儚き願いの調べ #4
「僕は君の彼氏だよね」
「はい」
「じゃあ、倒されたあゆむを信じるよ。普通、されたほうが被害者でしょ?」
昨日の夜、駅前で別れ際に交わした言葉。
勿論カノジョの答えはYESだった。だから、何も聞かず信じてる。詩織にも何も聞くつもりなんて無い。
約1週間前にロックされた詩織のアドレス画面を見て、携帯を握りしめた。
-----今週の水曜で終わる。
最終コーナーの地点で、僕と詩織に今までに無いくらい溝が出来たと僕は感じた。
だって昨日の医学部用編成クラスへ行くまでは、話しかければ言葉は返ってきてた。だけど、今日は話しかけることさえ出来そうにない。僕の方を一切見ようとせず、近づけば避けられる。ツライ。だから、僕も詩織には近づかない。
今、僕らのことを客観的に第3者が見たらこう言うだろう“ただ同じクラスにいるだけの空気のような間柄”だと。
-----本当は詩織を守りたいだけなのに。
もろくも崩れてしまった僕らの友情を取り戻したいと思った。信じてくれていると思っていたのは自分だけの奢りだったようで、現実の厳しさをヒシヒシと感じた。あの時、ちゃんと紙を渡しておけば良かった。今更渡したって「はっ」なんて小馬鹿にした笑いが返ってくるだけだろう。
突然出来たカノジョと言う存在に、着信拒否、家に入れず話そうともしない、挙げ句の果てには詩織の話を聞かず怒鳴った。そして僕はあゆむを信じてるという有様だ。詩織が僕のことを今、どう思っているかなんて想像に難くない。
頭を振る。
-----どう思われたっていいって覚悟しただろ?
僕らは親友だけど、彼女には他に幾らでも友達がいるのだという当り前のことが少し口惜しい。だって、本当は信じて欲しいのは僕の方…詩織に、何も考えずただただ信じてもらいたかったのに、他に友達がいるから僕がいなくても平気なのだろう…そう、感じた。感じてしまった。最低だ。
泣きたい気持ちを押さえて、過ごす。
関係は特に変わらず、僕からも詩織からも話すことなんて無い。
僕は久しぶりに一嘩の夢を見た。
今日見たのはいつもと違っていた。声が出るのだ。名前を呼べばにっこり笑って僕を見上げた。
「信じてる」
「何を?」
「山田くんのこと…だからヒント。普通、偶然似た人と逢うかな?」
そこで僕の目が覚めた。
眼鏡を掛けて携帯を見れば今日は水曜日、あゆむと彼氏彼女の関係が終わる日。
「どういう…意味?」
偶然似た人と逢うかな?…言いたいことは、偶然じゃないってことだろうか? そういえば、僕は呼び出されるまであゆむの存在さえ知らなかった。そりゃそうだ。学年が違えば早々、知り合うことなんて無い。僕は帰宅部だ。では、あゆむの方はどうだろう? 初めて会った時なんて言っていた? そして彼女が現れて僕はどうなった?
「あ」
僕の勘が一つの答えを導きだした。
確証も証拠も何一つ無い、けれど、僕にあゆむが近づいてきたという事実。あゆむの顔が、僕にとってのヒントだったのに。偶然があるだなんて思っていた自分が情けない。あゆむとの出会いが必然であるとするなら、僕と一嘩の関係で浮上してくるのは、もう…。
-----今まで気がつかなかったなんて。
制服に着替えて、机の引き出しを開けた。そして奥の方に閉まってあった少しだけ古茶けた封筒と真新しい封筒を掴んでファイルに丁寧に入れた。そして携帯を取り出す。
呼び出す相手はそう、あゆむ。僕は初めて会った屋上を指定した。
朝の5月の風が気持ちいい。
そういえば、明日から連休だ。
金属の擦れ合う音を特等席である場所で聞きながら名前を呼んだ。
「どうしたんですか? 急がなくっても今日で終わりなんですから、帰りにでも」
「目的は、僕自身だったんでしょ?」
「え?」
「正確に言えば、僕の心」
大きく目を開いた瞬間僕はすかさず続けた。
「紙屋だろ?」
止まっていた雲が急に動き出し、あゆむが携帯を取り出してボタンを押した。意図が分からず黙って見つめる。
ハーフアップされていた髪の毛を解いてカノジョが髪をかきあげた。
