Vol.3 傲れる愚者VS悩める勇者 恋は勢いと土壇場で(3)
回転灯の赤い光が、黒い闇を規則的に切り裂いていく。
何台もの特殊装甲車、それに大型トレーラーが一台停止している。うらぶれ、くすみきった中層建築物ばかりのこの地区には不似合いな存在に見えなくもない。
そのうちの古びた一棟のアパートの周囲をぐるりと、武装した特殊警備員達が取り巻いている。彼等が手にしている特殊シールドには「STR」のマークが入っている。
「――ベッドは宿舎棟に備え付けだから、もって行かなくてもいいわね? テレビもあるし、収納もあるし、バス、トイレ……ああ、大きい物はほとんど要らないじゃない」
「持っていく物なんて、これといってないんですよ。だから、トレーラーもショーコさんも、別にいいですよって言ったのに」
DG−00トライアルの終了後。
サラからサイのこれからについて隊員一同に説明があり、隊の中ではフォワードドライバーとして内定していること、そして重要保護指定市民に登録されるに伴い、今晩から宿舎棟に転居してくる旨が告げられた。その引越し作業のため、今から一度A地区に戻らねばならないとまで彼女が話をすると
「じゃ、あたしが一緒に行って手伝ってくるから。いいでしょ?」
ショーコが手を上げた。さも当然のような顔をしている。
そういうつもりのなかったサラが困ったようにサイを見ると、彼も慌てて手を振り
「あ、あの、そんな、気持ちだけで十分です。全然、持ってくる物なんてないですから。STRの人たちがついてきてくれるだけで、もう、十分過ぎですから」
「いいって、そんな遠慮は要らないわよ! 人手があった方がさっさと終われるし、それにSTRのお兄さん達に荷物運びさせる訳にもいかないでしょーが。……ってことで、よろしく!」
鼻歌を歌いながら、ショーコは行ってしまった。
彼女のこういう独断専行は時々サラを困惑させるのだが、かといって特段引き止める理由もなかったから、結局ショーコも同行することになったのであった。
STRに物々しく護衛を受けつつA地区に入ったのは、午後七時を回った頃だった。
「――ここです。この建物の5階、5A012号室です」
サイが指定した中層建築の前で全車両が一斉に停止すると、まずはSTRの突撃班が素早くアパートの中へ突入していき、テロリストの存在や危険物の有無を確認した。同時に付近に対する警戒網が張られ、建物の周囲は警備班でぐるりと固められた。鮮やかな手際の良さである。
内部の確認と警備の配置が完了すると、STRの指揮官が
「……さあサイ君、中へ。建物内も周辺も、安全は確認できている。不測の事態が発生した場合は、我が隊員が速やかに知らせるから、それに従って行動して欲しい」
「わかりました」
「現在1938。とりあえず、2045を一次撤収予定としておこうか。時間が足りないようなら、レシーバーで報せて欲しい。いいかな?」
「はい……。何から何まで、済みません」
恐縮しつつ、彼は特殊装甲車を降りた。
STR警備班に左右を護衛されながら、二日ぶりに我が屋へ戻ってきたのである。二日前にこのアパートを出た時は、まさかこういう運命の変転があろうとは夢にも思っていなかった。その日の働き口があることだけに安堵しながら、しかし明日に怯えつつあのペグレ運送へ向かったのである。
だが、三日と経たないのにこの変わり様はどういうことであろう。
今の彼にとって明日の働き口などは既に問題ではなく、命を狙われる程に重要な職務に就き、身辺をこうして警備部隊に護衛されるような立場になってしまっている。生活に困らなくなることの代償に生命を賭けたようなものだが、サイ自身は別にそれを苦には感じていない。安い給金で、しかももっと危険な労働に従事している彼と同じ貧困層の者は大勢いる。が、食い扶持があるだけ幸福だと、その誰もが思って暮らしている。
サイの憂鬱は、この住み慣れたA地区を出て行かねばならないということと、そしてもう一つ――。
ふと頭に思い浮かべて暗い気持ちになっていると
「懐かしい感じねー。この打ちっ放しのコンクリートに剥き出しの鉄骨。あたしが前に住んでいた住居に近いわぁ」
後ろから階段を登ってきたショーコの声である。
「……ショーコさん、こんな建物に住んでたことがあるんですか?」
サイにとっては初耳である。あのStar-lineの中で、こういう建物に住んだ経験のある人間など、自分以外にはいないであろうと思っていた。
「あるある。十七歳までだったかしらね。訳あって、出なくちゃならなくなったんだけど、都心の近代型高層建築よりずっと好きね。人間くさくて」
思い出すように壁のあちこちをぺたぺたと触っているショーコ。
彼女にもそんな時代があったのだと知り、サイは少しだけ、気持ちが軽くなったように思えた。
5階の自分の部屋の前まで来ると、サイは開錠して重たい鉄製のドアを開いた。
「ここです。俺の部屋……」
「お邪魔しますよー」
サイは真っ暗な室内へずんずん入っていき、奥の部屋の電気をつけた。その部屋だけにぽっと明かりが点ったが、電力が十分でないのか、満足な照度ではなかった。
