Vol.2 勇者になるための決断、そして運命の女神は二度微笑む(中編)
その刻限。
A地区南3C5Lにある「スティリアム物理工学研究所」の受付に、ひょっこりと一人の美女が現れた。
「あのー、私、リファっていいますけど……イリスちゃん、いますかぁ?」
日中の受付嬢はとうの昔に退社していたから、この時間帯は警備会社の男性が受付を守っている。彼は、突然現れた美しい女性に度肝を抜かれつつも、やや警戒するような表情を浮かべた。イリス・フィットナーといえば、この研究所でも名の通った主任研究員である。その彼女を、ちゃん付けで呼ぶとは、一体何者なのか。
「失礼ですが、イリスには、その……どういったご用件でしょうか?」
畏まった質問を返され、ちょっと当惑したリファ。
「えーっ……ご用件? ご用件っていっても、その……」
来所目的を問われた途端、おろおろし始めた。
その困った表情が愛らしく見え、警備員は一瞬取り次いでやることを思った。幾ら物騒な世情とはいえ、とてもこんな女性が不審者であるとは思われなかった。
しかし、女工作員が跳躍しているという情報も入っており、もしかしたらという可能性も捨てきれなくはない。今日も、あちこちでテロ組織が破壊行為を行った旨、しきりと情報が届いていたのである。
任務に忠実であろうと思い直した警備員は、付け足すように
「大変失礼ですが、当研究所は身元ならびに来所目的のある方でなければ、お通しできないようになっております。または、当研究所所属者とのお約束などあれば……」
「約束ですかぁ? イリスちゃんが、8時にここに来てって言ったんです。ですから、私来たんですけどぉ……ご用件、ご用件って――」
リファはしきりにご用件という単語をぶつぶつと繰り返している。
困ったのは警備員の方である。
彼女は確かに約束はあるらしいことを言ったが、それは研究所の所属者の方から受付に対し、何時に誰の訪問がある、と連絡があって、初めて取り次げることになっている。来所者が幾ら「呼ばれた」と言っても、それでは入所を認める訳にはいかないのである。げんに、この女性が来所するということは、彼の元には伝えられていない。
「ご用件、ご用件……」
(うーん、取り次いだものか、いやいや、待て待て――)
二人は向かい合ったまま、固まってしまった。
その時、唯一建物の中へ通じている玄関ホール奥のセキュリティドアがカチャリと開き、白衣をまとった若い女性が姿を現した。長い髪をアップにまとめ、きつめの印象を与える眼鏡をかけている。白衣の下のスカートが短く、覗いている素足がすらりとしていて艶かしい。
彼女はふと、受付でお見合いしている来所者を目にすると
「あら! リファじゃない。なかなか来ないから、どうしたのかと思ったわ」
「あーっ! イリスちゃん!」
リファは安堵した表情になって、いきさつを話した。
「ああ、ごめんごめん。忙しくて、受付につなぐの、忘れてたわ」
「ひどーい。イリスちゃんが来なかったら、私、入れなかったのよ?」
彼女の苦情を聞いて、可笑しそうに言うイリス。
「私も悪かったけど、だったらどうして『Star―line』の証明書を見せないのよ? あれさえあれば、例えばスティーレイン・セントラル・バンクの地下金庫室にだって、無条件で入れてくれるのに」
それを聞いて、警備員が目を丸くした。
「は! ス、Star-lineの方でありましたか! そ、それは大変に、失礼いたしました」
「いいのよ。このコったら、自分の勤め先がどんなに凄いところなのか、全然理解していないんだから」
「だって……今はお仕事の時間じゃないもん」
可愛くふくれているリファを連れて、イリスは建物の中へ戻っていく。
長くて白い無機質な廊下を歩きながら、彼女はちらりとリファを見やった。
「……そういえばリファ、ここに来るのは初めてだったのよね?」
「うん。別に、来るような用事もないし」
にこにこして無邪気にそんなことを言う彼女に、イリスはちょっと呆れたような顔をした。
「ホントは、山程あるのよ、来る用事。あなたが『Star-line』のメンバーである以上はね」
このスティリアム物理工学研究所は、スティーレイン財団傘下にあり、CMDを主とした産業用機械に関する技術研究、ならびにその他一般市場向け製品の商品開発などを行っている。つまりはStar-lineと身内の機関であり、その証明書さえあれば、とイリスが言ったのは、そういうことである。
