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Star-line
作:北野 鉄露



Vol.1 特技ある平凡な青年と無芸で美しい女神


 咄嗟の判断で物陰に飛び込んだのは正解だった。
 間髪を容れず背後で爆発が起こり、隙間から爆風と火の粉が舞い込んできた。
 単に痛くて起き上がれなかっただけだが、運動神経が良かったら、今頃は大火傷の一つも負っていたであろう。狭い空間を熱風が走り、後頭部の髪の毛をほんの僅かに掠めていった。
(……なんなんだよ、一体)
 湿っぽくて埃っぽくてぬめっとしていて、要するに汚い地面に頬擦りした状態のまま、サイはつくづく我が身の不運を呪わずにいられなかった。
 ついほんのさっきまで、何も後ろめたいことなどない普通の一市民だったのである。
 それがどうしたことか、怪しい、というよりほとんど殺人集団のような連中に追われる羽目になってしまおうとは。アジトに忍び込んだとか闇のネットワークにアクセスしたとかなら、まだ仕方がないといえるかも知れない。が、彼の場合は勝手が違っていた。
 数週間前に職を失ったサイは、今日やっとのことで配送屋のバイトにありついた。
 とにかく頼まれ物を頼まれた場所へ届けるという単純な仕事を請け負っているその会社は、これといってバイトに対する教育などはなかった。のこのこと初出勤していった彼に、担当者らしい暗い中年親父が
「……これ、今日の分」
といって、どさりと封筒やら箱物を投げてよこしただけである。
 届けるだけだから、説明などはないということらしい。
「えーと……」サイは思いっきり面食らった。届けるだけといったって、それなりに必要な説明事項があるではないか。この手のいい加減な店や会社の人間のために、彼は散々苦渋を舐めてきた。経験からいってここは一つ、勇気を出さねばならなかった。
「あ、あの――」
「はん?」
 中年親父がうざったそうに、じろりと彼を見た。
「今日、俺、はじ、初めて、なんですが……」
 頬が半ば、引きつっているのが自分でも分かる。
 親父は分厚い丸眼鏡の奥からサイを見ながら
「ああ、そう。……みとめ、貰っといて。不在はポストでいいから」
 それだけ言って、また自分のデスクに向かい書類に目を落とした。相当近眼らしく、ほとんど書類を舐めるような勢いの近さである。
「あ、あり、ありがとう……ございます」
 ぎこちなく何の感謝もない礼を述べながら、軽く彼は途方に暮れた。
 辺りを見回しても、一つ所に落ち着いて座っているのはこの親父だけで、後はなんだかんだと老若男女がばたばたと走り回っている。
 もう一人、事務らしい見るからに無愛想な女がいたが、これは電話で喧嘩をしていた。
「だからねぇ、それはもう届けたっていってるでしょ? 届いてない? 知りませんよ、そんなことは。そこまでねぇ、うちじゃ面倒みきれませんよ。……訴える? ああそう、ご勝手に!」
 ガーンとすごい勢いで、電話が切られた。というより、受話器がぶん投げられた。
 それすら誰も構わない程、周囲は騒然と、雑然と、手前勝手に動いている。
 今彼女に物を訊ける人間がいるとすれば、それはきっと勇者であろう。
 仕方がなく、サイは与えられた荷物を持って事務所を出ようとした。届け物は4つばかり、宛て先はK地区、M地区、O地区とある。
 ……どれも遠い。しかも、あちこちと散らばっている。
 車の支給なんかない(と、サイは思っている)から、徒歩で行かねばならない。届け終われば、楽勝でとっぷり日が暮れている筈であった。
 何となく悲しい気持ちになって事務所を出たところで、折からやってきた小型トラックが目の前に止まった。トラックからは、作業服を着た男性が降りてきた。まだそれ程の年齢ではなさそうな、見たところサイよりも3つ4つ位上かと思われた。
 男性は事務所に入っていこうとして、ふとサイに目を留めた。
「……君、ここの配達係の人かい?」
「あ、え、あ、はぁ。そう、そうですね」
 考え事をしていたサイは急に話しかけられ、慌てたように返事をした。
 彼が配達員だと知った男性は
「ああ、丁度良かった。届けて欲しい荷物があるんだけど、頼めるかな?」
 と、訊いてきた。親しげな感じのする物言いである。
 しかし、配達の注文はサイではなく、会社を通さねばならない。
「あの、この中にいる人に言ってもらえますか? 俺、ただの配達係で、今日入ったばかりなものですから……」
 そう断ると、男性は困った表情をして
「いや実はさ、かなり急ぎの物があるんだ。明日の配送とかに回されると、困っちゃうんだよな。君にお願いすることはできないかな?」
「それは……。配達料とか伝票のこととかあるんで、俺に頼まれても……」
「何、荷物は封筒一個なんだ。それに、会社に払わなくても、俺から君に対して配達を頼んだことにすればいいだろう? お礼はこれだけするよ」
 男性はポケットから、五千エル札を出した。
 封筒一個の配達料にしては、破格と言っていい。普通の配達料のざっと3倍近い。これをついでに届けるだけで、サイ個人にこれだけの報酬が与えられるのである。彼はさすがに心を動かした。怪しいといえば怪しいかも知れないが、これだけ顔を白昼に晒しているのだから、少なくとも闇で悪いことをしている人間ではないように思われた。
 とはいえ、金に目が眩んで余計な苦労をするのも面白くないので、念のためにサイは
「届け先は、どこなんです?」
と訊いてみた。
「O地区東区画。5C5L通りだ。ちょっと端だけどさ」
 O地区なら、願ってもない。丁度、届け物の中にもO地区宛てがある。
「ああ、O地区ならこれから行くから、まぁ、引き受けましょう。で、受け取りは?」
「いや、そこにいる人間に渡してもらえば、それでいい。大事なものだから、ポストインは勘弁だけど、必ず誰かいると思うよ。……念のため、これは俺の名詞」
 受け取って見ると、F地区ロデリー精密機械会社とある。男性の作業服にも、よく見るとそういう刺繍が胸元にされていた。それでも一瞬躊躇ったが、届けるだけなら何の後腐れもなかろうと思った。それに、この男性の依頼を1件引き受けるだけで、日当の倍近い報酬が受け取れるのである。数日ろくなものを喰っていなかったサイには、これは響いた。
 受諾してもらったことで、男性は明るい顔をして
「いやぁ、助かったよ。ありがとうありがとう。納期に遅れるところだったんだ。俺が届けてもいいんだけど、別の受注があって、これもまたキツかったんだ。また、君に頼むよ。……えーと、ペグレ運送の」
「サイ。サイ・クラッセルです」
「サイ君か。じゃ、これ今回の報酬」
 男性は五千エル札をサイに渡すと、トラックに乗り込んで行ってしまった。
 思わぬ臨時収入に気を良くしたサイは、心持ち足取りも軽く、早速配達に向かった。
 この都市は5×5の25地区に行政区分割されており、北西の角から順にA、B、C……という名称がついている。つまり、Zという地区だけがないことになる。彼が今いるこの地区はB地区であり、図にしてみると分かりやすいが、K、M、O地区は東西に一並びになっているとはいえ、都市の端から端まで渡り歩かねばならない。最初はうんざりしたが、それ相応の報酬があるのなら、そこは納得もできるというものであった。それに、過去にも配達関係のバイトをしていた経験があるから、番地探しは対して苦にならない。
 そうして配達を開始したサイは、K地区、M地区と配達を終えてO地区へやって来た。
 まず南区画の荷物を届け、最後に男性に頼まれた封筒を届けるべく東区画に赴いた。5C5Lという番地ははずれもはずれ、この都市のほぼ最東部である。港湾部にほど近いそこはあまり開発が進んでおらず、古びた倉庫やら空き地が多い。どちらかといえば、治安がよくないエリアとしても知られている。
 夕刻にさしかかっていたが、まだ時間は早い。もらった五千エルがあったから、M地区からは地下鉄線を利用し、大分時間稼ぎができたという訳である。故に、こんな物騒なところでもまだ何とかやって来れたのである。幾ら何でも白昼堂々、犯罪行為は起こりにくい。この都市は隅々まで監視ネットワークシステムが構築されていて、何かあれば黙っていても警察なり治安組織が駆けつけてきてくれるのである。
 それにしても、男性から託された荷物の宛て先は、閑散とした寂しい場所であった。
 東側はほとんど埋立地で、買い手がないまま整備されていないから、草が伸び放題の荒れ放題である。その向こう側は海に落ちている。西は古い倉庫や事務所が並び、よく見てみるとしばらく所有者がないらしく、荒んでいてうっかりするとならず者の盛り場にでもなりそうである。大丈夫だと自分で思い込みながら、サイの足は無意識に速くなっている。
 辿り着いた宛て先の場所は、そんな建物が立ち並ぶエリアの一角であった。
 周囲はぼろぼろの倉庫ばかりで、道は勝手にそうなったのか誰かがそうしたのか、あちこちコンクリートがめくれ砕け、普通の車が通れそうもない状態になっている。ようやくサイは、何気なく請け負ったこの配達を疑問に思い始めた。普通の精密機器会社が、何の理由あってこんな寂れた場所へ急ぎの荷物があるというのだろうか。とにかく、届け先は目の前にある。さっさと届けて、全力でここから立ち去ることを思った。
 看板などはかかっていない。鉄製の重そうなドアは浜風に錆び付き、配管やらコードが朽ちてぶら下がったりしている。
(ここでいいのか? 本当に、人がいるのか?)
