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小さな呼び水 #2

 この前、僕は姉さんに言った。

 詩織のしたいように動いて、遠くに行きたいと思うのならそれでも構わないと。行く末を案じるだけなのだと。

 この前、姉さんは僕に言った。

 詩織ちゃんがどこか遠くに行っても平気なのかと。僕には想像力が足りないのだと。


 そんなことない。


 僕は自分なりにしっかり考えて、本気でそう思ってた。

 彼女がどこへ行こうとも、僕らは親友で誰にも負けない信頼関係を築いている…だから、遠くに行ってしまっても平気なのだと。

 でもそれは、僕の頭のどこかでいつも「僕と詩織はそばを離れることはないだろう」なんて考えていたから。奢りなんかじゃなく、確証もなく、漠然と、何の根拠もなく、意識さえすることもなく、ただただ深層心理の中にひっそりと甘い考えを持っていたから。だから、そんなことを平気で言えてしまったのだと、今、思い知らされた。そしてやっぱり姉さんの言う通り、僕は理系でヘタレで想像力の欠片も持ち合わせていないちっぽけな男なのだと言うコトを改めて理解した。


 こみ上げてくる感情に毛が逆立ち、操ることも出来ない瞳孔が開く。

 激しく脈打つ心臓を僕は止められない。

 体はアドレナリン注射を打たれたかのように興奮状態に陥っているというのに、精神が付いていかず力が入らない。スルリと手から参考書が抜け落ちた。

 太い本が落ち、独りでにページが捲れ上がっていく。サーという、ノイズとも取れるBGMを背景に僕と詩織の目が合った。


「落としたわよ、拾わないの?」

「今拾うトコ」


 ゆっくり目線を外しながら床に散らばった私物を拾い集める。

 ついでに落として散らばってしまった自分の心も拾おうと思ったけど、見えなかった。

 気配がして顔を上げると、廊下側の窓格子に両肘を付いて頬杖しながら僕を笑って見下ろしている親友がいた。何かを言おうと思ったら先手は向こう。


「今ね、大学のパンフレット見てたの」

「うん」

「第一志望にしようかと思うの。ほら、F私立女子大ってね全寮制でね、女の子しかいないってことはキレる心配が少なくなるじゃない? それに校舎も寮も去年立て替えられたみたいですごっく綺麗なの。見て? なんだかお姫様やお嬢様が住むような場所じゃない?」


 コロコロと笑う笑顔は天使そのもの。

 見せられた内装はその顔かたちに似合う、本当に綺麗なものだった。白い建物に、細工の施してある機械仕掛けの時計、大きな噴水と、薔薇の庭園。もしかしたらメルヘン好きな親友は行きたい学科がなくてもここを志望するのではないか…そう思える程、美しい大学だった。

 晴れた日の夜空のような目で顔を覗き込んでくる。


「いいんじゃない?」

「でしょ? ちょっと遠いけど休みの時には帰って来れない距離じゃないもの」


 -----そうかな…?

 下道をバイクで6時間、高速を使って4時間、新幹線を使って2時間。休みの日に日帰り出来ない距離ではないけれど“ちょっと遠い”…ではないと思う。けれどそんなこと言えるはずもなく、にっこり笑って「見ていい?」とパンフレットを受け取る。

 -----4年制の大学だ。

 司書希望だから短大かもだなんて淡い期待を持っていたのに、すぐに砕けた。分かってたよ、だって大学名に“短期”なんて一言も付いてなかったもの。


 ゆっくり立ち上がって捲る。

 パンフには本当に女の人ばっかりしか載っていなくて、数人の先生だけが男の人のようだ。

 地図上ではF県の小さな街の上の方。街までは無料の送迎バスが着いていて、休日や平日にも買い物をしに行くことも出来るようだ。寮の門限は夜9時。夏休み等の長期の休みの間は寮に残っても良いし、実家に帰っても良い…。

 -----でも、詩織には家がないから。

 こっちに帰って来ないかも知れない。今使っているホテルは彼女が大学に入ると同時に詩織の家ではなくなる。お兄さんも日本と外国を行ったり来たりで特定の住所を自分では所有していない(入っている所属事務所のマンションが住所になってます)。

