切り札はジョーカー
メールを送ったら今日、この時間に…という返信が来ていたので深呼吸をしながらアドレスブックを開いていく。電話をかける相手は未だ格闘王の名前を欲しいままにし、大正学園の生徒なら誰でも知っている伝説の男、KENさん。
何度コール音を聞いただろうか、威圧的な声が聞こえてきた。
『あー?』
『KENさん、あの、山田裕也です』
名前を言えば不機嫌な声が直って寝ていたと謝ってきた。彼から謝ってくるなんてちょっと珍しいなと、何か姉さんといいことでもあったのだろうかと憶測を立てながらそそくさと用件を話す。内容はそう、先日手に入れた詩織のお母さんの話。僕の母さんと昔友人同士であったこと、すでに亡くなってしまっていることを伝えるため、メールを送っていたのだ。すべて話し終わると彼は何か、ガチャガチャ受話器の向こうで音をさせながら生返事をしていた。
『俺も面白い情報を手に入れたんだ、聞きてーか?』
さも聞いてくれと言わんばかりのテンションで彼がのたまった。
黙って次の言葉を待っていると、彼は勿体振ったように何度も「聞き逃すな」と繰り返した。そしていい具合に言葉と言葉の間を間隔を空けて声を出してきた。
『お前の話と総合してもはっきり言えることがある。俺と詩織は腹違いだ』
『え!?』
思わず声が出た。一瞬腹違いの意味が分からなくなった程だ。
どういうことだろう。お兄さんのお父さんはO型だ、しかし詩織の血液型は彼からは出てこないはずのAB型。だから僕はKENさんと詩織は血が繋がっていないと推理していたのだ。なのに、腹違いってどういう意味!? もしかしてお父さん自体が違う人だったとか…。
携帯を持つ手に力が入る。
『あの狸オヤジ、7〜8年前に詩織と自分のDNA鑑定してやがった』
『亡くなられる前にってことですか?』
『ああ。実は俺もお前に詩織の過去の話をした後に気になって、詩織と俺のDNA検査してやろうと思ってたんだ。で、オヤジの代から世話になってる弁護士の爺に相談しに行ったんだよ。したらソイツ「そういえば」つって、金庫から鑑定書を出してきやがるじゃねーか。話によると詩織が成人を迎えた時にちゃんと色々話すつもりだったらしいなんて言いやがる。でだ、結果は正真正銘の親子だった。ついでにその弁護士に頼んで俺と詩織のDNAを他の機関に出して検査してもらったら…俺たちも血の繋がった兄妹で間違いねーらしい』
頭の中がグルグルした。
お兄さんの言っている意味が分からない。
『あの、聞いてもいいですか。KENさんのお父さんの血液型とお母さんの血液型、KENさんの血液型教えてもらってもいいですか?』
『あー? なんだったかな。親父はO型、俺のおくふろはB型。俺もB型だ』
『でも詩織はABなんです』
『だからどうした?』
押し黙る。なんて言っていいか分からない。僕の頭の中には矛盾があるというのに、DNA鑑定の結果は二人は腹違いの兄妹だと指し示しているという。今のDNA検査は4兆7000億人に1人という精度…地球上にいる人間の数なんかよりもずっと多い、つまり結果はまぎれもないものだと断定していいものなのだ。ということは間違いのあるのは、僕の方…?