 半ば怯えながら、サイはドアを強めにノックした。ガンガン、という音が人気のない一帯に響き渡った。
 少し待ってみたが、誰も出てこない。じっと中の気配を窺ってみるが、鉄製のドアでは頑丈すぎて、よく分からなかった。仕方がないので、もう一度、今度はもっと強めに長く叩いてみた。
 すると、ややあって、ドアがギギギとゆっくり開いた。
 出てきたのは、目つきの鋭い黒服の男である。サイは怖気が立った。
「……何だ、お前は」
 低い声で男は言った。
「あ、あの、あの、配達屋です。これ、これ、F地区のロデリー精密機器――」
 男の視線が問答無用に威圧していて、歯の根が噛み合わない。恐る恐る封筒を差し出すと、サイが言い終わるのを待たずに男は封筒をひったくった。
「……さっさと行け」
 ガーンと扉が閉められた。
「……」
 数秒呆然としていたサイ。が、とにかくすべきことは終わった。
 幾ら割がいい仕事とはいえ、もう引き受けるべきではないという気がした。しかし、あの精密機器会社の男性は、サイの名前と会社を押さえてしまっている。折角ありついた仕事であったが、もうあの会社へ行くべきではないかも知れない。
(また、別の仕事探せば、いい……よな)
 そう決心してくるりと振り向いた途端である。
 エリアのどこからか、けたたましくウゥーッというサイレンの音が鳴り始めた。
「あ、え、え? 何、これ?」
 突然のことに肝を潰してうろたえていると、背後のドアが乱暴に開き、先ほどの男が現れた。
「手前! 治安機構に尾行られやがったな!」
「え? ち、治安機構? お、俺は、何が何だか――」
 しどろもどろの弁解を聞いてくれるような相手ではなかった。
 男は背後にいるらしい仲間に「おい! 制動集約短絡チップ早くつけちまえ! 治安機構の連中潰してずらかるぞ!」と叫んだ後、再びサイの方を向き「……治安機構と一緒に手前も死んでもらうからな!」
「し、死ぬ?」
 サイは頭が真っ白になった。子供の頃の喧嘩で死ねと言うのは数え切れないほど言ったり言われたりしたが、大の大人に、それも本当にやりかねない類の方から言われたのは初めてである(そうそう言われるものでもないが)。
 身体が勝手に、後も見ずに駆け出した。
 恐怖が全身を支配し、ほとんど無我夢中であった。
 周囲がやたらと騒がしくなりつつある。次第にサイレンの音源が増えていき、どこかで何事かを叫んでいる声もする。が、それらは全くサイの耳には届いていない。
(殺される殺される殺される殺される――)
 ただただそれだけであった。
 大分走ったような気がしたが、その実ほんの僅かな時間でしかなかったらしい。
 背後でドドーンと派手に何かが吹っ飛ぶ音があり、続けてズズンと巨大な何かが蠢く気配がした。キュイィンと、甲高いモーターの音もする。
 無意識にちらりと一瞥した先で、サイは思いもかけない姿を目にした。
 人間の軽く2倍はありそうな、巨大な異形の影。ごつごつとした鋼鉄のボディが夕陽を浴びて鈍く光っている。どう見ても、人間ではなく、人型機械のそれであった。
(……CMD!? マジで!?)
 CMD――Controlled Mechanical Doll。通称「重機」と呼ばれる、作業用の有人操作式人的形態仕様大型機械、とどのつまりは大型ロボットである。二足歩行技術の普及と共に世に現れ、その作業効率や作業時における人間の外的危険性を大きく回避できるというメリットからあらゆる用途において導入されることとなった。しかしながら、当然のように社会的貢献のみに使用されるといったものではなく、多分に反政府組織を中心に破壊活動や革命行動に悪用されることとなり、一時に都市の治安は悪化した。
 警察のみでは対処しきれない凶悪な破壊活動の撲滅を目的として政府は「治安維持機構」の創設と、都市犯罪監視ネットワークシステムの構築の実施に踏み切った。この半ば市民権への容喙とも思われる強権発動の措置によって一時的に破壊活動は鳴りを潜めたが、それでも犯罪活動自体の撲滅には至っていない。却って、地下活動化したためである。
 自分の日々の生活に必死なサイのような者にとってはあまり縁のある社会情勢ではなく、都市部で繰り返される政府と反政府組織の抗争、くらいにしか思っていない市民も多い。が、うっかりしていると今日のサイのように、何の関係もない一市民が巻き込まれるという事象もなくはなかった。むしろ、政府としてはその点を憂慮し、犯罪監視ネットワークシステムを利用して尾行捜査を行うというところまできていた。
 全く覚えのないサイがこういう目に遭っているのも、いわば政府のせいであると言えるかも知れない。尾行されず、突然包囲などされなければ、今頃サイは美味い夕食にでもありつけていたであろう。
 背後で、CMDの右肩あたりのカバーが跳ね上がった。
 下から4つ丸く並んだ――どう見てもミサイルか何かなのだが――が現れた。
 サイの顔から血の気が引いた。
 あっという間もない。その一つから煙が出たと思いきや、まっしぐらに彼目掛けて発射されてきたのである。
 そして物陰に飛び込み――ということになったのである。
 とりあえず、あのミサイルらしい物騒な兵器は一旦回避できた。が、あんなもので狙われている以上、建物などに隠れていても無駄であろう。一緒に吹っ飛ばされてそれまで、ということは今のサイでも十分想像できた。
 ロデリー精密機器会社を名乗ったあの男性やら治安維持機構を恨んでいる暇はない。
 うかうかしていると、五体バラバラにされてしまう。
(逃げなきゃ!)