 聞きたい。4年間の間に本当に帰ってくるのかと。

 言いたい。長期休暇の時に帰る場所がないのならば、僕の実家に遊びにくれば良いと。

 今にも飛び出しそうな言葉を下唇を噛み、耐える。

 …替わりに茶化さないと、早く。早く。


「僕もここ行っていい?」

「ふふ。スカートでも履いて行くつもり?」

「ううん、普通にハーレム作りに行きたい」

「普通にって意味分からないわよ!」


 あははと笑いながら、バシっと肩を叩いてきた。今は、この痛みさえ貴重に思えてくる。

 声を出して笑って「帰ろう」と言えば大きく頷いてくれた。

 詩織と僕に残された時間はあと何時間? 一緒に帰れる回数はあと何回? この笑顔に癒されるのはあと…。


 まだ、かなり日没まで時間があるのをいいことに、詩織にアイスを奢って引き止めた。そうこうしていると、僕の携帯が鳴る。


『末長?』

『聞け!! 受かった!!』

『嘘!? 本当に?』

『嘘言ってどうするんだよ。本当だ』

『おめでとう。あ、ちょっと待って。今詩織も一緒にいるから…』


 詩織に末長が希望の大学に合格したことを伝え、おめでとうメッセージを伝えるように携帯を渡した。

 喜色満面で親友に祝福の言葉を発している。

 …僕は、彼女が第一志望の大学に受かった時に、あんな風に素直に一緒になって喜んであげられるだろうか? 突然不安になった。

 言えるだろうことは分かっている。一緒に喜ぶことだって出来る。けれど、今、親友を讃えるように心から「おめでとう」と本心から言って、幸せを共有出来るだろうか。できることならば、2倍になるように喜び合いたい…。

 少し水分を帯びてきたアイスクリームを見つつ、決して言葉には出してはいけない文字の羅列を心の中で響かせる。

 -----詩織は、僕と離れても平気なの?


「…や、ユーヤ」

「あ。ごめん」

「もう。こっちで切っちゃったから」


 いつの間にか末長と話し終わっていたみたいで、すでに半分に閉じられた携帯を机の上でスライドさせてきた。

 拾い上げてポケットに導く。

 なんだか自分が後ろめたいことを考えている気分になって、いつもなら目を見て「ありがとう」と言えるのに、それさえも出来ずにお礼だけ言って窓の外に目をやった。行き交う人々の影は長く、たまに僕の視界の色をワントーン落として行く。

 頬杖付いて何人目の人が通り過ぎただろうか、詩織が大きくため息をついた。

 顔を向けることはせず、聞く。


「どうしたの?」

「…末永くんも神無月ちゃんもユーヤも、3人とも志望大学近いでしょ? あ、末永くんはもう志望じゃないけど。私だけ遠くに行くなんて、やっぱり寂しいじゃない?」


 チラリと向かい側を盗み見れば、あれからアイスが掬われた様子はなく、詩織の綺麗な顔はオレンジ色に染まっていた。その顔は、なんだか今にも泣きそうで…。

 僕はやっぱり、ヘタレで想像力のない大馬鹿野郎なんだと思った。

 平気な訳ないじゃないか。

 願って願って毎年桜に願う程恋い焦がれて、ようやく手に入れた友人達を手放すなんて詩織が平気な訳がない。どうして僕は一瞬でも「平気なの?」なんて思ってしまったのだろう。友を欲しがっていたことを地球上の誰よりも僕が分かっていたつもりだったのに。一体、何を考えていたのだろう?


 詩織だって寂しい。

 クラスメイトの皆だって寂しい。

 僕だって寂しい。

 そんな当たり前のこと、分かっていたくせにどうして僕は…。

 キュと一文字に唇を結んでからゆっくり口の端を上げる。


「3人で遊びに行くよ。詩織もたまには来たら? その時は神無月さんの家に泊まってさ、4人で遊べばいい。もちろん、夏休みや冬休みの長期休暇は委員長や坂東も帰ってくるはずだから6人で…そうだな、委員長の家にでも行こうか」


 慰めてる訳じゃない。

 これは約束。そして、彼女の笑顔を引き出す為の行為。


「そう…そうね!」


 笑顔が弾けた。

 目を細めて人差し指を出す。


「アイス、溶けちゃうよ?」

「ああ!!」


 パクパクと嬉しそうに食べる親友を眺めながら、僕は自然と笑みが零れていた。


 そしてようやく僕は悟った。

 離れるのは寂しい。けれどやっぱりそれは止められなくって、でも、止めなくていいんだって。

 残りの時間も、一緒に家路に付く回数もきっちり決まっている…

 だけど、一番大切な親友の笑顔は僕次第で、際限なく100回でも1000回でも1万回でも引き出すことが出来るのだと。



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