彼女は長い廊下の途中で立ち止まると、壁についている四角いドアホンのようなものに、自分の人差し指を当てた。点灯していた赤いランプが緑色に変わり、カチャリとロックが解除される音がした。
「さ、入って頂戴。ここが、私のプライベートルーム。ちょっと、汚れているけど」
中はちょっとしたホテルのデラックスルームほどの広さと設備があり、綺麗に整えられたベッドにソファが置かれている。部屋の角にはシンプルながら機能的なデザインのデスクやチェアがあり、その周りに沢山の書籍や書類そして端末が置かれているあたり、イリスの仕事というものを象徴しているように思わせるのであった。
ソファに面した壁一面に巨大なスクリーンがかかっていて、美しいマリンブルー珊瑚礁の海と、沢山の熱帯魚が泳ぎまわっている映像が映し出されている。
きょろきょろと見回していたリファはそれに気が付き、ソファにどすんと座った。
「すごーい! こんな大きなディスプレィ、見たことないわぁ! これ、イリスちゃんの持ち物なの?」
イリスは白衣を脱ぎつつデスクの上の端末をチェックしながら
「……ええ、その一式だけは、ね。そんなものでもないと、時々、気が狂いそうになっちゃうもの。こんな建物に毎日毎晩缶詰にされてたんじゃあ、ね」
そんな彼女の苦労話が耳に入ってかどうか、リファは嬉しそうにディスプレィの中の魚達を眺めている。端末から顔を上げたイリスは眼鏡を外し、呆れつつもちょっとホッとした顔をして、親友の後姿を見つめた。
無邪気なのか脳天気なのか、人生に最低限必要なシリアスというものすらどこかに置き忘れて生きている彼女の存在が、恨めしくもあり羨ましくもあった。
「……リファ、何か、気付かない?」
「え? 何が? とっても立派なディスプレィじゃない」
「そうじゃなくて……。ここ、窓がないのよ。保安上の理由で。だから、そういうものでも置いて眺めてないと、とてもじゃないけど、神経が保たないの」
「へぇ……イリスちゃん、大変なのね」
さり気無く大変なのだと言ったつもりだったが、彼女は聞いていなかったらしい。
が、こういう性格の人間だとわかっていて親友付き合いしているイリスは、特にそういう聞いて貰い役をリファに求めるつもりは毛頭なかった。天真爛漫に生きている彼女を眺めているだけで、多少はイラッとすることがあるにせよ、スクリーンの中の魚達同様に、どこか気持ちが落ち着くのである。人間関係の中で、一人くらい友達にしておくと楽な人間かも知れない。
「リファ、コーヒーでいいかしら? まだ帰ろうにも帰れないし、アルコールは駄目なのよ、ここ」
「あ? うん、イリスちゃんと一緒でいいよ」
コーヒーメーカーからカップ二つにコーヒーを注ぎ淹れ、それをリファの前のガラステーブルにコトリと置いたイリス。自らもソファにゆっくりと腰掛けながら
「最近、どう? Star-line、慣れた?」
リファは両手でコーヒーカップを持ち上げた。まるで、幼児みたいな仕草である。相変わらずディスプレィに目を釘付けにしたままである。
「……まだ、出来たばっかりだしね。それに私、ショーコちゃんとかユイちゃんみたいにこれといって特技もないから、よくわかんない」
面識こそなかったが、その属人名をイリスは知っている。
まだ若くしかも女性ながらCMDの扱いに関しては超一級の技術と知識を持っているにも関わらず、奔放な性格が災いして所属していた治安維持機構を辞めてしまったショーコ・サク。都市統治組織のエリート官僚を両親に持ちながら反発して家を飛び出し、ふとしたことから出会ったショーコに拾われ、今やCMDに情熱を燃やしているユイ・エルドレスト。そういう一芸に秀でた人間の中にあって、自分の存在意義がよく分からないのであろう。普段あっけらかんとしているくせに、ちらりと垣間見せたリファの何気ない不安に、イリスは正直心のどこかで安堵していた。全く何も感じていないのであれば、親友として推挙者として、苦言の一つも言い聞かせなければならないかもしれない。
リファを新設の組織『Star-line』に推薦したのは誰でもない、イリスなのである。
