儚き願いの調べ #6
「詩織!?」
どうしてここに? 思いつつも、向かい側の校舎を見るため窓ガラスに張り付いた。
けど、そんなことを気にしている暇なんてなさそうだ。様子からして、キレたんだと思う。そうだろ、人の高校で暴れ始めるなんてするわけない。
周りにいる男達を数える。1、2、3、4、5…人数的にはギリギリ彼女の力量ならいける。けど、そこは問題じゃない。ここは校舎だ。今のガラスが割れる音を聞いて先生達も駆けつけるだろう。それに、もうすぐチャイムが鳴って教室移動が始まる時間だ。あの廊下を過ぎると理科の実験室がある。僕は2年前の水曜日、1-Eの生徒として奥の教室を使っていた。そう、今の時間に。
時計を見ればあと、数分しかない。
「あれ、留年組の不良の奴ら…からんでるみたいだぞ!?」
「紙屋、上靴貸して!!」
「お、おい」
奪うように無理矢理脱がせ、履いた。窓の外を見れば、人数が減ってあと3人。
窓を開けた。
「まさか!?」
紙屋が叫んだ。けど、それを無視して僕は床と壁を蹴って窓枠に両足をかけた。
「やめろよ!!」
「あと数分で授業が終わる。それまでに止めなきゃ」
「だ、大丈夫だ!! お前のカノジョほら、また1人倒した!!」
「違う。僕は詩織を、授業が終わるまでに止めなきゃいけないんだ」
風が僕の体を誘うように、吹いている。
パシリに使われていたから分かる。ここは3階の視聴覚室。2階の向こう側の校舎に行く為には、1階か5階にある渡り廊下を渡って行かなくてはいけない。そうするとどんなに頑張ったって、僕の脚じゃここから5分はかかる。その頃には、すでに授業は終わってしまっている。もし少しでも到着するのが遅れたら、関係のない人達までも巻き添えを食ってしまうだろう。
「何を考え…」
「大丈夫!!」
そう、大丈夫。
パシリに使われていた時は怖くて出来そうにないと思っていたが、実はルートは僕の頭の中に出来ている。この視聴覚室のある校舎とあちらの校舎の真ん中には、下駄箱の建物がある。その建物の屋根はこちら側が高く、向こう側が低いという斜めの構造をしている。だから、ここから飛び降りて走って行ってあちら側に飛び込むのが一番早いのだ。
ただ、こちら側は校舎の設計上、向こうに比べて屋根まで距離がある。目算、1.5m。ここより低い位置にあるけど…
正直、微妙だ。助走が全くない状態で足場の悪い窓の格子の上からジャンプするなんて。普通なら、しないね。
「やめろって!!」
「亮二、いいこと教えてあげようか」
「何言って…」
「あの子、僕のカノジョじゃなくて…親友だから!!」
言いながら格子から手を離し、思いっきり飛んだ。羽は生えてないけど、それが的確だ。
重力に逆らって、風に流されて、自分の力で、空を飛んだ。
亮二が僕の名前を叫ぶ声が聞こえた。
少し余裕を持って脚が屋根に乗る位置にあるのを確認しつつ、膝を曲げた。瞬間、脚の裏が痺れるような感覚に襲われた。
よろめきながらも斜めになった屋根を走り出す。
坂だから僕の出せる速度より早く、脚が繰り出されていく。ぐんぐん加速して、風を切る音が聞こえた。
「詩織!!」
声を出した時には既に、全員姿が見えなくなっていて、親友だけが僕の方を振り向いた。
計算しつつ、右足を大きく踏み出して今度は校舎の中へ跳んだ。割れた窓に右足を引っかけ、格子を掴んで勢いを殺す。が、やっぱりそこまでは出来ずに前のめりになって、脚を外した。ガラスを踏みしめた音がして、周りを見れば少しの破片。
すぐに前を向いた。
警棒がしならんと、振り上げられた。だからそのまま肘の下を押す。
「逃げようか」
言いつつ、肌に触れ笑った。
ハッとしたような顔をした詩織が周りを見てすぐさま頷いた。腕を引く。
2人で走りながら、反対側の校舎の窓辺で僕を心配そうに見つめる昔の親友に、昔、会っていた度していた合図を送る。右手を上げてお互いの間で腕相撲をするように組むジェスチャーを。
そして下駄箱から詩織と飛び出した。
途端、チャイムが鳴って学校が騒がしくなった。ついでに生徒指導の先生達が窓ガラスの割れた場所へ走って行くのが見えた。
「僕、携帯番号変わってないから!!」
「俺も変わってない!!」
振り向くこともせずに声を出すと、どこからともなく声が聞こえた。その瞬間僕らは校門を抜けた。
隣に腰を下ろすと電車の発車する音が聞こえてきて、プシューと言う音と共に扉がゆっくり閉まった。
同時に僕は親友に声をかける。
「心配してきてくれたんでしょ?」
「…違うわ」
「じゃあ、どうしてあんなとこにいたの?」
「校舎が気になっただけ」
気のない返事をして隣に置かれたように綺麗な小指に指を絡ませた。
視界の端で驚いたような顔をした親友を無視して車窓の外を眺める。
「今から独り言うから、黙っててくれる?」
「え、ええ」
にっこり笑って顔を見た後、また流れて行く景色を見つめた。
「今日は僕にとって劇的な日だった。苛められてたことも、過去に犯した罪も、僕の思いも、全部が消化された。だから僕はもうイジメられっ子じゃないし、過去に縛られてもない。もう、お正月で見せた情けない顔もしないし、バレンタインで見せた惨めな姿にもならない」
