僕を月に連れてって!
「じゃあ、医学部に行くつもりなんだな?」
「うん。神経科、精神科を目指そうと思ってるんだ」
「うちは代々…」
「興味があるのはそっちなんだよ」
椅子の上に片脚を立てて、膝に頬をくっ付けた。
将来について、大学について話している。お察しの通り、電話の相手はようやくスカイプで捕まえた父さん。
医学部に行くと言ったら案の定、家の話を出されたけど、そこは否定しておく。僕の家はひいひいお爺ちゃんの代くらいから医師をしているらしいんだけど、聞くに皆外科だったのだとか。父さんも一応医者ではあるが、研究室にこもって投薬治療の研究を行っているから、外科にいかない事を言うと少し不満そうな顔をした。そりゃそうだ、医学部にいくなんて言ったから、僕がお爺ちゃんの跡を継ぐとでも一瞬考えたに違いない。自分が出来なかった事を…とでも思ったのだろうけど、生憎、これっぽっちもそんな考えはない。まぁお爺ちゃんの期待を自分が先に叶えられなかったから、外科にはいかないって言っても強く言えないことは分かっていているから、あと一押しだね。
「それ以外なら、大学行かないよ?」
マウスを持ってクルクル父さんの顔の周りで矢印を動かす。
ジッと画面越しに見つめられ、にっこり笑うと「はー」とため息をつかれた。
「好きにしなさい。その代わり、父さん達の出身校に入学する事だ。せめてコレだけでもお爺ちゃんの望みを叶えてやろう? な? 精神医学の研究も行ってるし、国家試験はさえ受かれば、一応どの科を名乗ったって大丈夫なんだ。だから…」
「わかった。でも一応私立も滑り止めで受けとくからね。落ちちゃったときはゴメンね?」
「勉強しろ、勉強を。まぁお前は美嘉子と違って真面目だからこれ以上は何も言わんが。父さん達の出身校に入学した時は今まで通り学費と家賃を払ってやるが、それ以外だったら家賃も援助もやらん。いいな?」
カメラを親指で押さえる。
向こうから「おい!?」なんて声が聞こえて来た。唇をすぼめねがら手を放す。
「姉さんは? 僕だけ…ズルいじゃない?」
「美嘉子は実家に住んでるしだな、今お前は一人暮らししてるだろ? 転校だってしたんだ。ついでに言うなら医学部だったらお金の問題があるだろ? 倍はかかるんだ、そのくらい分かってるくせに言うな」
わかったような分かってないような口ぶりで一応の返事はしておく。
姉さんは医学部でさえないって言うのに…やっぱりズルいなんて思うのは弟の性なのかな?
そろそろスカイプを終わろうと「またね」なんて言っていたら呼び止められた。
「何? まだ何か条件あるの?」
「いや、そうじゃない。お前、夏休みは戻るのか?」
「ううん。今年の夏は受験生ってことで夏休み中30日間も学校行かなくちゃいけないらしいから、帰らないよ。荷造りの方が面倒だもの」
いうと、画面の向こうで携帯を開いて唸っている。
もしかしたら父さん達は夏休み中にこっちへ帰ってくるのかも知れない。そう言えば、転校してから1年が過ぎたけど、両親にはほとんど会ってないもんね。僕がこっちに来ている時2人が実家にいて、僕が実家にいる時、2人は海外へボランティアに行っていたり。冬休みに3日程顔を合わせたくらいで、後はスカイプでのみだもの。
「秋に4連休があるだろ? その時、こっちに帰って来なさい」
「いいよ。でも、何? 変な用事だったら怒るからね」
「まぁお前も18歳になったから、いろいろとな」
ヒラヒラ手を振ると「絶対だからな」と言って通信が途絶えた。
-----いろいろ…ね?
そういえば姉さんも18歳になった時、記念だと言ってネックレスを買ってもらっていた。
-----じゃあ僕は時計かな?
