愛は出口のない迷路
お正月の三ヶ日が終わって、さらに2日経った今日、僕は実家から家を飛び出した。理由は簡単、姉さんが帰ってきててもう本当「詩織」「詩織」とウルサいからだ。そんなに心配なら見に行けばいいと思うんだけど、その旨を伝えると「受験勉強してるでしょ!?」と怒られた。…僕も受験勉強中だったんですけどね、集中し始めたら毎回ドアを蹴破らん勢いで「詩織ちゃんからメール着た?」と聞いてくるのは僕の受験勉強の邪魔にはならないんですか?
という訳で、今僕は高校近くの一人暮らしの家に籠って勉強中。だったハズなんだけどね、家に着くなり神無月さんから携帯の着信があって近くのカフェに呼び出された。僕はてっきり末長も一緒だと思っていたんだけど、行ってみれば居たのは彼女一人。顔をしかめて前に座るのを躊躇うと「衛くんには今日のこと言ってあるから大丈夫」と言われた。じゃあと向かい側のイスに腰掛け、お姉さんにコーヒーとオレンジジュースを頼んだ。
「今日、山田っちを呼んだのは他でもないの。実は…2つ話したいことがあって」
「何?」
「衛くんへのバレンタインプレゼントどうしよう!?」
「…早くない?」
「は、早くなんてないよ!! もう少しで1ヶ月前だし、手作りするんだったらそろそろ始めておかないと、受験生だし間に合わなくなっちゃうよ」
「別に既製品でもいいじゃない」
「それはダメ。だってすでに毛糸買っちゃったもん」
だったらそれで何かを作ればいいと思うんだけど、ああ、聞きたいのはその毛糸で何を編めばいいかってことだろう。彼なら何でも喜びそうだけどね。とりあえず聞こうか。
「どんな毛糸買ったの? っていうか、編めるの?」
「失礼な!! って実はあんまりなんだよね。だからさ、使用頻度高くて小さいものがいいかなって思ってたら何も思いつかなかったんだよ、だから聞いてるんじゃん。あ、毛糸はね、実はさっき買ってきたから今持ってる」
ゴソゴソと買い物袋を開いて黒い毛糸玉を見せてきた。それは結構細い糸で、もしマフラーかなにかを編むのだったらかなり時間がかかりそうなものだった。
一瞬考える。
「じゃあ…フィルムケースかカメラケースにしておいたら?」
「カメラケースってあの1眼の?」
「いや、ほら彼ってコンデジもフィルムカメラもトイカメラもこなすでしょ? だからそっち用で」
「…うん、うん!! イケル気がしてきた、ありがと、山田っち!!」
キャッキャと本当に嬉しそうに笑って一人「帰りに本屋さんよって見よ〜」なんて言っている親友のカノジョを眺める。全く、末長が羨まし過ぎるよ。こんなに真剣に自分のことを喜ばせてくれようとしているカノジョがいるなんて。今度からかっておこうかななんて思っていたら、ようやく注文しておいたものが運ばれてきた。
ブラックのそれを口に付け、ソーサーに戻す。
あ。
「そういえば、話したいことが2つあったんじゃなかったっけ?」
「そうそう。忘れるとこだった」
ストローに口をつけて、大気の力で下がって行くオレンジ色の液体を眺めながら次の言葉を待つ。
氷が冷たい音を奏でた。
僕の目を神無月さんが覗き込んできて、不意に視線を外すと彼女も視線を外して同じように外を見始めた。
「実はこの毛糸、詩織っちと買いに行ってきたんだよね」
「へぇ」
「そこで思ったことがあるんだ…これは私の女の勘なんだけど、詩織っち…最近好きな人出来たみたいなんだよね」
思わず外していた視線を元の位置に戻すと、相手も同じくして目が合った。
視界の端でコップが汗をかいている。それは僕の意思とは無関係に重力に引かれ、コースターを濡らした。
「山田っちなら、誰か知ってるんじゃないかと思って、聞いてるんだけど。そんな話、聞いたことある?」
「いや、僕は…僕たちは基本そんな話しないから」
「じゃあ、思い当たる人いる?」
その言葉を聞いた瞬間、僕の心臓が跳ねた。同時に脳裏に浮かぶのは、なぜか大晦日のパーティーでの出来事で…実の父親の顔だった。どうしてコレなのかと聞かれても、僕に思い当たるのはこれしかなかった。いや、僕の勘が間違いなくココだと指し示しているからだ。「そんなのじゃない」なんて言われつつも騙されてもいいと言う気分に陥り、実際に僕は二人のやり取りに嫉妬を感じていた。なぜ? それは「そんなのじゃない」けれど詩織の心が分かってしまったからじゃないのか?
