ファーストバージン #2
「ピアス、開けて欲しいの」
詩織が、鞄からピアッサーを出しながらのたまった。
大きく目を開けた。
-----どういう意味!?
ピアスを開けて欲しいって言う言葉は、3つの意味が取れる。1、僕自身がピアスを開ける。2、詩織の耳に僕がピアスを開ける。3、1と2の両方。でもどれも僕には無理だよ…。
困った顔をするとはにかんで説明をし始めた。
「あのね、前々からピアスしたいなって思ってたんだけど、なかなか機会なくって。自分でするのも怖いじゃない? だから、ユーヤに開けてもらおうと思って」
まずは1と3でないことに安堵のため息をついた。
じゃない!!
「ちょ、待って。僕にガシャコンしろってこと!?」
「そうよ」
「無理無理無理無理!!」
無理だ! 僕がどうして詩織の体に穴をあけるような事をしなくてはいけないのか。首と手を降って千切れんばかりに否定した。
「さっき、プレゼントにしていいって言ったわよね」
「い、言ったけど。これはちょっと」
握らされた赤い石の付いたピアッサーを見て身震いした。
僕が中学生の頃、姉さんが大学に上がる前に家でピアスを開けていたのを思い出した。「いくわよ」なんて顔を叩いて自分自身に気合いを入れ、耳にピアッサーを当ててガシャコンとやっていた。一瞬踞って薄涙になって僕を呼びつけ、ちゃんと貫通しているか聞いて来たのだ。はぁあ、今思い出してもゾワっとする。
それを僕にしろだなんて…無茶言わないで欲しい。
「じ、自分でしなよ」
「自分でするのは怖いって言ってるじゃない。将来医者目指してるんでしょ? このくらいできなきゃ!!」
「そ、それでも。ぼ、ぼ、僕が開けるって言うのは違うと思うんだよ」
「どうして?」
聞かれると言葉に詰まる。
うーん…。
「大事な人にしてもらいなよ。将来の彼氏にでも…」
「あら、ユーヤは大事な人でしょ? それに…」
「それに…何?」
この状況に、次の言葉に息を飲む。でも、何を言われたって僕は断るけどね。
今日ばかりは、ピアスを開けるってことは、何が何でも避けるんだ!! いつも、ガッツリ僕のハートを鷲掴みにしてくる君だけど、これだけは無理。固い固い決意を今決めた!! 無理だと。これは多分、僕が死ぬ事がある場合くらいじゃないと覆せないね。それに…詩織が大事だって言ってても、僕にそんな大それた価値はない。僕が君の体に傷をつけるなんて…無理!! しかもピアスなんて一生ものだ。無理!!
さぁどんと来るがいい。
僕は何を言われても断ろう。予習だ。「さっき約束したじゃない」「それとこれは話が違う!!」よし。「彼氏なんていつ出来るか分からないじゃない」「出来た時に楽しみに取っておこうよ」よし。「記念日がいいのよ、こういうのってそう言う時にしたいと思ってたの」「一緒に医者に行こうか」よし。「親友でしょ?」「そうだけど、親友は体を傷つけません」よ…ちょっと弱いな。「親友でしょ?」「そうだけど、もっと適切な人にしてもらおうよ。彼氏とか、医者とか」まぁ、いいだろう。彼氏へ流れた時は彼氏パターンで返せるし。OK!!
さぁ来い!!
見つめると彼女は俯いて、上目遣いになった。少し、顔も赤い。濡れた唇が動いた。
「ユーヤだから、してもらいたいのよ」
僕の中で一番固いと思われていたバリケードが音を立てて崩れ去った。しかも、粉砕だ。
僕は、確実に土手っ腹をヤラレタ。心臓も抜き去られて、彼女のものだ。もう、戻ってこなくてもいいとさえ思ってしまっている。
「いいでしょ?」
ここで潤んだ瞳攻撃なんて…。もう、残った体も崖から落とされた。いや、飛行機からかな。何千フィートも僕は下降し続けている。
そして地面にブチ当たった。
潰れたよ。全部。
「うん」
ある意味、目が点になって見つめた。
詩織はテンプテーションが使えるのだろうか? それも強力なヤツ。それとも僕の理性とか意思ってさ、僕が思っている以上に弱いのかな?
