ファーストバージン #1
僕が“微笑みのどS”と言われ始めて、数日が過ぎた。
全く迷惑極まりない。
朝から付いて来るA組の1年生達を睨んだけど「俺たちじゃないです」と否定された。となると、あの場にいた2年生の子達だろう。いらないことをしないで欲しい。ノリのいいB組はもちろんC、D組の勉強を教えている人達も皆、僕の事を名前で呼んでくれない。しかも睨めば「笑ってよ、微笑みだろ?」と茶化されてしまう始末だ。はぁ、最悪。
ああ、ちなみに詩織が僕を探しに来たのは、どうやら神無月さんが家を出る僕を見ていたのに、学校に着てないのを不審に思ったから詩織に言って、彼女は校内中を探しまわっていてくれたのだとか。こちらの方はとても感謝をしている。神無月さんにも、詩織にも。今度何かしらのお礼をしようと思っている。できれば、末長もいるといいかな。きっと神無月さんは喜ぶだろう。
と、噂をすれば何とやら。僕の親友がニヤニヤしながらパンを投げて来た。
「購買に珍しいパンあったから買って来てやったぞ。微笑みのどS!!」
受け取りながら唇をすぼめる。
「もう、その呼び方止めてよ」
「そうだな。可哀想に、自分の性癖が全校生徒にバレるなんてな」
「…そういうも言い方止めてくれる?」
大きくため息をつきながら、お金を出した。
別に僕はどSじゃないと思う。Sだとは思い始めたけど…。
チラリとご飯を話しながら食べている女の子3人を見て、末長に耳打ちをした。神無月さんにお礼をしたいと言うコトを伝えると、聞いておくと言われた。にっこり笑って「君も参加すると尚喜ぶよ」というと、一瞬顔を赤らめて「明日が付き合い始めて5ヶ月の記念日になるからその時に何かするからいい」と呟かれた。
-----もう5ヶ月だっけ?
指を折って数えていく。 12、1、2、3、4、5…本当だ。
「何してあげるの?」
「言うかよ!」
残念。教えてもらえないみたいだ。
けど、2人が付き合って5ヶ月かぁ。そりゃ僕も2人を見ても笑わなくなるはずだよね。完全にこのグループの中に彼女は溶け込んでいるし、そういえば詩織と力を合わせて2人の仲を取り持った(?)こともあった。はぁはぁ、うまくいってるんですね。
ジッと神無月さんを見つめると、笑われた。
「何? あまりの私の可愛さにやられた?」
「うん、末長がね」
フイと視線を外してパンの袋を開けた。香ってくるチョコの匂い、噛み付くと甘さが口の中で溶けていった。
-----5月も終わりってことは、僕が転校してきた時もこのくらいだっけ?
「あ、ユーヤ今週末の土曜、空いてるかしら?」
「大丈夫と思うけど…どうしたの?」
「ちょっとね。じゃあそのまま空けといて」
頷くと満面の笑みが帰って来た。
なんだろう? 土曜日…ああ、もしかしたらお兄さんがこっちに帰ってくるのかも知れない。バイクのことかな。
-----でも、まだ聞いてないんだよね、値段の付けられないもの。
もう僕の中では確信的になっていて、姉さんなのだろうと思い込んでいるんだけど…実は僕なんて言うオチが付いていたら嫌だなと。まぁそんなわけはないから、当日聞いて当日の判断になるのだろう。別に姉さんさえ良ければ嫁にでもイスカンダルにでも連れて行けばいいと思う。というより、僕に言うより父さんにだと思うんだ。「娘さんを下さい」っていうのは。ああ、囲い込みかも。弟から周りからってね。うわ、姉さんと同じような思考回路…。
ていうか、肝心の姉さんはKENさんのこと本当はどう思ってるんだろう…?
そんなことをぼんやり考えて毎日を過ごしていたら、あっという間に詩織が空けておいて欲しいと言っていた土曜の朝。前の日に何をするのかと言う電話をしたのだけど、教えてもらえなかった。で、お兄さんかとも聞いたんだけど違うと言われた。
首を捻っていると彼女が来た。
まずは一緒に宿題をするというので机にプリントを広げて問題を解いていく。が、なんだか少しソワソワした様子だ。もう、飽きてしまったのだろうか?
「わからない? それとも飽きちゃった?」
「違うわ。いいから、さっさと済ましちゃいましょ」
オカしい…と思う。
イタズラをする時でさえ、こんなに落ち着きのない事はない。むしろ平然と、にんまりしながら堂々とするタイプなのに…。
だからドッキリという事はないと思うんだ。
「体調悪いの?」
「違うわ」
ペンを走らせたまま答えて来た。
顔をのぞけば、確かに悪そうな感じではない。
-----何だろ?