まさか…なんて思いつつも、フラッシュバックのようにあの日の情景が現れては消えていく。
さすがに言えず「分からない」と唱えながらポーカーフェイスを貼った。
が、女の勘が冴えた。
「嘘だ。山田っち、実は思い当たる節があったでしょ。誤摩化さないでよ」
苦笑いするとやっぱりとスネを蹴られた。しかも何度も何度も僕のことを責め立てる。でも口を割らない、言えるわけない。すると神無月さんはピッと人差し指を上げた。
「じゃあ、まずは詩織っちの恋愛観からお互いに知ってることを言おうよ。それくらいならいいでしょ? まずは山田っちから」
全く女の人には叶わないと思う。まぁそれくらいならと昔言っていた言葉を思い出す。
「確か、頭いい人が好みだって言ってたかな」
「私が聞いたのは男の人が何かに没頭してる姿が好きだって」
「あーそういえば「カクさんの真面目なところがいいの」なんて言ってたから真面目な人も好きなんじゃない?」
「性格は話してて楽しい人がいいみたいだよ」
「お姫様扱いされるの好きみたいだから、エスコート上手がいいのかも」
「年上が好みだって聞いたよ」
僕がこれ以上何か知っているかな? と言葉に詰まって考えていると、目の前でパンと両手を鳴らされた。ビクついて顔を見るとにっこりしながら言う。
「さぁここで聞くよ。さっき山田っちの頭に思い浮かんだ人は言いあった条件に該当する?」
ついつい神無月さんのペースにハマっていて素直に考え始める。
まずは頭のいい人だけど…父さんは僕が思うに頭のいい人だと思う。T大だって現役合格だったらしいし、国家試験も大丈夫だったみたいだし、ってことは成績は良かった筈。僕以上に知識は豊富だし、頭の回転が速い。あの歳して記憶力も抜群だしね。何かに没頭している…これは父さんの場合、今も昔も投薬治療の開発に没頭し続けているから軽くクリア。で、真面目か真面目じゃないかと言われれば真面目。冗談も結構言うけどスイッチが切り替わるなり真面目なことしか言わなくなるし…。話してて楽しい…多分こないだの3者面談の時詩織は楽しそうに話していて、僕とその時の話をする時もメチャメチャ笑顔だったし、その後の大晦日のパーティーでもすごく仲良さげに並んで話していたし。間違いなく彼女に楽しかったに違いない。じゃなきゃあんな顔しない。次、エスコートのうまい人って、父さんは僕なんかと違ってほぼ完璧だからね。パーティー慣れしていて女の人を無理なくリードできるし、心配りもビックリする程細やか。そういや、前に母さんが誤ってドレスにワインを零した時にも「お色直しの時間だったかな」なんて言って自分の服をすぐさまひっかけて30分後には何事のなかったかのようにお色直しさせてきてたし。社交辞令のお世辞だってお世辞と思わせることなく言える。…ヤバいココまで完璧なんですけど。って、条件は残り一つなんだけど、年上が好み…なんて言わずもがな、父さんは年上だよ。って、全部完璧!? しかも、最近好きな人が出来たってことは最近会った人である確率が高い。父さんと詩織の始めての直接な出会い(?)は12月の初め。…時期的にも完璧だ。ついでに言うとパーティーに誘う時、詩織は“父さんが誘っている”と伝えるなり考える素振りも見せずに出席することを了承した。普通、友達のお父さんがオジン臭いパーティーに誘ってるからって来る? 僕なら何かと理由付けて「また今度」なんて言っちゃうね。
ココまで考えると神無月さんが追い討ちをかけてきた。
「そういえば「報われない恋だから楽しいんじゃない?」って、今日買いもの言った時に街頭で流れてるドラマ見て言ってた。私には同調してるとしか見えなかったよ。だって、妙に切なげにそのドラマ見てて…私、詩織っちが動くまで声かけられなかったもん。だから恋してると女の勘が騒いだ訳」
思わず仰け反った。
-----け、決定的でしょ!?
それって明らかに不倫は出来ないから、親友のお父さんだから、でしょ?
