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溢れる水は止められない #4

 何かを考える前に唇が動いた。

 そして常套句を繰り出す。


「逃げるよ」


 彼女が頷く前、一瞬の瞬きが終わる前に、今度は脚を前に出す。

 腕が後ろに伸びて張った。少しだけ重さのあるそれを構わず引けば、すぐに軽くなって後ろでアスファルトを蹴る音がする。

 とっくに自分の限界を超えていて、体中が悲鳴を上げている。

 走る度に砂や小さな石ころが入り込んできて足の裏を突き刺す。気にせず、つま先に重心を置いてさらに加速させた。誰も僕たちのことを追って来られないように…この鼓動以上に速く、速く。

 

「はっ、ゆ…や、靴!!」


 どのくらい走ったのだろうか。不意に後ろから声がして振り向けば顔を真っ赤にした詩織。

 慣性の法則に乗っ取るようにゆっくり速度を落として、完全に脚が止まってから下を見た。

 酸素が足りなくて、脳みそに視覚情報が行くのが遅れて彼女の言葉の意味が分からなかった。でも5秒後、ようやく理解して眉をハの字にした。僕の脚には学校の上履きがくっついたまんまだった。

 苦笑して顔を上げると息を整えながらも笑う黒髪の女の子がいた。

 その顔を見て、確信的に思った。


 -----僕は詩織が好きなんだ。


 気づかない振りをしていた。一緒にいて楽しいのは、胸が高鳴るのは、彼女の破天荒ぶりと小悪魔な性格のせいなんだって。

 本当はそんなんじゃなくって、僕の本能が遺伝子が君といたいって思っていたんだ。

 誤摩化してた。自分自身を。

 溢れ返りそうになるバケツを一生懸命、乾燥させることで…。

 ゆっくり手を離しながら漆黒の瞳を取り込んだ。

 クシャリと笑う。


「マラソン、久しぶりだった?」


 一瞬驚いたような顔をして、はにかんできた。


「逃げようなんて言って走り始めるから逃避行でも始めるのかと思ったわ」

「まさか。でも、そうだね。あの二人の争いからは逃げれたかな。ね、姫?」


 人差し指を唇の前に持っていってウィンクをすると声を上げて笑い始めた。愛しい愛しい笑顔。これだけで、僕のちっぽけな心は満たされていく。

 真っ赤になり始めた空を見上げて苦笑する。


「ここまでやっておいて今更で悪いんだけど、戻ろうか。君の彼氏候補に悪いし…」


 本当に今更。

 馬鹿なことやったよなと踵を返す。

 と、詩織の冷たい指が僕の小指を掴んできた。


「まだホテルまで逃避行が残ってるの。付き合ってくれるかしら?」

「え、でも彼は…いいの?」

「いいのよ。だって、私フるつもりだったのよ? だからそれこそ今更」

「どういう…」


 眉をしかめて聞こうと思ったら詩織が先に歩き始めた。

 だから僕も追いつくようにすぐ脚を出して隣に並ぶ。


「ねぇどういうこと?」

「だから、私フるつもりだったのよ。最初から最後まで。でもなかなか言うタイミングなくって、今日まで伸ばし伸ばしにしちゃってたのよ」

「じゃあ何で毎日一緒に帰ったりなんかしたの?」

「…だから、毎日言おうと思ってたんだけどユーヤと空が私を送ってから帰っていくじゃない。一緒に帰る前に言うのもなんだし、帰りの別れ際にって思ってたのに、なかなか二人になれなくて。言えないじゃない? いくらユーヤの前だからって言える訳ないじゃない「気持ちに応えられない」なんて。私だって彼に気を使って…ちょっと笑わないでよ!!」


 謝りつつ、やっぱり耐えられなくなって、声を上げて笑った。

 だって本当に鈍いのは詩織の方じゃなくて僕の方。彼女の本当の真意を汲み取れなくって「一緒に帰りたいんだろう」「好きなんだろう」なんて考えていたのだから。

 -----あれ、じゃあ。あの顔は一体…?

