Vol.6 女神の悲哀、回りだす運命の歯車(4)
スティリアム物理工学研究所から、二人がもともと住んでいた地区までは、すぐそこである。
「……どうする? ナナ。寄ろうと思えば、寄れる距離だぜ?」
駐車場で車に乗り込みエンジンをかけてから、サイはそう尋ねた。
近いから、寄り道したところで時間もかからないから、皆にはバレないだろうという含みも込めている。
あの急転直下の騒動から数ヶ月。それ以来、二人は一度たりともこの地区には足を踏み入れてはいない。訪れようにも何かと業務は忙しく、A地区へやってくるどころか二人きりでゆっくり出かけたことすらない。
サイもナナもStar-line入隊をもって住居の移転手続きは済ませている。
サイが住んでいた旧建築のアパートは他にも住人がいたから残っているだろうが、小さな一軒家造りのナナやガイトの住居は、恐らく取り壊されてしまっているであろう。あの頃こそまだ本格化してはいなかったが、ようやくこのA地区でも再開発工事が進み始めている。その証拠に、スティリアム研究所の南側、あの激戦があった通りを隔てたエリアもすっかり地ならしが終わり、足場が組まれていた。広範囲に囲われているところを見れば、大きなビルでも建てられるのであろう。
「……ううん。行かなくても、いい」
小さくかぶりを振ったナナ。
その気持ちが、サイにもわかった。
彼女は、自分が長年住んでいた住居が跡形もなく取り壊されてしまったのを、目にするのが忍びないに違いない。長い間辛い生活が続いた土地とはいえ、沢山の思い出が詰まっていることも事実である。彼女が思い切ってこの地区を離れたのは、言うまでもなく――大好きなサイが問答無用で押し切って、Star-lineに入隊させたからである。様々な思いはあったものの、結果としてナナはあれで良かったと思っている。生活も保証されている上に、ガイトも費用を気にすることなく療養に専念できることになった。そして何より、常にサイと一緒にいられるようになったことは、彼女にとって最も幸福なことであった。仕事が忙しすぎて二人きりになる時間がとれないことに多少の不満はなくもないが、いつ会えるのかわからないような離れ離れの状況におかれるよりは、遥かにましだといえる。
助手席の彼女の方を向いて、ちょっと片眉を上げたサイ。
「……了解。んじゃ、車出すぞ」
アクセルを踏みかけた。
「ちょっと待って」
ナナがストップをかけた。
「他に行きたいところ、訊いてくれないの?」
ちょっとすねたように言った。が、これはナナの甘えである。
彼女がそういう態度に出る時、サイは限りなく優しくなる。
「あ? ああ、ごめん。そうだったな。――どこに行く?」
デートなんかしちゃ駄目よ。ショーコがそう釘を刺したことなど、頭の片隅にもない。
ちょっと上目遣いに、ナナはサイに視線をやった。
「……南5C3Lの小公園。いい?」
小首を傾げてにこにこしている。
サイはちょっと驚いたような顔をして
「おお! あの公園か。もう長いこと行ってないよなぁ。ちらと見て行くか」
「うん」
二人が幼少の頃、よく遊んだ公園である。
公園といっても、都市の中心部によくあるような緑地化を目的として大規模に整備されたそれとは似ても似つかない。周囲に申し訳程度に植樹されていて、旧世代のモニュメントのようなちんまりした噴水が設置されているだけのものであった。この地区が開発された時にはさぞかし多数の住民が憩いの場として利用したであろうが、今となってはその面影もない。一向に整備されないから、あちこち雑草が生い茂り、噴水などは機関が故障してしまっているらしく、もう長いことその役割を果たしていないのであった。
それでも、二人にとって思い出の場所であることに違いはない。
サイはそちらへとハンドルを曲げ、十五分ばかり車を走らせた。
南5C3L付近はまだ再開発工事が着手されてないらしく、旧建築の住居がまだ至るところに残っていた。地震でもあったら崩れてしまうのではないかと思われるほど、どのアパートもボロボロで、コンクリートにヒビが入り、あちこち欠け落ちている。だが、干されている洗濯物が無数に見えているあたり、まだ住人がいるようであった。再開発も進まない筈である。
そんな建築物に取り囲まれるようにして、小公園は足元にひっそりと残されていた。
ろくに手入れされることもなく伸び放題に伸びきった樹木が、ぐるりと公園の外周に林立している。
公園入り口付近に車を停めたサイ。
「おお、懐かしいなぁ。少し、降りてみようぜ」
「うん」
車を降りると、ナナがそそくさと傍へきて、サイの腕をとった。
周囲には、全く人気はない。
「……初めてかもしれないな。二人で出かけるのは」
「うん。ずっと、忙しかったものね」
