Vol.3 傲れる愚者VS悩める勇者 恋は勢いと土壇場で(4)
「今晩は――」
錆びきった重い戸を開き、サイは中へ声をかけた。
ふと見ると、今日はどういう品物も置いていない。ウェラが来ていないのだろうかと彼は怪訝に思った。
「――はい……」
やがて奥の扉が開き、ナナが顔を出した。
「や、やあ」
「あ、サイ!」
彼を発見した途端、彼女は相好を崩した。
「どうしたの、こんな時間に? 仕事終わり――」
言いかけてナナは、外の気配に気が付いた。物々しい特殊装甲車が何台もいると知って、彼女なりに事情を察していた。
「……そっか。こんな時間まで働いているのね? 昨日も、そうだったものね」
「日雇いのバイトしている時より大変かもな。いつ出動がかかるかも知れないっていうのも、気が休まらないし」
半ば、正直な気持ちである。
ひょんなことからこういう立場に身を置くことになってしまったが、あまり自分の柄ではないと思っている。そして、いつ生命を落としてもおかしくないというこの不安定さは、経済的に苦しい時のそれと違う意味で心を落ち着かなくさせているのであった。
CMD乗りのような技術仕事に、絶対の強者はない。
今はヴォルデをはじめStar-lineの面々は彼の操縦技術を高く評価してくれてはいるものの、いつテロ組織側に敏腕のドライバーが現れぬとも限らない。その腕の差というものを多少なりともカバーしてくれるのは機体の性能でもあるのだが、DG―00では既に限界をきたしている。その機体をも大切に思っている彼にすれば、どういう楽観要素も存在しない。いつか壊れていくDG―00と、そして傷つき倒れるかも知れない我が身に怯える気持ちしか、今はない。
彼の複雑な胸中の何事かを勘で察したナナ。
「でも、そのうち休みもあるんでしょ? あたしはまだ仕事もないし、今度の休みになったらゆっくり――」
慰めるような彼女の言葉を遮って、
「そのことなんだけど、実はナナ――」
サイは、自分の身上について、詳しく話した。
正式にフォワードドライバーという立場になること、それに伴って重要保護指定市民に登録を余儀なくされる以上、住む地域を限られてしまうということ、そしてたった今、引越しのために戻ってきていること――。
ナナは黙って話を聞いている。
サイがあらかたを話し終わっても、彼女は口を開かなかった。
しばらくじっと違う方向を見つめていたナナはやがて
「そう……。でも、仕方がないじゃない。この街のためなんだから。でも、そうやって身柄を保護されるっていうのも大変なのね。なんだか、監視されているみたい」
明るくそう言ったものの、ふと見せた彼女の寂しそうな表情が、サイの心を激しく揺さぶった。
幼馴染とはいえ、苦しい生活環境の中で互いに支えあって生きてきた仲である。彼女はともかく、彼の想いは既に幼馴染とか友情とかいう域にはない。いつも傍で支えてきてくれたナナに対して、その想いは爆発寸前に激しいものがあった。
思わず言うべからずことを口にしそうになり、必死の勢いで衝動を抑えている。
「そ、そうだな……」
かく言う彼女とて、決して安穏な身ではない。
ナナの身辺については、ヴォルデの配慮で絶えずSTRが警護に当たっているという。STRならある程度安心であろうが、彼女はこのことを知らない。知れば、何と言うであろう。
二人の間に、やりきれない沈黙が続いている。
サイは、自分の気持ちをどう伝えたものか、判断しきれずにいる。
ナナもナナで、今までに見せたこともない暗い表情をして俯いている。そんな彼女の姿が、サイにある決断を促していた。
(……こうやっていても、駄目だ! 今のうちに、伝えられることを伝えなきゃ! 次にいつ会えるか、分からないんだぞ!)