 幸い、倉庫と倉庫の間らしいそこは暗くはあったが、さらに奥へ続いていることが分かった。
 上体を起こして前に進もうとした時、ズンズンと地響きがした。見れば、今飛び込んできた入り口の影から、あのCMDが覗いているではないか。彼をロックオンしたらしい頭部のメインカメラが赤く点滅し、チチチチと鳴った。サイは、悪意そのものを感じとった。
「うわあぁっ!」
 絶叫しつつつんのめりながら瞬発で駆け出したその後を、機関銃弾が追っていく。
 何をどう動いたのか、彼はまったく覚えていない。
 退避すべき物陰が目に入り、本能的に飛び込んだその頭上の壁を、銃弾が抉り取っていった。パラパラと、破片が彼の上に降り注いだ。
「はぁ、はぁ――」
 呼吸が整わない。
 ここまでは及ぶまい、とまで思って咄嗟に彼は思い出した。
 相手は、ミサイルを所持している。
(……!!)
 背筋が凍るのと血の気が引くのと足が動くのと、同時であった。
 10歩も離れた時だったろうか。
 案の定な事態が後ろで起きていた。
 凄まじい爆発と、爆音。テレビで観ていると何でもないように思っていたが、実際に身近でお見舞いされると耳がほとんど利かなくなった。それに巻き起こされる爆風は思いの外強力で、サイは背中から思いっきり突き飛ばされるような感覚を覚えた。
「うわあぁぁ……」
 叫びつつ前のめりに転がされたまでは覚えている。
 そのまま気が遠くなりかけたが、彼にとって幸運なことに、完全に気絶せずに済んだ。
 本能的に身体を動かそうとすると、手足が言うことを利いた。転んでぶつけたのか、あちこちがそれなりに痛む。サイは、まだ自分が生きていることを確認した。
(とりあえず、逃げよう。このまま建物の影を縫っていけば……)
 小型弾のためか、建物全体を吹っ飛ばすという威力まではなさそうであった。
 が、そういう物騒な代物を平気で撃ってくる連中である。この後どんな破壊力のある武器を使ってくるか、分かったものではなかった。
 サイはゆっくりと立ち上がり、目の前に通路が続いているままに歩き出した。
 もはや走る気力もない。頭の中がぼんやりとしていて、あれこれ対策を考えるということも出来なかった。
 暗い倉庫と倉庫の間の狭い路地を歩いていくサイ。無我夢中で飛び込んでいたから、どの方角に進んでいるかということはまるで分からなかった。ただ、路地が続くまま、よたよたと歩いていくだけである。
 四方から、サイレンの音やら爆発音、耳障りな金属音が絶え間なく聞こえてくる。例の連中と治安維持機構とが衝突を開始したのであろう。捕り物が始まった今、彼が出て行ってもあの殺人集団に狙われる危険性は低くなったと考えていいような気がした。
 とにかく表の通りへ出ようと思い、それらしい道筋を探しつつ進んだ。
 少し行くと、左手の倉庫の裏口が開いていた。
(……ここには、あんなやばい連中はいないだろうな?)
 そろりと覗いてみると、気配も物音もない。サイは恐る恐る中に入り、周囲の気配を探りながら一歩一歩踏み出していく。
 夕暮れ時ということもあって中は真っ暗であった。高い天井の辺りに取り付けられている採光窓から、申し分程度に赤い光が差し込んでいたが、それだけでは照明代わりにもならない。何かにぶつかってはたまらないから、サイはゆっくりと歩いて行く。幸い、目が慣れてくると、ただだだっ広いというだけで、何もないということが分かってきた。
 反対側に辿り着くと、彼は出口を探した。
 ほんのり光が漏れている箇所があり、どうやら勝手口の扉らしかった。
 ぐっと押してみるが、びくともしない。
「錆びてるのかな? これは結構……固い」
 がたがたと揺さぶってみても、扉は動かなかった。
 意を決して、サイは体当たりを試みた。渾身の力を込め、肩から扉に向かって突進した。
「――うわっ」
 無常にも、一撃で扉はすっ飛び、その勢いのままサイは表に転がっていった。
「痛ってぇ……ふざけた扉だぜ、全く」
 地べたに寝転がったまま痛がっていると、ふと顔の上に影が差したのに気が付いた。
 はっとして目を凝らしたが、眩いばかりの夕陽が逆光となって、影の正体がよくわからない。
「……?」
 よくよく見ていると、どうやら若い女性のようであった。
 かなり整っていて、穏やかなそうな顔立ちをしている。ぱっちりと見開いた瞳で、きょとんとして彼を上から見下ろしていた。ややしばらくその体勢が続き、何を思うでもなしにサイは彼女の美しい容貌を眺めていた。時折、微風が彼女のふわりとした長い髪を軽く靡かせていく。
 と、突然のズドーンという衝撃で彼は我に返った。
 がばっと上体を起こし、振り返ろうとした途端、勢い余って尻餅をついてしまった。
 瞬間的に、あの怪しげなテロ集団の人間かと思ったのである。
「あ、あ、あの、あの、俺、俺……」
 呂律が回らない。相当怯えた表情をしてしまっていたらしい。
「はい?」
 にっこりと、彼女は微笑んだ。
 サイは思わず息を呑んだ。光を浴びてはっきりと見えた彼女の笑顔がことのほか美しく、しかも容姿全体がすらりとしていて非の打ち所がない。ふと見れば、すらりとした腕や脚が大胆に露になっていて、彼はドキリとせずにいられなかった。
 完全に固まってしまった彼の姿をしげしげと見ていた女性は、
「……一般人の方ですか?」
と、訊いてきた。おっとりとした、優しげな声である。
「は、はい! い、一般人の方です!」
 おっかなびっくりで答えると、女性はにこりとして
「じゃあ、すぐに避難してくださいね。ここは今、非常事態地区指定発令になっています。所属不明機と治安維持機構第三部隊とで交戦中なんです」
 とんでもなく物騒な内容だが、彼女のゆったりした口調で言われると、いささかもそんな緊迫感がない。サイは、目の前の女性がとりあえず女テロリストではなさそうだと安心したが、かといってこんな色っぽいコスチュームが治安維持機構である筈もない。先ほどのことといい、この女性の存在といい、自分の置かれている状況がまったくもって理解できない。
 やや心地を取り戻したサイは、恐る恐る質問した。
「……あ、あの、あなたは、治安維持機構の方ですか?」
「私ですかぁ? いいえ、違うんです」
 ぎょっとしたサイ。今、こんな場所にいるのは、治安維持機構の人間でなければ例の怪しげな集団でしかないではないか。
 が、そんな彼の恐怖を払拭するかのように、女性は静かに微笑み、
「私はですね――」言いかけた途端。
 彼女の背後にすごい勢いで大型トレーラーが見る見る迫り、ほとんどぎりぎりで急停止した。
 運転席側の窓から、これまた若い女性が顔を出した。
「リファさーん! 隊長とショーコさん、着きましたかぁ?」
 リファと呼ばれた女性はゆったりと振り仰ぎ、
「あ、ユイちゃん。お疲れ様。それがね、まだ来ていないの」
「ええーっ? 隊長達、出て行ったのってかなり前だよぉ? どこで遊んでいるのかしら?」
 そんな彼女らのやりとりと呆然として眺めているサイ。
 ふとトレーラーのフロントを見やると、流れ星を模したデザインのマークに、「Star-line」のロゴ。彼としては、聞いた事のない組織である。
(どこかの運送会社か? にしちゃ、なんでこんなところにいるんだ?)
