黒猫は魔女の使い
机の上で先程までの僕のようにだらけている漆黒の腕時計を拾い上げ、左手首へ導く。ブレスをパチリとはめて見つめれば答えるようにオールブラックのそれが金属を光らせる。
唇を歪ませてキーケースを掴みながら靴に足先を滑り込ませた。トントンと片足ずつ弾ませて玄関のドアを開く。脚を踏み出せば冷たい外気にも負けず、懸命に地表を暖め続ける太陽と目が合った。
今日は朝から職員会議があるらしく、いつもより遅い時間だというのにほとんどの生徒が余裕をこいて学校に足を向けている。まぁ僕もその一人なんだけど…。たまにはのんびり出来る朝も良いよねとA組の子達に挨拶をしながら教室の扉を開けようとした時だった。中から「キャー」という黄色い声が聞こえてきた。
何事かと思いつつ教室に入ればそこには…動物の林よろしく、制服を着たアニマル達が待っていた。驚きを隠せず目を剥いて突っ立っていると「山田くんが来た〜」と野生が集団で走ってきて「どう?」と聞いてきた。どうって聞かれても…。とりあえず一番ジロジロ見やすく話しかけやすい神無月さんを見てから口を開く。
「その付け耳、どうしたの?」
「えへへ〜。来月は文化祭でしょ? 陸上部は動物喫茶するからって、犬とか猫とかいろんな動物のこういう付けるヤツ買ったって見せてくれたから、どうしても一度付けてみたくて一式借りてきちゃったんだよね。今日、ハロウィンだしってことでお菓子頂戴!!」
「神無月さんは…牛?」
「違うし!! 羊さんだし。子羊さんですよーだ」
ポケットから目の前にいるアニマル分のガムを差し出すとパシッとかすめ取り、神無月さんはあっかんべーをして後から来た次のターゲットの所に行ってしまった。横目でその様子を眺めながら席に着くと、ニヤニヤした末長がいた。鼻で笑う。
「オオカミさん、教室では勘弁してよ」
「ふん、メイド服並みに萌えるんだから仕様がないだろ? 山田くんこそ本性出さないように気をつけろよ」
「まさか。僕の心はアレくらいじゃ乱れないよ」
「どうだか」
嘲笑してきた。けれど、僕はその姿を見て逆にクスリとしてしまう。だって僕と話していたって上の空、すぐに神無月さんを視線で追いかけちゃってるんだもの。君って本当に分かりやすい性格してるよね。ま、そんなトコが僕は好きだったりするんだけどさ。
神無月さん、愛されちゃってるな〜とか思っていたら、いつもの質問呼び出し。はいはいと廊下に出てペンを握った。
解き方を丁寧に教えて、さて教室に戻ろうと思ったら体がビクついた。だって、目の前には黒色の猫耳が付いた可愛い可愛いクロネコさんが首を傾げてこっちを見てたんだもの。
----末長ごめん。そしてハロウィンと神無月さん万歳。
人間だった時は僕の親友をしていた女の子にバレないよう握り拳を作って小さく体に引き寄せた。
「付けてもらったの?」
「そうよ。猫さんなの、可愛いでしょ?」
ええ、とっても。手が核心に迫りそうなくらい。
ピクリと反応する指先と疼き始める心を隠しながら言葉の替わりに笑顔を落とすと、黒猫さんが本物の猫なんか目じゃない程可愛く笑った。
-----番長もゴメン。僕も、今ならニャン語話したい…。
目の前の子猫ちゃんと仲良くなる為なら、番長に今からでもニャン語の教えを乞うてもいいと本気で考えた。まぁでも、男二人でニャン語の特訓なんかしているトコロを見られでもしたら一生懐いてもらえないだろうからしないけど…。