といって、彼女に特別な技術があったからなのではない。彼女自身ですら気付いていない、しかし彼女にしかない、とある重大なことをイリスが発見してしまったからなのだが、そのことはStar-lineの統括責任者であるセレア・スティーレインにしか話していない。他の、例えばこの研究所の同僚にでも漏らしてしまえば、恐らく彼女は技術者としての素質を疑われてしまうであろう。あくまでも、親友として数年の付き合いを続けてきた仲だからこそ、その能力を見つけ出すことができたと、イリスは思っている。
Star-lineは創設されて程もない。ろくに活躍の場すらなく、今はヴォルデの引き立てによって少しづつ現場に出るチャンスを与えられているに過ぎないのである。
しかし、とイリスは思う。
この先、リファ達がいよいよ一線に立ってテロ組織と渉り合う様になってきたとき、リファの持っている潜在能力が十二分に発揮されるであろうということを、イリスは推挙したという理由以上に、自分の直感として信じている。
「わぁ、このコーヒー、美味しい」
無邪気にコーヒーに感心しているリファを、横からじっと眺めているイリス。
「……あのね、リファ」
ちょっと改まった調子で、呼びかけた。
「なに? イリスちゃん」
イリスは、身体全体をリファの方に向けるようにした。
「あのね、今日、急に来てもらったのは、話があったからなの」
「話? 何?」
目をぱちくりとさせているリファ。
「今日、O地区でテリエラが暴れて、その交戦区域警備ってことで、出動したでしょう? こないだ入れたばかりの、DG―00ってテスト機、引っ提げて」
「うん、行ったよ。ヴォルデさんと、セレアさんも来ていたの」
「それはいいわ。……で、そのあと、こっちにDG―00の稼動データが寄越されてきたのよ。私、すぐにそれを見せてもらったんだけど――」
イリスは、ディスプレィに向けてリモコンを操作した。
途端にマリンブルーの珊瑚礁の映像が消え、スクリーンにプログラムが映し出された。延々と複雑な横文字が何百行にもわたって並んでいる。さらにリモコンのボタンを押すと、画面右側に小さなウィンドゥが現れた。そこには、夕刻港湾の倉庫街で散々に暴れたテリエラのCMDの様子が映っている。
「あ、これ……」
「そう。あなた達が担いで行った、DG―00のメインカメラが捉えた映像」
映像の動きに合わせて、左のプログラムが上から下へスクロールしていく。時にゆっくりとなったり、いきなり早くなったりするのは、機体の動きに合わせたものであるかららしい。ということまでは、リファは理解していなかったが。
メインカメラで賊の機体を捉えてから次に動作に移るまで、ほとんど間がない。賊機がこちらを認識した瞬間には、ほぼその間合いを盗んでいるといった状態である。
最後に、銃を突きつけられて泣きそうになっているユイの顔がアップされたところで、イリスは映像を止めた。
「……で、聞きたいことがあったの。――これ、乗っていたのは、サラ隊長さん?」
「ううん。違うよ」
その即答に、イリスは驚いたような顔をした。
「え……? だって、あれに乗れるのは、今のStar-lineでサラ隊長だけ、でしょ? あといるって言えば、そのショーコさんとユイさんに、あなただけ、だものね?」
リファはずずっとコーヒーを啜り
「それがね、イリスちゃん。そういえば、なんだけど――」
彼女は夕刻の出動時の様子を語って聞かせた。
搭乗する予定だったサラが渋滞に巻き込まれて現場到着が遅れたこと、そして突然その場に現れたサイと名乗る若者からDG―00を貸してくれと頼まれ、承諾したこと。そして――。
「待った」
イリスが手でストップをかけた。
「つまり、サラ隊長は現場に間に合わなくて、あなたとユイさんはテリエラ機に襲われたのよね? それで、そのサイだかっていう、見知らぬ男の人がいて――」
「そうそう、そうなの。やっつけちゃったのよ。ものの三分もかからないで」
「重火器で武装して、しかも市場にも出回ってない新型の稼動制御システムをインストールした賊のCMDを三機も相手にして?」
「うん。凄かったのよ。もうずっと前から操縦していた人みたいに素早くて、上手なの」
それを聞いたイリスは、眉をしかめた。
「なんか、リファ……まるで、傍から操縦しているのを、見ていたみたいな言い方ね?」
こっくりと頷いて見せるリファ。
「そうよ。一緒に乗ってたんだもの」
「え? 一緒に? 何よ、それ……」
「だってだって、ショーコちゃんが――」
生々しく同乗の様子を説明するリファ。