「悪かったな。サウスライトタワーにも行けてないし」
「いいの。これで、チャラにしてあげる」
ナナの両腕にきゅっと力がこもった。
二人は寄り添って、公園へと足を踏み入れた。
樹木や建築物の日陰となり、決して明るいとは言い難い。一応石畳が敷かれているものの、あちこちから雑草が飛び出しており、しかも地盤が歪んで敷石が捲れ上がったり割れたりしていた。都心部の公園には浮浪者が住みついたりしているが、この公園には以前からそういう者の姿はなかった。元々貧しい人々しか住んでいない地域だけに、宿無しの者がやってきたところでどういう利点もないに違いなかった。
公園の中央に、例の噴水があった。
自然石を用いた縁はすっかり割れており、真ん中に立っていた天使を模した彫刻は上半分が折れてしまい、台座程度しかなかった。当然、水などは出ていない。
が、ナナは笑顔になって
「うわぁ……懐かしい! ねぇねぇ、覚えてる? 確か5歳の時、サイったらゼダスと喧嘩して、この噴水の前で取っ組み合いをしたのよ。そうしたら二人とも、もつれ合って一緒に噴水の中に落ちちゃって。喧嘩しても泣かなかったのに、その後お母さんに怒られて泣いていたのよ、サイもゼダスも」
「そういや、そんなこともあったな。服を干している間、俺もゼダスも素っ裸で。いやいや、恥かしかったなぁ。……でも、その間にあいつと仲直りしたんだぜ? そん時ナナ、顔真っ赤にして家に逃げ込んじまったんだ。あははは――」
そう言ってサイが可笑しそうにすると、ナナはぷっとふくれて
「だって、心配になって外に出てみたら、男の子が裸で、下も隠さないで握手なんかしてるんだもの。男の人のそういうところって、よくわからないわ」
「……友情だ、友情。ゼダスの奴、今頃元気かなぁ」
ゼダスというのは、二人の幼い頃の遊び友達である。
サイがガイトの会社で働いている頃、食べていくために国軍に志願した。元々身体が頑強だった彼はストレートで入隊試験に合格し、この地区を離れていった。その後の消息を、二人は知らない。
「何であの時、喧嘩したの?」
思い出したようにナナが尋ねた。
しばらく記憶の引き出しを探っていたサイは、視線の先の空を見ていたが
「……ああ、そうだった。確か、あいつが俺に『お前、ナナのことが好きだろ?』とか言ってからかってきたんだ。そうじゃないとか何とか、言い合っているうちに殴りあってたなぁ。あいつ、力が強いからパンチが痛くて痛くて……。どうしようもないから、足掛けして噴水にドボン、さ」
それを聞いたナナは、表情を消してじっとサイの顔を見つめた。
「……そうじゃなかったの?」
彼女の様子が変わったことに気が付いたサイは、自分の発言に不適切な部分を発見した。
「ち、違う! ほら、男って妙に照れちまって、本音と別のことを喋ったりするだろ!? あれだよ、あれ。今だから言えるかも知れないけど、本当は、その、別に――」
「……」
彼が言わんとしていることを察しているものの、その口から直接聞きたいナナは黙っている。
少し前のサイなら、上手く言えなかったかも知れなかった。
しかし、この男は自分に適合した生き方を発見し、そこで我が実力が決して劣ったものでないことを悟った時から、すっかり変革していた。自信をつけていたのである。そうでなければ、今この場で隣にナナがいることもなかったであろう。
腹にぐっと力を込めて慌てた自分を鎮めると、サイはすぐ傍のナナに目線を移し
「……好きだったさ。好きだったから、からかわれて妙にテレくさかった。それにな」
既に冷静に戻っているというのに、この男はさらにこんなことを言った。
「ずっと好きなのは変わっていない。だから、俺だけStar-lineに入るなんて、ありえなかった。今も好きで、多分ずっと変わりようがない。変わる理由がない。――だから、この先も死ぬまで、例え死んでも、一緒にいられるようにしたいんだ、俺は」
「……!!」
目を大きく見開いているナナ。
この発言は、笑って聞き流せる類のものではない。
サイがナナに、プロポーズしたにも等しい。
確かに彼が一直線に自分を好きでいてくれていることはわかっていた。しかし、ここまではっきりと、具体的にその思いをその口から直接聞いたことは、あの騒ぎの一件以来なかった。今日、この場でそれを聞こうなどとは、青天の霹靂、思いも寄らなかった。
かといって、テレた余りいい加減に誤魔化すようなナナでもない。
「……うん。あたしも、そうしたい。サイとだったら、どこまでだっていけるわ」
俯いたその頬が、ほんのりと赤くなっている。
「この馬鹿騒ぎが収まったら、ゆっくり、考えようぜ? いいだろう?」
どこにそんな強さが潜んでいたのか、今日のこの男はまるで違っていた。
