儚き願いの調べ #2
授業中、隣を盗み見た。
綺麗な黒髪を耳に掛けながらシャープペンシルを一心不乱に動かしては赤ペンで印をつけている。
僕は数時間後、きっとこの子のアドレスを着信拒否にする。全部言って、理解してもらえたらどれだけ楽なことか。でも何も言えない。
-----せめて…。
ノートに一文字一文字、ゆっくり丁寧に文字を書いていく。
<何が起こっても信じてて>
文字を中心にノートの端を千切って横を見る。
漆黒の目と、目が合った。
持っていた紙切れをグシャっと丸めた。こんなもの渡さなくなっても、きっと彼女は僕のことを信じてくれてると思ったから。それに男なんだから、守ると心に誓った以上、それを相手にわかるようにするなんて格好悪い。口に出さないからそういうのって、いいと思うんだ。口に出してしまえばそれは自己陶酔、自己満足だと思う。きっと詩織だって「いちいち口に出さなくたって分かってるわよ」ってそう言うね。
小さく纏めた紙を自分のペンケースへ突っ込んだ。
これから10日間、僕は詩織との連絡を断つ。
家にも招くことも無ければ、入れさせるとこも無い。
一緒にも帰らない。
あゆむの言う、真剣に付き合うってこう言うことも入ってくるんだと思う。何が目的で僕に近づいたかは知らないけれど、詩織の秘密をバラされるわけにはいかない。何かはまだ憶測も出来ないけれど、そんなに軽いモノじゃないと思う。脅しに使うくらいだもの。
-----あゆむは一体、詩織の何を知っていて…僕に何を求めているんだろう?
考えながら黒板を見つめた。
帰りの会が終わって、癖で詩織の方を見てしまった。
かぶりを振る。
「ユーヤ、昨日新しいお店が…」
「山田先輩!! 一緒に帰りましょう」
ざわめく教室に、ただ1人ブルーのエンブレムをつけた女の子がドアの所で僕を手招いた。見なくても分かった。詩織が昼間の僕とあゆむの行動を思い出し、言いかけた言葉を飲み込んだのが。
「ごめん、末永達と帰って?」
苦笑いをすると親友は目を伏せた。
下唇を噛んで今にも飛び出そうになる言葉を僕も、飲み込む。
鞄を抱えて、栗色の髪の毛をした女の子の元へ駆けた。未だざわつくクラスメイトを避けるように、僕はすぐさま教室を飛び出した。
「山田先輩。分かってると思いますが、条件は本当の恋人です。そんなに離れないでください」
「うーん」
苦笑した。
態度だけでもと思っているのだけど、どうも体が拒否反応を起こす。初めて詩織に出会った時は恥ずかしさはあったけど、こんなことなかったのに。
頭を掻くと一嘩にそっくりな笑い方で、腕を組んできた。
「ちょ…」
「バラすバラさない以前に私といることをもう少し楽しんでください」
悲しそうな目に僕は射抜かれそうになる。
少しでも油断すれば、僕はこの子に持っていかれる気がした。それほど魅力的な目をしてる、一嘩に似ている。
耐えられなくなって目を反らす。
「あ、まだ目的を言ってないから警戒してるんですか?」
そういえば一緒に帰ればって言う話だったなと昼間のことをぼんやり思い出しながら伸びた2本の影に目を落とした。いつもと違って長さが違い過ぎるそれに、眉を潜めた。
何も言わないでいるとカノジョは僕の名前を呼んできた。
「何?」
「ビシ」
振り向いたと同時にホッペに人差し指が刺さった。
「何を」
「リラックスしてもらおうかと思いまして」
思わず呆れのため息が笑顔と一緒に出た。ヤバいとは思いつつ、もう僕の顔は緩んでしまっている。
頬から離される指先を見つめ目を合わせた。
「私、山田先輩の“大正学園の神童”っていう噂を中学の頃から聞いてて、どんな人なんだろうってずっと思ってました。入学してみて正直驚きました。インテリ一直線かと思ってたのに、超絶美女なカノジョはいるわ伝説の男の弟だって言われてるわ、そのくせ3年生が皆慕ってて。ああ、こういう人いるんだって。そしたら付き合いたくてウズウズして堪らなくなったんです」
-----嘘だ。
全部が全部そうとは言えないけど、確信的に思った。だって僕だよ? もし二宮先輩だったらそういうこともあるだろう。けど、全く冴えもしない僕に話してもいないのにそこまで思えるなんて、ありえない…。心の中では思いつつも顔が赤くなってきてしまった。僕の馬鹿。
もう、カノジョのペースだ。
「詩織の秘密って言うのは」
「そうですね、家庭事情とでも言っておきましょうか。でも、これ以上は10日後です。それに付き合ってるんだから他の女の人の話は止めてください。次、詩織先輩の話したら容赦なくバラします」
「…わかった」
「分かってると思いますけど、学校でもプライベートでも友達以下で接してください。あんまり仲良くされると、ヤキモチ焼いて口が滑りかねません」
