プッツンガール #1
すっかり馴染んだ半袖のシャツをパタパタさせながら、太陽の下に出た。
結局その後も僕が伝説の男の弟だというデマは蔓延したままで、否定しても全く効果がない状態。しかもクラスにいても食堂にいても居心地の悪いことこの上ない。そこで最近、昼休みになると通い始めたのが西側校舎にある屋上だった。始めはポツポツと人がいたのだが、僕が通い始めたせいで今では自分と詩織、末長、坂東、委員長の4人とたまに神無月さんが来るくらいで、他に来る者はいなくなっていた。
本来ならまだ授業中の時間ではあるのだが、今日は英語の授業で先週から予告されていたテストが行われ、終わった者から昼休みに入っていいと言われたため、鞄を持って一番乗りでここに着た、というわけだ。こういう時だけは前に通っていた進学校に感謝している。
太陽が一番高いところにあるため、小さな陰に身を寄せながらあぐらをかいた。先程購買で買った缶を開けて喉の渇きを潤しながら、まだ姿を現さない人物を待つ。
テストが始まるほんの少し前、僕は詩織に声をかけた。何の用事かといえば、鞄の中身を教えればわかるだろうか? 鞄の中には携帯と、弁当と、そしていつぞやの真っ黒なキャミソールが入っている。忘れていたり、末長がいたりでなかなか返すタイミングを見失っていたのだ。だから今日はチャンスとばかりに、早く屋上に来るように言っておいたのだけれど…早く来過ぎたかな?
鉄の錆び付いたような音がして、ドアが開いたのが分かった。
入り口を見たが、残念ながら期待した人ではなかった。
「お?」
キョロキョロと景色を眺める仕草をしながら、豪快な欠伸をする五十嵐番長。
「何か用事でも?」と聞こうかと思ったが、止めておいた。だって昼休みだし、屋上だし、僕に用事があるから来るっていうのも可笑しな話だし、第一ここは学校なんだから、彼がどこで何しようが勝手だ。
もう一度缶に口を付けて中のお茶を飲んだ。
「いー天気だな」
前振りもなく話し始めた。
「なぁ山田裕也。お前に折り入って聞きたいことがある」
な、なんだろぅ?
「詩織の強さの秘密を知っているか?」
残念ながらそんなの知らない。僕が出会ったときには男を一発でぶっ飛ばせるほどの力量だったし、つーか番長の方が実は付き合い長いんだから僕より詳しいハズなんだけど。肩をすくめて、首を傾げてみせた。
彼は手で顎を擦りながら、
「ふむ。あんな華奢な体から、どうしたらあんなもの凄い力が出るのか兼ねてから不思議だったんだ。そこで、君にも協力してもらって、彼女の強さの秘密を探ろうと思う。きっと家とか部屋に誰にも言えない秘密があるに違いない。いや、別に家が知りたいとかそういう訳じゃなく、ただ純粋に男として、あの強さを知りたいと思ったんだ。いや、ミステリアスなのも詩織の魅力なんだが」
直感でわかったよ。本音は中盤、家が知りたいんだな。これって所謂ストーカーの一歩手前なんじゃ…
「賛成!!」
「おぉ、心の友末長よ!!」
まるで昔からの盟友のように、いつの間にか現れた末長が番長と固い握手を交わしていた。
実はあの水泳覗き事件(?)の後から、時折外見だけ見れば不釣り合いな2人がニヤニヤしながら廊下で話しているのを見かけたことがあった。どうやら妖しい協定を結んでいるようで、まぁ十中八九、詩織のことに関してだろうけど。彼女も大変だ。
「詩織さんの秘密、見たいね」
「見たいよな、さすが末長。そこの男とは違うな」
「早速作戦会議をしよう!」
「おお、いい場所があるんだ」
イヤらしい顔を浮かべながら、「今日のお昼は番長と食べる」と言い残し、2人は意気揚々と階段を下っていった。
