儚き願いの調べ #1
「山田くん、呼び出しだ」
いつもの質問かと思って教室から顔を出すと、そこにはブルーのエンブレムを付けた男の子が立っていた。見たこともない顔だったから首を傾げた。ああ、でも1年生ってことは聡の友達か何かかも知れない。
「どうしたの?」
「これ、預かってきました」
白い封筒を僕に突きつけて「じゃあ」と彼はそそくさ階段の方へ歩いて行った。
「山田くんモテるなー、色男」
「…男からなんてヤダよ」
茶化してくるクラスメイトを尻に目に席に着き、封もされていないそれを開いた。
中にはこう、一言。<昼休み、西側校舎屋上でお待ちしております> …白い封筒に一言なんて春休み前のストーカー事件を彷彿させるが、僕は行こうと思う。っていうか、最初から屋上にはご飯を食べに昼休み行くつもりだ。それを計算しているのかいないのか知らないけど…まぁ人づてではあるが渡してくれた物を無視することは僕には出来ない。飲み物は坂東や詩織に頼んで先に屋上へ行く算段をした。
昼休み、購買に行くという皆より一足先に屋上への階段を登った。
-----そういえば、名前も書いてなかった。
少しだけ嫌な予感がした。名前が明らかに男だから名前無しだったのかも知れない。それに渡して来てくれたのは男の子だ。普通、告白とかだったら同性に頼むもんじゃない?
-----もし、男の子だったら10歩は下がってよう。
身震いしながらゆっくり屋上の扉を押した。
春の風が吹きすさび、少し開いたドアが僕の力の範囲内を超えて、腕を強く引っ張った。飛び出すような形になって、踏ん張る。
「っとと」
よろめきながら顔を上げると、そこには赤いスカートの女の子。向こうを向いてポーッと空を眺めていた。
「あの、君かな? 手紙…」
嫌な予感が当たっていなかったことに安堵を覚えながら声をかけた。
が、彼女が振り向いた瞬間、僕は…息を飲んだ。そして瞬きさえ出来なくなった。正直な話、心臓まで止まってしまうかと思った。だって目の前に立っていたのは、
「いち…か?」
栗色のセミロングをハーフアップにした…僕が初めて本気で恋して、そのくせ裏切った女の子に似ている子が立っていたから。違うのは一嘩にしては少し背が小さいコトと雰囲気と目が少し鋭い感じがする。あと、ブレザーじゃなくって赤いセーラーだってことだ。まるで妹かなにかのように似ている。
目が、離せない。
口も、思うように動かせない。
手に、したたるんじゃないかって程に汗が出て来た。
喉が鳴る。
「山田先輩…来てくれたんですね」
名前を呼ばれ、呪縛が解けたように僕の脳がフル回転を始めた。
かぶりを振る。
そう、一嘩は、今ここにいるはずはないのだ。僕がここにいるなんて彼女は知らない。何よりブルーのエンブレムがそれを物語っている。ブルーってことは1年生、僕より2歳年下だ。一嘩は僕と同い年なのだから、だから本人じゃない。わかってる、わかってるけど…。
ただ呆然として見つめることしか出来ない。心臓がドクドクと立てる音だけが聞こえて来る。
「呼び出してごめんなさい。でも、どうしてもお願いがあって…」
スカートがはためいて、パタパタと音を立てた。
「10日間だけでいいんです、私の彼氏になってください」
「え?」
また思考回路が迷路になって、体も頭も動かなくなった。
これは、神様が僕へ与えたもうた罰なのだろうか、裏切ったことの罪への。
声まで似た、目の前の女の子に一嘩が重なる。好きだった想いと自責の念が繰り返し打ち寄せてきて…僕は今、自分がどんな顔をしているかさえ分からない。
でも、出来ない。本人じゃないと分かっていても僕には出来ない、そんなこと。どんなに懇願されたって期限付きだって。
僕は一嘩への想いを2度、きっぱり捨てた。好きになることは絶対に無いって分かってる、でも…それでも出来ない。
だって一嘩は…。
キィっという金属同士が擦れ合う音がしたと同時に名も知らぬ女の子が駆けた。