 トレーラーからぴょんと降りてきたユイといった女性は、地べたにへたりこんだままのサイの方を見て「……こちらのお兄さんは? 逃げ遅れたの?」と問うた。まだまっさらの作業服を身に着けている。
 リファというらしい女性は、例の穏やかな笑みを見せ
「うん。倉庫の方から出てきたから、きっと避難勧告が届いてなかったのね。今、逃げてくださいって、伝えたのよ」
「そっか。何でも、リン・ゼールと提携している連中だって、情報が入ったんです。リン・ゼールから一般人の配達屋を通じてCMDの新しい起動CSが供与されるような動きがあるって。セレアさんが言ってました」
 そんな二人のやり取りが耳に入ったサイは、怖気が立った。
 リン・ゼール。幾つか存在すると言われる反政府武装テロ組織の中でも、最も強大で凶悪な一味である。都市機能や政府施設の破壊行為はもちろん、政府要人の暗殺や、民間であってもテロ撲滅を掲げる組織や属人に対しては容赦なく攻撃を仕掛ける連中として恐れられている。第一級の要警戒組織として、その構成員は全都市に指名手配されている。
 よりによって、あのロデリー精密機器会社なる社員を名乗った男性はリン・ゼールの一味であり、サイはそのテロ活動にまんまと利用されてしまったことになる。しかし、あらかじめその動きが偵知されていたということは、何も彼が尾行されたがためにこういう事態になったのではないともいえる。
 それはいい。
 何より、ほんの何でもない日常の部分にまで彼らの魔の手が迫りつつあることに、サイは戦慄せざるを得なかった。わずかな報酬に目が眩んだかどうかと言われればそうかも知れなかったが。ともかくも、そういう巧妙な手を使って一般人を利用し始めていることだけは確かなのであった。
 そんな彼の心のあれこれなど知らないユイは、再びサイの方を向き
「さ、早いとこ避難してくださいな。ここにもリン・ゼールの一味が来ないとも限りませんから」
 彼女は悪戯っぽく笑い「……治安機構、あんまり当てにできませんので」と付け加えた。
 確かに、治安維持機構と武装組織との衝突に発展した場合、かなりの確率で治安維持機構側に被害が出ている。最終的に衆を持って寡を制するやり方で鎮圧されるのだが、都市構造物に被害が及んだり、最悪の場合は治安維持機構の側に死傷者が出たりと、あまり市民にとって歓迎すべきでない事例も多々あることは事実なのであった。
 ゆっくりと立ち上がりながら、サイはさっきから思っていた疑問を口にした。
「……あの、あなた達は、どちらの……?」
「私達ですか?」リファが微笑んだ。「私達は――」
 言いかけた途端である。
 ドガァンと大音響がして、サイの背後から爆風が三人を襲った。
「きゃあっ!」
「うおっ!」
 蹲って砂埃を避け、そちらの方を見てみると、向こうで倉庫の一つが無残にも真ん中辺りから吹き飛ばされ、開いた大穴のところから例の一味のCMDが姿を現していた。
 さっきのやつかとサイは思ったが、案に相違した。
 一機、二機、そして三機目がいた。あの倉庫の中に、あれ以外にも隠されていたのであろう。賊が五体満足に活動しているということは即ち、駆けつけてきた筈の治安維持機構が潰滅したということを意味した。
「うそ!? やられちゃったの? 第三部隊……」ユイが悲鳴に近い叫びを上げた。
「そう、みたいね。困ったわね」
 困っているらしいが、一向にそういう雰囲気を感じさせないリファ。
『――イ! ユイちゃん! 聞こえてる? こちらショーコ! ユイちゃん、ユイちゃん! 聞こえてるなら応答して! ユイちゃん!』
 ユイの胸ポケットから無線機で必死に呼びかける声が聞こえてきた。
「こちらユイです! ショーコさん!? 今、どこですかぁ?」
『ごめんね、まだ着けないのよ。西2C5Lの通りでも所属不明機が暴れていて、交通規制がかかっているの。そっちはどうなの?」
「現在東5C5L付近です。治安機構第三部隊がどうやらやられたみたいです。今、目の前に賊機が――」
 彼女が無線でそこまで告げたとき、不幸にも賊CMDがこちらを向いた。
 三人とトレーラーに気が付いたらしい。
「……やばいじゃん、あいつら」
『賊が何? どうしたの? ユイちゃん?』
 無線からの呼びかけを捨てておいてユイは 
「リファさん! トレーラーに乗ってください! このままじゃやられちゃう!」と言い捨てながら、彼女は素早く運転席に飛び乗った。
 リファは頷き、
「ということなんです。早く、逃げてくださいね!」
 身を翻して、トレーラーの助手席に乗ろうとした。
 すると、ユイは
「ああっ、リファさんたら! こんな状態で逃げられる訳ないじゃないですか! そのお兄さんも乗っけて乗っけて! 早く!」
「あ? うん、そうね」
 言われて気が付いたリファ。彼女は蹲っているサイの腕をつかんでトレーラーに乗ろうとした。
 不意を衝かれたサイは、勢い、リファに引きずられるような格好になった。
「うわっ! 何ですか?」
「早く! これに乗ってください!」
 賊CMDの一機が、ギョンとこちらに一歩踏み出した。
『そこのトレーラー、動くな! 動けば死ぬぞ』
 途端に、右腕に仕込まれた機関銃が唸りを上げた。
「……!」 
 焦ったリファが助手席に乗りかけてバランスを崩し、荷台側に転倒した。それでもサイの腕を放さなかったため、サイは一気に引きづられて共に転んだ。
 が、それが幸いした。
 機関銃弾はトレーラーの前の地面に突き刺さってコンクリートを粉砕し、弾きかえった弾丸がトレーラーのフロントやバンパーを傷つけ、あるいは穴を開けた。リファが乗り込もうとした助手席側のドアにもそれが当たり、衝撃でドアが外れて落下した。もたもたと乗り込もうとしていれば、リファもサイも、もろに機関銃弾を受けていたであろう。CMD搭載式の大口径機関銃である。人間に当たれば間違いなくただでは済まない。
「リファさん!」
 ユイが叫んだ。
 二人の安否を確認する間もなく、第二波が襲ってきた。
 ガガガガという鈍い音がトレーラの前面でうなりを上げ、衝撃でフロントガラスにバキバキとヒビが走った。続けてバシュッというエアの抜ける感覚があり、トレーラーが左前にやや沈んだ。タイヤをやられてしまったらしい。自走が不能になった。
「きゃあっ」
 荒れ狂う銃弾の嵐に、ユイは運転席で身を縮めているより他にない。
『ユイちゃん! ユイちゃん! ああっもう! どうなってんのよ!』
 彼女の胸ポケットの無線で、女性の声がキレ気味に叫んでいるが、ユイには応答することができない。
 トレーラーの左側面では、リファに引き倒されたサイが彼女の傍に転倒していた。彼の着ていた長めのジャケットが彼女にもばさりとかかってコンクリートの破片をガードし、リファに直撃することから免れさせていた。
 ほんの後ろで、機関銃の嵐が舞っている。大口径銃弾が地面を粉砕する度に、もうもうたる砂塵と衝撃が、二人を襲ってくる。
「きゃあぁっ!」
 ごく近くで怯えて悲鳴を上げているリファを前に、何故かサイは落ち着いてしまった。立て続けに命の危険にさらされ、すっかり感覚が麻痺してしまったのかも知れなかった。
 絶え間なく飛んでくる破片から彼女を庇いながら、ふと荷台を見上げた。
(……これは?)
 CMDの機体であった。
 カバーもかけられておらず、ロープで固定もされていない。右腕と思しきパーツが見上げたすぐ先にあるから、頭部やコックピットがそこにあると考えてよかった。
「ふーん……」
 サイに、一案が閃いた。
 連中がかました機関銃によって凄まじく埃が立っているから、今なら彼が動いても賊からは見えない筈であった。
(……よし! 今だ!)
