度自分で決めたことを曲げて良いとは思わない。っていうか、この場合は曲げちゃいけない一番の例だと思う。それって最初の僕の友情をないがしろにする行為だ。そうだろ? 相手が好きだというから想いを打ち明けますなんて浅はか過ぎるし、僕は彼女の友情を大切にしたかった。あの子だってそう、僕の友情を考えてくれているから…。お互いに友情を感じているのだから、僕も君も勿論半分は友情、半分は恋心なのだろう。決してそれが50:50なんて言わない。でも僕ら二人には掛け替えのない物で、恋心だけを選ぶなんて無理だ。もちろん友情だけを選ぶのも無理だ。この微妙な綱渡りこそ、僕らの関係なのかも知れない。ああ、そう。修学旅行のホテルの横にあった縁石の上でバランスをとりながら歩いたアレと一緒。どちらに引き過ぎても落ちてしまう。
もう1度、今度は真っ黒な時計の文字盤を見た。
「11時34分。…晋也、君ならどうする?」
答えてくれる筈のない兄に聞くが彼はただ時をコクコクと刻むだけ。その作業は冷徹なまでに一定で、ため息を零させる。彼から目を離すように一度目をゆっくり閉じた。
-----青空みたいな。
ふと頭に過って、体を起こした。保健室を出てそのまま屋上の扉を開ければ僕を中心とした右側は真っ青な空で、左側は雲が佇んでいた。しかしその雲は所々穴が開いていて朝と同じように天使の梯子を作っていた。
-----人の心みたいだ。
よくドラマで悲しい別れのシーンは雨を降らし、幸せなことがある時は虹を作る。しかし空の表情はそれだけではなくって、快晴の時もあり、雲ばかりの日もあり、夕方になれば色を染め、夜は星を降らせる。また時には雷を落とし、台風も来て、かと思えば嵐の後の空は澄み渡っていて…。1度たりとも同じ表情を見せる事はない。それってやっぱり人の心と一緒なんだと思う。
叫びたい衝動を抑える代わりに柵に向かって走った。
そして詩織には2度としないと言った行為をとる。リズミカルに段を昇り、頼りない柵の上で静止した。前と同じように漆黒の腕時計を鳴らせば、風が吹いて…雲が流され、僕の頬をくすぐり、髪をなびかせる。
-----君が風なら…
双子の弟はなんだろう?
考えても分からなかった。その代わり新しい考えを導き出せた。
僕だって人間なのだから、目の前に広がる空のように日に日に変わりゆく物なんだと思う。そして僕の心を移り変わらせる事が出来るのは風である晋也だ。でもそれは決して彼だけの力じゃなくって、彼が媒介となって人との出会い、僕の物の考えた方、本の中身、経験全てを受けて力を借りて起こす物なんだと思う。
「さて、どうしようか?」
文字盤を見ながら独り言をいう。
「詩織という外的要因が君と僕に与える影響は甚大だ。ハリケーンだし、快晴だし、っていうか太陽エネルギーそのものかも。ヘタレな僕がココまで成長出来たのも、君を受け入れられるようになったのも彼女のおかげ。僕は一生あの子に気持ちを言うことなんてないと思ってた。だけど、聞いてしまった。僕だけ聞くだけ聞いて何も言わないなんてズルイし、でもあの子にもう1度言わせるなんてできない。したくない。……。言わない…言わないよ…。僕だって今の関係を壊したくない。でも、壊すのならばそれは僕の役目にさせてほしい…」
目を瞑れば、答えるように吹き荒れる風。
OK.ギャンブルだ。
お姫様が1番に来たならば…? その他が1番に来たならば…?
君はどっちをとる?
そしてどんなペナルティを僕に負わせる?
振り向けば、誰かが階段を上がってくる音。
さぁ君はどっち? お姫様? その他? OK.なら僕はお姫様だ。いいんだ、可能性としては結構低いけれど元々こちらしかとるつもりはなかった。賭けの代償は僕のペナルティ、内容は晋也、君に任せよう。
風が物凄い早さで雲を押して空が様相を変えていく。屋上に2つの光のスポットライトが出来上がった。
ジャンプして戻れば、扉が開いて出てきたのは僕自身。いや…
「ユーヤ。ペナルティ決定、天国行きです」
同じ笑みで笑われ、時計のしていない左手で拳銃の形を作り胸を撃たれた。僕は双子の兄に、本物の銃と同じように数メートルぶっ飛ばされた。衝撃は覚醒を、覚醒は産声を、上げさせた。
「晋也!!」
声を上げて周りを見渡すとそこは保健室のベッドの上。意味が分からなくて腕時計を見れば…11時34分だった。
どこから夢かと言われれば、はっきり言える。時計を見て一度目を瞑ってからだ。大丈夫、頭と胸は打たれたけれど意識は混乱はしていない。寝ぼけてただけ。でも、
-----ペナルティ、天国行きかぁ。…まぁいいか。
兄さんの言わんとした事はしっかりと弾丸と共に胸に刻み込まれた。全く、姉さんと一緒で強引過ぎるよ。しかも僕よりギャンブル運があるってどういうコト? まぁそれでこそ僕の兄さんだね。ああ、これが俗にいう夢枕ってヤツですか?
詩織が言っていたリアリストな僕とは全く正反対な事を考える。こんな時があっても良いんじゃないかと思う。彼女の考えを受け入れるには柔軟な思考が必要だから今のうちに馴らしておくのも悪くはない。
「じゃあとりあえず現状維持、条件がもし揃ったら…ね?」
ベッドから這い出ながら聞けば、時計が答えるように妖しく光った。
夢ではすっ飛ばした保険医に退室許可を貰って階段を上がる。途中、購買に寄って顔なじみのおばちゃんに説教喰らって先程夢で出向いた屋上へ脚を伸ばした。一人、缶コーヒーを開けて空を見上げる。そこには夢とは違い、未だ黒い雲が一体を覆っていて所々を天使の梯子が下りている状態だった。
ゴクリとほろ苦いそれを喉に通せば、また夢と同じく階段を上ってくる音がする。
------もう1度お姫様。
賭けをする相手もいないくせにそんなことを思った。別に彼の意思を無駄にするわけじゃない。現状維持をすっ飛ばすわけでもない。けれど、ここの王子は僕なのだと示しておかなければいけない。
風と共に金属音がした。
「購買のおばちゃんが、屋上って言ってたから追いかけてきちゃった。隣、いいかしら?」
「どうぞ」
振り返って笑顔を振りまいた。
彼女は何も知らないまま僕の横に腰を下ろして微笑んでくる。それは互いに親友の顔。
------晋也。ペナルティ決定、地獄行きです。