 わからなくなって首を傾げていると詩織が僕の肩を押した。


「ユーヤのせいでもあるのよ、なかなか言えなかったの」

「ごめんってば」

「明日は気を使って、駅のトイレにでも行っててね」

「…それって、結局は最終的に僕は君をホテルまで送らなきゃいけないってことだよね」

「ふふ」

「早めに済ませてね」


 二人で同じタイミングで口の端を上げてから、変わらない通学路を歩く。

 長く伸びる2つの影も、繋ぐ小指とその体温も、歩く歩幅も1週間前と変わらない。

 変わったのは、履いているのが上履きだってことと本心に気づいた僕。


「そういえば、どうして逃避行を始めたの?」

「なんとなく。困ってそうだったから」


 言える訳ないから嘘をついて誤摩化した。

 詩織は「ふーん」なんて言って、それこそなんとなく納得しているように見えた。


「ま、いいわ。確かに困ってたのよ。好きでもない男達から取り合いにされても、それこそ選べないでしょ?」

「…うん」


 返事をすれば、キュッと強く小指を握りしめてきた。

 何度も何度も、毎日毎日繰り返される行為なのに、僕は毎度のこと、胸を高鳴らせてしまう。

 でも今日のは特別…。

 とりめのない、いつもと変わらない会話を繰り返しながら赤く染まった彼女の綺麗な横顔を見下ろした。

 ねぇ。もう少しこのままでいさせてよ。傍にいることを許してよ。

 好きでいるのを許してよ。

 ズルいのは分かってるけれど、罰として決して本心を口にしたりしないからさ。親友として君を一生騙し続けるからさ。だから…

 -----僕のそばにいて欲しい。






 後日の話。

 詩織は宣言通り、本当に青柳くんをフってしまった。駅の構内で。

 見てた訳じゃないけれど、きっとショックを受けただろうと推測している。だって次の日から毎日教室まで来ていたのに顔を見せなくなったから。何となくいたたまれなくなって教室まで様子を見に行こうと考えて、やっぱり止めた。なんかそれこそ、酷いような気がしたから。

 けれど、彼の方はそうは思っていなかったようで、同じクラスの柴犬こと聡から青柳くんが呼んでいると呼び出しを喰らった。

 だから放課後の屋上に向かうべく、今階段を上っている。

 金属の擦れる音を聞きながら扉を開けるとアッシュ色のウェーブした髪の毛とビックリするよな爽やかな笑顔が待っていた。


「ごめん、帰りの会が長引いちゃって」

「いいですよ。俺は1年なんで別に忙しくなんてないですから」


 相変わらず彼はオシャレボーイで腕にはポールスミソの腕時計、制服の上シャツは…もしかしてそれD&C…?

 僕が面食らっているのも別に彼は気にしていないようで、ちょっと俯き加減で話を始めた。


「詩織先輩はお元気ですか」

「うん。今日の体育はバスケだったんだけど、ハーフの線の所からドッチボール投げしてゴール決めてた」

「はは。よかったです」


 寂しそうな顔をする彼に胸が苦しくなった。

 彼は言うコトで詩織のそばにいた。僕は決して言わないコトを決意して側にいる。親友だから傍にいれる…。

 -----正反対だ。

 右手を上げれば左手が挙がる、まるで鏡のような真逆な行動に苦笑した。


「今日呼び出したのは、実は詩織先輩の話じゃないんですよね」


 てっきり、あれからの詩織の行動を心配して僕を呼びだしたのかと思っていたので正直驚いた。


「山田先輩、俺…やっぱり原点に立ち返ろうと思うんです。もともと俺は“神童”である山田先輩に憧れてこの学園に入ってきた訳なんですよね。でも、詩織先輩の方が華があって先輩への気持ち、放り投げちゃったんですよ。それで声かけたら凄く可愛い人で。だけど失恋してしまって気がつきました。やっぱり俺の気持ちは最初の所にあるんだって。華がなくたって地味そうだって、山田先輩の方が素敵なんだって思い直しました。それに、山田先輩の方がいつも不幸そうっていうか影があって、守ってあげたいなって言う気になるんですよね」


 ちょっと待って。

 さっきから話の節々がオカしいと思っているのは僕だけだろうか…?


「山田先輩、やっぱり俺、山田先輩オンリーでいこうと思います」

「ちょちょちょちょちょっと待って。何!? 僕オンリーって何!? さっきから聞いてるとなんか…え!? 君、男だよね!? 詩織のこと好きだったよね!?」

「…そうですけど?」


 何が可笑しいのかと言いたいような顔をする青柳くん。

 いやいや、いやいや、落ち着け。落ち着くんだ僕。


「えっと、あの、君、ホモじゃないよね?」

「な! 人が真剣に話してるのに、ホモだなんて言わないで下さいよ」


 はぁ。

 なんだ、僕の勘違いか。


「いや、ゴメン。なんかちょっと言動が…」

「全くホモと一緒にしないで下さいよ。俺はバイです」


 ぱーどぅん?


「…ですから、俺はバイです。両刀使いだって言ってるんですよ」


 神様、これ、絶対罰ですよね!?

 詩織をこの先も騙していくことへの。

 え?

 バツじゃない? バイだって?

 そんなシャレいらないよ!!

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