溢れる水は止められない #1
確実に高くなり始めた秋の空を仰ぐ。
入道雲だったのがいつのまにか鱗雲に変わっていた。
僕は、秋が好きだ。
気候が快適で好きだって言うのもある。けれど、それ以上に季節の匂いがするから。
朝になると少しヒンヤリとしてきたような空気に、秋晴れと言わしめる程綺麗な空。コロコロ変わる天候に、色が変わって行く木々の葉たち。枯れていく草花。寂しいって言う人もいるけれど、なくなりゆくから大切に感じられるものがある。それをヒシヒシと感じさせてくれるから僕は秋が好きだ。
ああ、あと、爽やかな気分になるのも。汗もかかないし、早起き出来たときはさらに晴れ晴れした気分になるね。
だからさ、折角の爽やかな朝に彼とはバッタリなんてあんまりしたくはない。別に嫌いじゃないし、むしろノリも良くて好きな方だし、見た目は爽やかでカッコいいけれど、一緒にいると大抵雲行きも話す内容も妖しい方向に行くんだもの。それがスリルだというのならば、僕はいらない、静かに暮らしたい。
「…おはよ」
「おはよ」
まぁ仕方ないんだけどね。来る方向が一緒だし、行く場所も一緒ならばそりゃ月に1回くらいはこうやって会っちゃうよね。でも、やっぱりもう少し離れて歩こうか。
「田畑くん、近過ぎ。委員長来るから」
「…それより大切な話があるからこうやって隣にいるんだろ?」
わかってないと肩をすくめながら横目で睨んでくる。
あんまり良い予感はしないけれど、そういうのならば聞こう。君とは真面目な話なんてしたことないけどね。
「山田くんはさぁ国立受けるってことは最後まで受験する組だよな」
-----おお!? まともな話だ。
「うん。1次が受からなきゃ2次もしなきゃだから、卒業ギリギリまでかな」
「そうか。末長は終わったんだっけ?」
「先日合格通知が着てね、1抜けなんじゃない?」
「おー。ま、アイツは良いんだよ。問題は山田くんだからな」
「は? 何? 卒業式くらいに何かまた飲み会でもするの?」
聞くと僕より1歩前に脚を出してニヤニヤしながら覗き込んできた。
はぁ、イヤな予感。
末長にしても田畑くんにしても、こういう顔をする時って大概変なこと口走る前なんだよね。ほら、早く言いなよ。女子がいる前じゃどうせ話せないようなことなんだから。
悟っているのを理解しているのかどうかは定かではないが、一瞬周りを見渡して僕の肩に腕を回してきた。そして声を潜める。
「詩織嬢とはもうヤッたか?」
「!?」
「その様子じゃやっぱりまだか…」
真っ赤になって体を起こそうとしたら、グイッと引き寄せられた。
まだか…もクソもない! 僕らはそういう関係じゃないのだからそういうことになること事態がオカしいの! はぁ、でも何度皆に言っても、あの修学旅行とロリンの事件から僕らは家族以外からも公認になってしまっていて、否定しても否定しても「またまた」「照れるな」って信じてもらえない。むしろ僕が否定する方がオカしいみたいになっている。何かを言えば皆自分たちの良いように解釈するし。全く、僕にカノジョが出来ないのは僕だけのせいじゃない気がするのは、気のせいではない!! と思っているんだけど、どうかな。
そんなことを考えているとは露知らず、彼は続ける。
「山田くん、大切にするのは良いけどそろそろやることやっとかないと…今から本格的に受験なんだから。我慢出来なくなった時には遅いんだからな。詩織嬢も待ってると思うぞ?」
待ってないと思うよ? 絶対、確実に。
「そんな怖い顔するなよ。今日ばかりは俺が正論だからな。いいか? 受験中っていうのは精神的に皆不安定だから、心が揺らぎやすいんだよ。そこにつけ込んでくる男だって少なくないし、卒業したらバラバラだろ? 遠距離は浮気される確率高いからな。そろそろちゃんと、自分のものだと相手にも他人にも口以外でわからせてやらないと…ヤる前に他のヤツに持ってかれるぞ? それでなくてもあの顔なんだから。マジ、あの子が浮気しないっていうだけでも凄いことなんだからな」