 彼は素早くリファを抱き起こした。
「……?」
 驚いている彼女を脇から担ぎ上げ、余力を振り絞って荷台に飛び乗ろうとした。先に彼女を荷台に上げてやり、後から飛び乗ろうとした刹那。
「危ないっ!」
 リファが慌ててサイを引きずりあげるのと、彼が今しがたいた地面を流れ弾が抉っていくのと、ほぼ同時であった。一瞬遅ければ、サイは下半身を失っていたであろう。
「……あぶねー」
 流石にサイは、背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
 が、危機一髪に安堵している余裕はない。コックピットを確かめると、上手い具合にハッチは開かれたままであった。
 中を覗きこんでいるサイに、後ろからリファが声をかけた。
「あの……これに、乗るんですか?」
「ああ、すみませんがちょっとだけ、お借りしますよ」
 見ず知らずの人間が言うには随分な申し出だったが、リファは拒絶することもなく、ただ不思議そうに小首を傾げただけである。
「でもでも、これ、まだ誰も乗ったことなくて、その……」
 要するに、稼動経験によるシステムバックアップと補助プログラムが不十分だということらしいが、そういう単語を知らないリファには的確に説明できないのであった。
 しかし、サイは自分の人生で恐らく一度も見せたことがないであろう強気な表情をした。
「……俺、ちょっとばかりこういうの、かじってたんです。多分、大丈夫です」
 言い切って、彼はするりとコックピットに潜り込んだ。
 すると、驚いたことに、リファも一緒に飛び込んできたではないか。機体は仰向けになっているから、ちょうどリファがサイの上に乗ったような状態になった。コックピットはただでさえ狭いのに、半ばあり得ない格好になった。
「あ、あの……これ、一人用だと、思いますが」
 美女に密着されて一気に固まったサイ。自分でも何を言っているのか分からない。
 リファは彼の上に乗っかったまま、屈託なげに微笑んだ。
「CMDを起動させる時は、近くにいちゃいけないって、ショーコちゃんが言ってたんです。今、あなたが動かすのに、私が周りにいたら危ないですから、一緒に乗ります」
「はぁ……そうですか」
 照れるのは後にして、サイは今自分がやるべきことに集中しようと思った。
 下手すれば、この美しい女性を屍にしてしまいかねないのである。
「さて……と」
 ざっと操縦系のコンソールを見回すと、始動パネルにはキーカードが刺さりっぱなしになっていた。「Stand by」のスイッチを入れると、一瞬おいてブルルと機体全体が唸り、目の前の幾つものディスプレィがパパパパッと光った。
 操縦者に最も見やすい位置に、機体の状態を表示するステータスモニターがある。
 画面には「ALL CONECTED」のサイン。つまり、手足頭胴体の各駆動系全てが操縦系と接続され、動かせる状態に整ったことを意味する。
「よしよし、何とかなりそうだな」
 独り言を呟いた彼に、
「得意なんですか? こういうの」リファが無邪気に訊いてきた。
「あ、まあ。乗ってたことがあるんです。仕事で」
 実は、サイには腕に覚えがあった。
 生活に困ってやむなく小さな土木建築会社で働いていた時、そこの社長に一般重機免許を取りに行かせて貰い、彼が会社の重機を操って作業していたのである。操縦だけでなく日常のメンテや軽度な改修もやっていたから、並みの運転者よりはよほど重機というものを理解している。ただし、その会社が潰れて以来、なかなか重機のある会社に就職できずにいたのは、単にサイが社会的な自己主張に不器用だったせいかも知れなかったが。
 彼はシートベルトを締めた。が、さすがにリファの分まではない。
「結構揺れますんで、しっかり何かに掴まっていてください。頭ぶつけたりしますんで」
 何気なく経験則で言ったつもりが、リファは何を思ったか、サイの身体に腕を回してしっかりと抱きついた。彼女の感触が、容赦なくサイに伝わってくる。
「……あ、あの」
「はい。掴まりました」
 言われた通りにしましたという感じで、彼女は淡々としている。
 サイはどぎまぎして尋常な心持ちではないが、とにかく仕方がない。コックピットはショックアブソーバーが効いているとはいえ、機体の振動がもろに反映される。固定されたものにしがみつきでもしていなければ、彼が言ったように頭でも強打してただでは済まない。
 妙に素直なリファは、サイ本人にしがみついているのが安全だとストレートに思ったのであろう。
 ふと見ると、起動画面には『DG-00 PRTT』の文字。機体名称は特にないのだが、強いて形式番号で呼ぶならDG-00ということになる。ステータスモニターで確認する限り、ほぼ完全な人型を有した機体であるらしい。そこにサイは着目した。
 一方、機関銃で十分な制圧に成功したと判断した賊機三体は、中破して動けなくなったトレーラーの方に近づいてきた。
 運転席でユイは怯えたが、かといってもはや脱出できる間合いではない。
 一機が先行して近づき、トレーラーの右側から、荷台を覗き込むようにした。
『おい、いいモン、持ってるじゃねぇ? こいつら』
「……」
 メインモニターをじっと注意深く見つめていたサイ。
 その一つ目のメインカメラが、仲間の方にチーっと動いていくのを、彼は見逃さなかった。
「……行くぞ!」
 両側のレバーを全開に引き絞る。
 一瞬の隙を衝いて、DG-00は上体を跳ね起こした。
 下からもろに、アッパーならぬ頭突きが炸裂した。
 全く不意を衝かれた攻撃を、賊機が防御出来る筈もなかった。バギャッという不可解な音がして、賊CMDのパーツが派手に吹き飛んだ。
 しかし、DG-00には大した衝撃もなく、ステータスモニターには何の異常警告も出ていない。二人には見えていないが、まったくの無傷であった。恐るべき頑丈さを備えた機体である。
『うおおーっ!』
 叫び声を上げながら、賊CMD機は仰け反り、そのまま後ろにひっくり返った。そもそもが不完全なずんぐり体型の機体である。一度倒れてしまうと、そう簡単には起き上がることができないのであった。
 サイは、一気に機体を起こしにかかった。
 重機を動かす上でもっとも重要なのは、機体の重心とバランスを調整し、これを上手く利用することである。彼は左側へ重心を寄せつつ右腕を荷台に突かせ、パッと俊敏にトレーラーの右側へDG-00を立たせた。
 ズン、という衝撃があって、ユイはようやく後方の異常を悟った。
 右窓からそちらを見れば、何と賊機が仰向けにひっくり返され、積荷が起き上がっているではないか。思いがけぬ光景に、彼女は驚いた。
「リファさん! リファさん! どうしたんですか! DG-00に乗ってるんですか!?」
 まさか通りすがりのサイが動かしているなんて想像もつかなかったのであろう。
 無線は、DG-00のコックピットにも伝わってきた。
 リファはひょいと手を伸ばし、通信マイクスイッチをオンにした。
「ユイちゃん、こちらリファです。機体を貸してくださいって言われたので、貸してあげました」
『ええ―っ! 何それ―?』
 無線の向こうで、ユイが絶叫していた。
 聞いていたサイは何となくばつが悪くなった。
「あ、あの、俺、サイ・クラッセルっていいます。その、通りすがりの配達屋なんですけど、その、命の危険を感じたんで、それで――」
 言い終わらぬうちに、彼は瞬間的に反応した。
 DG-00が足を踏み出し、足元に倒れていた賊機の右腕を一気に踏み潰していた。機関銃をこちらに向ける気配を悟っていたのである。
 もちろん、その様子はユイの位置からはまともに見えている。
「あ……」
 彼女は言葉を失った。