キュッと指を強く握りしめた。
「ああ、それと…親友だから言っておくよ。またカノジョがいなくなっちゃったんだ。あ、ちなみにフラれたんじゃないよ? でも僕の力量じゃ無理だったみたい」
「独り言じゃなくなってるわ」
「ごめん、また独り言に戻すよ」
笑うとはにかんだ笑顔を向けられた。
そして、僕から視線を逃してどこかを見つめた。目を細めて視線の先を追った。
「あのカノジョは、昔僕の好きだった人に似てた。びっくりした。でも、まぁそれ以上に僕はビックリしたことがあった。僕の親友は予想以上にヤキモチ焼きだってことにだ。初めて出来たカノジョを突き飛ばしたんだ」
「あれは!!」
人差し指を唇の前に持っていって「独り言です」と言い、続けた。
「今思うに、あれって知ってたんじゃないかと思う。何をかって、あのカノジョが人のモノを欲しがる子で、手に入れたらすぐに捨てちゃう子なんだって。だから、僕の親友は突き飛ばしても「謝らないわ」なんてったんじゃないかと。ついで言えば、僕がひっかかってしまわないかを心配してくれた結果の行動じゃないかと…そう、僕は思っている訳です。さらに言うなら、着信拒否にされても家に入れなくても、話さなくても、その親友との友情は壊れないと確信を…」
隣を向くと、言葉が途切れたのを不思議に思ったのか、詩織が僕の顔を見ていた。
目を合わせて表情を捕まえる。
「確信をしていいと思っているんですが、どうでしょうか?」
「愚問だわ」
まだ離さない。
「ならば親友さん、やっぱり今日の突撃☆隣の学校はやはり僕を心配しての行動で? YESかNOじゃなくて、はっきり言葉で答えて欲しい」
みるみる顔が赤くなっているのを見て、声を上げて笑って目を離した。
言わなくたってそんなこと初めから分かりきっている。そう、元禄高校に来てくれたのだと分かった瞬間から。
親友を信じていなかったのは僕の方だったわけで、詩織は僕のことを信じきってくれていた。しかも、他校でキレるというオマケ付きで。
「親友、あともう1回だけ独り言をいいかな?」
「どうぞ」
「信じてくれてて、本当にありがとう」
もう1度、細い指先をゆっくり握った。
連休中のこと、僕の携帯が音を出した。
それは約1年半ぶりに聞く着信メロディ…画面表示の相手は元親友、紙屋亮二。
焦らすように2回ほどわざとコールを見送って、それからゆっくり手に掛けた。
『もしもし?』
『ユーヤ、言い忘れてた。お前のカノ…親友の秘密のことバラしたりしないから』
『わかってるよ』
テレビを消しながら、目を瞑って彼の声だけに神経を捧げる。
窓から風が吹いてきて柔軟剤のいい香りが鼻腔をくすぐった。
『一嘩のことは…俺の責任でもある訳だ』
『まぁ、そうだね』
『だから行ってきた。責任を果たす為に、謝る為に、頼まれた手紙を持って…』
『うん』
『またアイツ、泣いてたよ。笑いながら。可笑しいだろ? 泣きながら笑って…鼻水も出てたし』
声を上げて笑った。
どピンクのクッションを掴んで、お腹に挟んだ。
『同じ大学、目指そうかと思ってる』
『へぇどこ行くの?』
『W大学に。お前も来るか?』
クッションを軽くポンポンと叩いて、頭を掻いた。
携帯を握り直す。
鼻を摘んでから笑って手を離した。
『いかない。僕にだって行きたい大学があるし、そこ私立でしょ? 僕は国立を目指してるからさ』
向こうで鼻をすする音がした。
『わかった。もし、近くの大学に進学したら…奴らには黙って合コンしようか』
『いいけど…あゆむみたいな子はもう勘弁だよ。嫌いじゃないけど、僕の力量じゃすぐに逃げられちゃうよ』
『考慮しとく』
会話が途切れた。
さぁ本当に一嘩から卒業する時だ。僕も、ようやく彼女から解放される。
『じゃあ、一嘩を、よろしく。僕の大切な、中学からの友達をよろしく』
『ああ』
満足感を覚えて別れの挨拶をしようと息を吸った。
『あ、きる前に一言言わせてくれ』
『何?』
『お前の親友な、多分、お前のことスゲー好きだ』
『知ってるよ、その位』
鼻の頭を掻きながら、相手に分かるように笑った。
向こうも笑って、ヒーヒー言って、それから呼吸を整えた。
『馬鹿だな、お前って』
『失敬な、阿呆だってば』
『そうじゃなくてだな…もういい。またな』
『またね』
ピっという音がして、通話が終わった。
僕の過去の、洗いざらい吐き出さなきゃいけない部分全てが、何もかもが終わったのだと確信した。過去は清算された。
ようやく僕は前をちゃんと見て、進んで行けるだろう。
いい方向に行くか、それとも暗雲立ちこめた場所に行ってしまうかはわからない。けど、イジメと言う過去を乗り越えられた僕は、きっとどこに行っても強くあれるのだろうと思っている。
一嘩の笑顔は取り戻した。次は…
インターフォンがなった。
「アイス食べにきたの?」
「違うわ」
「じゃあ、僕と話に…ってことでいいかな?」
「そうね。そういうことにしておくわ」
次は、この子の幸せを守ろうと思う。