またしてもしてはいけない想像をして心中で「おえ」っと舌を出す。でも体は正直で、なぜか指先がピリピリと震え、鼓動は早さを増していた。
と、またしても僕の前で神無月さんが手を叩いた。
「思い浮かんだ人、さっきの全条件に完璧に当てはまったんでしょ?」
彼女は「分かってるんだから」と自信満々に言ってきた。マジで、女の勘は恐ろしいと思いつつ、苦笑するとまたしても「誰!?」「私の知ってる人!?」と責め立ててきた。だけど、僕は貝のように口を閉ざしたまま、絶対に言ってあげない。言えるわけない。
ガンガン、スネを蹴られていい加減止めてほしいと思っていたら、向こうの方が痺れを先に切らした。
「…山田っちさぁ、そんな態度でいいと思ってるの?」
「そんな態度って?」
「私、嘘付いてるんだよね、実は。私ね、私ね、実は…衛くんに山田っとここで二人で会うこと言ってないんだ」
「!!」
想定外の言葉に体が勝手に反応して立ち上がった。
しかし彼女はさらに僕を追い込む。
「どうして私がココを指定したか、わかんないかな?」
「…抜かりなさ過ぎ」
ついでに携帯のストラップ部分を掴んで「電話しちゃうぞ、山田っちから誘われたって言っちゃうぞ」なんて脅しをかけてきた。グッと唇を噛み締めて、席に着く。もうすっかり冷めてしまって湯気さえ上がらないカップを見れば、今度は甘い囁き。
「ね、ね。いいじゃん。どうせ山田っちの推測でしょ? 当たってるかなんて分かんないじゃん。直接聞いた訳じゃないんだしさ。私は山田っちの推理を聞きたいだけだもん」
僕は…末長との友情と、詩織への勝手な推測、どちらを取るのかと言われたも当然。普通なら「理不尽!!」と言ってやりたい所だけど、見えるようにすでに発進画面にまで着ている携帯に抗えることは出来ずに、堕ちた。
ついた肘の先にある指を祈るように組み合わせて前に居る子を見る。
「…憶測だからね」
「分かってるよ、これは山田っちの推理」
「末長にも詩織にも言ったらダメだからね」
「言わないよ。もし言った時は衛くんと別れる覚悟で聞く!! 大丈夫、言わないから!!」
よし、と頷いてテーブルに両腕をついて重心を前に傾ける。すると彼女も聞き耳を立てて、体を前のめりにして僕と視線を繋げた。
「僕はさ、詩織の好きな人は…その、ぼ、僕…」
「何? 自分だって言いたいの?」
「違っ!! 最後まで聞いてよ。だから、ぼ、僕の、僕のさ…父さんだと思うんだ」
言った瞬間、神無月さんの目が大きく見開いて、叫ぶのを塞ぐためか両手を口に当てた。互いにゆっくり体を背もたれに体を預ける。ふーっと大きくため息を吐いて顔を見ると、未だ口を塞いだまま目を皿のようにして僕の目を見ている。「だから言いたくなかったのに」と呟いて、冷たくなったコーヒーカップをソーサーから離した。次の瞬間、落とすとは知らずに。
「山田っち、それビンゴ…かも」
「え?」
「や、だって…詩織っち、こないだから電話する度、合う度、話をするとやたらと嬉しそうに山田っちのお父さんの話をするんだよね」
ガシャンとカップとソーサーがぶつかって音を奏で、跳ねた黒い液体が僕の指を濡らした。それだけでは飽き足らず、黒い液体はソーサーを沼に変え、カップの底を沈めた。
見つめ合うこと5秒、大きく息を吐く。
「まさか、僕の推測だし。それ偶然でしょ?」
「でも…実は…さっきの山田っちに言わないでねって言われてたんだよね」
「は?」
「だから。山田っちのお父さんの話を私としていることを山田っちに言わないでって口止めされちゃってたんだよね。なんでかなぁって思ってたんだけど、好きだったら、友達のお父さんのこと好きならそう言うよね」
「……」
もう神無月さんがどこを向いているのかさえ分からない。彼女はポーっとどこか遠い場所を見つめて黙ったまま。僕はと言えば、上昇し続ける鼓動を止めることもできずにポカンと開いた口元を眺めるだけ。何秒経っただろうか、多分、ゆうに3分は経ったと思う。相手が動き始めた。
「詩織っち、今日…毛糸買ってた。白いの」
「…プレゼントするつもりだったり?」
「山田っちのお父さんに?」
「バレンタイン?」
「手編みのマフラー?」
紡ぎ出す自分達の物語にドンドン僕は血の気が引けてきて、神無月さんは異様な興奮を帯びていく。だから彼女がイヤな笑みをした瞬間耳を塞いだ。けれど、僕にはまさかな声がはっきり聞こえてしまった。
「同い年で元クラスメイトの親友お母さん…どうする?」