-----冗談言わないでよ。
にっこり笑って「今日から気をつける」と言っておいた。カノジョは満足したようで、笑って体をすり寄せてきた。
はぁ。
僕だって男だ。こう言うことをされて悪い気なんてしない。もっと普通に告白してくれれば、普通に楽しかったと思うんだけど、どうして敢えてあんな告白…そうか、僕と詩織が付き合ってると思ったから。面倒なパターンだ。
そして明日も面倒。
きっと僕らが腕を組んで校門を出て行ったことが噂されていることだろう。また何か言われる。女子の目が痛いかも知れない。
「そうだ、詩織先輩の携帯、着信拒否にしましょう」
手を出すあゆむに逆らえず、僕は携帯を操作して詩織のアドレス帳の画面まで持ってきた。そのまま手渡す。情けない話だけど、僕の手でそんなこと出来ない。妖艶な笑みで携帯を受け取るとロックの番号を聞いてきた。教えると「10日間、ロック番号変更します」と言われた。これで完全に、僕の携帯から詩織が消える…。
カチカチと言う音を聞きながら綺麗な顔を思い浮かべた。
-----これは、裏切りに入るのかな? 詩織…。一嘩。
違うのだと心の中で叫んだ。言い訳がましい、そう思いつつもどうすることも出来ない。僕はカノジョに従うことしか出来ない。でも、コレは自分の意思だ。決して無理矢理なんかじゃない。誰にも分かって欲しいなんて思ってない。どう思われようと、どう勘違いされようと。
「はい」
戻ってきた黒い携帯の画面には、名前の一覧。詩織の場所には名前があるだけでロックがかけられていてそれ以上進めない。
-----詩織ゴメン。
心で呟いて携帯をポケットに押し込んだ。
「10日間、お願いします」
「うん」
組まれる前に腕を出してやる。はにかんでくる顔は一嘩そのもの。
怖いよ。好きにならないって思っているけれど、一嘩と勘違いしてすぐにでも気を許しそうな自分が。それほど彼女と過ごした約2年間は僕にとって大きすぎるくらいだったから。
夕日を見て、スぅと息を吸い込んだ。
「送るよ」
「じゃあ、駅までお願いします」
キュッと握られる腕。つい、はにかむ。
これは癖? それとも…。
案の定次の日、僕の噂は校内中を駆け巡っていた。
触れ書きを聞いたけど、どれも悲惨だ。詩織を捨てたとか二股だとか、とっかえひっかえだとか…教室に入るなり女の子達の目線も痛かった。まぁ唯一救われたのは男子が女子に対してそれほど過剰反応を示していなかったことぐらいだろうか。末長は「ほどほどにしとけよ」と苦笑した。田畑くんなんて僕のお尻を叩きながら「男ならそのくらいするよな!」って。そういう風に受け取られるのだと解釈しながら平静を装っていつも通り茶化した「まぁね」。
でも一番声をかけて欲しい人から今日はまだ話しかけてもらっていない。もう、帰りの会だって言うのに。
先生が宿題プリントを配っている最中だったけど、堪らず声をかけた。
「しばらく、アイスは我慢してもらえる?」
「わかってるわよ」
本日初めて僕の為に向けられた笑顔に、目頭が熱くなった。鼻の奥もツンとした。でも、悟られないように笑みを零した。
末長から流れてきたプリントを後ろに回す。
引っ張られる時、指が紙の端で切られた。スーッとした痛みが指先を襲う。一筋の赤…周りを押すと血がまぁるく海坊主を作って垂れた。
「プリントで切れたの?」
「うん」
「はい、バンソウコウ」
目を大きく開いた。
-----貼ってくれないのか。
初めて逢った時は遠慮もせず、何も言わず僕の顔を叩くようにバンソウコウを貼ってきたくせに、くれたのは苦笑とバンソウコウだけ。効き指なんだから貼るのは難しいと分かっているくせに。
ふわりと春の風が開いている窓から入ってきて詩織の髪で遊んだ。
怪我していない手で端を摘んで笑ってお礼を言った。
「山田先輩」
「ああ、ごめん。ちょっと待って」
自分で自分の指にバンソウコウを貼付けて立ち上がった。刺さる視線達を気にせず、あゆむは僕の腕を取る。
「今日は行きたい所があるんです」
釣られた魚のように連れて行かれた場所はいつか来た公園。
遊具に触れることも無ければ砂場に入ることも無い。ただただベンチに座って空を眺めた。
と、急に隣が開いた。
何処に行ったのかと周りを見渡たしてしていると、笑いながら僕に缶を差し出してきた。
「まだ夜とかは冷えますから」
「あ、ありがと」
驚いて財布を取り出そうとしたら奢りだと言われた。そしてクシャリと満面の笑み。
「乾杯です、強引な出会いに」
ヤバいと思った。
好きなパターンだ。流される…。
「じゃあ、その強引さに」
受け取ってすぐさま缶を鳴らした。