天国と地獄
「喜んでくれるといいわね」
「そうだね」
もうすぐ誕生日を迎える神無月さんへプレゼントを買うため、今、僕は詩織と平壌駅周辺にいる。といっても、もう買っちゃったんだけどね。まぁ聞いてよ、案外これが難しかった。末長に考慮して被らないようにしないといけないし、かと言って値段も彼を飛び越えてはいけない。悩んで悩んで最終的に選んだのは可愛い表紙の付いたフォトアルバム。去年、彼氏が送ったものを彼女はよく使っていたようなので、詩織と話し合って最終的にアルバムのセットに落ち着いたのだ。
さて用事も済んだし帰ろうかと駅に向かっている途中、つい脚を止めてしまった。
「どうしたの?」
「いや、このバイク…お兄さんのじゃないかなって」
「嘘!?」
後ろに回ってナンバーを確認するとやっぱりだった。青ざめる僕と詩織。
「急いで帰らないとまた面倒よ。それにユーヤが殺されちゃうわ!!」
殺されるとはまた大げさなと考えた人、甘いね。言って彼は詩織のお兄さんだし、格闘王だし、結構キレやすい。しかも妹である詩織のことを溺愛している。一緒にいることを了承してもらっているとは言え、こんなところで二人で買い物袋ぶら下げて歩いていたら「デートか? おお?」なんて言いながら半殺しにされちゃうに決まってる。
それに…詩織がいうにはお兄さんの気配を感知できないのだとか。気配消してるというか電源OFFにしているそうで、まぁとりあえず詩織のソレには頼れない。
すぐさま目立つ自分を抑えるため、膝を曲げ、詩織くらいまで姿勢を落とした。
「走るわよ」
引かれ始める体に沿うよう、走った。
けど、僕の厳戒態勢はすぐに解かれることとなる。脚は止まり、体を起こし、目を大きく開いた。すると腕が伸びて詩織が振り返った。
「ユーヤ、何を…」
「お兄さん見つけた」
そう、見つかったんじゃない。僕が先に彼を発見したのだ。しかしそこには、想定外の状況があって…。
二人で立ち尽くして情景が流れて行くのを待つ。
どれほど経っただろうか。すでに彼が見えなくなって5分は経過したと思う。詩織が口を開いた。
「誰? あの女の人」
「……」
分かっているのに聞かないでほしい。男女二人で並んで楽しそうに笑って、ファッションビルの中に入って行けば誰だってそれはカップルだと思うだろう。微笑ましい街にはありふれた光景だ。けど、彼の隣を歩いていたのは姉さんではなく…。
はっきり言って自分が半殺しにされるのを想像したのより血の気が引いた。
「あいつ、許せないわ!! お姉さんがいるっていうのに!! 今すぐ言いつけて…」
「止めて!!」
詩織の手を力任せに掴んだ。
驚く彼女に昔あった恐怖体験を説明する。
あれは僕が15歳、姉さんは確か大学1年生の時の話。
当時、僕と母さん、父さんは仕事の関係で8ヶ月程アメリカに住んでいて、姉さんは大学があるから日本で暮らしていた。だけど大学が夏休みに入ると旅行ついでにアメリカの家に来てくれて、2ヶ月程家族4人で暮らしていたんだ。そしたら姉さんは当然のごとく、向こうでもモテるから来てすぐに彼氏が出来てた。けれど、今と同じようにその時の彼氏が他の女の人と歩いて…ホテルに入って行くのを僕は見てしまった。
言おうか言うまいか迷った挙げ句、僕は言うことにした「姉さんの彼氏がピアスいっぱい付けてるブロンドの女の人と一緒に歩いてたんだけど」って。気を使ってホテルに入ったことは伏せて。すると姉さんは意外に冷静に笑って「じゃあ裕くん、彼氏呼び出してくれる? 別れ話したいから」と僕に用事を言いつけたんだ。
