真実は一つだけど、正解は一つじゃない
それは些細なことだった。
集中してたから聞こえなかっただけで、別に無視をした訳なんかじゃない。そんなのは長い(?)付き合い、わかっていたはず。
それでも、許せないことがあったのならば口ではっきり言えばいい。今更言えないことなんて何もないのだから。僕は君のことを大概信じていて、まぁ言えないようなこと以外はちゃんと話してる。君だってそうだ。お互いの信頼関係は十分成り立っていて、それでいて僕らにしか知らない秘密も共有している。なのに、この仕打ち。
ねぇ…喧嘩売ってる?
「どうしたの?」
「いや、なんでもないよ」
束になった紙をクシャリと潰しながら応えた。
カタリという音がしたから玄関までわざわざ行ってみたら、20枚程のA4サイズの紙が落ちていた。それは全て同じものが印刷されていて、内容は…ピンクチラシだった。
こんなの指紋なんてとらなくたって誰がするかなんて分かってる。親友、末長だ。
最近、彼の奇行が日を増して酷くなってきているのだ。なぜか? 実はもうすぐ彼はAO試験を受けるだとかでストレスが堪っているらしく、僕が授業中にちょっと声を発するのが遅かったからってニヤニヤしながら何も言わず、僕のシャーペンを振りまくって中の芯をボキボキにした。それから彼はちょくちょくこうやって僕にイタズラ(ほぼ嫌がらせ)をするようになってきた。もう5日、怒っているのかとさえ思ってしまうよ。僕は別に良いけどさ、君の気がそれで晴れるなら。けど、詩織がいる時にこれは止めて…。
メールを打つ。
<馬鹿なことばっかりやってないで、勉強しなよ>
<勉強の合間に行ったんだ>
キー。
僕がアデージョなら確実にハンカチ噛んでるね。
<試験終わるまでだからね、イタズラ容認するの>
なんて送信しつつも「絶対半分喧嘩売ってきてるよね?」と確信めいている僕は、題名にこっそり<あんまり酷いと神無月さんにDVDの在処を言うよ>と書いておいた。それを知ってか知らずか彼の応えは、
<あと3日の辛抱だ>
確実にあと3日は愚行を繰り返すという内容を送信してきた。
この5日間、チマチマとしたイタズラをお互いにやったりやられたりしている。昨日は朝から大量のハートマークメール(20通)が送られてきた。だから深夜、子どもの名探偵が言った過去のクサい台詞をつらつらと送信してやった。一昨日は僕の家に急に上がり込んできたと思ったら、本の中身と表紙をメチャメチャに入れ替えられていた。だから彼が帰る前に鞄の中にaMaMの付録、半裸の男の写真集を忍ばせておいた。とまぁ、言い出したらキリがないくらいやったりやられたり。
で、今日の分がこのピンクチラシらしい。仕返し出来ないのがちょっと悔しいけど、試験前と言うことで大目に見よう。それに今日は…
「おはよー!! キャー詩織っちぃ」
このハイテンションなお調子者で末長のカノジョ、神無月さんと詩織と僕の3人でお出掛けするしね。
ドアを押さえながら「おはよ」とお互いに挨拶を交わした。
何をしにいくかって? 実は献血に行きたいらしい。なんでも彼女の将来の夢は福祉関係か保育関係なんだとか。だから出来る限りボランティアを夏休みの土日に、しておきたいのだそう。まぁ経歴を聞いたら他にも色々やってるし、いいんじゃなかと思うんだけど誘われちゃったものは仕方ない。
携帯をポケットに入れて詩織と出ようとした時だった。神無月さんがなぜか僕の家に脚を踏み入れ、
「く、くぅ〜。重力が! 酸素が薄い!!」
なんて言い始めた。
顔をしかめて何かと聞くと、また1歩玄関の外に脚を出しながら出れば分かると言われた。
笑った。
ネームプレートの所に(精神と時間の部屋)なんて書いてあるんだもの。僕の部屋はドラゴンソウルの神様の家じゃない。挟んであった紙を抜き去り、ピンクチラシと同様ゴミ箱にポイと投げ入れた。
献血ルームがある病院に歩いて行きながら話す。もちろん内容は血液型。
「神無月さんは何型?」
「私O型!!」
血液型占いは何も根拠がないけれど、そう言われるとO型ぽいような気がする。
すると詩織が今度は僕に何型かを聞いてきた。
「僕はAB型」
「わかる〜2面生あるもんね! 一般市民のふりをしたどS!!」
-----せめて“ど”をつけるのは止めてよ。
裏表なんてない、あるのは少しのSっ気とイタズラ心だけだ。君の彼氏の方がどSだよ?
