Vol.6 女神の悲哀、回りだす運命の歯車(2)
L地区の空は、決して綺麗ではない。
澱んでいる。
ぐるりと周囲に大規模な工場地帯がひしめいているせいであろう。
近年の再開発計画ではグリーンベルトや緑地帯、公園設備が大幅に拡充されて少しは景観も変わってきているものの、それしきの緑で都会の空が浄化される筈もなかった。
それに、特に都市機能が集中しているL、M、R、S地区あたりでは高層建築物が競い合うように天を圧し、空の見える面積自体が極端に少ない。夜ともなればそれらが撒き散らす光によって空は白ばみ、とても星が見えるような状況ではなくなっていた。光害、とよばれる現象である。
「……あ! あれ、星かなぁ」
ぼんやりと夜空を見上げていたユイが徐に呟いた。
「違うと思うわ。あれは航空機の夜間飛行サインよ。翼灯ってやつ? 星なんか、ここからは見えやしないわ」
寝転がったままで答えるショーコ。
彼女の両脇では、やはりごろりとしているサイ、そしてナナがぺたりと座り込んでいる。
Moon-lightsによる不可解な行為が頻発するようになって以来D2NC体制となり、Star-lineの面々は泊り込みが続いていた。昼間は2グループで、夜間は隔日でグループが交代して待機するという常駐体制である。ミネアノス重工の短気な社長の呼びかけにより、スティーレインのヴォルデやハドレッタ・インダストリー会長が連名でアルテミス側へ抗議を行って以来、Moon-lightsによる干渉行為は鳴りを潜めていた。
が、得体の知れない連中である以上何をしでかすかわかったものではなく、あと数日D2NCを維持する旨、セレアから指示がきていたのである。
今日はセカンドグループの当番日だから、ファーストグループの三人と、彼等の責任者であるショーコは休んでいてもいいということになっている。とはいえ、何かあればすぐ対応しなくてはならない以上、ショーコが愛してやまない酒を飲むという訳にはいかない。酒が飲みたくなる衝動を少しでも抑えるため、非当番日の夜は雨でも降らない限り、ショーコは弟・妹達を引き連れてこうして屋上で空を見上げながらごろごろしているのであった。サイや、ナナ、ユイもそういうショーコの辛さが分かっているから、敢えて彼女と一緒にいるようにしている。
「……昼間の話、本当ですかねぇ」
「何―? 昼間の話って、テロ組織の?」
のんびりとしたサイの疑問に、のんびりと反応したショーコ。
「ええ。腕利きドライバーだけを選りすぐったチームが直々にこの州と狙ってくるとかいう。……この州を狙うだけの価値なんか、あるんですかねぇ。俺には、動機がよくわからないです」
朝のミーティングも終わろうとした頃、セレアがやってきて一同に新しい情報を伝えた。
カイレル・ヴァーレン一帯を根拠地としているリン・ゼールの別働隊組織「ジャック・フェイン」から犯行予告があり、近日中にファー・レイメンティル州を攻撃する意図があるという。そして、昨日サイが沈めた賊機のドライバーがそのジャック・フェインの所属員であったという事実。
整理しなければ煩雑でやや理解しにくいものがあるかもしれない。
Star-lineが活動しているこのファー・レイメンティル州、並びに隣接しているネガストレイト州、シェルヴァール州、そしてクレイザ州の四州合わせてヴィルフェイト合衆国を形成している。統治形態は基本的に州治制となっており、これは都市統治機構と呼ばれる組織がそれを行う。かつ、国家統治機構なる上部組織が存在し、四州から選出された議員、そこからさらに国民選挙によって決定される大統領によって構成されている。各都市の治安は警察機構並びに治安維持機構が担当するが、国防については国軍が別に編成されており、国軍の指揮権は国家統治機構に属する。
ヴィルフェイト合衆国の版図からさらに視野を広げると、中立海峡を挟んだ向こう側に巨大な大陸が横たわっている。ヴィルフェイト合衆国寄りの海岸沿いに存在するのがカイレル・ヴァーレン共和国で、豊富な鉱物資源によって非常な潤いを見せている。その領域も、強力な財政を背景に年々周辺地域の統合を進めた結果、現在ではヴィルフェイト合衆国をも凌ぐほどの版図を有するようになった。
とはいえ、やや強引ともいえるその拡張政策によって、一部地域の住民や民族から反発をかい、後CMDの普及によってその抵抗運動はさらに激化することとなった。