彼女にしてみれば、言い付けを素直に守ったというつもりなのだが、見知らぬ男性の膝の上に乗っかり、しかもその身体にしっかり抱きついていたという証言に至っては、イリスもさすがに眩暈がした。仕方がない(リファにとって、だが)状況であったとはいえ、どこの世界に、進んで他所の男に密着する馬鹿がいるだろうか。
「そっ、それはまぁ、もう、いいから」
なおも話そうとするリファを制し
「私が驚いたのは、こんな頭の空っぽな機体で、ここまで素晴らしい動きをさせてみせたってことよ。少しは稼動制御プログラムが入っていたみたいだけど、それにしてもこんな見事な活動は無理。それで話を聞いてみたくなって、あなたを呼んだのよ。――で、その人、それからどうしたの?」
「勝手に使ってご免なさいって謝って、行っちゃった」
「は……? こんなに凄い活躍をしておきながら?」
「でも、ヴォルデさんが言っていたわ。もし、出来ることならStar-lineに来て欲しいって。でも、何も言わないで帰っちゃったのよ、サイさん。だから、もう、どこにいるかもわからない」
現在の住民登録ネットワークを隈なく探せば、あるいは見つかるかも知れなかった。
しかし、経済的に下層の人々の全てまでが把握されている訳でもなく、彼等は常に開発という巨大な波に住居を追われてしまっている。そんな民衆の一人であるとすれば、とてもではないが見つかる当てもないであろう。そのことは、このA地区で働いているイリスにはやや実感として理解することができる。
「そう……。サラ隊長さんならともかく、その人だったらどうしようもないわね。これだけの稼動データを蓄積できること自体、画期的なことだったから、今後のCMD開発に大きく貢献できるかと思ったのに」
いかにも残念そうに、イリスは言った。
「ふーん……。上手な操縦だなとは思ったけど、そんなに凄いことだったんだ……」
「凄いどころじゃないわ。機体の性能を十分に熟知したとしても、それをフルに発揮させる乗り方、ってのが必要なのが現在のCMDの限界よ。今は稼動の記録をデータにして残せるから少しは開発に役立てることが可能になったんだけど、あんなガラクタに近い機体をあそこまで的確に動かしてみせるなんて、正直寒気がしたわ。でなきゃ、あなたをわざわざここまで呼びつけて話を聞いたりしようだなんて……」
いわば、イリスの技術者魂であろう。
希望校への受験が叶わなくなった生徒みたいにがっくりしている彼女に、リファは何だか自分のせいであるかのように、申し訳のない気持ちになっていた。
「ご免ね。イリスちゃんのお役に立てなくて……」
心底そう言う彼女に、イリスはちょっと表情を明るくした。
「あなたのせいでもなんでもないでしょ。開発に使いたいとか何とか、それはこっちの都合だからね。強いて言うなら……サラ隊長さんかしらね。それだけ凄い人材を、むざむざ逃がしてしまうなんて。この先、大丈夫かしら?」
そう言って笑った途端である。
突然ビィーッビィーッと凄い音量で警報が鳴った。
「……え? 何?」
ハッとするイリスと、びっくりしてきょろきょろしているリファ。
数秒後、事態を知らせる女性のマシンボイスが響き渡った。
「緊急警報! 緊急警報! 侵入者を検知しました。厳戒レベル5、厳戒レベル5での対応を要すると判断されます。繰り返します――」
これを聞いたイリスが顔色を変えた。
「レベル5ですって!? ただ事じゃあないわね!」
彼女はすぐに立ち上がってデスクの上の電話をとった。
「……イリスよ。どうしたっていうの? ――不審なCMD? 何機? そう、ちょっと多いみたいね。治安機構への連絡は? うん、で、警備かい――」
そこまで言いかけて、はっとしたように顔をリファに向けた。
「――いるじゃない。ここに」
「……ん?」
ソファに腰掛けたまま、目をぱちくりさせているリファがいた。
「さって、と。部品の納入関係はおしまい! あとは、武装関係……ね」
チェアに座った状態で、ぐいっと身体を一伸びさせたショーコ。
白い色調のオフィスで、小綺麗に整頓されたデスクが固まって置かれており、その中で彼女のところだけ書類や書籍が乱雑に散らかっている。
時計は既に9時を指そうとしていた。彼女の外には、誰もいない。
コーヒーでも淹れようかと立ち上がった時、ガチャリとドアが開いた。帰り支度をして私服に身を包んだサラであった。
「あら、ここにいたのね。ハンガーにいないから、もう帰ったのかと思って」
