ジンジャーボーイ
学校がかなり早めに終わったため、たまにはどこか息抜きにでも行こうかと路線図を見上げる。
「詩織は何かしたいことある?」
「そうね、久しぶりに映画なんてどうかしら? ユーヤは何かしたいことある?」
「僕はその後にCD見に行きたいんだけど」
隣を覗けば「私も新曲チェックしようかしら」と同意の声。じゃあ、と自販機に1歩脚を出した瞬間、太もも当たりに衝撃が走ったかと思うと、視界が揺れて前のめりになった。
体勢を整えながら、驚いて後ろを向くとそこには…僕の腰の高さにも満たない男の子。慌てて大丈夫かと聞こうかと思ったら、指をビシっと指された。
「お前かー、ユーヤは!!」
ポカンとハニワになった後、最近よく年下から絡まれるよなぁと思考しながら観察する。クリクリとした黒い目に紺色の帽子、白いシャツには黒いネクタイと短パン。あれ? と思いつつ腕の所を覗けば『聖マリアンヌ』保育園の校章である“M”のマーク。僕がこのくらいの時は女児のみだったんだけど、いつの間にか共学になっていたらしい。そういえば雪姫ちゃんと話していた時に好きな男の子を聞いたら10人くらい名前が返ってきていたのを思い出した。
「何ボケっとしてるんだ!! お前だろ、山田ユーヤは!?」
「そうだけど、どうしたの?」
一回詩織を見ながら応えると彼は鼻息荒く突進してくるではないか。
慌ててマタドールのように避ければ方向転換してまた直進的な動きをしてくる。だからもう一度、避けてみる…方向転換、直進的な動き。避ける、方向転換、直進的な動き…。
何度か繰り返していると疲れたのか「クソー」なんて言いながらグズリ始めた。すると詩織がクスッと笑いながらも「可哀想じゃない」と庇う発言をしてきた。
-----面白かったんだけどな。
仕方なく体当たりを受けると「うおおお!」と叫びながらポカポカ殴ってくる。
「ちょ、痛い、痛いから」
幾ら男児とはいえ、力任せに殴られれば僕だって痛い。言われない暴行を繰り返されながら顔を覗くとなんだか見覚えのある顔。そう、この目、この黒髪、この口調、そして初対面の僕に指を刺してくる所…柴犬に似ているよね?
「ねぇ君のお兄さん、大塚聡って名前かな?」
言葉にした途端、体をビクつかせて殴るのを止め、ピタっと脚にくっついて頭をフルフルと振ってきた。
-----その反応だけで十分なんだけど。
吹き出しそうになるのを抑えながら脚から剥がそうとすると周りの人が驚愕する雄叫びを上げ始めた。
「やめろー、ちくしょー、お前なんかに負けないからなー、ロリコンめー!!」
「ちょ、この状況でそう言うコト言うのは止めて!!」
言うならばショタコンだと突っ込みを入れたいがそこは我慢。
ガッと首根っこを捕まえればさらに喚き散らし始め、暴行も激しさを増す。
「お前のせーなんだぞ!? 雪姫ちゃんが俺と遊んでくれなくなったのはー!! 渡さないんだからなー!!」
詩織を顔を見合わせて「ああ」と納得してコクコク頷いた。
どうやらこの子、雪姫ちゃんに想いをよせているらしく僕のことを恋敵として認識して向かってきたようだ。多分、詩織との会話から僕の名前が“ユーヤ”だから吹っかけてきたんだと思うけど…違うユーヤじゃなくてよかったね。
それにしても最近の子は本当にマセてるっていか、積極的な行動するよね。僕なんかがこのくらいの歳の時には何も言わず泥団子を渡すので精一杯だった記憶があるんだけど…。まぁそんなことはどうでもいい。これはちょっと困った状況だ。そうだろ? 喚き散らす園児を納める手段なんて僕は知らない。
それに、このまま殴られ続けるってのも酷な話だし…
「ねぇ聡に携帯で確認とってみてよ。聖マリアンヌに弟が通っているかどうか。髪の毛とか特徴伝えてさ」
「うわーん、聡兄ちゃんなんか俺の兄ちゃんじゃないんだからな!!」
「…はいはい」
決定的な言葉を吐き捨てているとは園児は気づかず、今度は僕の脚を離れて詩織にタックルをかました。そして携帯を取り上げようと腰の部分に手を回してピョンピョン跳ねている。ちょっと羨ましいんですけど…じゃない。一瞬あらぬ方向に飛んでいった思考を呼び戻して詩織が囮(?)になってるうちに、今度は僕が携帯をかけようとした時だった、また園児の叫ぶ声。
「ユーヤ!!」
声のする方向を見れば金色のツインテールに灰色の目が特徴のスノープリンセスがこっちに向かって走ってきていた。顔をほころばせてしゃがんでハグに備えていたら、聡の弟が前に出て来て雪姫ちゃんにギュと抱きついた。
-----僕のこの腕は、どこに行けば良い?
