追憶のツヴィリンゲ #2
目を合わせると彼女は少し眉を潜めてからゆっくりと唇を動かし始めた。
「どこから話せばいいのかしら。…裕くんはお母さんが昔モデルをしていた話は覚えてる? そう、覚えてくれてるのね。実はそのお仕事をしているときに知り合った女性がいるの、私とその人は気が合って、そうね親友という関係だったわ。名前は遥っていってね、実はね、母さんとその人は同じ時期に妊娠して、出産予定日も近いって話してたのよ。それで産まれたらぜひ見せ合いっこしましょうって言ってて、ほら、それがこの時の写真よ」
母さんはキリンの図柄が描いてあるアルバムを手に取ってオレンジ色の付箋が貼られてあるページまで捲り、赤ん坊の頃の詩織と僕と父さん母さん4人が写っている写真を指差してきた。
「わかる? これがお母さんでこっちがお父さんで、これがユーヤでしょ? そしてこのピンクのベビー服を着た女の子が遥の娘よ。名前は詩織ちゃん」
僕は思わず母さんの顔を見た。
しかし顔色一つ変えること無くさらに続ける。
「そうね、貴方が家に詩織ちゃんを連れてきた時から、ずっと私たちはあの子のことが気になって仕方が無かったのよ。実は、詩織ちゃんは私のその親友と似てるのよ。始めは本当に驚いたわ、まるで友達が私たちの前に歳も取らずに戻ってきたかと思ってもの。でも、それは違っていてユーヤと同い年だって言うじゃない。だから、ああ、この時の赤ん坊なんだって確信的に思ったわ。でも確証がなくて…言えなかったのよ。そうでしょう? 遥は私たちに「この子は“虹村詩織”になる」っていう内容と虹村家の住所と電話番号を書いた手紙を送ってきてそれっきりで…。でも、私たちも“虹村詩織”ちゃんがどこに住んでいて、どんな様子かは把握していたのよ。きっとそうして欲しくて手紙を送ってきたのだろうって、思ったから。だけど何年前だったかしら7〜8年程前にその家が火事になっちゃって行方が分からなくなってしまったの。新聞記事で安否は確認とれてたから安心はしていたけど…。ふふ、1時間も詩織ちゃんと一緒にいなかったのに私ったら自分の子どもみたいに思ってたのね。だからずっと探していたのよ。けれどうちにそんな人探しをするようなコネないでしょう? だから半分諦めかけていたのよ、親友の子を。でも、そうこうしていたら貴方が去年の夏休みにフィアンセだなんて言って、私の親友に似ている子を連れてくるじゃない。そして聞けば名前は詩織ちゃん、名字は虹村、お姉ちゃんに住所を聞けばホテルだって教えられたけど、でもその子のお兄さんがお姉ちゃんの今の彼氏でしょ? 彼氏君の住所をお姉ちゃんに聞いて調べてみれば、昔もらった住所のところに住んでいたことが分かって、やっぱりだったのよ」
嬉しそうに両手を合わせる母さんの顔が僕の中で揺れている。
もう、僕は昼からの一人勘違い相撲と一卵性双生児の兄の話と詩織の出生の話と、ヘビー過ぎるものを一気に頭の中が処理しようとしてしまって、フリーズ一歩手前だ。
ソファーの上に敷いてあるクッションごとズズっとお尻が滑って体がだれた。
するとそれを叱咤するかの如くずっと黙っていた姉さんが僕のお腹を軽く叩きながら唇を尖らせてきた。
「何だれてるのよ」
「いや、だって…僕だってここまで濃い話を聞かされれば脳みそワクって」
「情けないわね。そんなんじゃ詩織ちゃんから逃げられちゃうわよ?」
気力を使い果たしたというのだろうか、今日1日で僕の情報処理能力の限界を突破してしまったみたいで、いつものように「そんな関係じゃない」と突っ込むことも出来ない。
しかし僕の脳みそは自分の矛盾を消さないと完全なフリーズ状態にはなってくれないらしい。勝手に口が動いた。
「母さん、聞きたいことがあるんだ。詩織の母親は今どこに?」
「…それが、父さんに頼んで死亡記録を調べてみたんだけれどもうこの世には…」
母さんは首を振りながらそう答えた。
「死因は?」
「数年前に持病の発作でなくなったそうよ」
「そう」
少しだけ安堵した。事故や事件で死んだのであれば、詩織に不幸が降り掛かってくるかも知れないと思ったが、そういう理由であればそんな心配は無用だろう。しかし、分からないのは詩織がどうして虹村家へ養女に出されたかってコト。その女性と虹村家には何か繋がりでもあったのだろうか。…もしかしたら親戚か何かだったのかも知れない。
そしてもう一つ、僕には衝動が溢れてきて下を向きながら両親へ言葉を投げかけた。
「兄さんの死亡診断書か何かある? 見てみたいんだけど」
産まれると同時に死んだのならば出生届のようなものはないだろうと踏んで敢えて死亡診断書のコトを聞いた。すると母さんはこの質問がくると読んでいたようで、すぐさま死亡診断書なるものの写しと僕の育児日記を手渡してくれた。
まずは診断書に目を通せば、名前も死亡原因も父さんの言った通りで嘘偽りなんて一つもなかった。
-----あれ?