「ほう……」
ショーコは部屋の中を見回している。
続きで部屋が二間あり、手前にごく小さなシャワー室とトイレ、それにキッチンがある。
サイという男の性格なのか、設備はもう大分古いものであったが、それでもきちんと手入れされているらしく、一人暮らしにありがちな小汚さがない。食器なども綺麗に洗っておいてある。
部屋にはこれまた古いベッド、それにアンティークに近い旧世代のテレビが一つ。あとは部屋の隅に衣装が整理されて吊るされているほかは、これといって物が見当たらない。
「……ええと」
ショーコがあれこれと物色しつつ、あの会話につながっていくのである。
予め持参してきた大きなボール箱を組み立てると、サイはその中へ衣類をどさどさと放り込み始めた。
特に荷造りが必要そうな家財もなく、手持ち無沙汰なショーコはうろうろしながら
「サイくーん。何か、他に持っていくものないのー?」
と尋ねた矢先、足元に小さな鉄製の工具箱を発見した。
開けてみると機械整備に使用する工具類が詰まっていて、どれもこれも錆びてはいるが年季が入っている。気になって工具箱の蓋を返してみれば「フィーリス建設会社」と、もう大分消えかけてはいたが、文字が浮き彫りされていた。
(ふーん……)
彼が昔いたという建設会社のことか、とショーコは理解していた。
その頃使っていた工具であろう。こうして彼は、今も手元に置いていたらしい。
そしてふと目をあげると、もうガラスも外れてしまっているが観音開きの食器棚の中に、一葉の写真がフォトフレームに入れて立てかけられてあった。
古びて色褪せたその写真の中で笑っている、一組の若い男女、そして生後間もないと思われる赤ちゃん。これがどこの家族のものであるか、訊くまでもないであろう。
ふと振り返ると、サイはボール箱を封しようとしていた。
「……サイ君。もう、詰める物はないの?」
「ええ、特に。これだけあれば――」
ショーコは工具箱と写真を、彼の傍まで持っていった。
「嘘。これもきちんと、持って行きなさい」
写真にちらりと視線をやったサイは、途端に表情を曇らせてしまった。
「それは……今の俺には、必要ないです」
「……」
食器棚の奥に仕舞いこんでいた訳を理解したショーコ。
見たくないのではない。見るのが辛いのであろう。
ショーコはその場にぺたりと座り、
「サイ君、今のあなたは、この都市の正義の味方、そして勇者。今のあなたを賞賛する人はあたしやヴォルデさん、セレアさん、他にも沢山いるけど、非難する人は一人だっていない。その持てる力を、多くの人達のために惜しげもなく使っているんだから」
「……」
「だから、これから先は決して自分を見下して欲しくないし、フォワードドライバーとして自信をもって頂戴。そして、あなたを産んで育ててくれたお父さんとかお母さんのことを、誇りに思って欲しいの」
彼の前に、写真を差し出すショーコ。
ややしばらく躊躇っていたサイは、やがてその写真を受け取ると、胸のポケットに仕舞いこんだ。
「……よし」
ショーコは立ち上がった。
「で、これも持って行かない? 大事な、工具箱なんでしょ」
「あ、ああ、そうっすね。そういえば、そういうものもあったか……」
過去の色々な思い出が辛すぎて、サイは余り目を向けないようにしていたのであろう。
その気持ちはショーコにもわかる。それに近いうち、彼女もまた嫌でも同じように住み慣れた街を離れていかねばならないのである。きっと、その時には今の彼に近い気持ちを抱くことになるのではないかと、彼女はふと思った。
「あとはもう、持っていく物はないの? 今後、ここに来られるかどうかはもう――」
「……いいんです。これからは俺がいるその場所でしか、生きていくことはできないから」
そうして二人は部屋を出た。最後の施錠をして、STRが待つ下階へと降りていく。
装甲車の後部にボール箱と工具箱を積み込んだあと、サイは勇を鼓してSTR指揮官に頼んでみた。
「……あの、このあと、ちょっとだけ、寄っていただきたいポイントがあるんです」
「うん? どこかな?」
とはいえ、これだけ多くのSTR隊員達に、わざわざ時間を割いて付いて来て貰うのも気が引ける。
「ええとですね……」
言い澱んでいると、背後からポンとショーコが肩を叩いた。
「次期隊員候補にあがっている者の自宅です。丁度この近くですので、立ち寄って入隊を促していきたいと思うのですが」
STRの指揮官は頷き、
「ああ、ヴォルデ氏から警護を依頼されているあの女性ですな。よろしいでしょう。非展開警備にて、S30といったところでしょうか?」
つまり、警備班は装甲車内にて待機、時間は30分という意味である。
「結構です。無理を言って申し訳ありません」
指揮官がその旨を隊員達に伝達しに行ってしまった後、サイはくるりと振り向いた。
ショーコが片目を瞑って見せている。
彼女には、彼の意図が判っていたらしい。
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