 こうもあざやかに相手の機先を制しながら稼動する重機というものを、これまでに見たことがなかったからである。
(話は後だな。こいつらを先に止めないと)
 DG-00のシンプルなヘッドがキュイっと動いて、残る2機をねめまわした。といっても、工事のヘルメットを被せたようなデザインだから、どこか滑稽でなくもない。
 仲間がやられたことで、賊は明らかに動揺しているらしい。彼らのやりとりが、外部音声としてサイの元にも届いている。
『おい、あいつ、何なんだ? ザンの奴、やられたぞ』
『Star-lineだと? 聞いたことねぇぞ! 私設の警備屋か?』
『とりあえず、やっちまえ。このままじゃ、まずいぞ。治安機構に囲まれたら厄介だ』
(……そうかい)
 トレーラーの前方に展開している二機の賊機が各々飛び道具をスタンバイしようとした。
 が、それよりも二呼吸くらい早く、DG-00は地を蹴って突進していた。
 相手が飛び道具を持っている以上相当に危険性の高い行為だが、操っているサイには十分な計算があった。機体の強度である。そのあたりの重機などは足元にも及ばぬ装甲を鎧っているらしいと、先ほどからの一連の状況の中で勘付いていた。
『何ィ!? こいつ、早――』
 右側の賊機が狼狽し、慌てて銃口を向けたが、既にDG-00は懐に飛び込んでいた。
 完全な人型である。鈍重なスタイルの賊機とは動きに天地の差があった。
 左手で賊機の右腕、機関銃をつかんで銃口を逸らせつつ、右肩で圧迫して十分に賊機の動きを制すると、一気にその左足を払った。
 払った、というだけのつもりであったが、DG-00のパワーはサイの計算を超えていた。
 賊機の左足は付け根から吹っ飛び、機体全体がバランスを失ってそのまま左側へ崩れ落ちた。
 その間、ほんの数秒。
 さらにサイは賊機の右腕を間接からへし折って使い物にならなくし、DG-00に膝蹴りを命じた。その様子は、賊機のコックピットにも十分見えている。
『ひいいぃ! 助け――』
 容赦なく右膝は賊機をとらえた。
 ドガッと鈍い衝撃が走り、賊機のボディは大きく形状が変化していた。僅かに左腕が痙攣したように上下したが、これだけのダメージをくらっては、もはや稼動は不能であった。ややおいて接合部や間接から煙が出始め、電設部では火花が散っている。
 コックピットハッチがぎしぎしと鳴っているのは、中から賊が脱出しようと試みているらしい。
 だが、誰が見ても開閉不能だと思われるほどに変形している。開く筈がなかった。
『あ……』
 傍であっけなく仲間が仕留められるのを呆然と眺めていたもう一機の賊。
「わあ、すごい、すごいですね! こんなに操縦が上手だなんて」
 リファがすっかり喜んでいる。美女に手放しで褒められるのは正直悪い気がしなかったが、それでもサイの表情は固いままである。今の賊機は意表を衝いたからよかったものの、残りの一機はトレーラーに対して自由に照準を向けられる位置にいる。あのトレーラーにユイが乗っていることを、サイはおぼろげながらも認識していた。賊の機体までは、一瞬で飛び込めない位の間合いがある。
(なんかないか? 得物があれば――)
 ステータスモニターのモードを素早く切り替えて装備の有無を調べてみる。
 が、これという武装がない。左右腕部や腰部などに格納スポットが用意されているが、モニターの表示はカラである。それでもたった一つ、左腕外側に何かの装着サインが出ている。
「……簡易シールドか。遠隔操作による着脱可能、と。なるほど」
 サイはDG-00の左腕にガッツポーズをさせ、簡易シールド離装を命じた。
 バシュッとシールドが腕から浮き上がり重力に引かれて落ちかけた瞬間を、右腕で素早くキャッチした。
 それを流れるような動作でトランプのカード投げよろしく投げつけるのと、賊機が案の定な行動に出ようとしたのと、ほぼ同時であった。
『おい! 動くんじゃ――』
 賊がまさしく銃口をトレーラーに向けようとした瞬間、DG-00の簡易シールドが旋廻しながらその右腕に命中した。ガギィンと金属の断裂音がして賊機の右腕は見事に切断され、地面に落ちた。簡易シールドはそのまま宙を飛び、向こう側の廃倉庫の壁に突き刺さった。 
 賊がその異変に気が付いた時には、もう遅かった。
 メインカメラが、ドアップに迫ったDG-00を捉えていた。
『な、何ィ――』
 加速をつけた状態からのボディブローが一撃したから、たまったものではない。破片を撒き散らしながら仰向けに吹っ飛びかけたところへ、腰から足の付け根にかけての部位へ左のハンマーパンチが炸裂した。
 下半身を砕かれて様々な部品を飛び散らかしつつ、賊機はコンクリートへ強烈に叩きつけられた。しかも上半身は無残に変形し、もはやCMDとして原型を留めていない。あちこちの間接部モーターが限界をきたし、吹き飛んで煙を上げ始めた。
 ものの三分とかからずに賊機三体を叩きのめしたサイの凄腕に、リファは驚きの眼差しで彼を見つめた。
「……やっつけ、ちゃいましたね。全部」
「これで、全部でしょうかね? まだいたりしないだろうか」
 対CMD反応センサーという便利な機能を発見したサイは、半径150メートル以内のCMDの存在を探した。しかし、立って動いているような機影は見当たらない。
「これで、終わりか」
 半ばほっとしかけた時であった。
「おい! 動くんじゃねぇ!」
 外部音声が、男の声をキャッチした。
 モニターの倍率を拡大すると、何とユイが黒尽くめの男にトレーラーから引きずり下ろされ、拳銃らしきものを突きつけられているではないか。最初に仕留めた賊機のハッチが開いている。これに乗っていた男らしい。
「機体を止めろ! 止めねぇと、この娘の頭ブチ抜くぞ!」
「ユイちゃん!」
 リファが身を乗り出した。
 ユイは恐怖で今にも泣きそうなのだが、泣くにも泣けないような表情をして固まっている。
 その時。
 パァン と、突然銃声がした。
 はっとしてモニターを注視するサイとリファ。
 男が右手を押さえて蹲っている。何が起こったのか分からず、傍でぽかんと突っ立っているユイ。
「……そこまでだ。リン・ゼール支配下武装組織テリエラ」
 トレーラーのバックの陰から、ゆっくりと1組の男女が姿を現した。
 黒いスーツに身を固めた初老の紳士と、リファかそれよりもやや年上らしいが若い女性であった。彼女は長く伸ばした髪をまとめてアップにしていて、ドレスにも見える高そうなすその長い衣装を纏っている。
「……セレアさん!」
 リファの呟きで、サイはその女性の名前を知った。
 初老の紳士はつかつかと男の傍に歩み寄っていき、ぴたりと拳銃を突きつけた。
「直に、警察が来る。余計な抵抗は、しない方がいい」
 動きに無駄がなく、挙動がきびきびしている。
 賊の男が手にしていた拳銃を狙い打ってユイを解き放ったのは、この男性なのであろう。その腕の良さに、サイは驚嘆した。現実にそういう芸をもった人間がいたのである。
 セレアというらしい女性は、ゆったりとユイに近寄っていき、背後から肩に手をかけた。
「……遅くなって御免なさい。怖かったでしょう? もう、大丈夫ですよ」
「セレアさん……。それにヴォルデさんも……」
 ユイはすっかり安心したのか、ちょっと泣きながら笑みを見せた。
 紳士も打って変わって穏やかに微笑みながら
「いや、私も手抜かりがあって申し訳なかった。このように不完全な体制のまま、任務優先で出動させてしまったのだからね。本当に、申し訳ない」
 彼はそれから、少し離れたところで直立しているDG-00に目を向けた。
「大した武装もなく、しかも初期動制すらまともにされていない機体でこれだけの働きをするとは……。あれに乗っているのは、リファ君かね?」