「残念ですね、大正学園の神童さん。半分だけ正解です」
「半分?」
「半分です。だって、私、本当に山田先輩のこと狙ってたんですから。あはは! 驚きました? でも思ってるようなのじゃないですよ。本当に好きって言う訳じゃなくって…私モテるんです。モテるから自分の力を試したいんです。だから中学の頃からおしどり夫婦って呼ばれてるカップルの片割れを自分の魅力で振り向かせるっていう遊びをずっっっとしてたんです。男って馬鹿ですから、今まで長年付き合ってきた安定したカノジョより、私みたいに急に現れた女の子に心惹かれちゃうんですよ。馬鹿でしょう? 私はそんなつもりじゃなくってゲームでしてるっていうのに。あはは。で、たまたま山田先輩と詩織先輩の話を聞いた時にね、一嘩とかいう人に似てるってことで紙屋先輩が私に声をかけてきたんですよ。山田裕也を一緒になって苛めようって。あは、心躍っちゃいました。だって、私のライバルはここら辺では有名な美少女、詩織先輩。そして山田先輩は私に似てる一嘩先輩のこと好きだったんでしょ? もう、絶対面白いことになるって、考えただけで身震いしちゃいました」
「それが後の半分?」
「そうです。あはは、あんまり驚かないんですね? 残念」
怒りをかみ殺して、あゆむに携帯を投げつけた。
情けない。
気づかなかった自分も、弄ばれた自分も。そしてこの一端を計画した昔の親友も。
「今日で終わりだから、ロック解除してよ。あと、詩織の秘密も」
「知りませんよ?」
「は?」
「正確には、秘密を私は知りません。だから、よく聞いてください、彼氏さん。『お前のカノジョの秘密をバラされたくなかったら、あゆむがメールを送って1時間半以内に元禄高校の視聴覚室に来い』誰からだか、わかってますよね。ちなみにさっき私が携帯押したのがメールの送信ボタンです」
カチカチ僕の携帯を操作しながらあゆむが笑った。
黒いそれを投げ返しながら首を傾げた。
「一応私も人間ですから、悪いことしたって思ってます。だから、私のことはこれ以上気にかけないで下さい。わかってますから、山田先輩が優しすぎるくらいの人だって。今でも私のこと張り倒したいくらい頭にきてるのにそれをしないことも。だから、せめてもの償い。私のこれからは気にしないで下さい。あはは。心配しなくてもまた別のターゲットみつけますから! ほら、急いで下さい!!」
怒る気にも、何か言う気にもならず、掴んだ携帯の時計を見た。
「送って5分経ってます。電車で行けばギリギリ間に合います」
「わかった。何も気にしないし、君のことはいなかったものとして認識しておくよ」
ドアノブを引きながら冷たい目で睨むと笑顔が降ってきた。
「さよなら」
「さよなら、初めてのカノジョ」
階段を駆け下り、まだまばらな教室に飛び込んだ。急いで鞄を引っ掴んで、踵を返す。
「おい、山田くん!?」
「ごめん、先生には早退って言っておいて!!」
脱兎の如く、生徒達が作り出す流れとは逆方向へ進む。靴箱で靴を履き終えると、目の前には僕の親友。お互いに目を合わせることなく、僕は校門へ、詩織は教室へ向かって行く。
振り返ったけど、見えたのは靡いた真っ黒な髪の毛だけ。
-----全部終わったら、全部話すから。
恥も概念もかなぐり捨てて、本当のことを話そうと思う。唇を噛み締めてゆっくり目を瞑り、一瞬だけ見えた髪の毛を思い出し、また走った。
息も苦しい、脚だってスピードに負けてもつれそうだ。
だけど、僕は止まれない。
終わりに向かって走っている。
久しぶりの駅名を押して出てきた切符を改札口に突っ込んだ。通勤ラッシュが終わりかけた電車に滑り込んだ瞬間、ドアが閉まって鉄の箱が動き始めた。一定のリズムの中、僕は元禄高校に通っていた頃のことを思い出していた。
殴られた日、パシリに使われた毎日、万引きをさせられた瞬間。紙屋との笑って過ごしたあの日、彼に裏切られた瞬間、そして…。
-----一嘩、今日で…裏切りは取り戻せるから。
つり革をしっかり握って、通り過ぎて行く景色を見据えた。