「ねぇ産まれた病院…」
急いで自分の育児日記を開いてみても同じ病院の、紅葉総合病院の名前が書かれてあった。僕は詩織や姉さんと同じ葛の葉総合病院で産まれたんじゃないの? と聞こうとしたら姉さんが口を挟んできた。
「ユーヤは母さんの実家に遊びに行ってる時に産まれたから私とは違って他県の病院なのよ」
「え?」
「思ったより早く産まれちゃったのよ。全くあの時はビックリしちゃったわよ、ねぇ母さん」
「そうね。予定よりも10日も早いから大丈夫だと思って遊びに行ったら陣痛始まっちゃうでしょう? まぁ私の実家だったから美嘉子をおばあちゃんに任せられたから良かったと言えば良かったんだけど」
ここまで聞いたら僕の中の矛盾が消えたのか、なんだか実感が湧いてきた。
僕は詩織と双子なんかじゃなく、ましてや血が繋がってなんかいなかった。ボディシンクロニティーもベタの名前も考え事をする時の癖も、偶然的に会ったりハモったりするのも、僕の母さんと詩織の母さんが昔モデルをしていたということも、血液型も一緒だけれどただの偶然ってヤツで…。
だけど僕らは幼い頃母さん同士で繋がっていていた過去があって、親友という確かな絆を築いていて、僕らの間には不確かな“キレる詩織を抑えられる僕”が存在している。これが何を意味しているかなんて、分からないけれど今僕が一番に思うことは。
-----詩織のことを好きでいていいんだ…。
心の中を覆っていた赤黒い血の霧を真っ白な疾風が駆け抜けて浄化を始めたかの如く、今まで感じたことの無い程の安心感が僕を包み込んできた。
と、今度は手に握られている死亡診断書の内容が妙に気になり始めた。
じっくりと育児日記と死亡診断書を見比べてみれば全く同じ誕生日なのは勿論、出生児の体重、妊娠週数、母の生年月日、前回の妊娠の結果まで同じことが書かれてあった。なぜだか、“死亡診断書”と不幸なことが書かれている1枚の紙切れが妙に愛しく感じられてきた。
頬の筋肉が勝手に緩んで眉がハの字を描き、それを見つめながらソファーから立ち上がった。
「これ、コピーしても良いかな?」
「…ユーヤがしたいならそうしなさい」
父さんがいつもの口調で僕をいつも促す言葉で頷いてくれた。だからゆっくりリビングの扉を開けた。「コピーが終わったらまた下りてくるね」そう告げて自分の部屋に戻ってパソコンとスキャプリの電源を入れながら兄さんの死亡診断書の複製を作った。
まだ気温が上がっていない地球の上を太陽の光を浴びながら歩く。
息を吸えば湿った土と枯れ葉の香りが混じった匂いが胸をいっぱいにして、風が吹けば少し肌には冷たくて、脚を踏み出す度に脚の裏に直接ではないのに地面の凸凹の感触が伝わってきて、聞き耳を立てれば木々と鳥達がおしゃべりをしていて、天を仰げば宇宙に繋がるどこまでも青い空が広がっている。それら全てを感じられるのは僕が息ている証拠…。
今まで感じたことの無い生への感慨に耽って父さんの後ろを付いて行く。
行き着いた先は、小さなお墓の前。そう、僕の片割れである兄さんのお墓だ。
父さんと母さんが先に挨拶を済ませ姉さんが膝をついて祈っている間、僕は墓石に掘られてある名前を何度も読んでいた。
姉さんが立ち上がるのを待ってから階段を上り、石の前でひざまつく。
ゆっくりと手と目蓋を閉じた。
「兄さん…」
産まれてきたのに産まれた瞬間生きられなかった“晋也”のことを思う。一卵性双生児だと言うのだから、きっと生きていたら身長も体重も顔も何もかもが一緒だっただろう。きっとそれこそ、本物のシンクロニティー現象が見られたハズだ。
-----じゃあ生きてたら兄さんも詩織のことを好きになってた?
わからないけれど、きっとそうだと思う。そしてそれだけじゃなく、キレる詩織のことも一緒に抑えられたに決まっている。そうでしょ? 僕たちは血を分かち合った自然のクローン(複製)だもの。何かが違えることなんて決して無かっただろう。だからきっと2人して詩織に出逢って肌が触れて、3人は親友になっていた。そして僕ら双子は同じ女の子を好きになって、またもや二人して「あの子が望むのは親友なのだから」って想いを告げないことを固く誓っただろう。そして誰にも言わないと誓ったくせに、お互いのことを分かる僕らは敢えて何も言わず、詩織の愚痴を零すんだ。「あの子、僕らのこと弄んでるよね?」なんて。それさえも悪くないとお互いに思って笑い、そんな自分たちは馬鹿だとお互いに思って、また笑う。
出来ることならば、そんな人生を歩んでみたかった。
でも、兄さんは僕の悪い場所を持ち去って死を選んだんだと思う。だから僕は兄さんの良いトコロを拾い上げて生を選ばせて欲しい。
どちらが楽でどちらが苦しいかなんて今となっては運命が別れてしまったから分からないけれど、僕らは魂で繋がっているから何があったって二人分の力で大丈夫なハズ。
だけど、やっぱり兄さんにも地球の上を歩いて、息を吸って、匂いを感じて、肌のぬくもりを知って、恋をして欲しかった。それが生を受けた時に与えられる至上の喜びなのだから。
ゆっくり目を開けて光を受けて輝く石に手を伸ばしてその冷たさを感じた。
なぜだかわかないけど涙がポロポロと零れ落ちて、真っ直ぐ切り出されたはずの石碑が歪んで見えた。それは僕の中で“晋也”が産まれた瞬間。
-----誕生日おめでとう。
18年間言えなかった言葉を心の中で響かせた。