「ああ、うん。パーツの請求やら支払い先の関係がね。ユイちゃんにもおいおい教えないとなんないんだけど、今日の今日はまだ、あたしがやっとかないと」
「そう……。なんだか、申し訳ないわね」
しんみりと詫びるサラに、ショーコは
「いいってば。要員と機体確保の話、ヴォルデさんにはしてくれてるんでしょ? だったらもうちょっとの辛抱だもの。それに――」ニッと笑って見せた。「待遇だって、全然悪くないし。サラがスカウトしてくれなかったら、あたしは今頃、路上暮らしね」
「まっさか。私は、あなたが入ってくれなかったら、ここの話はお断りしようと思っていたのよ。兄のこともあったし、治安機構にさえいれば、そのうち何とかできるかも、って」
元々治安維持機構に優秀な成績で入隊していたサラ。しかし男社会の組織で彼女は冷遇され、一隊を率いる資格があったにも関わらず、広報室という閑職に回されていたのであった。失意の日々を送っていた時、CMD運用を主とした警備会社設立のために視察に訪れたセレア・スティーレインを案内したことをきっかけに、サラは新たな道へ進むことになった。その時、Cブロック整備班長の肩書きを蹴っ飛ばして辞めてしまおうとしていたショーコに声をかけ、共に『Star-line』に入隊となったのである。
入隊とはいっても、新設の会社を丸ごと一つ任されたようなものである。国家機構である治安維持機構とはまるで異なり、『Star-line』はあくまで民間の私設警備会社でしかなかったからである。立ち上げこそオーナーであるヴォルデやセレアの力を借りたが、CMDの運用や部隊の常時体制などは、それこそ彼女らがやってきたことの延長線である。サラやショーコが何とかやってみせねばならなかった。
しかし、何より心強かったのは、政財界でも重鎮のヴォルデが彼女らの意見を良く聞き、必要があれば即座に手を打ってくれることであった。緊急時出動の経験にと、わざわざ出動する機会をつくってくれたのも、彼であった。そうでなければ、治安維持機構で固められた現場になど、彼女らは一歩たりとも入れてもらえなかったであろう。
サラはオフィスに入ってくると、自らコーヒーを淹れてショーコに渡した。
「……ありがと。丁度、飲もうかと思っていたのよ」
微かな笑顔で頷くサラ。が、大分神経的に疲れているであろうことは、ショーコが一番良く知っていた。
そもそもが、真面目すぎるくらい真面目な娘なのである。隊務に遅滞や怠業がないように、日々気を遣い過ぎ、やや精神のバランスが取れなくなってきていることを、こう見えても敏感なショーコはとっくに見抜いていた。とはいえ、立ち上げて間もない今が重要な時期である。巨大なスティーレイングループを守るために設立された以上、後継の警備組織の模範となるべく、活動していかなければならない。さすがに、二十一歳になったばかりのサラには重いのでは、と、思うことがなくもない。そのショーコもまた同じ歳なのだが、こちらは典型的に技術屋肌で余計なところに気を遣うようには出来ていなかったから、多少気持ちにゆとりはあった。メンタルな部分で太いだけに、サラを支えてやろうという意識が強く、そのこともまたサラにとっては幸福であったといえる。
俯いてくたびれたようにため息をついているサラ。こうして私服に着替えている時の彼女を見れば、ごく普通の若い女性でしかない。
ずずっとコーヒーを一口啜りながら
「さ、早いトコ戻りなさいな。日中勤務体制でなくなったら、ろくに夜も戻れなくなるわよ? ちゃっちゃと一杯ひっかけて、帰って寝て、さ。……いい男がいたら、それに引っかかっても悪くないかも知れないけど」
軽口を叩きつつも、ショーコの口振りには思いやりがあった。
今のサラには、そんな彼女だけが支えであるように思われてならないのであった。
「うん……。じゃあ悪いけど、あとはお願いね? 何かあったら、連絡して頂戴」
「了解よ! ゆっくり休んでね」
小さく微笑んで、サラはオフィスを出て行こうとした。
その時、壁際に設置されているやや立派な通信コンソールの外部通信受信ランプが点滅した。
「……はいはい。こんな時間に何でございましょー?」
ショーコがカップを置いて、機器の傍へ行った。
部屋を出かかったサラが足を止め、戸口でそれを見ている。
カタカタとキーを叩きながら、モニターに現れる情報を見ているショーコ。