多分そうなるんじゃないかと言う予想を立てながら、椅子から降りて床に転がった。意味もなくゴロゴロする。
と、小さい頃、父さんから聞いた母さんとの馴初めを思い出した。
確か2人が出逢ったのは母さんが18歳、父さんが22歳の時だったらしい。なんでも、近くの短大に超可愛い女の子がいるから見に行こうと言われたのがキッカケで、目にした瞬間、大学5年生(医学部なので)だった父さんが高校を出たばかりの初々しい母さんに一目惚れをしたのだとか。そこからはアプローチの連続。母さんが言うには「最初は…何この人?」だったというから哀れだ。まぁ父さんの粘り強い押せ押せで母さんの氷の心が溶けてHAPPY ENDに至ったと言っていたけど…。
「押せ押せで、押し倒したんじゃないよね?」
それで出来た子どもが姉さんだったりして…ないか。父さんは今48だもの、26の時の子、結婚後だ。ま、どちらにしろ、父さんの積極的なトコロは僕に全然遺伝していないように思える。ま、いいけどね。
ゆっくり壁にかかった時計を見た。
「微妙…」
午後4時、外に遊びに出るには遅い気もするし、かと言って何もしないには暇過ぎる。
こう言うときは…昼寝だよね。
どピンクのクッションを頭の下に置いて目を閉じた。
起きると夜の9時を過ぎていた。頭を掻いて独り言を漏らす。
「あー、ご飯…どうしよ?」
作り始めるのには遅い。カップ麺でもいいけど、夜にそれは物足りない気がする。かといって今から米を研いでご飯作っていると30分はかかる。ここは食べに行くのか買いに行くのが正解ってヤツだ。よし。
家を出て、バイクに鍵を差し込んだ。そう、先日の受験強化合宿が帰るのが早かったからお兄さんが来たその日に名義変更に行っておいたのだ。もう遠慮なくコイツを使ってあげられる。
小刻みに揺れ始めた愛車に股がり、目指すはコンビニ。おにぎりと飲み物を買って店の外に出るとなんだかテンションが上がって来た。この気分を離したくない。そして誰かと共感したい。
携帯を取り出す。
かける相手は決まってる、ライダーH2号だ。コールをするとすぐに鈴の音のような声が聞こえ、誘えば二つ返事でついてくると言う。10分後に迎えに行く事を約束してもう一度コンビニに入った。
10分後。
「ユーヤ!」
ホテルの前につくと黒髪の親友が満面の笑みで僕を出迎えてくれた。拳を出してくるので、コツンと拳で応える。
メットを渡し、先に乗ると後ろに股がって来た。
腕が回される。
「どこ行くの?」
「それが決めてなくって。テンション上がったから誘っただけで何も考えたないんだ」
「だったら、イイトコあるんだけど…」
言われるまま、バイクを操る。
街灯とネオンが素早く流れ、服に入ってくる風が気持ちいい。車体を傾ければ、遠心力で押し戻される感覚と重力に押し付けられる感覚。ハイなせいで頭の中にトリッキーな曲が奏でられている。
坂を上るように指示され、グリップを強く回しながら山道を上がって行く。チラリ、チラリと葉の向こうから小さな光が見えた。
上がった先には…小さな駐車場と数個のベンチ。そして、大正駅周辺はもちろん大きな街である平城駅まで見渡す事が出来る展望ゾーンだった。
すでに何組かのライダーやカップルが夜景を眺めているのを確認しながら、端の方にバイクを持っていく。エンジンを切ったと同時に、後ろに乗っていた人物が飛び降りて、メットホルダーに黒のフルフェイスを引っ掛けて展望ゾーンへ走り出した。
おおよそ、バイクに乗るような格好じゃないヒラヒラしたレースのスカートをアゲハ蝶のように振っている後ろ姿を眺めた。
-----僕よりテンション高いかも…。
すでにテンション負けしている自分を奮い立たせ、メットに手をかける。
と、口笛。
「超可愛い」
「おお、美少女!!」
ライトの下に入った瞬間に絶賛され始める僕の連れ。
マズいな…なんて思っていたら、さらにマズい事態。今日のは理由は違う…
「あんだけの可愛い子…連れてるの、どんなヤツだよ?」
「あのバイクの男だろ? おお、背高ーな」
そう、問題は僕にあった。
彼らに悪いじゃないか。きっと詩織に見合うすごい美形…そうだな二宮先輩とか島波凉さん当たりを想像してくれちゃってるんだろうけど、ごめんなさい…だ。しかも僕が無駄に背ばっかりデカイから、さらに期待してくれてる事だろうけど、ごめんなさい。僕は美形でも格好よくもない男です。出来る事なら僕だって超カッコいい顔に産まれたかったんだけどさ…。
頭の中でグルグル言い訳して、なかなかメットを脱げないでいると詩織が名前を呼んできた。
仕方ないと思う。だって僕は僕でアンパンメンのように顔の交換は出来ないのだ。開き直って脱ぐしかないじゃない。今さらだし。見合わないのは今に始まった事じゃない。きっと、産まれる前から確定してたはず。
覚悟を決めて脱いだ。
「おお!? 普通だ」
「普通だな…」
-----YES!! 普通キター!!
