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失望のフランベルク #1

 昨夜はあのまま温かいミルクティーと手作りマドレーヌを談笑しながら頂いて、結局家に帰り着いたのは夜中の2時近くだった。けれど、僕は魔法使いの彼女のマジックにかかってしまったままなのか、太陽が部屋に光を差し込むような時間になったというのに幸せが続いている。隣にはすでにあの子はいないけれど、昨夜のことを思い出すだけで顔の筋肉が緩んでしまうって、コレって確実に幸福の絶頂にいるでしょ? 今ならはっきり言える。詩織と親友でよかったと、詩織のことを好きになれてよかったと。そして、彼女が彼女で良かったと。


 ニヤついてしまう顔を抑えて、鞄の中にシャツと下着を突っ込む。

 立ち上がればタイミング良くインターフォンが鳴った。これまた幸せの兆しかな、なんて思いつつもドアを開ければ僕より少し背の低い父さんが立っていた。


「久しぶりだな、ユーヤ」

「冬ぶりになるのかな? でもスカイプで話してるからそんなに懐かしい感じじゃないんだよね」

「用意はできているのか?」


 頷けば「じゃあしっかり戸締まりをしてから来なさい」と先に歩き出した。言われた通り鍵を閉めて、一度ドアを引いてみる。するとガチンと扉は歯を立てて開かなかった。だから駐車場に停まっている黒い車に乗り込む。

 姉さんとは違い、ゆっくり水平移動を始めてから運転席から声をかけてきた。


「少し背が伸びたんじゃないのか?」

「父さん、それ冬休みの時も言ってたよ? 僕身長あれからほとんど変わってないからさ」


 笑いながら外を覗けば、並木が素早く通り過ぎ、遠くのビルがゆっくり動いていた。少し開いている窓からは風が音を立てて吹き込んできて僕の前髪を激しく揺さぶる。

 都市高速に乗り込み、グングン速度を上げてそろそろ出口だという所で父さんの携帯が揺れた。替わりに出てくれと言われて助手席から拾い上げ、画面を開いて顔しかめた。表示先は大学病院。このパターンは多分、緊急な感じだ。不穏な空気を父さんは読み取ったのか、ETCを抜けるとすぐさま車を加速させた。

 着信ボタンを押せば何度か聞いたことのある看護士の声。用件を聞いてそのままを本来の持ち主に伝えた。すると、ある場所でUターンを始めて道路脇に車を停車させた。


「もう、ここからは歩いて帰れるだろう?」

「うん」

「母さんに言っておいてくれ、夕ご飯食べられないかも知れないって。それと前にも言ったかも知れないが、今夜話をしたいから夜遅くなったとしても寝ないで待ってなさい」

「そんなコト聞いてないけど、何の話? 今じゃダメなの?」

「大切な話なんだ。お前のことと、その…詩織ちゃんの話だ。続きは帰ってから、母さんがいる所でじっくり3人で話そう。さ、行きなさい。患者さんは待ってくれないんだから」


 促されるまま歩道に脚を出しながらドアを開けた。出る時父さんがまた同じことを言った。


「いいな、大事な話なんだからくれぐれも…」

「寝ないから。早く行ってあげたら? 長丁場のオペなりそうなんでしょ」


 言えば少しだけ不満げな顔をして、ハンドルを握り直している。音を立ててドアを閉じれば車がまた都市高速の方へ走って行ってしまった。後ろ姿をしばらく眺めてから踵を返す。

 -----僕と詩織の大切な話…?