そう決心して腹に力を込めた瞬間、無情にも胸ポケットの通信機がピカピカと赤く点滅を始めた。
『――サイ君、状況はどうかな? 間もなく、予定時刻2120になるが』
STR指揮官の声がスピーカーの奥から流れてきた。
通信機を地面に叩きつけて踏みにじりたくなるのを堪えつつ、サイは声色を作って返答した。
「あ、申し訳ありません。間もなく、戻ります」
のろのろとポケットに仕舞いこんでいると、
「まぁ。細かく時間に追われて大変ね。サイ、そういうの苦手だものね? 昔からマイペースだったし」
可笑しそうに、ナナが言った。笑いに無理がある。
強いてサイも
「そ、そうだな。のんびりしてばっかりで、いっつもナナに怒られていたしな」
笑おうとしたが、顔の筋肉が動かない。
ナナも直ぐに表情を消して、じいっと彼を見つめている。
そのまま、また二人の間に沈黙が訪れかけた。
しかし、サイはもはやその空気に耐えることができなかった。
彼は逃げるように
「……じゃ、またな。社長によろしく。落ち着いたら、また来るよ」
扉の取っ手に左手をかけた。
「うん。きっと、また来てよね?」
応えるナナの声が、いつもより低い。
「……」
「……」
何も言えないままに、手だけが動いて扉を開けた。
見えない何事かに押し出されるようにして外へ出ようとした時、
「――ねぇ、サイ」
ナナがそそくさと寄って来た。
両手で彼の空いている右手を握り締めながら
「……遠くに住むことになってもまた、会えるよね? あたし達……」
その目に、うっすらと涙が溜まっていた。痛いくらいに、手に力がこもっていた。
「ナナ……」
意志とは反対に、思わず顔を背けたサイ。
右手全体から伝わってくる彼女の温もりが、一瞬彼を躊躇わせた。
今、彼女に目を向けてしまえば、自分の気持ちがどう溢れていってしまうか、彼には十分すぎるくらいに分かり切っていた。
このままStar-lineをすっぱり辞めてしまえば、今まで通りにナナと毎日顔を合わせて暮らしていくことも出来るであろう。
だが。
生きるためには。生きていくためには。
そして、彼を必要とする人達のために。
どうしても彼は、行かねばならなかった。
たった一つ、彼はこの状況に対するささやかな抵抗を用意してきた筈であった。
俺と一緒に来て欲しい――。
口先まで出かかっているのに、どうしてもその一言が言えない。
ちらと一瞥をくれてやりながら
「……ああ、会いに、来るよ」そして、付け足した。「絶対に」
そう告げるのが精一杯であった。
いつまでも離そうとしないナナの両手からゆっくりと右手を引くと、彼は一歩外へ踏み出した。迂闊に振り返ってしまえば、それまでのような気がした。
サイが外に出ると、のろのろと一台の特殊装甲車が寄って来た。
見れば、ショーコが運転している。
このA地区へ来る時には、STR隊員が運転して後部座席にショーコと指揮官、サイが乗ってきていたのだが――。
助手席のドアを開けて乗り込もうとして、ようやく彼はちらとナナを見やった。
「……社長に、よろしく」
周囲にいるSTRの車が放つ光をうっすらと浴びている彼女の表情が見えた。
不安で押し潰されそうな表情をして、こっくりと首を縦に振った。
あとは、何も言葉はなかった。
サイは車に乗り込み、バン! と力を込めてドアを閉めた。
前を向いたままのショーコ。
「……OKです。よろしく、お願いします」
そう告げると、彼女は
「……了解。じゃ、行くわよ」
行くわよ、が妙に強調されているように、サイは感じた。
敢えて彼は、ナナの方を見ないようにしていたが、最後に一度だけ、軽く手を上げて見せた。もはや彼女に視線を送る勇気は、彼にはなかった。
そうして二人が乗る特殊装甲車は発進していく。
いつまでも戸口に立って見送っているナナの姿が、バックミラーに映っている。次第に遠ざかっていく彼女を、サイは見ていられなくなった。今すぐに車を飛び降りて彼女の手を引いて連れて行きたい衝動を必死に堪えている。
しかし、それはどうしても出来なかった。
彼女の気持ちを踏みにじることになる。あれだけお世話になった社長に対して、義理が立たなくもあり――今のサイは、彼らの静閑を守らなければならず、それ以上どうすることもできないのであった。