「何々……A地区南3C5L、スティリアム物理工学研究所、ああ、うちの所属施設ね。で、発生時刻2058、緊急警報厳戒レベル5にて発報……って、随分物騒な話ね」
「……」
帰りかけたサラも駆け寄ってきて、ショーコの後ろからモニターを覗き込み
「厳戒レベル5って、CMDで襲撃を受けてるってことでしょ! これって、まずいじゃない!」
思わず叫んでいた。
が、ショーコは落ち着き払っている。
「まあまあ。さしあたり、第一報は治安機構のAブロック統括指令に飛んでいるわ。出動要請報だから、直ぐに向かってくれてるでしょー。昼間のこともあるし、名誉挽回ってところで頑張ってくれればいいんだけど……」
が、サラはもう顔色が変わっている。
「取り敢えず、出動待機態勢をとるわね。セレアさんには、私から連絡するから、連絡がつけば、現地につないでみて欲しいの。お願いね!」
言い捨てて、サラはばたばたとオフィスを出て行った。
(なんとまぁ、苦労の多い隊長さんだこと)
哀れむような同情するような表情で、彼女が出て行ったドア口を眺めているショーコ。
幾ら立ち上がったとはいえ、まだ正式に活動開始申請は出されていない以上、こうも慌てるような必要などないのである。対テロ活動部隊として治安維持機構(頼りなかったにせよ)がきちんと動いているからには、今はそちらにやらせておけば済む話なのである。
Star-lineが駆けつけたところで、恐らくはどうにも出来ないであろう。
「そんなに気張らなくったって……」
呆れたように呟いていると、通話呼び出しランプが点灯した。
モニターには、スティリアム物理工学研究所の回線ナンバーが表示されている。
「あらあら。うちに救援要請かしら? まだどうにもならないって……」
受信スイッチを入れたショーコは、そこで固まった。
何と、画面に映し出された相手はリファではないか。
『あっ! ショーコちゃん! よかったぁ。あのね、あのね――』
「リ、リファ!? あんた、そこで、何やってんのよ! 良い子は早くおうちに帰って寝なさいって、言ったでしょうが!!」
『……? 言われたっけ? あたし……』
会話が支離滅裂である。
ショーコにしてみれば、何故そこにリファがいるのかと訊きたい。が、リファはショーコの売り言葉をストレートに受け取ってしまったから、大変である。
『でも、でも、今日はお友達と約束があるって、確かあたし、ショーコちゃんに――』
「ああっ、もう! んなこたぁ、どうでもいいっての!」
バンッ とコンソールに両手を付いた拍子に通話ボリュームが上がってしまった。
モニターの向こうで、びっくりしたように竦んでいるリファ。
ショーコの怒声は恐らく、研究所の他の人間にも届いたであろう。
「状況よ、状況! 状況を報せて! 今、どうなってるのよ!?」
彼女の怒髪天を衝いた形相が、向こうのモニターに目一杯映し出されていることに、ショーコは気が付いていない。何をそんなに怒鳴られているのか全く理解していないリファは、怯えたようにおずおずと喋り出した。
『あ、あのね、リン・ゼールのCMDが、ええっと……5機だっけ、外にいるみたいなの。今、F地区から治安機構が駆けつけて来て、交戦状態に入ったばっかり』
「F地区から? 相手が5機なら、足りないわね。B地区から救援は?」
『今、向かってくるみたい。治安機構の方で、リン・ゼールが動くらしいって、情報をつかんでいたみたいなの』
「ああ、そういうことね。……囮にするたぁ、やり方が汚いわね」
独り腕組みをして呟くショーコ。
夕方の件にしてもそうである。一般人の後を追跡し、アジトの所在が明確になった時点で一斉包囲して殲滅する。手早いといえば手早いが、それに利用された一般人の安否まで考慮されているとは、とても思えないやり口である。しかも、さっきは討ち漏らしたどころではなく、逆に返り討ちにすら遭っているではないか。
ショーコはもう幾つか、確認しておくことがあった。
「襲撃目標となった理由は? そっちで何かあるの?」
『……わかんない。イリスちゃんも、どうしてかしらって、首を傾げてるの』
ついでに訊いてみただけの質問である。それはいい。
「CMDで襲われていることはわかったわ。あと……工作員は? 侵入してるの?」
『うん、いるみたい。でも、機構警察とSTR警備保障が来てくれるみたいだから、そっちの方は何とか防げそうだって、イリスちゃんが……』