扉が大きな音を立て壁にぶつかる音と共に、立ち尽くしていた僕の体に女の子がぶつかって体に腕が回された。脚がよろめく。
「ありがとうございます。じゃあ今日から恋人ですね」
「え?」
今、疑問系を言ったのは僕じゃない。
腕を振りほどくこともせず、声の主を捜すため振り返った。
そこには、黒髪を靡かせた僕の親友。眉を潜めて僕だかどこだか分からない場所を見つめている。パチッと目が合った瞬間、濡れた唇が動いた。
「えっと、私…邪魔ね」
言うなり開ききったドアノブを掴んで風に負けること無く扉が閉め切られた。
なぜか、例えようの無い焦燥感に、拒絶感に襲われた。
「ちょっと待ってよ」
撒かれた腕を剥がすことさえ、時間が惜しい。しがみつかれたまま脚を出した。
重たい体が僕を引きずる。
力が入れられ、さらに重くなった。
「離し…」
「皆にバラされたいんですか? 詩織先輩の秘密…」
瞳孔が開いて、息を無意識に吸った。
今、この子はなんて言ったのだろう? 聞こえたくせに頭が混乱してそんなことを思った。
詩織の秘密…KENさんとのこと? キレるってこと? 僕との関係? お母さんのこと? それとも、僕さえ知らない秘密? あり過ぎてわからない。
目を見つめた。
自信に満ちたその目には、僕の青ざめた表情が移っているだけで何も読み取れない。
「どれ?」
「どれでしょうか?」
「……」
口をつぐんだ。
そんなの言える訳ない。そうだろ? もしどれかだとしても1発でどれだなんて当てられる自信は無い。もし外れれば逆にさらに秘密の破片がこの子に漏れることになる。
ゆっくり腕が放された。
「でも、皆に知られたらマズいモノだと思います」
僕を見上げたまま、ニヤッと笑ってきた。
「今すぐ選択してください。詩織先輩の秘密をバラされるのか、10日間、私と本気で付き合うかを」
「10日したら…」
「バラしません。秘密も忘れましょう。別れる前にその秘密の内容を言いましょう。悪くない条件だと思いますけど」
悪くない条件だって? 悪いコトだらけだ。
でも、僕には拒否権なんて無い。あの日、咲かずの桜に誓ったんだ。詩織を幸せにするのだと、この子に顔の似た一嘩への罪を償うのと一緒に。
それに、何より僕は詩織を守りたい。
空を仰いだ。雲は一つもない。
「目的は何かな?」
「目的ですか? じゃあそれは恋人として一緒に帰ってくれたら教えましょう」
頭のいい子は嫌いじゃない。けど、良すぎるのもこの場合は好きになれそうにない。
「名前は?」
「あゆむ、ひらがなでそのまま書きます。あゆむって呼んでくださいね」
「…ねぇ本当に」
「そこだけは信用してください、言いませんから。その代わり、条件があります」
「条件?」
「本当に真剣に付き合うこと、それと…私と付き合っている間中は詩織先輩のアドレスを今、この場で私に見せながら着信拒否にしてください」
グラリと足下が揺れた。
消え入りそうな声しか出せない。
「それって、完全に関係を断てってこと?」
「そうは言ってません。携帯で色々されるのが嫌なんです。…わかりました、放課後に一緒に帰ってる時でいいです。心の準備をしておいてください。あ、くれぐれも今までの話全てを詩織先輩に言わないように。言った時点でバラしますから」
無表情でそこまでいい終えると、あゆむは僕に投げキスを一つ落として笑いながら階段を下りていった。
僕は、どうしたらいいのだろう?
詩織を守る為には僕らの繋がりの一つである携帯を捨てなくてはいけない。でも、友情を守りたいなら、そんなことするべきではない。知ってる? 着信拒否したら、電話をかけてもずーっと誰かと話し中なんだ。いつかけても、何度かけても。僕の携帯がそんな状態だって気がついたら、きっと彼女は傷つくだろう。
でも。
-----僕らの友情は携帯くらいで壊れたりしないよね?
ポケットの中で強く強く、携帯を握りしめた。