行き場をなくした手を見つつ、ため息をつきながら傍観していると雪姫ちゃんが暴れ始めた。
「イヤー離ちてぇ、ユーヤとギューするんだかや!!」
あ、と思った時にはもう遅くって彼女の平手打ちがベチンと頬に当たって、何ともクリティカルな音を奏でた。踞る彼なんておかまいなしに、満面の笑みで飛びついてくる。背中をポンポンと叩いてやればキャキャと笑って解放してくれた。
詩織が男児の背中を擦っているのを見ながら、女児に質問をする。
「今日お母さんは?」
「もうしゅぐ迎えにくゆと思うんだけど、まだ見当たやないの」
「そう。今の、あの男の子の名前は、なんて言うのかな?」
肩を持ってクルリと回し男の子へ視線を促せば、あの子の名前は大塚旭だと教えてくれた。やっぱり兄弟かなと思いつつ、携帯を握ればあの言葉。
「デート中に携帯出したらメーでしょ?」
「…ごめんね?」
謝れば前みたいに「仕方ないちとね」なんて腕を組んで頬を膨らませながら、電話をかけることを了承してくれた。
「詩織、こっちで聡に電話してみるから」
「ええ」
「うわー、やめろー!!」
大絶叫を聞きながらコールをすれば、やっぱり弟らしい。すぐに迎えにくると言うのでそれまで一緒にいることにする。
にしても、園児の言う言葉は面白い。いや、二人の会話が面白いのかな。
「あんなヤツのどこがいいんだ!?」
「あー、ちとのこと指指しちゃメーなのよ?」
「だってだって…。雪姫ちゃんだって俺のこと好きって言ってくれたじゃないか!!」
「もう昔の話よ」
「妊婦さんに誓ったのにか!?」
-----妊婦さん…?
「神父さんじゃないかしら」
「ああ。そうかも、マリアンヌはたまに神父さんが来てくれるみたいなんだよね」
ついつい耳を傾けては詩織と顔を見合わせてクスリとしてしまう。
なんとも微笑ましい限りだ。
その他にも旭くんは、
「今度お家でゲームしような!!」
「大人になったらお嫁さんに来てくれるって言ったじゃないか」
「俺は雪姫ちゃんだけなのに…」
と、大人顔負け(?)な言葉で猛烈アタックをかけ続ける。が、さっきみたいに「昔の話」とか「大人が良い」とか「私より背が高い人じゃなきゃ嫌だ」なんてキツくアシらわれて相手にさえしてもらえない。だんだん見てるこっちが同じ男の子としてすっごく可哀想になってきた程だ。まぁ見ている側でさえこれなのだから、小さな胸を持つ当の本人には応えたらしく涙目で睨まれた。
苦笑すると「何笑ってるんだー!!」とまた体ごと突っ込んできて、またポカポカ殴られた。
…なんか、アレだね。突進具合と言い、女の子を奪取(?)するためといい、鹿や牛の雄同士の決闘が浮かんでくるのだけど。
「痛い、痛い」となるべく拳を手の平で受け止めていると、今度は雪姫ちゃんが「ユーヤを苛めたやメー!!」なんて言って旭くんを殴り始めた。
-----ああ、さらに哀れ。
そして本日4度目の襲撃にあっているとようやく雪姫ちゃんのお母さんらしき人がやってきたようで、彼女は満面の笑みで「またね」と手を振りながら駆出して行ってしまった。
視線を落とすと、しょんぼりした様子で旭くんがポツンと一言。
「雪姫ちゃん…」
なんかね、キュンときたよ。
でも何を言ってあげていいか分からないし、僕が励ましたって「お前なんかの助言なんていらない!」なんて怒られかねない。ここは、見て見ぬフリだろう。スッと視線を反らし、前を向けば見たことのある顔。
「聡!!」
「山田先輩!!」
弟とは反対に、笑顔でこっちに駆け寄ってきた。
「旭が迷惑かけたんじゃないのか?」
「そうだね、迷惑ではなかったけど、何度か雄同士の決闘を申し込まれたかな」
「え?」
「発情期みたいだから」
笑って言えば一瞬キョトンとした後、理解したようで「好きな子いるのか?」と聞いていた。
詩織と二人で兄弟を手を振って見送る。携帯を見ればすでに時刻は16時。予定ではもうとっくに向こうに着いていたはずなのに…。予定が狂っちゃったかなと液晶画面をボーッと眺める。
と、携帯が手から抜き去られた。
「デート中に携帯見たらメーでしょ?」
親友がスノープリンセスの口真似をしてきた。笑って同じように扱う。
「ごめんね?」
「ふふ。仕方ないちとね」
切符を1枚と携帯を僕に差し出して、反対側の手で指を引いてきた。
思わず、胸が高鳴った。
改札口を二人でくぐりながら思う。
-----僕もこないだから発情期に突入したみたいです。