僕がちょっとばかし変な方向に頭がとらわれていると、詩織が教室の中に入ろうと言い始めた。
先に歩き始める彼女の後ろ姿を見てギョッとした。だって、スカートの下からピョンと黒いシッポが出ているんだもの。歩く度に左右に上下に揺れ、僕の視界の中を往復する。意識もしていないのに目が追う。気がつけば耳も尾も僕には付いていないっていうのに、まるで猫じゃらしを目の前で振られている猫のように手が何度も空を掴んでいた。
その様子に気がついた本体が一度僕の顔を見上げた後、無邪気に笑った。
「ふふ、捕まえられるかしら?」
言いつつ背中を向けて、お尻を振ってくる。
疼きが衝動にかわる瞬間を思い知ったね…。下唇をグッと噛み締めてとりあえず先ほどの行動を繰り返す。あれくらいじゃ心は乱れないとか言っておきながら、すでに動いている腕がそれを守れていない証拠。末長の言葉も頭をかすめたけど、少しでも欲望を満たしたくて口が動き始めていた。
「Trick or Treat」
「え?」
「今日ハロウィンだからそんな格好なんでしょ? だから、Trick or Treat」
「それって、普通仮装してる方が言うものじゃないかしら」
見返りながら首を傾げている。
いやいや、僕は既に仮装状態ですよ、心が。そうでしょ? 男なんて皆、羊の皮をかぶった狼さんなのだから。
もう1度英文を呟いて付け加える「たまには逆だっていいでしょ?」。年1の行事に“たまに”なんて言葉は当てはまることなんてないけど、理論とか筋が通ってるかなんて今の僕にはどうでもいい。それこそ野生が顔を出しちゃってる状態だもの。
想定外の僕の言葉に少し困った顔をしている黒猫さんを見下ろしてほくそ笑む。
-----ほら、早くスイーツくれないとイタズラしちゃうよ?
すでにイタズラ中のくせにそんなことを思考しながら手の平を上にして突きつけると肉球ならぬ冷たい指先が乗っかってきた。言うなればお手状態。よしよし、なんて思ってたんだけど、それは相手の科白だったみたい。
知ってる? 猫って人間を実は操ってるんだよね。ほら、コンビニの袋を持って野良猫に遭遇するとさ、妙にすり寄ってきたり切ない声を上げて鳴いてこられた経験ってない? あれって猫たちは確信的にやってるんだよね。貰えるとわかっているから敢えて媚びてみせる。なのに人間は猫がそんなこと考えているなんて知ってか知らずか「可愛い」とか「野良だから」って言ってついつい餌を与えちゃうんだよね。よく見てみなよ、飼い猫なんかより野良猫の方が太ってる割合多いでしょ。まんまと罠にハメられてる結果だね。言い換えれば人間なんかより猫の方が1枚も2枚も上手ってワケ。人間の方がうまく騙されているとも言えるね。
僕もそんな人間の一人、今度は黒猫に翻弄され始める。
彼女は艶麗な表情で投げかけてきた。
「人間さん、やっぱりそれは私の台詞よ」
言いながら左腕を見せつけてくる。目に入るはブレスの部分が余って文字盤が下を向いてしまっている腕時計。そう、今の今まで肌身離さずつけていた僕の片割れ。
大きく目を開く。
「いつ取ったの!?」
「いつかしら? さ、人間さんTrick or Treat」
-----あああ、相棒ー!!