すっかり舞い上がってしまったナナはやや恥かしそうに、しかし嬉しさを堪えきれないように、微笑したまま俯いている。が、その両腕はしっかりと、まるで吸い付いてしまったかのように、サイの右腕を強く強く抱きしめていた。
二人はどちらからともなく、すっかり朽ちた噴水の縁に寄り添って腰掛けた。
ややノイズが混ざった、それでもどこか温かな静けさが漂っていく。
そんな時間がどれだけ流れたであろう。
しばらくしてふと、周囲に人の気配がした。
いち早く気が付いたサイがすばやく目線を動かすのと同時に、よほど気持ちが弾けていたナナが、慌てたようにして腕を放した。彼女にしては、珍しい動揺ぶりである。
ゆっくりと一人の男が近づいてきている。
横目で観察してみると、歳の頃は三十の半ばを過ぎたあたり、背丈がそこそこあり、よれた薄手の長いコート風な上着を身につけていて、前を開けたままにしている。多少伸びすぎた髪の下の容貌はやや野生的であるのだが、どこか知的で若々しい印象を与えた。ただ、黒すぎない程度に日焼けしていた。この焼け付くような季節のないこの都市では、ここまで焼けている肌の持ち主はそうそういない。
男は噴水の傍までやってくると、やや間をおいて腰をかけた。
妙な何事かを感じているサイが警戒を解かずにいると
「君達は……Star-lineの方かな?」
向こうから話しかけて来た。
歯切れがよく、いい声をしている。
反射的に男の顔に目をやると、無精髭が目立つものの、目元が涼しく口元がきりりと引き締まっていてなかなかのいい男面である。ショーコやティアが見れば、まず放ってはおくまい。
そういう敵意をまるで発していない男の様子に、サイの警戒心はやや和らいだが
「そうです。この恰好を見れば、わかりますよね?」
多少、言い方にトゲを含んでいる。
男は右手の平を天に向ける仕草をしながら
「ああ、それもそうなんだが……。俺は君達を、新聞で見たような気がしたんだ」
数日前の、ジャック・フェイン工作員制圧の記事であろう。
取材こそサラは断ったが、やたらと写真を撮られたような記憶がある。写真の掲載まで制限した訳ではないから、数紙に彼やStar-lineの面々の写真が載った筈である。現に、ティアはその中に自分を見つけて喜んでいた。
サイは胡乱くさげな表情をつくりながら
「ジャック・フェイン機鎮圧の記事ですかね? あれの記事なら、確かに俺達は載ってますが」
「そうそう、それだ。いやいや、あれだけ凄腕のテロドライバーを仕留めるなんて、どんな人間だろうと思ってね。新聞を読んだらどうやら、君がそれで、そのパートナーがそちらのお嬢さんであることがわかった」
確かに、記事を読めばそれくらいの情報はつかめるであろう。
「で? 新聞はわかりましたけど、それで俺達をつけていたんですか?」
サイがそういう言い方をしたのには、理由がある。
数週間前、Moon-lightsの騒ぎで出動した際、いかがわしい低俗なメディアの記者が馴れ馴れしく近寄ってきてサラにさんざん絡んだという一幕がある。それが脳裏に浮かんだのである。
が、男はやれやれ、といった表情でかぶりを振り
「いや、そうじゃない。散歩に出てぶらぶらしていたら、たまたま君達を見つけてね。お、噂に聞くStar-lineの隊員じゃないかと思って、さ。尾行なんかしてたワケじゃない。ま、いきなり話しかけてしまった無礼はお詫びするよ」
目じりを下げた。
鋭い感じは消えなかったが、微笑すると殊の外、人の良さそうな男にも見える。
そんな雰囲気に引き込まれてしまったらしい。サイのガードは半分以上オープンしてしまい、つい気を許したかのように、
「ふーん。じゃ、この近くに住んでいるんですか? 俺達、以前はこの地区のこのエリアに住んでいたもので。仕事で近くまできたもんで、懐かしくて立ち寄ってみたんです」
応えていた。
男は頷き
「そうか。君の言う通り、俺はこのエリアに住んでいるんだ。……と、いっても、最近やってきたばかりでね。まだ、何が何だかわからないんだ。だから、ヒマを見つけては、こうやって歩き回っている」
「ああ、なるほど。この辺、結構入り組んでいて複雑ですからねぇ。もう十数年も前から――」
気を良くしたサイが、さらに喋りかけた時である。
それまでずっと沈黙していたナナが、徐に立ち上がった。
「……あなた、良かったら名乗っていただける? ただの住人じゃないでしょう?」
何を黙りこくっているのかと思っていたサイは、驚いた。
彼女はその直感で、この男がタダ者ではないことを見抜いていたのである。
すると、男は否定もせずに申し訳なさそうな笑みを浮かべ
「そうだな。考えてみれば、失礼な話だ。俺も名乗らなくちゃ、礼を失するというものだな」
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