わからなくなって頭を抱えながらお兄さんとの通話を終えた。
自分の脳内にある医学書の引き出しを引っ張りだして検索をかけてみるけれど、見たような見たことのないような曖昧な記憶しかなくって言い切ることが出来ない。でもすでに頭の中には答えがあって…。自分が間違っていたことを認めたくない訳じゃない、ただ「そうだ」と後押しが欲しかった。
時計を一度確認してから、もう1度アドレス帳を開く。
-----この時間だったら大丈夫だと思うんだけど。
携帯の電波が繋がった瞬間、声が聞こえたきた。
『ユーヤ、どうした?』
『おはよう父さん。あの、いきなりで悪いんだけど、教えてほしいことがあるんだ』
『…自分でしっかり調べても分からないことなのか?』
『記憶の片隅にはあるんだけど、自信がなくって。父さんなら見たこととか聞いたことが実際にあるんじゃないかと思って』
『言ってみなさい』
喉を鳴らして、記憶を確信に近づけるために声を出した。
『O型の親からAB型の子が生まれる可能性って…』
『普通はないけど、稀にならあるみたいだな。通常A型とB型が重なった場合がABなんだが、シスAB型の人にはAB型遺伝子が存在して相手がO型でもAB型の子供が生まれる可能性があるだよ。父さんは見たことないけど、いつだったかな、どこかの学会かパーティーに行ったときに話した産婦人科医がそれで危うく医療ミスしそうになったと言っていたことがあったかな…』
説明をし終わると、もう授業が始まるからという父親にお礼だけ言って携帯のボタンを押した。
そして一気に崩れ落ちる。
-----シスAB型…。
そりゃ普通のABO式には当てはまらないよなと詩織の血液型のせいで悩まされた自分を笑った。全く、性格だけじゃなくて遺伝子レベルでも振り回してくるなんて本当に、あの子は天性の小悪魔というかなんと言うか、僕を振り回すために生まれてきたんじゃないかと思うくらいだよ。ま、勝手に振り回されただけなんだけど…。
-----でも、
これで詩織の出生の謎がすべて解き明かされた。
詩織はKENさんと腹違いで、だから“虹村”の姓を名乗るのは当たり前だったのだとようやく僕の中で落ち着いた。
「あれ? でも、そしたら僕らの謎は?」
疑問が終わったと思ったらまだ終わっていはいなかった。そう、もともと詩織の血液型や何やらを疑ったのは僕らの関係性にある。僕は詩織と双子だから“双子の不思議”でキレる詩織を押さえられるんだとあの時確信めいた。なのに、そうでないのならば一体…?
-----もしかして本当に…ベビーベッドの上で蹴られたのが原因だったりしないよね?
いつだったか、詩織と僕が同じ病院で生まれたかもしれないと話したときに思い描いた話を思い出した。
「……。ありえないね」
どれだけの蹴りが入ればそんなケミストリーが起きるのかと鼻で笑った。
それに真相を解く鍵は今、僕の手の中には何一つない。そんなの砂漠に目隠しで1つのビーズを落としたから拾ってこいと言われたも同然…。考えるだけ時間の無駄ってやつだ。
ふと時計を見れば結構時間が経っていて、話題の女の子との約束の時間が近づいていた。携帯をポケットに突っ込んで慌てて玄関を飛び出した。
僕らの謎についての話は、ここで一旦終止符を打つこととなる。いつか、何かしらの新たなヒントが出てくる間までの期間は…。けど、それはそんなに遠くない未来なのだと僕のシックスセンスが耳元でささやいていた。
走った甲斐があって待ち合わせの時間にはなんとか間に合うことが出来た。
駅の前で息を切らしながら謝る。
「連絡くれれば待てるわよ? どうせ私の部屋に行くだけなのに…」
「や、悪いかなって」
さて、なんで僕が詩織の部屋にお邪魔することになったかというと、どうも彼女のパソコンの具合が良くないらしい。昨日の夜、電話がかかってきて相談されたのだけど、彼女の言っている意味が全く分からなかった。デスクトップのことを“最初の絵”とか、キーボードのことを“打ち込むの”とか、言ってくれちゃって…お互いに理解が出来なかった。しかもMagさんだという。僕の今使っているのはwindoorだから、画面を見ながら指示も出来ない。ノートなら持って来てもらおうと思ってたんだけど、聞くにどうやらデスクトップタイプらしい。ってことで、一応不具合を僕が見てから直せないようなら修理に出すつもりなのだとか。まぁ文字を打つのがどうのって言っていたから、修理に出す程の物ではないと思うんだよね。
ホテルに向かい、いつぶりかの詩織の部屋に入ってからすぐさまパソコンの電源を入れた。どこがどうおかしいのかを聞きながら動作を確認していく。どうやら、ある文字がひらがなにしか変換できなくなってしまったようだ。
「ねぇちょっと1つダウンロードしてみてもいい?」