今出て行った妙なペアを2度見しながら、入れ違いで詩織が屋上に顔を出した。
「あの2人って、仲いいの?」
眉間にシワを作って納得いかないって顔してる。人生知らない方が幸せなこともあるんだよ。
「そう言えば、用事って何?」
そうだった、僕には誰もいないうちにならなきゃいけないことがある。鞄の中から袋を取り出して渡した。
「何コレ?」
「君が家に来たとき忘れて帰ったキャミソール。た、タイミングなくて」
「あー、ないと思ってたんだ。よかった」
僕の言葉のニュアンスなんて露程も考えにいたらないようだ。それでいいんだけど、大丈夫かな。
「っと、私も」
ゴソゴソっとスカートから真っ白な財布を取り出し、僕の手を握った。手の中には100円玉。
前にバンソウコウ貼ってくれたあれか。
いいのに、と思いつつ意外に律儀な所のある彼女に会釈した。
「そういえば詩織って街のどこら辺に住んでるの?」
「うーん、今はど真ん中かな。どうかしたの?」
「ううん、なんでも」
それ以上何も追求することなく詩織が買ってきたという甘いお菓子のようなパンを見ていると、委員長と坂東が屋上に姿を現した。
詩織は自分の隣にハンカチをふわりと敷くと、彼女に座るように目配せをした。するとやはりというか、委員長はそれを断る。屋上でご飯を食べるようになってからは、これが日常茶飯事となっていた。詩織は委員長のことを宝物か実の妹を扱うようにそれはそれは大切に扱っていて、誰かが委員長の批判を少しでもしようモノなら、キレた時のように怒り狂っていた。詩織としては待望の女の子の友達で、見た目にも凄く可愛い彼女を大事にしたいのは分かるが…少し度が過ぎてる気が…。
3人に今日は末長は来ないことを伝え、割り箸を割った。
「ねぇ委員長の家ってどんなの?」
「え、そうですね白いですぅ」
「そんなんじゃわかんない。じゃあ、どこら辺に住んでるの?」
「平安区あたり…ですぅ」
僕、詩織、坂東の手が止まる。坂東なんて掴んでいた卵焼きを落としてしまった。
「平安区ぅ!? 超セレブじゃない」
「や、そんなことないんですぅ。えと、なんで家のことなんて」
「気になったから」
再びチョココルネを詩織は頬張った。
平安区というのは、全国でも有数のセレブが住む超高級住宅街だ。住民の多くが一部上場企業の社長や会長だったり、芸能人に政治家、官僚上層部の人間が所有主で、そこに家があるというだけで金持ちのステータスだったりする。僕なんかが一生働いても稼ぎ出せないような家がごろごろしているのだ。可愛い上にお金持ち、しかも成績も優秀なんて、神様はどこまで不公平なのだろう。委員長の顔を見ながら、羨みともなんとも取れない感情が出てきた。
言われれば思い当たる節はいくらでもあったのだ。
毎日校門の近くまで送り迎えの車が着ていたし、彼女が身につけている小さなアクセサリー類もどことなく高級感が漂っていた。眼鏡だって有名ブランドのロゴが入っていたし、身のこなしだって優雅。天真爛漫な性格なのに、なぜかいつも丁寧な口調で…と考えだしたらキリがない。今履いている靴下だって、僕の偽ラルフローランじゃなく本物だろう。
「家見てみたいんだけど」
「えぇー行っても何もありませんよぉ?」
「いいのよ! たまには一緒に帰りたいでしょ、ねぇ」
「そーですねぇ。じゃ、あとで迎えはいらないって電話しておきますぅ」
「ユーヤもいくわよ、ね? ね!?」
半ば強引な詩織の押し切り作戦。まさか僕が断れるハズもなく。
こうして僕は詩織について、委員長の家庭訪問にお邪魔することになった。
この後大変な事件に巻き込まれるとは夢にも思わず。