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ボンボンショコラで酔わせて #4

 雪姫ちゃんとのほろ苦い時間を過ごして、家に帰ればさらにビターな展開が待ち受けていた。

 それは詩織からのメールで<まだ時間かかりそうなの。今日中には必ず行くから>そんな内容。僕にはいいような意味には取れないんだけど…。

 敢えて携帯を玄関のキーケースの横に置いて部屋に入った。と、何かが頭の端を駆け抜けた。


「何か大切なことを忘れているような…?」


 人差し指を立てて同じ方向を見つめるけれど、見えるのは白い天井と電気だけで全く何も浮かんで来ない。腕を組んで首を捻って考えてみた。だけどやっぱり思い出せない。


「…ま、忘れちゃうってことは大した用事じゃないよね?」


 本当に大丈夫か? なんて問いただしてみるけれど一向に何も開けて来ない。

 -----寝不足かな…。

 きっとそうだと、頭のモヤは寝れば解消されるだろうと部屋の真ん中で転がった。思い出せなかったモノが本当に大切なことだとは知らずに…。

 目を覚ますとすでに日が暮れていて、驚いて時計を見てみれば19時はとっくの昔に過ぎ去っていた。

 -----詩織は!?

 そういえば携帯を玄関の方に置いていて、鳴ったのかさえ分からない。もしかしたら連絡があったかもしれないのに…ヤバいと玄関に走ればタイミングを見計らったかのようにインターフォンが僕を呼んだ。覗き穴を覗くこともせず、すぐさま開けると先程頭を過った人。

 ないシッポを懸命に振って期待した目で見た…のに彼女はあっさりしたもので、


「はい、チョコ」


 笑いながらポンと薄ピンクの箱を投げてくるだけ。

 分かってる。義理チョコでも適当にでも貰えるだけ幸せなことは分かってる。それでもやっぱり少し愛を感じたかったね…いや、すみません。友情と言う名の愛は感じました。

 お礼を言って上がって行くかを聞けば微笑んで靴を脱ぎ始めた。携帯をとって部屋に戻ればカーテンも閉めていないことに気がついた。ゆっくり布を引っ張ってエアコンの電源を入れた。すると定位置に着いた詩織が僕を呼ぶ。


「何?」

「これ開けて、開けて!!」


 くれた薄ピンクの箱を指差してニコニコしながら催促してくる。中身知ってるくせになんて思いつつも、そうなこと言うってことは何かしらのサプライズがあるのだろうと頬緩ませてリボンをほどく。包装紙を剥がすと、箱の上に1枚の白い封筒が乗っかっていた。まずは箱を置き、封筒をひっくり返して中身に指先を引っかけた。


「おめでとう!!」


 パンと何かが弾ける音がして降ってくる小さな紙吹雪。遅れて香ってくる火薬の匂い。

 言っている意味が分からなくてポカンと口を開けて顔を上げれば、クラッカーを持ったまま「あら?」と首を傾げられた。同じ角度に首を傾げて目を合わせる。そして聞く「おめでとうって?」。すると彼女は驚かせた以上に驚いた顔をして眉を潜めた。


「…もしかして、忘れてるの?」

「何を?」

「何をって…まぁいいわ。中身を見たら分かる筈だから」


 テーブルの上に散った紙吹雪と紙テープをサッサとかき集め始めた。

 僕は、未だ見当なんてつかずに不安な気持ちになる。そうだろ? 詩織が何もないのにお祝いしてくれる筈なんてない。そういえば去年の5月の終わりには、すっかり忘れていたけれど彼女は「出逢って1周年記念」なんて言ってウサギ型のブックマーカーをくれたのだ。また何か忘れていたのかと焦る。2回目ともなればさすがの詩織からも呆れられてしまう気がした。必死になって思い出そうとするけれどやっぱり思い出せない。


「ご、ごめん」


 一体何にごめんなのか、それさえも分からないクセに謝った。

 だけど彼女はそんなもの気にしていないと言った態で「いいから、早く開けてみて?」と促す。

 ある意味憂慮の面持ちで、喉を鳴らした。顔を見てもサラっとした表情で僕を見上げるだけな相手。これは嵐の前の静けさか、それとも…

 意を決して指先を滑り込ませ引き上げた。


「あ!!」


 ビックリし過ぎて大きな声を出してしまった。そのリアクションを見て爆笑する彼女。普通なら笑わないでなんて言うんだけどこれは笑われたって仕方ない。そしてもう1度お祝いの言葉と紙吹雪が投げられる。