チロリと睨んだけど神無月さんは最近慣れたのか、僕の表情なんておかまいなしに詩織に話を振った。
「詩織っちは?」
「私、実は検査したことないから分からないのよね」
「そうなんだ。じゃあお父さんとかは?」
「お父さんはO型だって聞いたことあるわ。神無月さんのトコロは?」
キャッキャと家族の血液型の話をしたり、もしB型だったら? 同じO型だったら? なんてハシャイでいる。今から血を採られるって言うのに。呑気過ぎる…。
こんなこと男なんだから告白するのは恥ずかしいが、僕は小さい頃から注射が苦手だ。まぁ得意っていう人はあんまり聞いたことないんだけど。あれは当時僕が4歳で血液検査か何かだったと思う。怖くてギャンギャン泣いていたんだけど、父さんに「泣かずに出来たら好きなオモチャを買ってやろう」と甘い誘惑をされて僕は大人しく腕を突き出した。てっきり父さんが打ってくれるのだと思っていたんだけど、そこは4月の大学病院。研修医の実習だと言わんばかりに若いお兄さんが出てきて「は〜い」なんて言いつつ僕の腕を掴んできた。今思えばあれが僕の運の悪さの始まりだったのかも知れない。下手だったのかそれとも僕の血管が細かったのかは知らないけれど、なかなか血管にぶち当たらず、5回も針を刺された。最後の方にはグッタリして、ベッドの上でぼんやりと白い天井を眺めながら刺された記憶がある。そんなだから、僕は注射どころか痛いのも苦手になってしまった…。
献血ルームのドアを目の前にした瞬間、当時の注射針が刺さった瞬間を思い出し、ゾワっと身震いしながら今更後悔した。
後悔したけど、やっぱり来てよかったと思った。
だって目の前は白衣の天使。僕らを見てにっこり笑って「こちらへどうぞ」と導いてくれるんだもの。ナースさんって、ちょっと憧れちゃうよね。一体何をしにきたのかと突っ込まれそうだけど、いいじゃないか。僕の貴重な血を献血するのだ、少し位楽しいことがあったって。
-----僕、このお姉さんなら我慢出来るよ!!
よしと気合いを入れて、献血をするために腕を出す。情けないけど深呼吸。と、お姉さんがまずは詩織をチクっとし始めた。まだかな〜なんて思ってたら、僕の前にはちょっとカバに似たおばさまナース…。え? なんて思った時にはもう遅くって、あっと言う間に駆血帯を巻かれてブスっと刺されちゃった。…なんだか弄ばれた気分なんですけど…お姉さん、酷い。くすん。
休憩室で不貞腐れてジュースを2本、飲んでやった。
しばらく談笑していると献血カードを持ったお兄さんが順番に名前を呼んでくれた。なんだろ、この達成感。賞状を貰ってる気分なのは僕だけ? 受け取り、3人で見合いっこする。どうせ違うのは名前と血液型のところくらいなのに、打たれて逆にテンションが上がったのかも知れない。
-----神無月さんはO+かぁ。
詩織に回すと、今度は彼女の献血カード。
-----詩織はAB+ね。
理解した瞬間、血を抜いたばかりだと言うのに僕の脳は活性化、目紛しく電気信号を走らせ始めた。
「え!?」
思わず声が出た。
「何?」
「いや、ニシムラに見えちゃったから」
笑って取り繕った。
そう、驚いたのはこんな場所じゃない。僕は、詩織の血液型自体に驚いたのだ。
彼女は文系で生物を選択していないから、事実に気がついていないのかも知れないけど…もしくは事実を知っているからこの結果に表情を変えていないのかも知れないけど…この結果には大変な事実が隠されている…。
「私ABだったのね」なんて神無月さんと笑って血液型占いの本を買いに行く話を進めている後ろ頭を見つめた。
-----詩織は、お兄さんと血が繋がってない…。
どういうことか、まずは血液型の遺伝について簡単に説明をしよう。人間の血液型はABO式でいくとA、B、O、ABに分類される。で、お父さんとお母さんから1つずつその血液型を貰う。つまり僕らは2つ、血液型に関する遺伝子を持っているのだ。それはA型の人でも遺伝子型レベルでいくとAO型とAA型に分類することが出来る。AとBが優勢なのでAOとBOはそれぞれA型、B型に分類、O型はOOのみ、AB型はABのみ。こんな感じだ。
さぁ、ここからが本題。詩織の血液型はABだ。そしてお父さんの血液型はO型=OOの遺伝子を持っていることになる。わかるかな? つまり、お父さんにはAもBも遺伝子型が存在していないってことだ。言い換えれば、詩織にはお父さんの遺伝子であるO型が入っていないと言うことになる。そう、詩織はKENさんどころか、お父さんとも血が繋がっていないと言うことになる。お兄さんと詩織は腹違いでもないってことだ。
-----僕は…とんでもないコトに気がついてしまったんじゃないのか?