特に「アミュード教」と呼ばれる古来土着の教団は「神の土地を侵す者達」としてカイレル・ヴァーレン並びにその親交国に対して敵意を持ち、抵抗運動が武力によって鎮圧されるや、活動は地下組織化してテロ行為に発展、治安は泥沼化を辿っていった。間もなく、各地に点在するアミュード教信徒が連合の上組織化して独立を宣言、これを「アミュード・チェイン神治合州同盟」と呼ぶ。そして、カイレル・ヴァーレン国外でも反政府運動に携わっている者達が彼等に呼応し、連携を強化し始めた。その組織は思想上の理由あるいは政治的意図によって完全な一枚岩とはならなかったものの、最も巨大で有力な集団が「リン・ゼール」と名乗り、世界各地でテロ行為を行う急先鋒的な存在となった。つまり、アミュード・チェインそのものではないにせよ、一体的な相互不可欠の関連性を持っているという見方ができる。もう少しわかりやすくいえば、カイレル・ヴァーレン国外で活動を行うための組織がリン・ゼールであるといってもいい。アミュード・チェイン側からリン・ゼールへ工作員の派遣も頻繁であり、あのヴィオ・ハイキシンなどはまさにこの典型である。
そして――リン・ゼールの活動をフォローすべく、アミュード・チェインが極秘に組織化した精鋭部隊、これが「ジャック・フェイン」である。元はアミュード・チェインであるが、その活動指示はリン・ゼール側に一任されていると言われ、このためにジャック・フェインはリン・ゼール別働隊として、各国治安組織に認識されている。
彼等は精鋭部隊だけに、構成員の単独活動があったとしても、組織として行動を開始するようなケースは稀である。加えて、アミュード教独特の強烈な自己犠牲思想が裏打ちされているため、一構成員が治安組織に拘束されたからといって、その奪回は行動の理由足り得ない。優れた工作員が捨て身で活動するだけに、その被害も常に甚大なものとなる。
「報復……? にしちゃ、それだけの組織が動くにしては短絡的すぎるような……」
ショーコの呟きに対して
「私もそう思っています。単に構成員が捕えられたということだけではなく、犯行声明には触れられていない別の、もっと重大な動機があるのではないかと考えています」
そうセレアが答えたのには、そのような事情が背景としてあったからである。
「それって……ターゲットがあたし達になるってこと!?」
ティアの声は、半ば怯えていた。自分がテロの標的にされてはたまらない。
が、それを聞いたサラは事も無げに
「……と、考えてしまいがちだけど、そうはならないわね。彼等は腕も頭脳も選りすぐりの精鋭部隊。そんな単純な動機で、しかも私達を標的にしたりしないわ。セレアさんのいう通り、狙いは他にあると考えて、私達も対策を練った方がよさそうよ」
「そ、そうすか。ちょっと、気が楽になりました……」
「ま、あんたは誰よりも気をつけていた方がいいかもね。ジャック・フェインも、あんたみたいにテキトーで軽いのを手っ取り早く拉致して、見せしめにしたら楽だって思うかもしれないわよ?」
などとショーコは冗談を言ったが、かといってStar-lineが狙われないという保証はない。
話を仕切りなおすようにセレアが表情を引き締め
「本日、お爺様が緊急の都市治安委員会に出席されます。そこで警察機構、治安維持機構、その他の有力な私設警備会社が一堂に会して、今後の対策を協議することになっています。Moon-lightsの騒ぎで皆さんにはろくなお休みもさせてあげられていなくて申し訳ないのですが、今少し、緊急出動態勢をお願いします。場合によっては、更に人員と機体の拡充も、視野に入れて検討したいと思っていますから」
昨日の今日とはいえ、ジャック・フェインが動き出すという理由は誰にもわからない。
サイが口にした疑問は、朝の繰り返しである。
「わからない。あんな人殺し連中の考えなんて、想像したって無駄よ。あたしにちょーっとばかり、いい酒でも飲ませてくれれば、パッと閃くかもしれないけど」
それはない。
他の三人は一斉に思った。
ただ、酒が飲めなくて相当辛いという気持ちだけは、再度理解した。
「ところで……気になりませんでしたかぁ?」
膝を抱えて周辺の光源を数えていたユイがふと、言った。
「ああ、リファのことね」
ショーコも気付いてはいた。
セレアに連れられて司令室に行くまでは普段の彼女であったが、戻ってきてから様子が一変していた。
何か仕出かしたのかと思ったが、セレア直々にリファを叱責しなければならないような事象の報告など、ショーコもサラも受けていない。
「何か、全然いつもの彼女じゃなかった。すごく、落ち込んでいるみたい」
いつもはリファに一顧も払わないナナも、気にしていたらしい。
「あたしも、あんなリファは初めてよ。どんだけこっぴどく叱ったところで、あんなに沈み込むことなんかなかったし。大体あのコ、叱ってから三分くらい経ったら、もうあっけらかんとしているんだもの」
「ショーコさん、何か心当たり、ないんですかぁ? 余程腹に据えかねて、トドメ刺すようなことを言っちゃったとか」
これは半ばユイの冗談であったが、ショーコは少しの間黙った後