けど聞いても答えてくれはしないだろう。言えるような事なら昨日の夜にとっくの昔に言っているハズだ。ま、いいかと楽天思考に切り替えて、問題をひたすら解いた。
「終わった?」
「終わったー!!」
「コーヒーでも飲む?」
頷く彼女にコーヒーを入れる。ミルクと砂糖は絶対。しかも2つずつ。
プリントがなくなった机の上に、湯気の立つカップを二つ並べ、スプーンを渡した。
「で?」
「え?」
「今日、何かしたい事か何かあって来たんでしょ?」
ピンクのクッションをお腹に挟んで首を傾げると、サクランボ色の唇に真っ白なカップが被さった。すぐに消えていく湯気の行方を追いながら詩織が口から陶器を離した。
「今日は何月何日?」
「5月29日」
「正解。ご褒美に…ハイ」
机の上に出される包み紙。
顔をしかめて何かと聞くと「開けてみて」と促された。袋を開封すれば、出て来たのは皮で出来た兎の形をしたブックマーカー。
手に取って見つめながら、クエッションマークを飛ばした。
「シオリ…え、なんで?」
「私と同じ名前だからよ」
「いや、そういうコトじゃなくってさ」
言えばにっこり微笑みかけて来た。
意味が分からない。
そうだろ? 今日が5月29日だって答えられたからって貰えるようなものじゃない事ぐらい分かるよ。明らかにこれは前々から用意していたものだ。だって今の時刻は朝11時過ぎ、詩織が来たのは9時くらいだ。お店なんて開いてるわけない。
これは一体…?
「わからない?」
「ゴメン」
はっきり言って全然分からない。
2人の誕生日は終わってしまったし、お礼の品を何か渡さなきゃいけないと思っているのは僕の方なのに、なぜ僕がシオリを貰えるような事になるのか。そういえば、5月29日がヒントなのかな?
「ふふ。記念日じゃない」
「記念日…?」
といえば、末長と神無月さん。いやいや、僕らに関係ない。僕らにとって5月29日って…何?
首を捻ると今度は頬を膨らませて軽く叩かれた。
「ゴメン」
「いいわよ、ユーヤにとってはそこまでじゃなかったかも知れないもの。でも、1年前の今日、私には感動的な日だったのよ。多分、人生において一番嬉しかった日かも知れないわ。だって、私がユーヤに…」
「あ!! 出逢った日!?」
「そうよ。私がここにお邪魔した初めての日でもあるわね。ついでに言わせてもらうと、明日は友達になった日よ」
ようやく合点がいくと少し、顔を赤らめた詩織が僕のオデコを押した。「気づくの遅い」って。
-----そうか、今日だったんだっけ?
正直言えば、あの日は最悪だと思っていた。だって、警棒を突きつけられるわ不良に追いかけられるわ、詩織を家に泊めなきゃいけないわ、半分以上パニックを起こした状態だったんだもの。僕もついでに言わせてもらうと、詩織に早く帰って欲しいと思ってたね。深夜、風呂場で一人、詩織の制服についた血をゴシゴシ落としてたし。
あの時はまさか、こんな風に親友になるなんて思っても見なかったから…。
「ふふ、だからそれは友達1周年記念よ。私からの感謝の気持ち。出会えた事と偶然肌が触れた事、親友になれたこと、全部ひっくるめての」
「あ、ありがとう」
そこまで考えていなかった僕は狼狽えた。
だってすっかり忘れていたと言うか、覚えていなかったのだから。悪いなという気持ちしかこみ上げてこない。それに…。
「僕、返せるようなもの持ってないよ…」
そう、何にも準備なんてしてない。
記念日だと言うからには僕からだって何かしらした方がいいに決まってる。
「あ、初めて一緒に行ったレストランにでも…」
「いいわよ」
「じゃあ。何か一緒に買い物にでも…」
「いらないわ」
閉口した。
だって何を言ってもいらないの一点張り。最後には32アイスクリームを奢るって言ったのに、それさえも断られてしまった。詩織が大好物のアイスを断るなんて…天変地異の始まりなんじゃないかな? もしくは恐怖の大魔王が今更降ってくるとか!?
焦る僕を尻目に、詩織もなんだかまだソワソワしている。
-----まだ何かあるの?
これを渡したかったから、様子がおかしかった訳ではなかったようだ。でも、そんなのどうでもいい。とりあえずお返しをさせてもらえないと困る。一方的に貰うだなんて…。
「じゃあ、欲しいもの言ってよ。買いに行くから…」
「違うのよ」
目を合わせたまま、僕のお腹からクッションを引っ張りだしそこら辺に落とした。座ったまま、詰め寄ってくる。太ももに手を置いて、顔を近づけて来た。
-----顔、顔近いから!!
真っ赤になりながらも動けない。普段ならキスさせてくれるんじゃないか?…なんてフザケて考えるんだろうけど、そんなことさえ浮かんでこない程僕の頭はパニックに陥った。イザって時は、役に立たない脳みそだ。サクランボ色の唇がゆっくり開いた。
「お願いがあるの…」
「な、なな、何?」
「これ、ユーヤから私への友達1周年記念のプレゼントってことにしたいんだけど。いいかしら?」
もう近過ぎて頷く事しか出来ない。
まるで去年の僕と詩織の関係みたいだ。何も言えず、ただただ彼女の言うコトだけを聞く。っていうか、聞かせて頂きます。はい。
何度か頷くとにんまり笑った顔が少し遠くなった。
ホッと一息ついていると、僕はまたパニックに陥れられた。