オリエンテーリングの奇跡
顔程もあるダンボールの箱を上下に振り回し、太陽のような笑みでウィンクされた。
一体全体、急になんだって言うんだ。僕は理解できないまま、笑った表情を維持している委員長の顔を見た。
「明日行くオリエンテーリングの班決めですよぉ。番号が同じ人が班員ですぅ」
さぁさぁと急かされて、空いている穴に手を突っ込んで紙を引いた。番号は7番、つまり7班に決定ということらしい。
ところでオリエンテーリングって何?
「そっか、山田くんが転校してくる前に決めたんだっけ」
末長は自分と僕の紙の数字を見比べながら「違う班か、残念だな」と付け加えた。
「明日遠足があるのは知ってるよな。バスに乗って高原までいくんだけど、お昼ご飯までの間はクラスでの時間なんだ」
「じゃあオリエンテーリングがクラスの時間にすることなんだね」
「そ。クラスによってすることは様々だからな、隣はドッチボール大会だって言ってたぞ」
ふーん? 窓を見ると、真っ黒な雲からバケツをひっくり返したような大粒の雨が降っていた。
肌を刺すような暑い日差しを降り注ぎ続ける太陽の下で、思いっきり伸びをした。昨日の雨が嘘のように、雲一つないいい天気。絶好の遠足日和だ。7月の初めだというのに、高原特有の少し冷たい風が心地いい。少し湿った雨の匂いと草木の匂いを思いっきり吸い込みながら、オリエンテーリングの説明をする委員長の話を聞いた。
オリエンテーリングのルールとしては、1人1枚ずつ配られた紙に1〜9番に置いてあるスタンプを全部揃えてお昼ご飯までに戻ってくることだった。ようは高原内を散歩。汗をかかない、実にいい企画だ。
班ごとに並ぶように指示され、昨日配られた紙を持って班ごとに分かれた。僕の班は男2、女3。メンバーはと言えば、僕、詩織、委員長、テンションが高くクラスのムードメーカーの神無月さん、そして転校初日の家庭科の授業で少しだけ一緒に話した黒崎くんだった。安心した。委員長は僕のことを怖がっていないみたいだし、神無月さんも積極的に話しかけては来ないものの話しかければ明るく応えてくれる子だし、黒崎くんはビビりながらもちゃんと話してくれる。日頃の行いの良さがようやく日常に返ってきた気分だ。
「じゃー各班、1班から2分おきに出発してくださいねー」
委員長の合図と共に1班が林の中に消えていった。ぐいっと後ろに体操服を引っ張られた。
「お前ーどんなイカサマしやがったんだー」
末長が珍しく青筋を立てて噴いていた。どうやらクラスNo1,2が僕の班にいることを羨んでいる様子。そんなこと言ったって、僕は普通に引いただけだし。
「どんなに、どんなに僕がこのオリエンテーリングに賭けていたことか」
ち、血の涙!?
下唇を噛み締めて、キッと睨まれた。
「な、なんなら変わろうか?」
「いいのか!?」
「ブーダメですよぉ。不正は見逃せませんー」
どこから聞いていたのか、委員長が頭の上でペケを作って唇を尖らせた。末長も口を尖らせて何か言おうとしたが、後ろから手が現れ彼の肩をポンと叩いた。坂東だった。
「仕方ないですよ、今日は久しぶりに僕とのデートを楽しみましょう」
言葉を嫌がったのか、暴れながら坂東に腕を引かれる末長。哀れだ。
林へと消えていく2人を見ながら、僕は大きな陰を目撃してしまう。あれは…
「さー時間になりましたぁ7班出発ですぅ」
「おー!!」
テンション高く拳を突き上げる委員長と神無月さん。黒崎くんを振り回すように2人で引っ張って意気揚々と小道へ入っていく。僕はもう一度大きな陰を見た場所を観察した。何もない。勘違い…かな?
「何してんの? 行こうよ」
ふふといつもの美しい笑顔。詩織は何も見てなかったのだろうか? そう聞こうとしたら、小道の向こうで委員長の呼ぶ声がした。
「順調ですぅ」
「この分だったら1班にも追いつくかもね!! ね、山田っち」
「その呼び方どうにかならない?」
数年前に流行った携帯型飼育ゲームのキャラみたいでなんだかな。
人差し指を左右に振りながら、
「ちっちっち。この位ファンキーじゃないとみんな懐いてくれないよ」
山田っちというのは、オリエンテーション中になぜか急に神無月さんに呼ばれ始めたあだ名だ。打ち解けてくれるのは嬉しいけど、懐くって。
4つ目のスタンプを押し、紙に息をかけながら神無月さんは続けた。
「にしても詩織っち、凄いわ」
「そう?」
「そうだよ、地図見て急に道のない場所歩き始めた思ったら、次々にスタンプポイント見つけるんだもん」
「ドキドキしましたねー、遭難しちゃうんじゃないかって」
だったらなんで止めなかったんだ委員長。心の中で突っ込みを入れた。口に出して言わないのはせっかく3人が盛り上がっている所を邪魔したくないというのが本音だ。ほら、詩織って友達欲しがってたし。
が、このオリエンテーリングは別に時間を競う物じゃない。暇をつぶすものなんだから、もう少しゆっくり歩いたり、普通の道歩いたりしてもいいんじゃないのかな? そう意見しようと口を開いた。
「じゃー次、次は7番!! 7班の7番よ!!」
「これは1番にGETしたいポイントですぅ」
「そうよ、先にスタンプ押されたら7班の意味がない!! いざ行かん、7番へ!!」
うぉおおと、女の子らしからぬ声を上げる神無月さん。ムードメーカーなだけあって、先程から見ていて面白い。じゃない、早く止めないとまた獣道を走らされる!