 なぜか言いようの無い不安感が襲ってくる。またフィアンセなんだからとか変なことを言われるんじゃないだろうかっていう不安も無きにしもあらずだけど、なんだかそう言うコトを言うような顔と雰囲気じゃなかった。少し思考をすると、僕の頭の中に前に考えたコトが頭をよぎった。そう、父さんは僕と詩織の何かを知っているんじゃないだろうかと憶測していたのだ。もしかしたら、詩織が話してくれなかった“抑えられる訳”に直結することなのかも知れない。


「……」


 眉を潜めて、ゆっくり脚を踏み出した。

 実家に帰り着けば父さんのことを聞いて来る母さんに先程の事情を説明すると、少しだけ顔を曇らせてから小さく「そう」とだけ言った。

 昼時なのでダイニングで食事をとっていると母さんが口を開いた。


「18歳になったお祝いの品、本当は4人で買いに行こうと思っていたんだけど、父さんいないからあとで3人で行きましょう?」

「何買ってくれるの?」

「お姉ちゃんにはネックレスだったものね。男の子だから腕時計なんてどうかと思っているんだけれど、どうかしら?」


 やっぱりなと思いつつも頷く。時計を見れば時刻は13時過ぎ。行くのは食事の後片付けと姉さん母さんの準備ができてだから早くても14時過ぎかと計算しつつ、席を立つ。


「僕、父さんの書斎で本読んでるから準備ができたら呼んでね」


 了承の声を聞いてからダイニングを後にした。そしてゆっくり階段を踏みしめて行く。僕の家は一軒2階建てだけど、階段が2階の上にも続いている。そう、父さんの書斎というのは屋根裏部屋のことなのだ。扉を開ければ昔から変わらない部屋…真ん中に大きな机があって、それを取り囲むかのように多くの本や参考資料が本棚に並べ立てられている。

 今もそうだけど、昔から僕はこの部屋が大好きだ。だって屋根裏部屋なんてまるっきり秘密基地みたいじゃないか、自分の趣味や仕事のことだけに自由に時間をつぶせる空間なんて。だから僕は父さんがいない時もいる時も、家にいる時のほとんど時間をここで過ごした。勿論、自分の秘密基地にしたいって言う思惑もあった。けれどそれ以上にここには魅力的なものがある。


 そう、大きな机の周りを囲んだ本棚の中の本達だ。内容は今の僕に精通するもの、物理やマクロの世界を題材にした本から医学関するもの、ビジネス書等等。到底子どもの読むようなものじゃではなかったけれど、父さんは「お前が読みたいのなら好きに読みなさい」と書斎に入ることをむしろ歓迎してくれた。今思えば、実は教育の一環だったんだと思う。幼い僕が手に取れるような低い場所に英語の本や難しい本を置いていて、敢えて簡単な読み物は逆に高い位置に置いてあった。


 まぁお陰で読書は今でも大好きだし、速読も得意だし、思惑通り知識も頭の中に入っているし、気がつけば英語の本も日本語を読むようにスラスラと読めるようになっていた。僕のバイリンガルへの道はそんな所から実は始まっていたんだよね。で、いつの間にか英語の本も読めるようになったと小さな僕が自慢したことが、父さんの教育方針の自信に繋がったんだろうね。彼が調子に乗ったのか、僕がいい気になったのか、それは二人にも分からないけれど低い位置にはドンドン英語の本や参考書、医学書なるものが増えていった。そして僕はそれを増々読むようになっていった。大体の内容を口頭で述べられるようになると褒めてもらえるし、新しい本が増えるからね。まぁこれこそが彼の罠だった訳で、お爺ちゃんの跡を継がせようとしていたに違いない。うまくヤラレタと言うか、でもお陰で自分でもいい成績にをとれているとは思うし、なんとなく読んで記憶はしているからこれから大学に進学した時にはようやく僕の頭の中に入っているものが役に立つ時が来るだろう。ホント、うまく教育されたものだ。


 今振り返れば正直可愛くない小学生だね。ああ、でも大丈夫。体は子ども、頭は大人な某探偵みたいに「あのジェットコースターの速度はXで加速度aが…なんて考えたこと無いもの。知識だけあって考えていることは子どもじみたこと…例えばどこに遊びに行きたい? と聞かれれば「遊園地」とか「動物園」だったし、行けばハシャイで「アレに乗りたい」「ゾウさんにエサをあげたい」「僕もウサギを飼いたい」なんて言っていた気がするよ。よく駄々も捏ねた気もする、姉さん程じゃないけれど。


 閉め切られた空間に太陽光が差し込んで、ホコリ達がキラキラ光っている。僕が歩けば空気に押されて揺らめき、最初にいたホコリが光の外に飛び出て替わりに新しいチリが光の下を陣取った。

 まるで図書館かどこかのようなインクの匂いが充満した部屋の端に立って題名を一気に目で追いかけていく。

 -----ここの棚は冬休み読んじゃったんだっけ?

