だったらしちゃいけない!
お昼前。
2度寝を楽しんでしまったため、顔を洗っているとインターフォンがなった。
一度返事をして、きっちり顔を拭いてから覗き穴を覗いた。けれど、そこに姿は映っていない。
単なるイタズラか、それともイタズラ好きな親友達の仕業か…後者の方が確率が高い。というか、基本後者しかいない。
-----詩織かな。
ジェリーを近々取りに来ると言う話をしていたのを思い出し、鍵とチェーンを解放してゆっくりドアを開いた。
夏だと言うのに冷たい汗が背中を伝い、喉をごくりと鳴らした。視線はどこを見ている訳ではなく、何となく前を向いているだけ。そしてその視界の端には僕がこの世で最も怖いと思う女性、姉の美嘉子が「おはよう、裕くん」なんて言いながら笑顔で立っていた。
「あ、おはようございます」
迫力に押され、ついついしなくても良い敬語を使い、無意識のうちに体が彼女をエスコートし始めた。が、靴を脱いだ瞬間、二の腕が摘まれた。
「出迎えるのが遅いのよ」
「顔洗ってぇ…はい、すみません」
睨みと共に鋭い痛みが肌を襲ったので、すぐさま反論を諦める。
パッと離される腕に安堵を覚えながら口を開く。
「何しにきたの?」
そう、来るなんて連絡は貰っていないし、僕は夏休みに帰るだなんて一言も言っていない、だいたい今日は8月末、姉さんだってそこはわかっているハズだ。だから尚更ここに来た理由が分からない。彼女が意味もなく行動するのは旅行の時くらいなのに…。
すると姉さんは女神さえもビックリするような微笑みを落としながら部屋の中心に立った。
「家庭訪問よ」
言っている意味がわからなくって「は?」なんて間抜けな声が出た。
えっと、家庭訪問ってさ、学校の教師や職員が生徒の家庭環境を理解する為に家を訪問することなんじゃなかったっけ? なぜ家族である姉さんからそんなことされなくちゃいけないのか。
明らかに僕が変な顔をしていたのだろう、顔をしかめて彼女は続ける。
「馬鹿ね。家に、詩織ちゃん以外の女の痕跡がないか調べにきたのよ」
「あるわけないじゃない!?」
だいたい、詩織の痕跡があるのもオカしいと言って欲しい。一人暮らしの弟の家に女の子の形跡があるだなんて、普通なら「ちょっと歳を考えなさい」とか「相手の子のことは考えたの?」なんて言うものなんじゃない? そもそも詩織は僕のカノジョじゃないって何度抗議した? いい加減そっちの方に理解を示してよ!! それに…
「僕たちがそういう関係にならなくてもいいじゃない。その…KENさんとさ…」
「馬鹿ね。もしアイツと最終的にそういうことになったとしても、離婚っていうこともありえるのよ? だいたい、最後まで行くかどうかなんてまだわからないじゃないの」
い、言われてみれば確かにそうだけど。
カップルになっちゃえば イコール 結婚 イコール 終着駅だなんて幻想を見ている訳じゃないけれど、なんとなくそういう期待を持ってしまっているのは僕がまだ子どもな証拠なのかな? って、問題はそこじゃないだろ。危ない、危ない。危うく流されてしまう所だった。
「保険をかけるのも、僕達を引っ付けようとするのも止めて…って、ちょっと!!」
すでに押し入れの中を物色し始めた姉さん。そこはダメぇ!! いくら血が繋がっていようとそこだけはアウト、男の園です!!
真っ赤になってガッと腕を掴んでそれ以上の侵入を阻止する。
「そ、それ以上は!!」
冷ややかな目が僕を見上げる。でもさすがは22歳、彼氏の経験もちゃんとある姉さんは詩織とは違って察してくれたようでため息を吐きながら「ブラックボックスはここだけ?」と言ってくれた。ブンブン頭を上下に振ると押し入れをゆっくり閉めてくれ、いや閉めて頂きました。本気で油汗かきました…僕。まだね、『デラ☆いい女』と『セーラー服は脱がしちゃイヤ☆』はいいと思うんだ。けど『いけない団地新妻』はヤバいと思う。今以上に白い目で見られるね。ああ、でもセーラーも危ない。「詩織ちゃんがいるじゃない!」なんてことになりかねない…。
安堵のため息をついていると頭に何かがぶつかった。
「それは!?」
「これはクラスの女子皆から貰ったの」
パフパフとピンク色のクッションを軽く叩きながら言うと眉毛をピクリと上げて僕の目を見てくる。本当かどうかを確かめているようだ。30秒…1ぷ…た、耐えられない。
目を泳がせた。
「まぁ、いいわ。間違いはないみたいだし」
ホッを胸を撫で下ろしている間にも彼女はCDラックを見たり、本棚を見たりしていた。aMaMを見つけると微笑して「馬鹿ね」なんて聞こえないように呟いていた。…こういうトコロを見ちゃうから僕は姉さんを憎みきれないんだよね。
って、そっちもですか!?