「大学合格おめでとう」


 チラチラする視界の中、僕は1枚の写真に釘付けだ。だってそこには受験番号の貼られた板の前で手でハートを作っている詩織の姿があって…そのハートの穴の向こう側には、僕の受験番号60130の文字が入っていて。余ったスペースにピンク色のポスターカラーで<祝! T大合格&St.Valentine>なんて描いてある。

 もう、どこに驚いていいか分からない。もう、どこに嬉しさがあるのかも分からない。

 不覚にも少し視界が揺れてしまった。


「自分の合格発表日も忘れてたの? ユーヤらしくないわね、バレンタインが気になり過ぎたのかしら?」

「…そうかも」


 素直に答えた。

 するとまた詩織は爆笑して「フリーだって言ってたじゃない?」と茶化してくる。だから僕も言う「フリー過ぎて気になってました」。

 と、写真を見ていて気がついた。これってさ、明らかに一人じゃ写せないってことに。そうでしょ? 詩織の立ち位置だって、ハートの中に僕の受験番号を入れるのだって、ピントを広い範囲にいれるのだって、一人じゃ無理だ。考えた瞬間、瞳を潤ませていた雫が引っ込んでしまった。

 -----こんなこと聞くのは…

 僕は彼氏じゃないし、束縛するような立場にいれる人間では決してない。でも、どうしても聞きたい衝動が溢れてくる。

 ゆっくり写真を起きながら顔を上げた。


「…これ、誰と撮りに行ったの?」

「え?」


 詩織の顔が一瞬だけ狼狽した。斜め上を見て少しだけ首を傾げた。

 -----考えてる…。

 それは言い訳? それとも本当のことを言う準備?

 だけど僕は恋人なんかじゃないから君を困らせる権利もない。なのに、なぜか唇を尖らせてしまった。でも詩織の口から彼の名前を彼を表す表現を聞きたくなくて先手を打った。


「父さんでしょ? 違う?」

「それは…」


 -----あ、俯いた。

 それはどういう態度? 本当のことを言われたから顔を隠したの? つい出てしまう乙女の顔を隠したの?

 もう疑惑が疑惑を呼ぶ状態で、僕は自分を抑えられない。次の瞬間僕は聞くだろう「編み物は誰に渡したの?」って。

 言おうとしたら、詩織の方が先に動いた。しかも口じゃなくて指先で…


 1粒のチョコレートを唇に押し付けて来た。


 口を塞がれる格好となった僕はあまりの出来事に固まった。

 目の前には女神さえひれ伏す美しい顔と笑みで僕を見つめる愛しい君。口唇にはキスにしてはあまりに固く冷たい感触。甘い香りが鼻腔を刺激して、次の瞬間耳まで侵される。


「そんなことよりオモイを受け止めて」

「口開けて」


 言われるまま薄く口を開ければ押し込まれたボンボンショコラ。

 もう…口内まで、脳髄まで君に犯された…。

 分かってる、漢字で書けば“想い”じゃなくて“思い”なんだってことは。分かってる、僕の問いに答えられなくて誤摩化す為なんだってことは。だけど脳内麻薬が分泌され過ぎて色んな回路を吹き飛ばされてしまったようで、もう何も考えられない。きっと今なら、もう一度屋上から飛び降りることも出来る。I can fly…Nothing is impossibleってヤツだ。

 ほろ苦い、しかしとてつもなく甘い味が電気信号で体中を駆け巡る。それが終わる事には、またチョコレートのキス。


「これで終わりよ」


 サクランボ色の唇が弧を描きながら発したそれは、トドメの呪文、僕を殺す為の言葉。

 でも僕はすでにアルコールの1滴も入っていないチョコレートで酔わされてて…

 漆黒の瞳に捕われていて…

 -----YES. I am completely at your service.

 終わりの言葉を口の中に受け入れた。

 次の瞬間…

 僕の思考回路も、心も、体の機能も、全てアルコール度の高い君に殺された。


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