STR警備保障はこれもまたスティーレイン傘下の警備会社で、Star-lineとは兄弟みたいなものである。CMD専門の彼女達に対し、STRは通常の警備を専門としており、その対応力には絶大な評価がある。生身でちょろちょろやっているテロ工作員など、組織的なSTR部隊の前に、すぐ取り押さえられるであろう。それに、研究所のセキュリティ自体、生半可なものではない。
こうなれば行かなくても良さそうに思われたが、リファがいるとなれば話は別である。かつ、問題はCMD同士の交戦が発生していることである。さすがのSTRも、何人束になろうともCMDには勝てない。
サラには気の毒だが、これは出動せねばなるまい。ショーコは考えた。
「リファ! そっちに非常用の解放無線、常備してるでしょ?」
『あるよ』
「どこ行くにしても、それ持ってて頂戴。識別は4427にしておいて。うちらの現場到着予定は2130。うっかり顔なんか出して賊に撃たれたりしないようにね」
『はーい。早く来てね、ショーコちゃん』
通話はそこで切れた。
武装したテロリストに包囲されているというのに、リファはけろりとしていた。
(大丈夫かしら、あのコ……)
何かちらりと不吉な予感がしたが、今はそのことにこだわっていられない。
「……さて、と」
現地への指示を終わったショーコは立ち上がって部屋を出た。
今度は、担いで行く機体の方をチェックしなければならない。
Star−line本部舎は、まだ改装されて間もない。そのピカピカの廊下を、ずんずんと歩いて行くショーコ。
(そういや、昼間のあれはすごかったなぁ)
ふと、夕方に出動から戻ってきた時の事を思い出した。
「ふあぁ……ショーコさん、これ!」
稼働データをチェックしていたユイの声に、傍から覗き込んだショーコも驚いた。
機体に搭載されたシステムは、操縦系から駆動系に伝達された情報をデータとしてバックアップすることが出来るようになっている。つまりその迅速さや効率性などが、データを解析することで把握することが可能なのである。それはまた、そこから得られたものを大本の駆動制御システムに組み込むことで、より効果的な操縦が出来るようになり、操縦者の負担も減るということにつながる。
DG―00はそういう面からいえば、全くといっていい程にシステム的なケアが不足しており、完全な人型を有しているだけにサラやショーコも動かすのに梃子摺ったものであった。つまり具体的には、操縦系を補佐するプログラムがなければ、駆動系への指示伝達が不安定となり、思ったように動かなかったり動きすぎてしまったりして、肌理の細かい動作が不可能になってしまう。
しかしながら、サイが動かした後のデータは、機体のスペックや癖などに対して操縦者側が巧みにコントロールしていた形跡があり、機体や操縦にほとんど無駄な動きや指示がない。しかも、シールドを飛び道具にして賊機に命中させているあたり、常人では考えられない操作である。
「うわ……。これ、芸術的ね。このまま制御プログラムにして売り捌いても、いい金になるわ」と言って、ショーコはちょっと残念そうな顔をした。「あのコ、来てくれれば良かったのに。とは言っても、うちらもまだ、それほど知られた組織じゃないしね」
夕方の時は幸運にして卓抜した(通りすがりの)操縦者がいたが、今はサラしかいない。
治安機構大学で優秀な成績を納めたとはいえ、実戦経験がまだまだであることは、ショーコがよく知っている。新鋭機を導入する以前に、操縦者の身の安全を考えてより装甲の厚い、しかし鈍重なDG―00という機体をまず入れた方がいいと意見具申したのは、実はショーコであった。そのことを、サラは知らない。彼女は、単純に新鋭機を入れるにはまだ早い時期だから、という風に解釈している筈であった。重装甲はいいが、かといってそれだけではどれ程も保たないであろう。多少の小銃弾なら防ぐかもしれないが、転倒したところを上から殴られでもしたら、それまでである。過去に、そういう殉職例は幾つもあった。
しかも今は、よりによって状況支援をすべきリファもいないときている。
(……ま、本格的に殴り合いやるのは治安機構に任せておいて、うちらはSTRの支援ってことで、どうにかするしかないわね)
頭の中でシュミレーションをしつつ、彼女は更衣室で作業着に着替えてハンガーに急いだ。
CMDやトレーラーを保管しておくハンガーは、ちょっとしたスポーツでも出来そうなくらいに広い。