別に呼び出すのなんて苦じゃないし、逆らうと怖いから了承して次の日にその彼氏を家に呼び出した。すると案の定喧嘩が始まって、まぁそれくらいは姉さんカップルには日常茶飯事だから流れてくる怒りのBGMを聞きつつも話し合いが行われているリビングの横を突っ切ってたんだ。そしたら…僕の向こう側にある花瓶が音を立てて弾け飛んだ、誰も触ってないのに。ビックリして姉さん達の方に顔を向けると「出来心だったんだ」と両手を上げる彼氏くんに、豆鉄砲(本物の方)を向けながら「そんなにピアスの女が好きなら、アンタの耳にもピアス開けてあげるわよ」なんて笑う姉さんの姿があった。
僕も思わずフリーズしたね。両手を上げて流れ弾だけには当たりませんようにと本気で祈った。
で、まぁ彼はそのまま走って逃げて行ったんだけど、その後の姉さんの言葉もまた怖かった。「体の関係がなかったし、本気じゃなかったから逃がしたのよ。全く、乙女の傷ついた心をあれくらいで済ませてあげた私に感謝しなさい」まぁ姉さんの射撃の腕前は知ってたし、何より彼に向けるときには安全装置がまた上がってたから撃つつもりなんてなかったのは分かってたから、敢えて突っ込みはしなかったけど(怖かったし)。
一息入れて説得するように詩織をたしなめる。
「だから、このことは黙ってた方がいいと思うんだよね」
「…そうかしら。悪いことしてるのは、うちのお兄ちゃんの方なのよ? 庇うことないわ」
正論と言えば正論。でも人には知らない方が幸せなことだってある。それに僕は…姉さんの面倒ごとに巻き込まれたくもなければ、自ら種を播いて火中に飛び込みたくなんてない。
ゆっくり詩織の腕を引く。
「じゃあ今日のところは僕に免じて忘れてあげてよ」
明らかに納得のいっていない女の子を駅へ無理矢理歩かせた。
が、そういうときに限ってタイミングというのは悪いモノで…向こう側に黄色い声で何かをかこっている集団を発見してしまった。そう、真ん中にいるのは人気モデルにして僕の実姉、美嘉子。僕が発見したってことは目敏い姉さんは背の高い僕を見つけない訳がないワケで…パチっと目が合ってしまった。
「ユーヤ!!」
苦笑いをすると群衆の真ん中を闊歩しながら笑顔で名前を呼んできた。
-----KENさんのことには気づいてないみたい。
ひとまず安心だと胸を撫で下ろして顔を整える。
「姉さん、外で会うなんて珍しいね」
「あまりこっちには来ないものね。さっきそこの美術館で撮影があったから、帰る前に買い物でもしようと思って来たんだけど…。あら、詩織ちゃんも一緒だったのね!!」
僕から視線を外し、隣の親友にキュッと抱きついている。
「ねぇ詩織ちゃん、せっかくだから私とお買い物しましょ。似合う可愛い服プレゼントするわ」
「え、でも…」
「いいのよ、遠慮しなくて。私がしたいだけなんだから。ユーヤは荷物持ちよ。ほら、来なさい」
ため息をつきつつ、詩織を促して方向転換して顔が引きつった。だって姉さんが入ろうとしているのはさっきKENさんが女の人と入って行ったファッションビルなんだもの。
慌てて走って立ちはだかる。
「ま、姉さん。ここ、さっき詩織と入って…彼女気に入ったのなかったみたいなんだ」
「あら、そうなの?」
後ろを向いて詩織の顔を覗く姉さんの後ろで、詩織に必死になって首を横に振りまくる。すると僕のシェイクがあまりにも必死だったからか願いが叶った。
「じゃあ…百貨店でも行きましょ? あそこならいいブランド揃ってるから」
ふーと安堵のため息を吐いた瞬間、僕の首に姉さんの指が絡まってきた。声を出すことも出来ずに体がビルの壁に叩き付けられて、これ以上後ろ行けなくなった首に負荷が与えられてくる。
-----こ、これは首を絞められている状態というんじゃないの!?