 首をぶんぶんと横に振ってみせるユイ。
「いいえ。リファさんも乗ってはいるんですけど、動かしているのは……」
 彼らのやり取りは、DG-00の中の二人にも伝わっている。
 リファが、サイに促した。
「あの方達が、私達のスポンサーでオーナーのヴォルデ・スティーレインさんとセレア・スティーレインさんです。きっと、あなたにお礼をしたいのだと思います。ですから――」
 サイは度肝を抜かれた。
 スティーレインといえば、この都市でその名を知らぬ者はいない。あらゆる方面に対して強力な発言力・影響力をもった、スティーレイン財団に他ならない。そして今眼前にいるのはそのトップにいるヴォルデ翁とその孫娘でセレア嬢である。名前こそ耳にはしていたが、もちろんサイのような一市民が本人と生で対面したことなどある筈もなかった。凶悪テロ組織と相対しているときよりも却って、サイは身の内が震えるような思いがした。
 が、リファは優しく微笑みながら
「大丈夫。皆さん、とっても優しくて信頼できる人達ですよ」
「……」
 無言で頷くと、彼はDG-00を前に進ませた。
 丁度彼らを見下ろせる位置まで来ると、機体に片膝をつかせ、コックピットハッチを開いた。
 リファが最初に飛び降り、続いて飛び降りるサイ。地上に降り立った彼に、ヴォルデとセレアが近寄ってきた。多少緊張して直立不動にしているサイ。
「……君かな。テリエラを叩いてリファ君とユイ君を守ってくれたのは」
 声に張りがあり、自然な威厳があった。間近で見ると、ヴォルデ本人は事の外若く見え、しかも品良く穏やかな顔をしていた。夕暮れの陽が彼の彫りの深い容貌にくっきりと陰影を落としていた。
「あ、あの、す、すみません。勝手にCMD、拝借してしまいまして、その――」
 しどろもどろで、何を言っているか自分で分からなくなっているサイ。
 そんな彼の手を、ヴォルデが両手でとってしっかりと握った。
「いや、正直私は感動した。一市民である君が、身の危険も顧みず、このように物騒な連中に立ち向かっていくとは。しかも、CMDでだ。下手をすれば命もないというのに」
「本当に。私からも、厚くお礼を申し上げます」
 セレアが、慎み深く頭を下げた。この女性も祖父のように穏やかで、品がある。
「あ、あの――」
 言いかけた時、一台の車が走りこんできて、彼らの傍で派手に急停車した。ドアにはやはり『Star-line』のロゴが見える。
「ユイちゃん! リファ! 大丈夫!?」
 降りてきたのは、これまた若い女性が二人。
 片やショートカットで落ち着いた感じで、袖を肩から落としたスーツ風なコスチュームを身に着けている。もう一人は長めの後ろ髪を無造作に左右に跳ね上げた、キツい感じながらもよく整った顔立ちの女性である。こちらは作業服のようではあるが、肩から胸元にかけて大胆にあけっぴろげにしている。
 次から次へと見知らぬ一団の人間、しかもほとんど若い女性ばかりが現れ、サイはただただぽかんとしている。一体どういう集団なのか、さっぱり理解ができなかった。
 作業服の方の女性は、DG-00や大破して転がっている賊機をしげしげと眺め回して
「……これ、誰か動かしたんでしょ? まさかリファじゃあるまいし……ユイちゃん?」
「いいえ、違うんです。これはですね――」
「こちらの方なの、ショーコちゃん。操縦、とっても上手だったのよ?」
 にっこりと、リファが微笑んだ。
「……へ?」 
 露骨に眉をしかめて不思議そうな顔をしている、ショーコといった女性。
「どういうことなんです? その男性が、その、テリエラを……?」
 ショートカットの女性が、ほとんど信じられないというような表情で、問うた。
 ヴォルデはゆったりと頷き、
「そうなんだ、サラ君。彼がDG-00に乗って、テリエラに襲われたリファ君とユイ君を守ってくれたんだよ。彼がいてくれなかったらと思うと、私は本当に背筋が凍る思いがするよ」 
 それを聞いたサラという女性は、ヴォルデに向かって深く頭を下げた。
「申し訳ありません。私が、早いうちに現場に到着できなかったばかりに――」
「いやいや、今回は全く私の手落ちだ。サラ君が謝る必要はないんだ。それよりも、ここにいるこの……えーと、申し訳ない。何といったかな?」
「さ、サイです。サイ・クラッセルです」
「このサイ君が、DG-00に乗って賊を退けてくれたのだよ。まったく、大した腕前だ」
 それを聞いて、サラの背後でショーコが目を丸くしている。
「へぇ、彼がねぇ……」
 ショーコはつかつかとサイの傍にやってきて、間近でじっと彼を見つめている。
「あ、あの……」
 見つめられて、狼狽しているサイ。
「あなた、治安機構? それとも警察? でなかったら、ああまで手際よく重機に乗ることなんか、できないものね?」
「いや、その、どっちでもなくって、俺……ただの、配達屋ですから」
「うっそ? 本気? 信じらんないわぁ! どうみたって、普通の男の子よね?」
 無遠慮に声を上げるショーコ。サイよりも年上であるようだが、思ったことを何でもストレートに出してしまうあたり、どうも大人らしくもないと彼はふと思った。
 そんなショーコにセレアが
「ショーコさん、失礼なことを口にするものではありません」
 と、たしなめた。セレアに対してはさすがに反論もできず、ショーコは黙って肩をすくめた。 
 そのうち、周囲が騒がしくなってきた。
 治安維持機構や警察の車両、人員が多数現れ、テリエラの身柄の確保やら、現場検証を始めた。が、ヴォルデやセレアには非常に遠慮をしているらしく、彼らに対しては敬礼や会釈をするばかりで、特に事情を聞こうともしなかった。
 たった一人、ヴォルデの傍までやってきて恭しく敬礼をした人物がいる。
 かっちりした紺の制服を身に着け、頭部の天辺がやや禿げかけた中年の男である。酷薄な印象を与える顔立ちだが、ヴォルデに対してそれはたちまち一変し、とろけそうに卑屈な愛想笑いを浮かべた。無意識に、揉み手すらしている。
「いやいやいや、会長。御自らこのような現場まで、大変恐縮なことであります。今日はその、我々としても――」
 彼をちらりと一瞥したヴォルデの表情が、途端に厳しいものになった。
「サエロ君。治安維持機構は、実力で賊を抑えてみせると、うちのサラ君に大見得を切ったそうじゃないかね。しかし、これは一体、どういったことなのだろう?」
「は、会長、それは、その、まあ、確かに我々としましては、民間の一警備会社にですよ、そのような危険な任務を負わせるなどということは――」
「でも、やられたのよね? 新鋭機のVU-01式を3機も投入しておきながら」
 ショーコが口を挟んだ。
 うっ、と言葉に詰まるサエロといった男。
「うちなんか、お古のオーバーホールものよ。駆動系の伝達回路を新品にとっかえて装甲を分厚くしただけの代物なのに、ね」
「そうそう。でも、テリエラをやっつけちゃいました。……やっぱり、新型導入するよりも、乗る人間の腕上げる方が先なんじゃないですかぁ」
 さらに追い討ちをかけるユイ。
 女性にこうもやり込められては、言い返す言葉もないであろう。サエロはすっかり小さくなってしまっている。ここぞとばかりにやりだした二人に、
「二人共。少し物の言い方があるでしょう?」
 穏やかながら凛とした口調でたしなめるセレア。彼女が止めなければ、ショーコとユイの舌鋒はさらにヒートアップしたであろう。
「……あの方は、どちら様でしょう?」サイはこっそりと、リファに尋ねた。
「治安維持機構Bブロック統括長のサエロ・トレッティーノさんですよ。いつもはもっと威張っているんですけど」
 リファが言うとからりとして聞こえるが、要するにそういう男らしい。