部屋は見終わったのではないだろうけれど、今度はキッチンに置いてある食器棚の方へ手を伸ばしている。
「そんなとこ見たって仕方ないよ?」
「馬鹿ね、こういうところにこそあるんじゃない。お揃いのマグカップが!!」
-----姉さんの彼氏って絶対大変。
僕は兄弟でよかったなと、騙される心配がなくてよかったなと心底思った。
その後も僕の部屋をひたすら詮索し続ける姉さんの為に、紅茶を煎れる。っていうか、詮索するだけなら良いけど、散らかさないで欲しい。どうせ片付けるのは僕なんだよ? チラリと悪態がかすめたが、言った所で殴られるだけ。黙って様子を伺う。
「レモンないけど良い?」
「いいわよ。あら、ピアッサー」
「詩織がね、一つだけしか開けなかったんだよ。いつか開けるから預かっておいてって」
生返事を返してまた机の中をガザガザしている。
氷をグラスに目一杯入れて色の変わったお湯を注げば、個体になっていたそれが一気に溶け出しひび割れるような音を出しながら丸みを帯びていく。7分目になったところで一旦入れるのを止め、マドラーでゆっくり回してた。
そしてもう一度部屋で未だ刑事のようにガサ入れをしている実姉を見る。
-----何も出て来ないけど?
本当に誰ともそう言う関係じゃないのだから出てくるはずはない。やるだけ無駄ってヤツだ。
「姉さん、紅茶。ゴメンね、フレーバーティなんて買ってないから…」
彼女の好きなのはバニラやアップル、ピーチなど紅茶に匂いがついているものなんだけど…、まぁそれこそカノジョなんていないから、そんなもの買う訳もなく、あるのは両親が送ってきたアールグレイだけ。テーブルに置くと真意は掴めないがにんまり笑ってグラスを掴んできた。
------ああ、何もなかったからお咎めなしの笑顔かな?
限りなく透明に近く、しかし濃いオレンジ色の紅茶を口に含む。
「で、詩織ちゃんとはキスくらいしたんでしょうね?」
危うく紅茶で鼻うがいをする所だった。
「げほ、ん…。はぁ、姉さん僕100回は言った気がするんだけど」
「ええ。私も100回は聞いた気がするわ」
「なら応えは同じだってコト分かるよね」
互いに似た目を見つめ合う。
先に反らすのは決まって僕、ほら、そろそろ耐えられなく…って、え!? 珍しく姉さんが先に、顔を背けた。
狼狽えた。こんなこと、人生で数回した見たことない。
「酷い、こんなに、こんなにお姉ちゃんが詩織ちゃんが良いって言ってるのに」
やっぱりそれに行く訳ね。
驚いて損した…演技じゃないか。
「だから姉さん。詩織のことも考えて」
「考えてるわよ! まず姑問題…これはうちに来れば絶対にあり得ないわ! これは人生においてとっても大切なことなのよ!? とくに、嫁に行く人にとったら。これで失敗すると離婚率はかなり上昇よ!」
た、確かにそうだけど。さらに続ける。
「次に、詩織ちゃん程の美人、…うでしょ? …ユーヤは医者になるって言うし、不自由はきっとさせないわ」
「次に…!!」
ひたすら持論を繰り返す姉さん。熱くなり過ぎてて僕が聞いていないことさえすでに気がついてない。
でもたまに聞いておかないと、あとで「聞いてるの!?」なんて急に降られたら困るしね。たまに言葉を拾う。
「…だから、ユーヤにはもったいないとは思うけど、ユーヤの幸せの為なのよ!……」
「詩織ちゃんだって……でしょ!? 悔しくないの!? ねぇユーヤ!?」
話が振られた瞬間にインターフォンが鳴った。
ようやく解放される心の中でほくそ笑みつつ顔には微塵も出さず、断りを入れて玄関のドアを開いた。扉の向こうにはお馴染み柴犬こと聡の姿。
「あの、すっかり忘れてたんだけど。これ」
何かを握っているようなので手の平を上に向けて差し出すと、1つのキーが落ちてきた。そういえば、僕もすっかり忘れていた。返してもらってなかったっけ?
お礼を言いつつ顔を見ると、紅潮した聡の顔。そして「あ、あ、ありがとうございました」と深々とお辞儀をしながら顔を真っ赤にしつつ走って行ってしまった。クエスチョンマークを飛ばして首を傾げていると、耳元で声。
「裕くん?」
「ひっ」
ギギギとゆっくり首だけ動かすと、世にも恐ろしい満面の笑み。
-----死ぬ!!
「貴方、詩織ちゃんに興味を示さないってオカしいと思ってたら!!」
「違っ」
「じゃあ何? あの子には合鍵渡して詩織ちゃんには渡してないなんて!!」
「だって…」
「だってもクソもないわよ!! ユーヤはホモなの!? 誤解するわよ!?」
「やめ…」
「じゃあ、どうして何で詩織ちゃんに手を出さないのよ!!」
「友達だか…」
「さっさと卒業しなさいよ!!」
「そんなの姉さんの決めることじゃ…」
「問答無用!! 恋愛は早い者勝ちなのよ!?」
詩織以上にキレやすい姉さんの蹴りが炸裂して、僕は…危うく子孫が残せない体になる所だった。
そういうこと考えてるなら、お願いだから種無しにはしないで…げふ。