 場所が変わっていて気がつかなかったなと思いつつ、本屋でやるように少しずつ脚をズラしながら横に体を流す。数歩足をズラした所で体をピタリと止める。新しい本が何冊も入っている棚にヒットしたのだ。


 僕が帰っている間、明日の夕方くらいまでしかいないから3冊が限度だろうか。いや、今夜父さんが話があるって言ってたから2冊しか読めないかなと片っ端から読むのを諦め、心惹かれるタイトルの本にだけ指をかけた。


「これでいいか」


 振り返り書斎の机の前にある座り心地のいい椅子を目指す。

 その机の上には何やら白い紙に印刷されたものが積まれている。これまた別に読んでも元の位置にさえ戻しておけば怒られることは無いので興味を持った。

 が、その隣にはさらに僕の好奇心をそそるものが置いてあった。そう、それは僕のアルバム。布の生地で表紙にはこれまた布で作られたキリンが描かれていて、本当に赤ちゃんの為のフォトブックと言う感じだ。これを見たのはいつだったか、多分中学生に上がる前だったと記憶している。前に詩織が来た時に姉さんが持ち出したのは確か僕が3〜4歳くらいので、そういえばこっちは持ち出してきていなかった。

 記憶が無いから懐かしいなんて思うのは変だけれど、なんだかそんな気分になってアルバムを捲ろうとした時だった。1本のオレンジ色の付箋が挟まれていることに気がついた。

 なにげなしにそこを捲った。


 息を飲んだ。

 そこには見たことのある写真。そりゃ昔見たんだから記憶にあるのは当たり前なんだけど、ちょっと違う…。

 1枚の紙切れの中にカラーで印刷されたそこには、笑う若い頃の父さんと母さん。その笑顔の下には一つのベビーベッドがあって、ブルーのベビー服を着た僕とピンクのベビー服を着た黒髪で漆黒の目を持つ赤ちゃんが右側を凝視している姿があった。


「これ…」


 僕はこれと同じようなものを最近みた。

 ピンクのベビー服を着て右側を凝視する赤ちゃんの写真…そう、服装検査をしたあの日、詩織が落とした彼女の赤ちゃんの時の写真だ。トレースするように記憶したから僕ははっきり、言える。この写真の左側の黒髪のベイビーはあの写真の中の子と同一人物なのだと。だって、右目の下にある泣き黒子だって着ているものだって、首の傾げ方も見つめた方も何もかもが一緒。言うなれば、これが最初フィルムから現像したもので、詩織が持っていたものはこの写真をトリミングしたものだと断言してもいいほどだ。さらに言うなら、彼女が絨毯じゃなくてお母さんのスカートだと言っていたものと母さんのスカートの柄が一緒で…。

 -----詩織のあの写真の端の方に移っていた赤ちゃんの右足は、僕のもの!?


 何がなんだか意味が分からなくなって、意識している訳ではないのに呼吸も脈も荒くなってきた。胃の当たりに気分の悪いものがこみ上げてくる。

 見なかったことにしようと、すぐにアルバムを閉じ目を泳がせた。

 忘れたい一心でその隣に置かれてある、英語でひたすら何かが書かれてある紙の束を適当な厚さで捲りながら目を通す。


 右手で口を塞ぎ、悲鳴を上げるのを抑えた。拭わなくても分かる程、額にイヤな汗が出てきた。

 耐えきれず空気を飲んだ。


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