 が、Bブロック統括長というだけでもすごいものだとサイは思った。治安維持機構では、AからY地区までのうち、5地区をまとめて1ブロックとし、そこに幾つかの対反政府組織用部隊をおいている。1ブロックにつき概ね4〜6の部隊があり、それらを統括しているのが、ブロック統括長である。つまり、サエロはそれなりの立場の人間だといっていい。
 恐らく、下に威張り上に媚びるタイプなのであろう。ショーコ達が今の一件を奇貨として、ざまを見ろとばかりに日頃の鬱憤を晴らしているように、サイには思われた。女性を敵に回すものではない、と彼は心のどこかで思うともなしに思った。
 まあまあという感じで、しかしながら毅然とヴォルデは言った。
「サエロ君、日頃から私が主張していた意図が、これで少しでも伝わったかね。治安機構大学で型通りの学習をした秀才達ばかりを部隊勤務に配したからといって、何も根本的な解決にはならないのだよ。優れた技術や思考をもった若者を大いに抜擢して、ある程度の待遇をもって任務に従事してもらう。これ以外に、いや、これほど都市の治安維持のために重要なこともないと思うのだがね。だから、私はセレアをしてStar-lineを創設させたのだ」
 彼はセレアをちらりと一瞥し、さらに続けた。
「ノウハウこそないが、彼女達の女性ならでは独創性や技術は、必ず治安機構大学出の秀才達を凌駕していくだろう。今から私は断言しておく。いいかね?」
 木っ端微塵にされたおべっか屋はおどおどと女性達を見回していたが、不得要領に後退りしながら行ってしまった。無言でそれを見送っているヴォルデの表情は、ぐっと険しかった。
 喧騒の中、やや彼らはそのままにしていたが、やがてセレアが
「……お爺様、そろそろ撤収いたしましょう。このあと、経済連盟の皆様と夕食会が控えていた筈ですわ」
 そう促すと、ヴォルデの表情は途端に優しいものになった。
「おお、そうだったな。そろそろ、行かねばなるまい」
 そのやりとりを聞いていたサラが、前に進み出た。
「あとは、私達で処理します。出動報告は、後程お送りいたしますので」
「ああ、では頼むとしようか。……CMDを入れて初の出動、ご苦労だった。上手くいかなかったことがあれば、セレアに伝えておいて欲しい。後で改善させるようにしよう」
「……ありがとうございます」
 サラが敬礼すると、ヴォルデは軽く頷いて行こうとした。
 が、そこでふと足を止め、サイの方を向いた。
「サイ君。もし、できることなら、私は君の力を借りたいと思う。もちろん、危険な任務だから無理強いはできない。しかし、君のその卓抜した腕なら、治安維持機構のフォワードドライバーの誰と比較しても劣らないということは、間違いない。……良かったら、考えてみて欲しい。他に仕事をもっているようだが、収入のことはこの私が保証する」
 この場で結論を求めるつもりはないということなのか、それだけ言って彼は再び歩き出した。
 セレアも深々とお辞儀をし、ヴォルデの後を追っていった。
 路面に長く伸びている二人の影を、ぼんやりと眺めているサイ。
 頭の中が様々に渦巻き、混乱していた。
「君の力を借りたい」というヴォルデの言葉は、サイの胸に心地よく響いた。これほどの地位と名誉をもった実力者が、サイのような小市民をつかまえて、大真面目に言ってくれたのである。これまで他人からどれほども必要とされたことのない彼にとっては、驚天動地の出来事であった。混乱するのも無理はない。
 しかし、すぐにそうしようというようには、サイの気持ちは反応しなかった。
 無我夢中だからこそあんな危険な状況の中、機転と腕を利かせて武装組織などと戦うことができたが、普段からそういう危険の中に身を置くという決心は、正直なところまだ心の中の遠くの方にあった。どっちかといえば、安全な安バイトでもしていた方がいいという心境だった。
「さぁてっと。んじゃ、撤収にかかりますかね! 隊長、指示、よろしく!」
 ショーコの声で、サイははっと我に返った。
 促されたサラも心得ていたらしく
「じゃ、撤収に入るわよ。ショーコとユイちゃんはトレーラーの応急処置。自走が駄目ならアーヴィル重工に連絡して予備トレーラー回してもらうこと。積み込み完了後、待機していて」
「はいはーい。了解よ」
「わかりましたぁ!」
「……リファは活動被害状況のチェックよろしく。終了後、同じく待機、と。私は治安機構と警察打ち合わせしてから戻るわ。頼むわね」
「……うん」
 てきぱきと指示が下り、彼女らは反射的にめいめい動こうとした。
 そこで、先ほどから突っ立っている英雄である一般市民約一名に気が付いた。
「サイ君、でしたよね?」
 サラが傍にやってきて、軽く笑顔を見せた。
「は、はい」
「お礼を言った方がいいのか、かといって勝手に乗ってもらっちゃ困るってところですが――」
「……」
 固まっているサイの背後から、ポンとショーコが肩を叩いた。
「なーに固いこと言ってんのよ! ヴォルデさんも、お礼言ってたでしょ! 賊を片付けてくれたんだから、そんなのチャラ。サラ、あんたが乗ってたら、こうやって上手くやれたかしら?」
 サラはそもそも機体無断拝借の一件を追及するつもりはなかったらしく
「……そういうことです」
と、悪戯っぽく笑った。
「だってさ」
 ショーコがサイの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。性格的なものなのか、さっき初めてあったばかりの彼に対してまったく隔意がない。
 何とも、柔軟で当意即妙な連中である。サイは、今日初めて出社したばかりの配達会社のあの光景を思い出した。その場の誰もが自分しか見えてなくて、外から誰かがやってきても反応せず、却って嫌な顔をしたりした。また明日からあそこへ行くのかと思うと、途端に憂鬱な思いがした。
 一件落着したところで、もうサイはここに用はない。
 一礼して去ろうとし、ふと彼はずっと訊けずにいた質問を思い出していた。
「ところでその、皆さんは、その、一体どういう――」
「……そうそう、まだ、きちんと言ってませんでしたね」
 リファがにっこりと微笑んだ。
「私たちは、私設警備会社『Star−line』です。スティーレイン系列会社専門の警備担当、というのが仕事なんです」
 それにしちゃ今日の騒ぎは――サイが思うともなしに思っていると、その疑問を見抜いているかのように、サラが続けて言った。
「ヴォルデさんはああいう立場の方だから、リン・ゼール関係組織に狙われることも多くて。その対応も任されているんです。治安維持機構も警察もあてにならないって。――ヴォルデさんの話、もしよかったら、考えてみてください」
 リファやユイは直に彼の働きを目の当たりにしており、ショーコやサラはヴォルデ本人が太鼓判を押すのを聞いている。実力派ともいうべき、しかも女性ばかりの集団から掛け値なしにそう言われること自体、破格の評価であるといっていい。
 ショーコが両手を腰に当てて、胸を反らした。
「……あたしも、そう思う。これだけ上手に乗ってくれるんなら、仕事が楽でいいもの」
「はあ……」
 ぎくしゃくと頭を下げ、女性達の好意的な笑顔に見送られてサイはその場を後にした。
 半強制的にスカウトされたならともかく、「考えて欲しい」と言われたところで、その先にどう繋がっていくということも想像できなかった。ただ、また明日から生きていく方法を確保することの方が、重要であった。
 しかし、サイは気が付いていない。
 身を守るためとはいえ、先刻自分が咄嗟にとった行動が、どのような余波をもたらすことになるのかという事実に。







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