パニックになりつつある頭で考えて、姉さんが鋭い目で睨んでいる先を反射的に見れば、そこには今から3人で買い物しようとしていたデパートから女の人と出てきたKENさんの姿…。こっちを向いて、ひん剥かんばかりに目を大きく開けて固まっている。
そう、浮気現場が発覚した瞬間なのだ。
阿修羅のごとく激怒した姉さんがお兄さんに激を飛ばす度、手に力が入り首が絞まってくる。
「か、かふ…」
詩織に助けをお求めようにも二人の修羅場に真剣になりすぎて僕の命の危機に気がついてくれない。し、詩織…いいじゃないか、そんな「私がいるのに他の女と!!」「馬鹿言ってんじゃねー。浮気じゃねー」「だったら隣の女は何なのよ」「あ? テメーが思ってるような関係じゃねーんだよ」なんてベタな昼ドラ的な展開放っておいて。そ、それよりこっちを向いて…マジで、マジで!!
だんだん意識が遠のいてすぐ前で何かを叫んでいる姉さんの言葉さえ良く聞こえなくなってきた。そして走馬灯のような物が目の前で巡り始める。知ってる? 走馬灯ってさ、生命の危機を感じた脳が何か打開策はないかと記憶の引き出しを一気に開けている状態なんだって。だから、僕も息が出来ない状態で思い出した。首を絞められた時は笑えばいいってことを。これには効果が2つ期待できる。1つ、笑うと気道が広がって少しだけど息ができるようになる。1つ、首を絞められた状態で笑ってると明らかにおかしいから犯人がビックリして止める、もしくは周りが止めてくれる。
-----笑うしかないでしょ!?
結論はここだと決めつけて、気がつけば姉さんの指の下で爆笑していた。でも、詩織に助けを求めることは本能的に忘れておらず…。
「あははは、しお、詩織!! 助け、あははははは!!」
「「ゆ、ユーヤ!!」」
詩織と姉さんとKENさんの声が同時にハモった。
遠い意識で、ようやく気がついてもらえたと目に溜まった涙が落ちたのを感じた。
「あー。あー。んっ、ゲホ…」
死にかけた体と喉を確かめるが如く、咳をしたり声を出したりを繰り返した。でも僕の心配をしてくれているのは詩織ただ一人だけで…原因を作り出したKENさんも、首を絞めていた姉さんも僕そっちのけでまた激しい口論を始めてしまった。
イラっとした。そして黒い衝動が僕の中に芽生え始める…。
-----絶対に別れさす!!
今まで僕は二人を応援する立場を取っていた。が、命を賭してまで二人の恋を成就させる義務なんてない。むしろ僕の生命を脅かすこの危険な因子を2倍にして喜んでいる僕が馬鹿だった。今からでも遅くなんてない、全力を挙げれば結婚を阻止することくらい出来るハズだ!!
詩織の手を制して立ち上がり、二人をキッと睨んだ。
けれど、もう遅かった。
「あーウルセー!! っとに、ホントはこんな所で渡したくねーのに…」
「はぁ?」
姉さんに向かって真っ黒な小さな箱が投げられた。「開けろ」と促されて怪訝な顔して開いたその先には…
「指輪…?」
「手、出しやがれ!! 違う、左手だ」
箱の中に入った透明な宝石のアクセサリーを奪い取り、乱暴に姉さんの手を取ってKENさんが薬指に指輪をはめた。
そしてフンと鼻を鳴らして、彼は不機嫌そうにバイクの方へ歩いて行ってしまった。
ポカンと口を開けて残された僕ら3人にKENさんと一緒に歩いていた女の人が近づいてきて、
「美嘉子さん、実はKENくんプロポーズするための指輪を探しに私と来たのよ。何がいいのかわからないからって。誤解のないように言っておくけれど、私は彼の所属している事務所の社長秘書で、決して怒ってたような関係じゃないのよ。だから、許してあげて? 私からも謝っておくわ、美嘉子さん、ごめんなさいね。彼、なかなか本心を言葉に出さないでしょう?」
頭を下げた。
本当ならね「謝るなら僕にでしょ!? こっちは死にかけたんですけど!?」と突っ込みを入れたいトコロなんだけど、見る見る涙を溜めていく姉さんに、さすがに僕もそれは出来ず…。
ただただ、姉さんとは違う意味で心の中で号泣することしか出来なかった。
もう、もう、手遅れだから。祝福でも何でもするから。お願いだから…
-----僕を巻き込まないで!!