表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
104/253

儚き願いの調べ #3

 ストックホルム症候群って言葉知ってる?

 1973年、ストックホルムの銀行強盗事件で犯人が4人の人質を取って181時間もの間、拘束して立てこもった。警官隊の突入で解決したんだけど、その時人質になっていた女性達が「彼を撃たないで!」って犯人を庇ったんだ。さらにその後、犯人と人質は結婚してしまった。これがストックホルム症候群の言葉が出来た事件。

 今、僕はその状態になってしまっているのかも知れない。

 こういう関係もありはありだなんて思いかけている僕の脳は想像以上に馬鹿だって理解しているのに。…押し戻す。僕は詩織を守る為にしてるんであって、楽しむ為にしてるんじゃない。わかってる。でも、今日もまた、持っていかれそうだ。

 腕が暖かさに包まれる。


「日曜、家に遊びに行ってもいいですか?」

「家? 僕一人暮らしなんだけど」


 目が合う。

 笑われた。

 ムッとなって唇と尖らせる。


「いいじゃないですか、1度行くくらい」

「勝手に色々触らないでよ?」

「あー、エロ本とかのコトですか? 私、気にしませんよ?」

「…なきにしもあらず、かな」


 苦笑した。こういうコトをさらりと言えてしまう女の子は初めてで対応が分からない。だからなのか、僕は今日も持っていかれてる。少しだけ別れ際を惜しむ自分がいるのに気づいた。






 日曜。

 僕は呆然とした。

 ドアを開けることはせず、会話をする。会話の相手は黒髪の親友。


「アイス食べにきたの?」

「違うわ」

「じゃあスカイプ?」

「いいえ」

「じゃあ…」

「ユーヤと話したくなったのよ。最近、話してなかったでしょ?」


 振り返って時計を見た。

 そろそろ、あゆむとの約束の時間が近づいている。こんなとこ見られたら、1週間頑張った僕の努力が無駄になる。


「悪いんだけど、無理…かな」

「…カノジョ?」

「うん。多分もうすぐ来るから」


 -----帰って欲しい。

 切に願った。


「ユーヤも末永くんと同じタイプなのね」

「まぁ、よくあるパターンだよ。仕事と私どっちが大切って言われたら君って言うしか無いし、友達とカノジョはどっちって言われたら…」

「分かったわよ。でも…着信拒否は酷いと思うわ」


 下唇を噛み締めた。小さくなる足音を僕はただ固唾を呑んで聞いているだけしか出来ないなんて。今、詩織がどんな顔をしているのかさえ見れない自分に歯痒さを覚えた。

 -----僕の選択は間違ってたのかな?

 初めてそう、後悔した。

 そのまま立ち尽くす。もう1度、彼女がインターフォンを鳴らすのを期待したけど、そんな訳なくって次に鳴らしたのはカノジョ。

 頭がすぐさま切り替わった。


「いらっしゃい」

「おじゃましまーす」


 振り向いて時計を見れば約束の時間を15分ほどオーバーしていた。てことは、僕は少なくとも30分はここに立っていたことになる。

 -----阿呆だ。

 自分自身にため息をついて部屋に招き入れるといきなり不機嫌な顔をされた。


「そのクッション、詩織先輩の…」

「いや、それはクラスの女子皆から。嫌なら片付けるけど」


 言うなり引っ掴んで僕に投げつけてきた。

 言われなくなって分かっているから押し入れの中に放り込んだ。ピンクの繊維が1本、僕の目の前をゆっくり落ちていく。逃がさないようにゆっくり掴んでゴミ箱に誘った。


「山田先輩っていい根性してますよね」

「え?」

「だって、普通カノジョが部屋に来るって言ってたら、あんなのしまうでしょう?」

「ごめんね、気が利かなかったよ」

「それだけじゃないです。聞きましたよ、校長のヅラの話。詳しく聞かせてください」

「君の話して欲しくない詩織が出て来るけど?」

「いいですよ。聞きたいのは山田先輩のコトですから」


 にっこり笑う顔は本当に一嘩とそっくりだ。性格は全然違うけど、すでに気を許してしまっている自分がいる。話す途中途中で爆笑してくれるあゆむを普通に可愛いと思ってしまった。