ショーコはアクセルを踏み続けている。次第にスピードが上がっていき、視界からナナの姿は失われた。
ほろ苦いどころか押し潰されそうな後悔の念を抱えて、彼はもう戻ることがないであろうA地区を後にした。
もしかすると、ナナに会うことさえ――それだけは、考えたくもなかった。
切ない気持ちが表情に出てしまっているサイ。流れていく闇の車窓をむっつりと眺めている。
隣でハンドルを握りしめたまま、ショーコは珍しく一言も喋らなかった。
ただ、妙にスピードを出し続け、STRの一団をしばしば振り切ったりした。
L地区の本部舎敷地内にある宿舎棟で荷物を下ろし、STRを見送ったサイとショーコ。
赤いテールランプが正門をくぐって見えなくなると、ショーコが不意に彼の肩を叩いた。
「――別に、今晩のうちに整理するような荷物なんか、ないわよね?」
彼女が何を言わんとしているのか、サイには分かっている。
「……ありません。ショーコさんに、手伝いのお礼をしなくちゃと思っていたところです」
即答で、きっぱりと言い切った。
そのくせ、彼の目線は違う方向を向いている。
ショーコに対して、というより自分で自分に決心させているような、そんな雰囲気であった。
ようやく、表情を緩めたショーコ。
腰に手を当てて
「……強くなったわね、サイ君。そういうのって、とっても大切なことなのよ?」
一言に、心の底から、というくらいの感嘆がこもっていた。
そういうこと、が何を指しているのか、それはよくわからない。
ただ、彼女が「強くなった」と言ってくれたことだけが、今の彼にとって唯一心の支えであるような気がした。
「ただ、さ」
ショーコは一言だけ、付け加えた。
「……肝心な時には、どんなに無理でも押し通した方がいいこともあるわ。そうじゃないと、女の子は傷つくのよ。男がそのつもりじゃなかったとしても」
「……」
そう言われてしまえば、何も反論できる用意のないサイ。
「……ショーコさんだったら、どうしてました?」
「へへへ……」
彼女は可笑しそうに笑い出した。
「――男と女じゃ、心の視点が違うのよ。だから、今あたしが言ったのは、ナナちゃんの気持ちの話ね。でも、何が何でも無理を通した方がいいって、そういうことをやってしまったら」
途端に表情を険しくしたショーコ。「――結果的に、何もかも失ってしまうことがあるのよ。だから、あたしはサイ君の判断を支持している」
彼女が胸中何を思っていたのか、今のサイには想像する術はない。
そして――二人はその後、明け方まで飲んだくれたのであった。
R地区北エリアにあるスティーレイングループ企業「スティケリア・アーヴィル重工株式会社」。
朝、75階にある社長室のホットラインに呼び出しがあった。
一日のスケジュールやら資料に目を通していた社長イーファム・ヘッズマンは、手を伸ばして通話スイッチを押した。
「イーファムですが……」
『お早う、イーファム君。こんな朝早くから、済まない』
その声を耳にしたイーファムは、辞儀をあらためた。
「こ、これは会長、お早うございます。ハドレッタ・インダストリーとの共同開発の件でございましたか?」
『いや、その件に関してはイーファム君の裁量に任せる。思う通りにやって欲しい。それよりも、別件だ。――昨日、セレアの方から話をさせてもらったと思うのだが……』
「ああ、MDP―0の件でございますな。伺っております」
彼は、机上の資料をちらりと一瞥した。
MDP―0試験導入におけるテストパイロットの素質、と題された報告書があり、そこにサイ・クラッセルの顔写真と簡単な履歴、そして稼動実績のデータが詳細に記されている。
スピーカーの向こうでやや間があった後
『……報告書は届いているだろう? 君としてはその書面でしか確認することができないと思うが、私は二度ほど彼の稼動現場をこの目で実地に検分している』
「それは会長、危険を冒されましたな。少しはご自愛いただかないと」
『良い人材を得るためにトップが必要な努力とは、そういうことなのだよ。……それはともかく、一方的に私達から供出を強いるわけにもいくまい。それでイーファム君が少しでも納得がいくようにと、資料を用意させてもらったのだが』
空いている手で資料を手にとったイーファム。