「諦めようよ、山田くん…俺たちには今の彼女達を止められない」
後ろから声がした。僕の体操服の端をチョンと掴んで首を振っている。確かに。僕の味方は、黒崎くん君だけだ。
2人同時にため息を吐き、すでに腰まで草木で埋まっている場所を歩く女子を追いかける。すると先を歩いていた神無月さんの悲鳴が聞こえた。草木をかき分け、走って3人の元に駆け寄った。
「どうしたの!?」
「今、そこで何か大きな物が動いたの」
脅えた様子で委員長と手を繋ぎ、プルプル震えている。詩織はと言うと、あの真っ黒な警棒を薮の中に突っ込んだりしていた。
--------蛇とか熊だったらどうするんだ。
「危ないよ、詩織っち!!」
僕の心の声を代弁したように神無月さんが叫んだ。
しかし彼女は耳を貸さず、思いっきり警棒を振り上げた。
「怪しい奴、出てきなさい!!」
ガサガサっと音がして、僕より大きな陰が動いた。熊だ、熊だよ!! 死んだフリ!!
さらに木々が揺れ、葉同士が擦れる音がして、まだ若い色をした葉っぱが僕の目の前に落ちてきた。出てきたのは喋る熊でも、話せるゴリラでもなく五十嵐番長だった。
「な、なんでわかった!? 詩織…、さては俺とお前は運命の赤い糸で繋がれて」
「気配で分かるのよ」
番長が言っているそばから、全てを否定するように詩織は冷静に言った。熊かと思った僕たち4人は、尻餅をついて2人の夫婦漫才のようなやり取りを見守っていた。僕の場合は腰が抜けて立てなくなったのだけど。
「な、なんでA組の五十嵐さんがいるんですかぁ。A組はスケッチ大会だったはずですぅ」
誰もが疑問に思っていたことを委員長が口を尖らせて番長に質問した。確かに、彼の背中にはスケッチブックと美術で使われる絵の具道具が担がれていた。
彼は、座り込んでいる僕たちを見下ろし、最後に詩織の目をじっと見て顔を赤らめながら鼻の下をかいた。
「先生がよ、描きたいものを描きなさいって言うからさ、俺は詩織を描きたいと思ってよ」
冬でもないのに7班に大寒波が到来した。思わず白目を向いて眠ってしまいそうな委員長に「寝たら死ぬぞ」と神無月さんが肩を揺らした。僕たちは、熊より恐ろしいモノに出会ってしまったのかも知れない。7月上旬の暑い季節の高原で、気絶者を出せる程寒い威力のワードを放てる怪物に出会ってしまったのだから。
大きな体をモジモジさせながら詩織を上目遣いで見て、またもやポッと顔を赤らめる番長。彼が詩織か委員長だった
ら、どれだけ可愛いことか。もしかしたら惚れてしまうかも知れない。んが!! どこからどう見ても男だし、捲し上げた半袖から見える腕にも、規格外の身長のせいで少し見えてしまっている脚からも腕毛スネ毛のオンパレード。むだ毛ジャングルを持つ彼からは、悪いが可愛さの微塵も感じられない。
-------勘弁してください。
誰もがそう思ったとき、ムードメーカーが動いた。
「気持ち悪っ! 番長やのにモジモジポッポなんて、なにそれ!!」
確かに気持ち悪いが、それを口に出しちゃ…
「き、気持ち悪いなんて言うなー!!」
うわーんと滝のような涙を流しながら、道なき道をもの凄い勢いで走っていく番長。その姿は文字通り、あっという間に林の奥へ消えていった。
そりゃ酷いよ、いくら何でも面と向かって気持ち悪いは。
「さすがですぅ、私も言おうと思ってましたぁ」
「私も。あなたが言わなければ言ってたわ」
え、え?
3人の顔を順繰りに見やった。2人とも、神無月さんの言動を讃えている。僕には理解できない、理解できないよ。
隣の黒崎くんも青ざめた顔で3人のやりとりを見ていた。目が合う。
ーー女ノ子ッテ怖イネーー
「ありましたぁこれで最後ですぅ」
「一番乗りだといいねー」
大喜びでスタンプを押す女子2人。
その後を詩織、黒崎くん、僕と続く。
スタンプを押し終わって後ろを振り向くと、すでに詩織が手をつく格好で地面に両膝を付く格好になっていた。
「!?」
何が起こったんだと理解する前に、詩織がお尻を付いて仰向けになった。
「あちゃー、くじいてるね」
「この穴が悪いですぅ。埋めちゃいますぅ」
畜生とか言いながら、委員長は穴を埋め始めた。
「しょーがない、私がおぶってやるか」
詩織の前に片膝を付いて後ろに手を出し「早くー」と神無月さんは詩織を急かした。
「それなら僕が」
「ダメー。男子ってヤラしいんだもん、番長とか番長とか…番長とか。それに陸上部で鍛えてるんだから甘く見ないで」
僕を一喝し、詩織をおぶった。
基本番長がイヤらしいってことらしいけど、大丈夫かな?
普通の早さで歩き始めた神無月さんを詩織が後ろから声をかけた。
「な、なんか悪い気がする…」
「何言ってんの、詩織っちは。友達でしょ?」
「そーですぅ、神無月さんが疲れたら交代しますから」
ふふふと、専売特許の美しい笑顔は2人にとられた形となった詩織だが、彼女の顔は笑顔で。むしろ今まで見たことのない顔をした。
だから僕は、黙って前の2人に気づかれないよう詩織にハンカチを手渡すので精一杯だった。