-----詩織が恋愛する気ないからね。
朝からわざわざ話を聞いてみればそんなこと。はーあ、いらない情報脳みそに入れちゃった。
げんなりして腕を振り払う。
「…ま、遅かれ早かれ分かる時が来るから。後悔しても知らないからな。俺は忠告はした」
「はいはい」
話が終わった5秒後、詩織から肩を叩かれた。二人で飛び上がった。
お昼の時間になってグループで僕以外が購買に行くというのでコーヒーを頼んで一人寂しく机に座っていると、急に窓の外からサーという音がし始めて、誰かが「雨だ」と呟いた。
見てみれば、本当に空から雫が降ってきていた。
朝はあんなに天気がよかったというのに…さすが女心と秋の空、変わりやすいね。
水にちなんで少し、持論を展開しても良いだろうか。
僕が思うに人の感情の起伏は様々で、怒るとか笑うとか泣くとかそういう全ての情操って各々が心の中に持っている桶やバケツみたいな容れ物なんだと思う。その大きさは人それぞれ、喜怒哀楽でも大きさはそれぞれで、その感情が出てくるというのはその容器がいっぱいで貯めきれなくなったから出てくるものなんだと思う。さらに言うのならば桶やバケツに堪るのは水みたいなもので、入れ方も一人一人違うと思う。そうだな、例に挙げるなら、詩織の怒る桶。あれは普段、悪口を言ってもほとんど溢れることはない。きっと頭にはきているんだろうけど、その蛇口はあまり開いていなくてポツン、ポツンとしか入っていかなくって…だから怒るという感情が表れる前に桶の中の水は蒸発してなくなるから怒ることはない。けれど“美人”と自分に投げかけられた瞬間は、多分、蛇口は全開。壊れるんじゃないかって程水が出てきて「あ」と言う間に桶から水が臨界点を突破、溢れた瞬間キレる。
さっきも女心と秋の空だなんて言ったけれど、きっと女の人の桶は男のそれより小さくて、溢れやすいから移り変わりやすいのだと思う。まぁ男の人もそう言う人いるけどさ。
なんて、語ってみたけれど時間は過ぎない。
同じ調子で秒針は刻まれるだけで、僕は未だ待たされている。ええ「待て」と言われた子犬のように、そわそわと忙しないです。すごーくお腹はすいているけれど、子どもじゃないのだから待つ。けど、けど、遅くない? もう皆が旅立って20分は過ぎているんだよ? そんなに購買は混んでいるのだろうか。それとも何? 皆僕のことを忘れてどこかでもう食べちゃってるとか? 酷い、酷いよ。
僕のお腹の感情だってもう少しで溢れ出しそうだ。決壊して、待てずに食べちゃうよ?
と、ピクリと僕の耳が反応した。
-----詩織の声だ!!
多分、シッポがあれば振っている。
廊下側を見るとドアが開いて詩織が見えた。目が合うとにこりとされた。手を前に差し出せばコントロールよく、僕にコーヒー入りの缶を投げてくる。1歩も動くことなく、腕さえ動かすことなく、手の平に缶がゴールインした。
ナイスコントロール! と口を開こうとしたら、その前に反対側にある教室のドアがガラリと開いた。
目線をそちらに向けると、そこには田畑くんもビックリな爽やか系男の子がいた。
髪はどっちかっていうとアッシュ系のブラウンで少し長めのをゆるくウェーブしている。背の高さは多分、僕や田畑くんと変わらないくらい大きくて、その背と顔からはブルーのエンブレムが指し示す年齢より幾分か歳が上に見える。腕にはポールスミソの今年最新の腕時計(僕もそれ欲しかった)、多分だけど…白シャツは制服じゃないね。ラルフか何かのシャツだと思うんだけど…まぁ言うなれば校則を無視してでもオシャレを楽しみたいオシャレ系男子だ。
レッドのエンブレムではない…1年生が、何の遠慮もなしにツカツカと室内へ入ってきて、まずは詩織の腕をとる。呆気にとられている僕たちを他所に、彼は彼女を引っ張ってきて、ピタリと僕の前で足を止めた。
そして一言。
「俺に詩織先輩を下さい」
ムンクの叫びよろしく、皆で絶叫した。