←君が見つけてくれたなら
見れば真ん丸と太った大きな三毛猫がのしのしと歩いてきていた。雪姫の脚にスリスリと体を擦り付け、彼女と戯れている。
-----もしかして飼い猫? いや、野良か。
首輪が付いていないことを確認しつつ、様子を見ているとボスと呼ばれる猫が僕の脚にもすり寄ってきた。すると、それを見ていた彼女は、
「ユーヤにちゅいて行く〜」
なんて言い始めた。
うん、こっちとしては都合いいんだけどね。一応聞いておこう、なんで?
「だって、ボスは悪いちとにはナチュかないんだよ!」
「……」
子どもの理論って分からない。けど、もし僕が悪い人でただ単に猫に好かれる人物だったらどうする気なのだろう? そう言う人って五万といるよね、きっと。
もう一度腰を折り曲げながら目線を合わせた。
「ねぇ、僕は本当は悪い人だよって言ったらどうする?」
ちょっと困らせるつもりだった。けど、彼女は僕の想像を通り過ぎた頭の持ち主らしくって、こう応えた。
「じゆんで悪いちとだよって言うちとは悪いちとじゃないのよ?」
なんかね、虚を付かされたよ、保育園児に。まぁ、真理っちゃ真理かも知れないけど…。
-----猫基準だし、本当はそこまで考えてない可能性もあるし。
ジッと顔を見るとヘラっと笑われた。
知らないよ? 本当に誘拐されたって。知ってる? 誘拐ってさ、迅速且つ計画的に行われるんだよ。面倒な構造したビルに連れ込まれて、切り抜ける為には粉塵爆発で脅すか、警棒でやっつけるかなんだけど…なんて。1年前に起こった事件を思い出しながらゆっくり立ち上がる。
「まぁ僕は本当にいい人だから家の近くまで送ってあげるよ」
「男のちとは家まで送るもんでしょ!」
-----レディ扱いしろって?
クスリと笑って手を出した。
「お送りしましょうか? スノープリンセス」
僕はもう一度虚をつかれた。いや、小さな子なら普通なのかも知れないけど、この子は詩織と全く一緒の握り方をしてきたのだ。そう、小指だけをキュッと握って…。これは、どっちかっていうとこの子は姉さんより詩織に似てるのかも知れない。傲慢おマセタイプじゃなくって暴走メルヘンタイプかもね。
歩幅を合わせてゆっくりと歩く。
「今日は一人で帰ってるの?」
「そうよ! いつもはママが迎えにきてくれゆんだけど…」
「?」
「一人で帰りたくなったから」
-----やっぱり詩織と一緒で、思い立ったらすぐ行動タイプかぁ。
分析は間違っていなかったなと思いつつも顔をしかめた。もし、この子が言うコトが本当ならば、今頃お母さんは血眼になって探しているだろう。やっぱり、早めに交番に連れて行くのが良さそうだ。
-----けど、そろそろ…。
歩き始めて10分。駅からだと多分30分近く歩いていることになるだろう。ということは、この小さな体には少しキツいかも知れない。ほら、だんだん歩くのがさらに遅くなってきた。
完全に脚が止まる前に立ち止まって繋いでいる方とは反対の手を出した。
「ウサギさんの鞄、持とうか?」
「中見ちゃメーよ?」
一体何が入っているかは定かではないけれど、そんなことを言いつつも鞄を素直に渡してきた。持ってみれば結構重さがある。
「何が入ってるの?」
「クレヨンとね、落書きするのと、あとねー、いっぱい」
いっぱいらしいよ。
笑って休憩しようかと提案すると「はい!」と大きく手を挙げてきた。周りを見渡せば近くにコンビニ。小さなチョコレートクッキーと飲み物を買ってあげれば「うわーい」とおおはしゃぎ。
イートインスペースで座って食べるように言うとお行儀良く、言うコトを聞いてモグモグし始めた。
ついでに色々聞いておく。携帯は残念ながら持っていないらしく、しかも家の電話番号も覚えていないようだ。住所も途中で切れれちゃっているし、肝心な所が聞き出せない。替わりに僕の方が聞き出されてしまった。え? 何をかって? この近所に住んでいるのかとか、年齢とか、色々だ。まぁ一番ビックリしたのは保育園児なのに恋愛ごとに興味があるってこと。まぁ誰が好きかって聞いたら10人くらい名前を挙げられたけどね。ついでに僕も入れてくれたみたい(食べ物につられたね)。嬉しいような嬉しくないような、まぁ嬉しいと言うコトにしておこうかな。
携帯を見れば既に時刻は19時ちょいまえ。
-----遅れること言わなきゃ。
「ちょっと電話していいかな?」
「デート中は携帯出したらメーでしょ?」
いつの間にかデートに昇格していたらしい。いいけど、連絡はさせて?