「ユーヤに任せるわよ」
声が遠くにあるななんて思って振り返ると、詩織はベッドの上で足を付けた状態で転がっていた。
-----いいけどさ。
せめて寝入らないでほしいかなと考えながらダウンロード開始。が、それで“ことばえり”の辞書に自動登録された打てなくなった文字を消してみてもうまくいかない。これは辞書の問題ではなく入力履歴などの不具合だなとフォルダを呼び出し、削除して再起動した。
「…直ったよ」
「嘘、もう!? そんな簡単なモノだったの?」
ガバッと起き上がってパソコンをいじり始めたので、貰ったペットボトルを捻りながら大きな窓の所にあるソファーへ向かった。景色を望みつつ口にミネラルウォーターを含んで…吹き出しそうになった。なんとか我慢して無理矢理飲み込めば、気管に詰まって思いっきり咽せた。
ソファーに手をついてゲホゲホしていると心配した詩織が背中をさすりながらどうしたのか聞いてきた。
だからそーぅと足を窓側に出しながらもう1度確認する。
「見てみれば分かるから…。ゆっくりね」
詩織も同じようにしてから怪訝そうな顔をして僕の顔を見てきた。
何があったかって? 答えようか、実はホテルの下に女の子と田畑くんがこのホテルを訝しげな目で見上げてるんだよね。しかもそこをずっと動かず、明らかにホテルを指差して話をしている。
「…田畑くんの気配はしなかったから普通に入ったんだけど」
うん、僕も詩織のそういう能力、理解してるから並んで足を踏み入れたんだよね。知り合いに付けられたり近くにいないと思ってさ…。
目を細めながら女の子を顔検索にかけると、いつだったか田畑くんに騙されて行った合コンで知り合った(?)うちの1人なことに気がついた。ポンと手を打つ。
「僕ら、田畑くんじゃなくて、あの子に尾行されたんだと思うよ」
「じゃああの子が私たちがここに入るのを見て田畑くんを呼び出したってワケね」
「多分そうなるんじゃないかな。…どうする? 家、僕以外にバレたくないんでしょ?」
-----まぁ今出て行ったら確実にそれだけじゃ済まないけど…。
頷く詩織に目を合わせながら「だったら」とソファーにどっかり腰を下ろした。そう、いなくなるまで出て行かないのが1番だ。帰りさえ見られなきゃ明日声をかけられたって知らず存ぜぬ人違いを押し通せるのだ。言えば詩織も同意してお菓子を差し出してきた。篭城することを決め込み、とりあえずいつもと変わらぬ談笑をバイト代だというお菓子をつまみながら繰り返した。
チラリと話の途中で外を覗いてみると、いつの間にか二人の姿が見えなくなっていた。
「もういないかな?」
「そうね、この距離じゃ私も分からないけど、多分そろそろいいんじゃないかしら?」
言いながら携帯で時間を指し示してきた。
確認すればこの部屋に入ってから既に3時間、さすがにいないだろうとは思いつつも少し躊躇する。なんたって相手は田畑くん。なんだか危険な香りがプンプンするんだもの。
仕方なく1つ、お願いをしてみる。
「ね、詩織はこのホテルもう長いよね」
「ええ」
「僕を裏口から出せたりする?」
「…聞いてみないと分からないけど、イケるんじゃないかしら?」
確認してみるとフロントに電話をかけてくれた。僕はその間、家への逃走ルートを模索していく。と、詩織が僕の方を向いてOKサインを出してきた。
「フロントの人が案内してくれるって言ってるんだけど、私も一緒についていった方がいい?」
「いや、いない方がいいかな。とりあえず明日何か聞かれてもお互い知らぬ存ぜぬで…」
もう1度ホテルの下を確認していると呼び出しのベルが鳴った。
手を振って「また明日」とお互いに言って、フロントのお兄さんの後ろを付いてバックヤードを案内してもらった。頭を深々下げて、出口の扉を開けた瞬間、体がビクついた。だって目の前には微笑する田畑くんの姿。
「っす。待ってたぞ、山田くん」
ヤラレタと思いつつもポーカーフェイスで対応を始める。同じように微笑んで「出待ちファンなんて嬉しいです」と言っておいた。
腕が伸びてきてガッと肩を回された。
「何?」
「いや〜、今頃詩織嬢は正面玄関かなって」
「どういう意味?」
まだまだクールフェイス。
すると彼は白い歯を出して僕の精神を揺さぶりにかかろうとしてきた。
「誤摩化すなよ。前には向かい側のムーンバックスで誠二を待機させてるんだからな。3時間もホテルで、何してたか二人にタップリ聞かせてもらうぞ。見張り代だ」
「言ってる意味が分からないよ」
嘲笑すると眉をひそめて携帯を取り出して誠二くんに電話をかけ始めた。
無駄無駄。僕が裏口から出てくるのを予測していたのは「さすが」ってトコだけど、残念。詩織はいくら待っても今日はこのホテルを出てくることはない。。そして誠二くんは「まだ出てきてない」と繰り返すだけだよ?