「ユーヤ、ユーヤ!」
「何ボーッとしてんの。早く行こう?」
占いの本を僕の家で見るという確約を取り付けながら僕より小さな歩幅で歩く、その綺麗すぎる横顔を盗み見た。
蝉の声が妙に五月蝿く感じ、なのに泣き止んで辺りが静かになると鼓膜が寂しさを覚える。
何も考えることが出来なくって本屋ではレジ周辺でボーッと突っ立っていることしか出来なかった。ほどなくして買い物を済ませた女の子2人に引っ張られるように店を出る。
「さっきからボーッとして、どうしたのよ」
「…血を抜かれ過ぎたのかも」
適当なことを言って誤摩化す。
声を発したことでようやく脳みそが正常に戻ってきた。そして考える。この事実をお兄さんに言うべきか、言わざるべきか。
-----止めておこう。
言って何になるって言うのか、この問題はこれから替えることが出来るようなものではない。それにお兄さんの中ではきっと、どっちでもよくって「だからどうした。血が繋がってなくたって詩織は俺の妹だ」なんて言うね、きっと。僕だって見たこともない詩織のお父さんと血縁関係かどうかなんて、どうだっていい。詩織が詩織のままであればそれで良いと思う。
彼女を形成しているものは遺伝子だけじゃない。
家族との思い出、辛い過去、お兄さんとのケンカ、キレること、僕との出会い…今、僕がこうやって思考を巡らせているこの一瞬でさえ、彼女は世界に支えられて形成され続けている。
それは、遺伝子なんかじゃなくって心というまた別の場所に保管されていく。
遺伝子なんて、僕らの肉体と行動理念を作り出す先天的なもの。AとかGとかCとかTとか…そんな塩基配列。今の化学なら、ただの記号に置き換えることさえ出来る肉体の情報だ。
言葉には出せなくて、形には決して出来ないものこそ大切なんだって、そう思う。
そう、彼女が何者であるかなんてどうだっていい。
KENさんの妹で、僕の親友であるという事実さえあればそれでいい。形には決して現れることのない、このhuman relationsがあれば、それだけで僕らは生きていけるハズ。
上からも下からも突き上げてくるような暑さの中、せめてと、僕の体で小さな影を作った。抜けるような白い肌が色のトーンを変え、少しだけ青白く見えた。
視線を伸ばせば、親友の隣には僕の親友のカノジョが熱そうにパタパタと服を仰いでいる。
…ほら、1%にも満たない程の違いしかない僕らの塩基配列なんかより、僕らが紡ぎだしてきたケイケンのほうがずっと面白い。親友の隣に、これまた違う親友のカノジョが一緒に歩いているだなんて。こんなの、塩基配列じゃ絶対に表せない。
「血、抜かれたから今日は3人で焼き肉行こう!」
「賛成!」
ハイテンションな女の子達に目を細めた。
そしてこれも、遺伝子では表せない。
「きゃははは、ウケるー」
「あははは、あははは」
イタズラにハマった親友が彼の感性で僕の部屋を“鉄子の部屋”に変えていた。