「約束がね、あるんだよ。遅れますって言わないと」
「仕方のないちとですね、ユーヤは」
腕を組みながらプクっと頬を膨らませている。
笑って謝り、末長の携帯にコールを鳴らす。
『山田くん、何やってるんだよ。もう大体集まってるんだぞ』
『それがちょっとお姫様を送り届けないといけなくなっちゃって』
『はぁ? あーとりあえず遅れるってコトなんだな』
『うん、多分…30分までには行けるとは思うんだけど』
『わかった。そういえばし…』
いきなりピーという音がして末長の声が途絶えた。驚いて携帯を耳から話せば、充電切れ。
あちゃーっとオデコを叩いていると「終わったの?」なんて大人な言葉が僕を捕まえた。終わったよ、会話も携帯も。
食べ終わった頃合いを見て立ち上がる。
「歩けそうかな?」
「うん」
言葉通り、雪姫は元気に飛び跳ねながら僕の指を握ってくる。
昼間に出来た水たまりを一緒に飛び越えたり、水に浮かんだ葉っぱを眺めながら歩を進める。
10分程歩けば、ようやく彼女の見知った道に出てきたらしい。「見たことある」なんて言ってテンションを上げ、腕をグイグイ引っ張ってきた。と、目に入る空色のマンション。
「雪姫ちゃんの家は、あれかな?」
「そう、アレ!」
ホッっと安堵のため息を吐き出しながら「もう少しだから頑張ろう」とまたしてもペースが落ちてきた女の子を励ます。
オレンジ色の空が半分以上青に包まれた頃、ようやく大正町如月にあるブルーのマンションに辿り着いた。井戸端会議をしていたおばさま達に「雪姫ちゃんの家はここで大丈夫ですか?」と聞くと、笑って皆そうだと言ってくれたから間違いもないようだ。「一緒にエレベーターに乗ろう」と誘われ、マンションの敷地の前で今にも走り出しそうな子を制する。
「ウサギさんの鞄忘れてるよ?」
「あー。しっかりちないとメーよ?」
なぜだか逆に叱咤された。もう、逆におかしくって笑顔しか出て来ない。
肩に掛けながら背中をポンと押すと徒競走をするかの如く、エレベーターの箱の中に先に入って行ったであろう、おばさま達を追いかけている。
と、振り向いた。
「ユーヤ!」
そして突然逆走を始めた。
おいおい、なんて思いつつもどうしたのかを聞くと、一瞬だけポケっとしたような顔をした後にネクタイを掴んできた。そして重力と同じ方向へ引いてくる。これは目線を合わせろってことだな、とすぐに解釈して膝と腰を折り曲げた。
もう一度聞く。
「どうしたの?」
すると彼女はにんまり笑い、さらにタイを引いた。
チュ。
離れていくスノープリンセスの顔を見つつ、世界がひっくり返るかと思った。というか、僕がひっくり返るかと思った。
大きく目を開けて固まっていると彼女はイタズラな笑みを零した。
「大人になったや、恋人どーしよ! 待ってて!」
たーっと再び走ってエレベーターのある方向へ走って何かを叫びながら行ってしまった。
…山田裕也18歳、人生初めてのキスは推定4歳児に奪われてしまいました。あー、もしかしてあの夢の女の人は雪姫ちゃんですか? 顔はよく見えなかったけど、色白の美女だな〜なんて思ってたんだよね(夢の中の僕が)。あ〜正夢でしたか。えっと、法律的に僕らの関係が許されるようになるにはあと14年くらいはかかります。その時僕は32歳…
-----せ、責任取って!!
未だスノープリンセスに凍らされたままの頭と体で、男のくせに本気で思った。一体何に責任を負わせるつもりかは自分でも思考回路の迷路に入ってしまって分からないけど、多分、32歳まで待てませんってことだと思う。
-----まぁ、育てばかなりの超美人になるとは思うけどさ…あ? 雪姫ちゃんが去り際になんか言ってたな。そうそう、超美女になるって。後ろのお姉ちゃんに負けないくらいの…って叫んでたなぁ。
「はは、負けないくらい育って覚えててくれると嬉しいんだけど」
どんだけの美女になるつもり? と、ゆっくり首を動かした。
「……」
「……」
グレーの次は漆黒。
朝から変わらない湿った空気が流れて、もう一度、凍らされたよ。色白であまりにも整った顔を持っていて、そのくせ容姿を褒められるとぶちキレる…僕の親友が立っていたから。
先に動いたのはスノープリンセスが超えるべき美女。
「ファーストキス、可愛い子で良かったわね」
ふんわりとした真っ白なワンピースが揺れて「おめでとう」なんて祝福された。
けど、僕の頭は未だ姫に捕われたまんまで、
「いつから見てたの?」
自分を擁護するような言動に走ってしまった。仕方ないじゃない、僕からしただなんて思われたらもう“ロリコン”だと飲み会で話のネタにされてしまう。Sだと言われる事自体嫌なのに、その上にロリータコンプレックスだなんて付け加えられたら、変態以外何者でもないじゃないか。
後ろにある小さな水たまりに波紋が出来た。
「そうね、ユーヤの将来のお相手が逆走してくる所かしら。私、その時名前を呼んだんだけど、ユーヤは気づかなかったから」
言いつつ手を差し出してくる。
ゆっくり手を伸ばせば、斜め上に引っ張られて目線の位置がようやく正常に戻った。ついでに脳みそも正常に戻ってきたようだ。
片手で乱れたネクタイを整える。
いつの間にか暗くなってしまった世界にもう一度ため息。ついでにお姫様がした笑顔と同じようにイタズラに笑う。
「あの子が成長するまで純潔守れるかなぁ?」
「大丈夫じゃない?」
「それって暗に僕がモテないって悪口言ってるんだよね」
「…そうは言ってないわよ」
「何、今の間」
チロリと睨むと今度は小悪魔が僕のネクタイを掴んだ。そして元祖(?)、イタズラな笑みを向けてくる。
ついでに顔を近づけてきて、ジッと見つめられた。
目を泳がせる。
「ほら、やっぱり」
「何が?」
「純潔…守れるんじゃないかしら?」
-----僕を試したって?
ふっと笑って、ネクタイを掴んでいる手を優しくはがした。