ある意味本物の人質とも言える僕のパートナーに狼狽えた。なのにソイツときたらなぜか彼女の腕の上で誇らしげに妖しく光るだけ。
唇を尖らせると詩織が勘違いしてコロコロ笑いながら、腕時計を鳴らした。
「大丈夫、落としたり壊したりしないわよ。ただちょっとだけイタズラするだけ」
そんなこと分かっている。
怪訝な表情をしているのは君のせいじゃなくて、僕の片割れのくせに詩織の味方してるような所存だよ。第一、君が人の物をぞんざいな扱いにするような人物じゃないことくらい、よく理解しているもの。だから別に怒らず、されるがまま、未だ君の腕の中にそれはある訳だし。でもちょっと腰は引けてるよね。だって、猫は猫でも目の前の子は詩織という名前を僕の親友。この子は僕の規格というボーダーラインを軽く飛び越えて突拍子もないことをして、毎回驚かしてくる。そう、僕は彼女が何をするかなんて想像もつかないのだ。
もう一度彼女が僕に要求してきた。
「Trick or Treat」
はいはいと内ポケットに手を突っ込んだ。けど、あったのは一番外側の包装紙だけ。肝心のガムが1枚も残っていなかった。
「ごめん、何もないみたい」
「さっき神無月ちゃん達は貰ったって言ってたわよ?」
「そうなんだけどね、その時のが最後だったみたいで…」
内ポケの中身を出しながら顔を見ると、頬を膨らませてきた。
焦った。別に詩織にイタズラされるのは嫌な気なんてしない、けど、さっきも言ったでしょ? 猫は人をコントロールしてるんだって。そして僕も甘んじてしまう人間の一人なんだって。彼女が口を開く前に僕が動いた。きっとそれは操っている子猫ちゃんのして欲しいこと。
「昼休み、何か代わりのお菓子…アイスはないから代わりにチョコで手を打ってくれる?」
うまくヤラレタな、なんて思いつつも詩織のご機嫌な顔が見たくて、君になら分かってて操られるのも悪くないと感じて、提案した。しかし望んでいた笑みではなく、イタズラな笑みが目に飛び込んできた。
「悪くないけど、イタズラ決行ね。お昼まで待てないもの。だから今、現地調達してもらうわよ」
「え?」
一度僕と目線をつなげてから目を伏せた。黒の腕時計がサクランボ色の唇に近づいていく。
-----ちょ!!
真っ赤になって腕を伸ばし体を傾けると腕がヒョイと僕を躱した。そして頭部に違和感。
見れば詩織の頭にあった付け耳がなくなっいて…代わりに僕の頭に猫耳が装着されていた。
「ひぃいい」
自分がそんな物をつけている姿を想像して悲鳴を上げた。そうだろ? 僕は可愛くもなければ、そんな趣味もない(見るのは好きだけど)。急いで手を方向転換して頭の方へ持っていく。が、途中で両手が黒い時計をしている手に捕まえられて阻止された。しかも、
「見て見て、猫ユーヤ!!」
触れ回られた。
集まる視線から逃れられない。さらに何度首を振っても付け耳は落ちることを知らず、詩織からガッチリとキメられていて腕も外すことができない。見ないでと、助けてくれと叫んでも誰もそれには応答してくれず。反対にノリのいいクラスメイト達は爆笑しながら僕の醜態を携帯画像におさめ始めてしまった。
「やめ、撮らないで!!」
「いいだろ〜。飼い主がいいって言ってるんだから」
「か、飼い主!?」
「詩織ちゃんに決まってるじゃない。詩織ちゃん私も撮っていー?」
「いいわよ。そのかわり後でメール添付して頂戴ね」
「ちょ、詩織!?」
飼い主に喚いても「意外に似合ってるわよ」なんて言われるだけで、よしよしもして貰えない。しかも、こんなことを言う。
「私はナイト兼魔法使いなんだから、使い魔である黒猫のユーヤは私の望みを叶えなきゃいけないのよ? それまで王子にかけられた魔法は解けないわ」
普通、魔法を解くにはキスなんじゃないのかと、どうしてその素振りを魔法をかける時にしたのかと思いつつも、始めに言った“現地調達”の意味をようやく理解した。つまり魔女に変わって“お菓子を集める魔法の言葉”を唱えて、集めた物は飼い主にすべて献上しろってワケね。
全然猫らしくもなく、可愛らしくもないから貰える物は少ないのは承知だけれど…かけられたハロウィンの魔法を解くべく、愛しい彼女のため、せめて叫ばせてほしい。
「と、Trick or Treat!!」