でも、もう僕の意識は彼女の為に行動し始めている。そしてもう、無理だなんて意識が吹っ飛んでいってしまっていた。
「消毒液ってあったわよね」
「うん。ちょっと待って」
自分の意志で立って、消毒液とコットンを手に取った。
「1個だけするの?」
「ううん。2つしようと思うの。両耳に」
「このタイプだと、軟骨は無理だけど」
「いいのよ、耳たぶの…お姉さんがしてるとこにしたいの」
「そ」
向かい合うよう目の前に座って、消毒液をコットンに染み込ませた。
「じゃあ詩織側の右耳から…。冷たいよ」
言ってから耳を掴んだ。
冷たさに詩織の体が少しだけ跳ねた。ピアッサーの透明な袋を引きちぎる。そして、場所を確認。
「ここ?」
「もう少し上」
「ここでいい?」
「いいわよ」
目を合わせると、詩織の喉がコクンと鳴った。
長いまつ毛が2回瞬いた。
「いくよ?」
「ま、待って!! 3、2、1、0でしましょ?」
「わかった、ゼロでね。3…に…」
「まって!!」
笑うと、はにかんで「はー」と息を吐いた。
そして上気した頬で見つめ直してくる。
「手。手繋いでて。怖いから」
「いいけど…」
握手するように右手を出すと、違うと怒られた。祈るように組まれる指達。僕の頬も上気した。
だって、これって恋人繋…。
「え、ちょ」
「いいの! ほら。もう大丈夫だもの」
見れば先程までの不安な顔なんてなくって、真剣なまなざし。だから僕も下手に笑顔なんて止めて、彼女の綺麗な漆黒の瞳だけを見つめた。
3回、秒針の音がした。
「じゃあ、するよ?」
「いいわ」
目を合わせたまま、ゆっくりと唇を動かす。
「3…」
ガシャン。
詩織が小さく呻いた。体が踞って僕の肩にオデコがコツンと当たる。そして、僕の右手の甲に、爪が食い込んだ。
バッと顔が上がれば真っ赤だった。
「ゼロでって言ったじゃない!?」
「だって、カウントダウンしてる間にまた「待って」って言ってくると思ったから、ね?」
彼女は言葉に詰まって、眉毛をハの字にした。
ゆっくり繋いでいた手を離して、赤い線が何個もついた手の甲を見せつける。
「それに、僕の方も痛かったんだから、おあいこだね」
笑うと不機嫌そうな顔で僕を見てくる。右耳には赤い石のついたファーストピアス。
「じゃあ左いこうか」
「ま、もういいの!」
「え?」
「もう。片方だけで、もういいのよ!」
消毒液を持った手をギュッと握られて動きを止められた。
ゆっくり蓋を閉める。
「2個、左右1つずつするんじゃなかったの?」
「痛かったからもういいの」
「弱虫」
言うとプクっと頬を膨らませた。笑って両手を付き、右耳の後ろを確認する。留め金の所もちゃんとハマってるし、横から見ても真っ直ぐに入っているようだ。前から見れば、赤い石がキラリと光った。
「キレイに入ってるみたい」
「まだ痛いわ」
「2時間くらいしたら痛みも取れるよ。もしくは何か他に気を反らすかだね。ああ、2ヶ月くらいは取らない方がいいよ。説明書は1ヶ月って書いてるけど、完全に塞がるのって時間かかるみたいだから。姉さんが言ってた」
「そういえば、お兄ちゃんも言ってたわ」
目を丸くした。
テレビで見た時やこないだ会った時なんかは、ピアスを付けている様子なんてなかったからだ。まぁ外してたんだったら気がつかなくても仕様がないか。そうだよね、テレビに映る時なんて試合前とか試合中だもの。そんな時にピアスなんかしてたら、持ってかれちゃうもんね。
-----耳のどこら辺にしてるんだろ?
考えながら消毒液に手を伸ばした。が、あった場所にない。
「ひぅ!!」
耳が一気に冷たくなった。思わず左肩を上げる。
後ろを振り向けば、詩織が笑ってコットンをゴミ箱に投げていた。ため息をつきながらたしなめる。遊ばないでと。
受け取って救急箱に入れているときだった。気配がした。耳の当たりに。
「うわ!」
振り払った。だって、僕の左耳にピアッサーがセットされかけていたから。
「な、何考えてるんだよ!?」
「私の痛みをユーヤに知ってもらおうと思って」
「おあいこだって言っただろ?」
ジトっと睨むと唇を突き出して「お揃いよ」なんて言い始めた。ちょっと待って欲しい。これは、リザのときの血判の延長戦じゃないか? 別にあの子は「友情の証」なんて言いつつ、本当にそんな事をしてはこなかったけど…。マジで止めて欲しい。痛いのは嫌いだ。
「お揃いって…遠慮しとくよ」
「えー」
「えーじゃない。そりゃ二宮先輩ほど美形だったら僕もするかも知れないけど…僕がやったって格好よくも何とも…うわ!!」
詩織の腕を押さえた。
ぐぐぐっとお互いに腕を押し合う。
冗談はもうこれくらいにして欲しい。僕は、自分の体に穴をあけるなんて勇気は持ち合わせちゃいない。それにさっきも言ったけど、僕がやったって「何やってんだアイツ」くらいにしか見られないんだよ。相対、僕にはこれこそ無用の長物。お揃いなんていらない、もっと他の所で友情を確かめ合わせてくれ!!
「絶対に開けないからね」
「私の痛みを知ればいいのよ!!」
「自分でするって言って僕にさせたんじゃないかぁ」
「いいじゃない、させてくれたって」
「よくないぃいい」
渾身の力を込めて押し、ピアッサーを取り上げた。はぁ、マジで危ない。
ため息をつきながら頭を軽く叩いた。
「ブラックジョークよ」
「そうは見えなかったけど?」
もう1度ため息をつくと指を指しながらまたのたまわった。
「それ、預かってて。いつかしたくなった時にまたユーヤに開けてもらうから」
「…僕用じゃない事を願っておくよ」
言って、見えるように机の引き出しに仕舞い込んだ。
手招かれる。
先程の位置に戻って、すっかり温くなってしまったコーヒーに口をつけた。詩織もゆっくりそれを口に持っていく。
同時に飲み込んだ。苦くてほのかにすっぱい味、最後に香ばしい匂い。
「今度のプレゼントは、ピアスになりそうね」
「そう…だね」
あまりにも綺麗な顔の横にある、右耳についた赤い石を見つめた。
それは僕が詩織と出逢ったシルシ。動く度に、キラリと光っては存在を認識させてくる。
なぜか…僕の心は、満足感を覚えてしまっていた。