普通だと言われてこの世の中にどれだけ喜べる人がいるかは知らないけど、多分、今この瞬間、地球上の誰よりも普通だと言われて僕は喜んだね。だって予想してたのはもっと酷い言葉だったんだもん。「騙されてるだろ、アイツ」とか「幾ら貢いだんだ?」とか「美女と×××(ピー)」とかさ…。ああ、なんて言い人達なんだろう。
ルンルン気分でコンビニの袋を握った。
振り返り様、勢いよく走る。
親友に買っておいたチョコを投げると暗闇なのに笑顔が眩しかった。
並んでベンチに腰を下ろすと、眼下にイルミネーションをしたかの如く眩い夜景。ああ、あれは高層ビルだなとか、動いてるから高速だなとか、推測しながらペットボトルの水を飲んだ。
ふんわり、甘い匂いが香って来た。
-----あ、いい匂い。
でも、これ、チョコの匂いじゃないんだ。
横を見れば、長い髪が風に吹かれて僕の肩をくすぐっていた。
一束掬えば、少しだけ湿っている。
------まさか、でも、こんなに強く香るなんて…。
顔をしかめながら聞く。
「ねぇお風呂入ってたか、入った後だった?」
「そうだけど?」
「嘘、ごめん!! 悪い事しちゃった」
驚いてすぐ謝ると、目をクリッとさせた後、笑われた。
「いいのよ。それより、言うコトあるんじゃない?」
「え?」
「ほら。夜景と私、常套句は決まってるでしょ?」
人差し指でプニッと唇を押さえてウィンクしてきた。
すぐに理解して笑う。
「そういえば、一度言ってみたいと思ってたんだ。1回しか言わないから、絶対に聞き逃さないで?」
緩みそうになる筋肉を必死で押さえる。そして、ジリと地面を踏みしめた。なぜかって? そりゃ走る準備だよ。
きっと詩織ならすぐに気づくから…
目を合わせた。
「見てご覧、君より夜景の方が綺麗だよ。」
眉毛が自然とピクリと上がったのを確認した後、地面を蹴って走った。
後ろで服の擦れる音がした。
「違うじゃない!! 普通逆でしょ!?」
「気づいた!?」
「気づくわよ!!」
振り向けばプリプリして僕を追いかけてきた。
ベンチの周りと走れば、フワフワ揺れる空気を含んだスカートと、香るいい匂い。ついでに「待ちなさい!」なんて言ってる。この華のようなアゲハ蝶に捕らえられてみたい気もするけど、見た目と香りとは裏腹に、捕まれば蜂のように刺されてTHE ENDは確実だ。上がる息。ひ弱な芋虫はそろそろ体力の限界かも。速度が落ち始めた。
刺されない方法は一つ、僕が先に刺せばいいのだ。
立ち止まってベンチにすぐさま腰掛けると、後ろでアスファルトを踏んだ音がした。
「常套句はそれだけじゃないと思うんだ」
「何よ」
明らかに怒った声が振ってくる。
空を仰いだら、今日は綺麗な三日月。腕を上に伸ばして、指を指しながらのたまう。
「Fly me to the moon!! ほら、これだってシチュエーションにあった常套句だよ?」
にんまり笑って頭をさらに仰け反らせると、固まった顔があった。
-----刺さったね。
心の中でもう安心とほくそ笑んですぐさま前を向いてビニール袋に手をかけた。おにぎりを掴む。
ピッと破いて海苔を巻く。両手で持って約10時間ぶりの食事に口を開けた。
と、冷たい手が2本、僕の顎を包んで来た。強い力で仰け反らされて、歯がカチンと噛み合った。驚いて目を見開くと顔の周りに黒髪のカーテン。何かを考える前に彼女が動いた。
「イ…たぁ!!」
お星様が目の前を舞って、喘いだ。
気持ちいい喘ぎならもう1回喘ぎたいトコロだけど、今は僕は刺されたのだ。本当に。頭突きという形で。
逆さまに目が合う。
「さぁ、あと何回月に行きたい?」
「月じゃなくてお星様が近いんですけど?」
「あら、じゃあまだ月には行けてないのね」
言いながらまたオデコがぶつかった。
「いっ…」
すっごく痛い!!
なぜ彼女は顔色一つ変えないのか。
-----オデコに鉄板入ってるんじゃないの!?
耐まらず謝る。だって、モーションがもう1回って言ってるんだもの。
「ご、ごめんなさい!! もう、言いません!! キレイ、綺麗です!! 詩織の方が、夜景なんかよりずっと!!」
「もう遅いのよ!!」
またぶつかる。
もう、星も通り越して天国1歩前。いかされるのでも、こういう行き方は嫌だ。
オデコの前に持っていたおにぎりを出してガードした。
「上納品?」
「うん。機嫌直してよ」
「ダメね、乙女の心を傷つけた罪は重いんだから」
おにぎりがかすめ取られた。
解放された体を元に戻してため息をつくと、隣で海苔が破ける音がした。
-----僕のおにぎり…。
一瞬恨めしく思ったけど、頭を切り替える。そう、だって僕の夜ご飯は一つじゃない。まだ買ってあるんだから。何にしようか迷っていると手を出された。
「え?」
「宇宙に行かせてあげた代金よ」
「僕、ああいう行き方は…はい、ごめんなさい」
グッと握られた拳を見てすぐさま面舵いっぱい、方向転換。両手で捧げると、またしてもおにぎりが手から一瞬で消えた。
足を組んで僕の夜ご飯を食べ進める子を見て、ため息をついた。
-----お腹いっぱいにならないかも。
もう2個も食べられてしまったのだ。僕のお腹があと2つで満足出来る訳がない。華奢だとは言え、高校3年生の男だよ? もう、帰りにまたコンビニへ寄るしかないね。
それにしても、あの宇宙への行き方はナンセンス。蝶ならもう少しエレガントに連れて行って欲しいね、火星じゃなくてさ。ま、一生、詩織に月になんて連れて行ってもらえないだろうけど。じゃあ、火星でよしとしとくか…。
海苔と明太子の味がようやく口の中で広がった。