携帯を耳に当てたまま、瞳を大きく開く田畑くんを見てから鼻で笑って歩き出す。パタパタと追いかけてくる足音を聞きながら振り返れば納得いかないと言った表情で顔を覗き込んできた。
「どうしたの?」
「いや、詩織嬢は出てきてないって言うから。わかった待機させてるな!?」
「また意味分かんないこと言って…」
呆れた表情してホテルの前に出ると、誠二くんがムーンバックスでコーヒーをすすっているのが見えた。ホテルの玄関を見てもやっぱり詩織はいなくて。二人の悪友が視線をつなげた後、田畑くんが僕を誠二くんの隣に無理矢理座らされた。顔をしかめると田畑くんが詰め寄ってくる。
「山田くん、覚えてるか? 春休み合コンしたの」
「ああ、君に騙されて行ったやつね」
「その時女子校の女の子が二人いただろ? その子がお前と長い黒髪の子が二人でホテルに入って行くとこ見たって言ってたんだぞ!?」
「…その子、黒髪の女の人の顔見たの?」
「いや、後ろ姿だけで顔は見てないって…」
「そこから間違ってるね、顔見てないのに詩織だなんて断定しちゃって。人違いってやつだよ」
言えば二人は顔を見合わせて如何にも解せないと言った表情を浮かべてくる。
「じゃあ、山田くんはなんで裏口なんかから出てきたんだよ」
「僕、そこのホテルでちょっとしたバイトに誘われちゃったんだよね。で、帰るときは裏口からの方が近かったから使っただけ」
「なら女の子の言う黒髪の女の人って誰だよ。山田くんがその人と一緒にホテルに入ったのは間違いないんだからな」
していた頬杖を外してから一度二人の顔を見て、横目でホテルを見ながらタイミングを合わせて笑う。
「その人、今見えてるよ? ほら、あのフロントのお姉さん」
頃合を計ってしっかり顔を向け、長い黒髪をしたお姉さんに向かって手を振った。すると、詩織を送るために何度か挨拶を交わしていた仲なので、一度周りをキョロキョロしてから笑顔で手を振り返してくれた。
にんまり笑ってあっけらかんとしている二人に視線を戻してのたまう。
「お姉さん、僕を連れてきてからずっとあの場所でお仕事してた思うから、僕はホテルだって言うのにイイコトも出来ないんだよね。田畑くんも誠二くんもここで僕が出てくるのを見張ってたなら分かると思うけど」
おわかり? とまるでどこかのセレブのおば様のように付け加えて様子を伺う。
空気が完全に僕のペースにハマってきたことに、密かにしてやったり顔をする。
「じゃあ僕もう行くから。せいぜい出てこない詩織でも思い描いててよ」
「な!? まさか今のうちに裏口から出した!?」
「…まぁ実際に一緒に入ったのならその可能性はあるかもね。急げばそこら辺歩いてるんじゃない? いるわけないけど」
立ち上がって「バイバイ」と手を振って店を出る。すると二人も立ち上がって急いで後を付いてきた。と、携帯が鳴る。見てみれば詩織からのメール。内容は…。
「今から詩織が来るっていってるけど、一緒に会いに行く?」
「ば、場所は?」
「駅みたいだけど」
-----詩織も裏口から出たのか。
さすがだと思いながらも行ってみてさらに驚愕した。だって改札口から出てきて「見て見て、今、見に行ってきたのよ」と今公開中の映画のパンフレットを出してきた。しかもワザとらしくなくヒラリと落ちる3時間前の時間が刻印されたチケットの半券。はっきり言って騙す側にいる僕の方が度肝を抜かれたよ。
アリバイであるパンフと半券に真剣になっている二人にバレないようこっそり聞いた。
「今度はどんな魔法使ったの? 時間を示す…切り札出してくるなんて」
「ふふ、裏口から出る時ホテルのバイトさんと出会って、さっきまで映画見に行ってたって言うから借りたのよ。半券が入ってたのはラッキーだったけどね。ま、ここまでうまくいったのも引きつけてくれたおかげかしら。だから思うの…」
微笑む姿は悪魔かそれとも天使か。どちらにしろ敵にすると厄介以外何者でもない。
けど、彼女から僕は離れなれない。
「ユーヤとなら完全犯罪もできちゃうかもって。ね、唯一無二の相棒さん」
詩織こそが、僕のジョーカーなのだから。