 机に突っ伏してカタカタ言わせているあゆむを見て立ち上がる。


「何か飲む?」

「いえ、大丈夫です。それより、聞きたいことがあるんですけど」

「何?」


 元の位置に腰を下ろしながら首をかしげた。

 するとカノジョは顔を少しだけ赤らめて僕の顔を覗き込んできた。


「そろそろ好きになってもらえました?」


 心臓が高鳴った。

 脈が荒く、顔が紅潮してきたのが分かった。

 思わず俯く。


「言葉に詰まらないで下さいよ。ガラスのハートに傷がつきました」


 言って人差し指が僕のオデコを押した。

 -----嫌いじゃない。

 それだけははっきり思った。竜巻のように現れて付き合おうなんて言っておいて僕を脅して、そのくせ優しいような面も見せて来る。無邪気な部分も。心が揺れない男がどこにいるっていうのか。新鮮さと刺激を求めるのは人間の性だ。男なら、尚更。

 振り回されているのは、詩織の時だってわかっていたけどそれが楽しくて仕方なかった。あゆむだって同じ…僕をいいように振り回しては楽しんでる。

 ふっと笑って答えを探した。でもいい言葉なんて思い浮かばなくって、そのまま答えた。


「嫌いじゃない」


 言うとあゆむはにんまり笑って、窓の外を眺め始めた。

 指で雲をなぞって「タコみたい」とか「ニコちゃんマーク描きたい」なんて可愛いことを言っている。僕も床に手を付いて空を見上げた。


「多分、明日は雨が降るね」

「どうしてわかるんですか?」

「ツバメが低く飛んでいるから。湿度が上がると虫が低い所を飛ぶんだ。だからそれを食べるツバメも低く飛ぶ。ということは雨が降る前兆」

「なんか、ジジ臭いインテリですね」

「18歳に向かってそれは酷いんじゃない?」


 笑うカノジョのおでこを今度は僕が押した。

 それは僕自らあゆむに触れた瞬間。

 はにかんで額を押さえる子を目を細めて見た。僕の頭の中にあるのは今、目の前にいる女の子が大半を占めていて片隅に一嘩が何時もチラチラしてる。だから胸が苦しい。裏切ったあの子と同じような顔をした子と一緒にいるのが。でも、それ以上に今の状況を楽しんでしまっている自分がいて…最低だと思った。

 悩んでる。

 詩織のこと、一嘩のこと、あゆむのこと。

 すでに僕の神経も精神もある意味ボロボロで、どうしていいかわからない。最低だと分かっていながら行動してしまう自分が憎らしい。


 そして、僕の予報通り次の日は雨。

 あゆむと期限付きのお付き合いをして1週間が丁度経った。

 傘から見上げれば空はダークグレー。

 教室に入ると、いつもは僕より遅く登校して来る親友と目が合った。口を開いたけど、何を話していいか分からない。


「ユーヤ、あの子来た?」

「来た。ピンクのクッションに怒ってたよ」

「そう」


 笑いかけたけど視線は躱され、立ち上がって今教室に脚を踏み入れたばかりの委員長の方へ笑顔を振りまいて駆けて行った。そういえば、詩織が誰とどうやって帰っているかなんか知らない。ヘッドフォンをかけて一人で帰っているのか、神無月さんと一緒に帰っているのか、それとも…。

 どちらにしろ、この1週間、詩織と1度も一緒に帰っていないってことだけは事実として残っている。そして、詩織が着信拒否に気がついているってことも。

 -----どんな心境で僕に話しかけてくれたの?

 微笑しながら言葉を発してくれた顔を思い出したら、鼻の奥がツンとした。

 酷いことをしているのは自分の方なのに。


 メールが来た。内容は今日の放課後は下駄箱のとこで待っているとのこと。そうなんだ、今日は医学部用の授業がある日…。前までだったら、教室で詩織が待ってくれていた。

 大きくため息をついてメールを返信した。

 折角、湯浅先生から分かりやすい講義を受けているって言うのに、全然頭の中に入ってこない。

 -----今日、受けてる意味ないな。


 頬杖付いてあゆむのコトを考えた。

 気分が沈んだ。まだカノジョから本当の目的は何なのかを聞き出せていないのに、僕の本当の役目は詩織の秘密をバラさせないことなのに…いつの間にか忘れそうになっていたコトを自覚したからだ。こんな自分が許せない。魅力的なのは分かる、傍にいてくれて嬉しいのだって会話だって楽しいのも。馴れ合っちゃダメなのだと思っているくせに、すでに僕の心は揺れている。

 戒めるように先週プリントで切った指先を見つめた。もうただの線になっていて痛みも何も無い。

 -----ゴメン、ちゃんとするから。

 今日見た詩織の微笑を掴むように手を握った。

 