六十まであと幾つかを数えるだけになった彼にしてみれば、字の細かな書類はどうも苦手であった。かといって、目を通していない訳ではない。
「会長、正直な話として、このような優秀なドライバーを用意していただけたことで、私としては異存ございません。Star-lineがたった一機のカスタムメイドDG―00でリン・ゼール機を八機も屠ったのも、このサイとかいう若者の働きに拠るとか。機体稼動時間が合計で十三分というのも、まったく驚くべき実績ですな。しかも相手は、エリートのA中隊をすら潰滅させていたというのに――」
フフフ、とヴォルデの声が笑っている。
「それはあくまで、実績の話だ。私が訊きたいのは、そういう正規訓練を経ていないドライバーをもってこられることに対して、イーファム君がどう思うか、という点なのだよ。そこは、正直に腹を割ってもらいたい。他にテストパイロットを当てる動きがあるのなら、私も無理にねじ込むことは避けたい」
彼は暗に、貧困層出身の一青年をいきなり搭乗させても納得できるか、ということを尋ねている。それはヴォルデがそう思っているのではなく、イーファムの本音を試しているのである。
しかし、イーファムも大企業の社長にまでなった男である。
いささかも慌てることなく
「これは会長。私も長いことドライバーをやっていた身でございます。天性の感覚は決して訓練などで養成出来るものではないということは、不肖ながら、私がこの身をもって感じたところでございますが……」
『これは、悪かった。君という男を、少し誤解していたようだな』
回線を挟んで二人は笑った。
笑いを収めるとイーファムは再び声色をあらため
「いや、会長。お話の件、私は全く了解です。このドライバーであれば十分なデータも取得できましょうし、MDP―0は丁度、昨日で一通りのFOPテストと稼動部伝導試験を終了しております。トライアルは実施しようと思えば可能な状態にはあります。ただし――」
彼は別の書面を手に取った。
「MCOSSにまだ幾つか懸念があるとのことで、まだ搭載に至っていないとの報告がきております。……いかがでありましょう? この機体の大きな特徴はMCOSSをメインとした対外障害物検知機能連動式制御にあります。MCOSSを載せない状態での稼動はもしかするとドライバーの負担が増幅する可能性が大――」
『イーファム君』
ヴォルデの声は、揺ぎ無い自信に満ちていた。
『MDP―0の元々の開発コンセプトは、格闘戦特化仕様だった筈だ。その第一コンセプトがクリアされるなら、例えMCOSSが完成しなくとも、第二次開発プロジェクトにおいて搭載が実現すれば良いと思う。その間、サイ君が蓄積してくれた稼動データが、次期スペック見直しの際に重要な参考データになってくれることは間違いない。……どうだろう? 決して悪い話ではないと思うのだが』
そこまではっきりと確信を持って言われる以上、イーファムにはどういう反対意見もなかった。将来性を見据えた経営ビジョンのあり方については、彼はヴォルデに及ぶところではないと自分の器量を測っている。
「委細、了解でございます。つきましては、トライアルはいつ頃にいたしましょうか?」
『Star-line側としては、すぐにでも取り掛かれる用意でいる。あとは、スティケリア側の受け入れ準備次第だが』
「承知しました。では、本日の午後以降にでも可能なように、指示をしておきましょう。機体は現在、G地区のラボにて調整中ですので」
『了解した。苦労をかけるな』
そう言って、回線は切れた。
やれやれ、といった表情をして首を動かしたイーファム。
高級ホテルのVIPルームほどに広い社長室には、彼以外に誰もいない。
大きく見晴らしの良いガラス張りの窓から、朝の新鮮な光が燦々と差し込んできている。
彼は椅子の大きな背もたれに身を任せると、くるりと反転して窓に向かった。
会長のヴォルデからの打診に対して、ホットラインで話した通り、彼自身に異論はない。ただし、とイーファムは懸念があった。
(しかし、いかに優秀なドライバーでも、こいつはどうか……。Most Dead-line Products、最も危険な製品とまで言われた機体だからな――)
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