「残念ながら。ここしばらく、あのコにはこれといって叱ってないのよね。それに、リファが仕出かすことはみんな、あたしの腹に据えかねることばっかりよ。あのコは強運だから、結果的にオーライにはなっちゃうんだけども」
真面目に思い返していたらしい。
ふと、出会った日のことを頭に思い描いていたサイは
「そういや……リファさんがStar-lineに入った事情も理由も、誰も知らないんですよね?」
すると、ショーコはむっくりと起き上がった。
「そうなのよ。たった一つ、みんなが知っているのは、セレアさんが連れてきた、ってことだけ。あのコの過去も何も、誰一人知らない。――よく考えれば、奇妙なものよね、Star-lineは」
書類を整理し終わって時計を見ると、深夜一時近くなっていた。
三人の娘衆は仮眠をとらせているから、オフィスにはサラ一人しか残っていない。
(さて、あたしも仮眠をとりたいところだけど……ちょっとお腹が空いたかな)
サイとナナの保護者ともいえるウェラが、差し入れといって夕刻に大量の食事をもってきてくれたのを思い出した。何かそれが趣味であるかのように、高い頻度で料理を作っては差し入れてくるウェラ。
毎度あり得ないほどの量ではあるのだが、Star-lineも気が付けば常勤で11人もの所帯になっているから、消化は大して苦にはならない。むしろ、出前をとる回数が極端に減ったから、隊員達の財布にもかなりのプラスになっているはずであった。簡単な調理くらいはできる設備もあるのだが、若者が多いせいか無精者が多いのか、自分達でこしらえるという事がほとんどないのである。
休憩室と称する食堂へ行こうと立ち上がったサラ。
廊下へ出て休憩室の前までくると、中からテレビの灯りが漏れているのに気が付いた。
部屋の中は暗い。
(変ね。誰か消し忘れたのかしら?)
入ってみて、驚いた。
なんと、暗い部屋に一人、リファがいた。チェアに座ってぼんやりと、虚ろな目でテレビを観るともなしに眺めている。
「リファ!? あなた、どうしたのよ? 別に、当番には当てていないじゃない? 眠れないの?」
びっくりした声で問いかけると、リファがゆっくりとこちらを向いた。
ゾンビのように、動きがのろのろとしている。
「あ、たいちょお、ごめんなさい。何だか、眠れなくて……」
笑おうとしているようだが、笑えていない。
こんな彼女を見るのは、サラは初めてのことである。どこか不吉な予感がした。
何ともいえない表情で少しの間じっとリファを見つめていたが、ふっと息を抜くと
「昨日の今日でみんな気が張り詰めちゃって大変だと思うけど、辛いなら辛いって、言ってね? 何も、体調を崩してまで任務に就く必要なんかないんだから」
心の底から心配しているようなサラの言葉に、ようやくリファは少し笑った。
「はい。ありがとうございます……」
大きな冷蔵庫の扉を開けて中を覗きこみながら
「仮眠をとろうと思ったんだけど、お腹が空いちゃったのよね。おばさんが持ってきてくれた料理がたくさんあるんだけど、リファもどう?」
問いかけると、リファはふるふると首を横に振り
「あ、あたしは大丈夫です。そんなに、お腹、減ってないですから……」
「そう? 夜中だから、無理強いはしないけど」
返事をしながら、サラの胸中妙な不安が暗雲のように立ち込めている。
いつものキャッキャとした調子がまるでない。話し方がミサのようで――あれはあれで素だからいいとして――どうも生気というものがすっかり抜けきってしまっている。
料理を温め終えたサラは、食器を持ってテーブルについた。
正面に、リファが座っている。
「たいちょお……」
「何?」
「セレアさんが言ってた『ジャック・フェイン』って、知っていましたか?」
いきなり何を訊いてくるのかと思ったが
「ええ。名前だけはね。……一時期はファー・レイメンティルにも活動拠点をもっていて、その活動でかなりの被害が出た。でも四年前に治安維持機構と国軍が協同した掃蕩作戦ですっかり潰滅したのよね。ただ、そこにいた筈の広域重要指名手配犯である幹部を取り逃がしてしまって、政府でかなり問題になった。そりゃそうよね。あの作戦で、百人を超える死傷者を出したんだから」
「……隊長、詳しいんですね」
「まあね。私自身がその治安維持機構に僅かとはいえいた時期もあるし。――それに、さ」
フォークを操っていたサラの手が止まった。
そしてほんの一瞬、目つきが異様に鋭くなったのをリファは見た。
「その死傷者の中に、私の兄がいたのよ」
リファは見る見る目を大きく見開き
「死傷者って……隊長のお兄さんは――」
「ええ。……その作戦で、命を落としてしまった。だから死者の方ね」
サラはじっとテーブルの上の一点を見つめている。
それ以上、彼女に何かを問いかけることは憚られるような気がした。
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