「んー、はっ」


 思いっきり伸びをして息を吐き出した。

 そろそろ僕も動こうと意識した。もう1週間、いい加減本当のことを話してくれたっていいだろう。じゃなきゃ詩織にだって悪い、僕の心にだって。言い訳じゃないけど、神経すり減っているから当初の目的を忘れて、流されてしまっているのだ。ホント、ストックホルム症候群みたい…。親友とカノジョ、ある意味極限状態の2人に挟まれれば僕だって精神が病む。毎日毎日悩んだ。詩織のこと、あゆむのこと、気を許してしまう自分のこと、一嘩のこと。

 -----ん、一嘩? …あ、忘れちゃった。

 一瞬何かが僕の中で引っかかった気がしたのにすぐさま溶けてしまった。重要な気がしたのに…。


 鞄を持って一人下駄箱に向かいながら何度も何度も思い出そうとするけど、なかなか思い出せない。同じような行動をすると思い出せるって聞いたことあるけど…あゆむを待たせてある。腕を組んで考えるが、わからない。

 -----思い出せないってことはそんなに重要じゃなかったのかな、もしかして。


 下駄箱を開けて中のスニーカーを取り出した。履いて、並んだ下駄箱を抜ける瞬間、白い手がハッキリ見えた。その手は僕の目の前にいたあゆむを突き飛ばした。小さな叫び声を上げてあゆむが倒れ込む。

 大きく目を開け、その手の持ち主を見ると…僕の親友だった。


「な、何やってるんだよ!?」


 荒い息で呼吸する詩織を見ながら、あゆむに駆け寄った。倒れた衝撃で膝が擦り剥けて血がにじんでいる。

 それを見た彼女は一瞬だけ眉をしかめたが、フイと横を向いた。


「しお…」

「私、謝らないわ」


 -----何を考えて!!

 かぁっと体が熱くなった。女の子に怪我をさせといてその態度は酷いと思った。そりゃ君はいつもキレて暴力を振るっていたけど、ナンパされたり襲われたりして暴れ回っていたけど、それとこれは重みが違う。


「おかしいんじゃないのか!?」


 言い放ち、あゆむを抱えた。

 スニーカーを履いたまま1階にある保健室へ駆けた。もちろん、振り返ることはしない。

 中に入ると電気だけが付いていて、“職員会議”と黒板に書かれてあった。仕方なく、ため息をつきながらあゆむを椅子に下ろす。

 記帳簿に名前だけ書いて棚の中にある消毒液を手に取って綿に染み込ませた。

 ツンとする液の匂いを嗅いで口を開く。


「染みるよ」

「はい」


 ジュワという音と共に小さな泡がパチパチと弾けた。

 それを見ていたら、ようやくたぎった血が落ち着いてきた。

 -----全く、何を考えて…。

 もう一度ため息をつきながら綿の方向を変えて傷口に押し当てる。


「ごめんね、詩織が」

「先輩に謝ってもらいたくないです」

「……」


 なんて言っていいのか分からなくって、口を閉じた。

 ピンセットから綿を離し、手からも金属のそれを離す。


「バンソウコウでいい?」


 頷くあゆむに2つ、肌色の傷テープを貼ってやった。


「聞かないんですか?」

「え?」

「突き飛ばされる前の…」


 言葉に詰まった。

 2人の意見を聞いてみないとどっちが悪いかなんて分からない。けど、僕はどっちの話を聞いても2人とも信じるだろう。どちらに矛盾があったとしても。

 それに冷静になった頭は詩織を、詩織のことを怒鳴った自分を責め始めている。話も聞かずに、怒り散らしてしまったコトを。

 今、ここであゆむからだけ何かを聞くなんて出来ない。


「2人の問題だと思うんだ」

「そこに、山田先輩の話が絡んでいたって言ったら、それでも聞きませんか?」


 一瞬だけ目を合わせて立ち上り消毒液を棚に戻した。


「そんなことより、本当の目的を聞きたい」

「だから…」

「あゆむ、気づいてた? 君、一度だって僕のこと“好き”って言ってないよ? 付き合ってとは言われたけど、普通そう言うのってセットだと思うんだ。違う?」


 敢えて聞かなかったことをぶちまけるように言ってみせた。


「偶然ですよ」

「そう」


 目的は分からないけど、僕のことをそういう風に見てないんだって言うコトは薄々気づいてた。一嘩の時みたいに気づきたくなかったから、黙ってた。顔を見て、心が少しだけ痛んだのに落胆を覚えた。少なからず、この子に僕は惹かれ始めていたのだと言うコトに。

 でも、君がそう言うのならば、僕は最後まで信じよう。期限付きの彼氏として。


「帰ろうか」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