その空間に、サラとユイの言い争う声が響いている。
「ユイちゃん、装備は!?」
「ステータスESです!」
「LWは!? 昨日、納品されてたでしょ!? なんで着装してないのよ!?」
「ですから!」
一方的なサラの物言いに、キレてしまったユイ。
「今日チェックする予定だったって、言ったじゃないですか! なのに隊長が急に出動するなんていうから、出来なかったんです。あたしに、そんなこと言われたって……」
「……」
ヴォルデとの話の中で、独断で出動を決めていたサラ。
確かに、非は自分にある。サラは沈黙してしまった。
(やれやれ。やっぱり、こうなったか)
入り口に立って二人のやり取りを聞いていたショーコは、苦笑を浮かべた。
真面目すぎるサラは時に目の前しか見えなくなり、その分周囲にとって愉快でない態度になってしまうことがしばしばあった。今も、そうである。やる事はきちんとやっていると自負しているユイもまた若いのだが、そんなサラが気に入らない。折に触れ、何かとぶつかり合う事が起きていたが、ユイもただのひ弱い少女ではなかったから、相手が上司だろうと容赦はない。
こうなってしまうと、ショーコが出て行かざるを得ない。
「まぁまぁ、サラもユイちゃんも」
横から彼女は、宥める様にやんわりと割って入った。
「緊急事態なんだから、そうそうカリカリしなさんな。落ち着きなさいって」
言いながら彼女は、ポンと二人の肩を叩いた。
「争ってる場合じゃないわ。ちょーっとやばいわよ。――襲撃を受けているスティリアム物理工学研究所に、リファがいたのよ」
「……え? リファさんが?」眉をしかめているユイ。
「……なんですって!? どうしてまた!?」
サラの声は、悲鳴に近かった。
「お友達がいるそうよ。それはともかく、状況なんだけど――」
ショーコは今つかんでいる情報を手短に二人に伝えた。
聴き終わると、青い顔で頷くサラ。
「セレアさんからは、とにかく現場へ急行するように、指示が出たの。研究所がスティーレイン所属である以上、黙っておくことは出来ないって」
「でしょうね。リファにはそう言っておいたから。幸い、トレーラーの予備も貰ってるし」
夕刻の出動で、もともと配備されていたトレーラーは銃撃を受けて中破してしまっていた。今ここにある大型トレーラーは、スティーレイン系の重機会社から回してもらった予備車なのである。
「ところで……」
改まって言いかけたサラにストップをかけたショーコ。
ここでサラに指示を出させると、ただでさえむかっ腹を立てているユイが収まらないであろうと思ったのである。ここは一つ、
「どうせ、乗るのはサラでしょ? リファがいないのは仕方がないわ。状況支援はあたしがやるから。いい? ユイちゃんは指示された場所にてDG―00を降ろして、後方へ下がって待機。ってことで」
無言で頷くサラ。この二人が揃うと、どっちが隊長なのかわからない。
そんな二人を見て、ユイがくすっと笑った。
ショーコはレシーバーを頭からかけると、キリッと表情を引き締めた。
「5分後に出るわよ! ユイちゃん、トレーラー回して! サラはとりあえず乗って、そこからセレアさんに報告入れればいいわ。じゃ、よろしく!」
「了解」
「了解です」
不完全な状態ながらも、今は行くしかない。
トレーラーの運転席から、留守を預かる中年の男性整備員、リベル・オーダにあれこれと依頼をしているユイ。無口だが腕利きで気のいいこの親父は、かつてどこぞの重機メーカーに勤めていたが、セレアの頼みによってStar-lineにやってきたのであった。若くきびきびとした女性の下で働くのが気に入っているらしく、サラ以下女性陣が何を頼んでも嫌な顔一つせずに引き受けてくれる。今も、無口ゆえに返事こそしないが、帽子をとるとユイに向けて右手の親指を立てて見せた。了解、行って来い、という合図である。
DG―00のコックピットに潜り込んで不安そうな表情のサラ。
それとは正反対に、特殊装甲車のエンジンを回しながら、鼻歌を歌っているショーコ。理由はないが、彼女には妙な予感がしていた。どうも、悪い方向にはならないような気がするのである。
(リファってああ見えて、結構ツイてる奴だからなぁ――)
<Vol.2 続く>
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