とある剣士の困惑
どうしてこんなことになってしまったのか。
薄暗い部屋で、彼は頭を抱えて考えこんでいた。
こんなはずではなかったのだ。
そんなつもりでもなかったのだ。
そもそも、自分はこの国ではただの雇われ兵で、剣の腕を買われただけの存在だ。
破格の報酬に釣られ、それを得ることが目的で、己の命をかけただけである。
有名になって、この国で地位を得るつもりも、定住するつもりもなかった。
もらうものだけもらったら、またどこか別の国に行くつもりだったのに。
何がどう転んで、自分がこういうこと―――つまり、勇者の婿に選ばれることになったのか、わからなかった。
いったいいつ、勇者が彼に対して仲間以上の気持ちを持ったというのだろうか。
思い返すほどに、わからなくなる。
初対面の時ではなかったと思う。
その時、彼はその他大勢の剣士でしかなかった。腕っ節の強さで大陸中から集まった剣士達は、国王や王女、これから魔王とやらを退治しにいく勇者を前に、その腕を披露したが、肝心の勇者とされる少女はつまらなそうに、空ばかり見上げていたように思う。
王の目に留まった何人かが、勇者の前に並んだ時も、彼をちらりとも見ることはなかった。少なくとも、その時、勇者にとって、彼は他人だったのだ。
では、旅立ちが決まり、一緒にあれこれ準備をしていた時だろうか?
だが、それも違うのではと思う。
勇者を助けるために選ばれたのは、最終的に自分を含め5人だった。
剣士である自分、魔法使い、僧侶に元盗賊に騎士。そのうち魔法使いと元盗賊は女性で、勇者とすぐにうち解けたらしく、大抵は3人で行動していた。無口な僧侶と、熟女好きの騎士は、勇者たちとは付かず離れずで一定の距離を持っていたし、いつも賑やかな女性3人に圧倒されていた彼自身は、なるべく関わらず、裏方に徹していた。
勇者とも、挨拶や必要最低限のことを話すだけで、女性陣からの彼の評価は、無愛想で取っつきにくくて、何を考えているかわからない、だったはずなのである。
ならば、旅の間だろうかとも考えてみるのだが、その間、勇者と接した記憶があまりない。
何かを話したのは間違いないのだが、内容を覚えていないのだ。
元々、彼は口が回るほうではない。
女性が好きそうな気の利いた話題など、思いつきもしない。武器や毒薬、食べられる動植物などの知識ならば、いくらだって披露できるが、そんな話を、女性が好んで聞くとも思えなかった。
それとも、自分が覚えていないだけで、勇者は、彼の話が面白かったのだろうか。
だが、仮に、それが楽しかったからといって、婿という話になるはずがない。
そこまであからさまな好意を寄せられた覚えもないし、自分から勇者に近づいたこともない。
最低限の会話しかなかった二人のはずなのに、無事魔王を倒したと報告のために訪れた王宮の広間で、勇者は迷うことなく言ったのだ。
『褒美はこの人でお願いします』と。
最初は耳を疑った。
指差す先に自分がいなければ、冗談だと考えたはずだ。
しかし、熱っぽい目で彼を見る勇者は真剣で、一緒に旅した仲間―――女性たちも、何か期待したような目で彼を見ている。
男性二人が、気の毒そうな表情を浮かべているのも気に入らなかった。
もちろん勇者の願いを、彼は辞退した。
すでに心に思う人がいたし、元々この国の人間ではない。
どうしても金が必要で、だから少々の危険を冒してでも、この魔王退治に参加したというのに。
そもそも、国王も、勇者も、自分が一時的に国に身を置いていると知っていたはずだ。
契約が切れれば、出て行くことも承知していたはずなのに、今になって何故?
ましてや、彼と勇者は恋人同士でもなんでもない、ただの同僚程度の仲だったはずだ。
勘違いさせてしまうようなことを言ったことも、したこともない。
好きな人がいるということも、口にした気がする。勇者に直接かどうかは覚えていないが、酒を飲んで馬鹿騒ぎをした時は、惚気話をした。同じ場に勇者や、魔法使いたちもいたはずである。
だから知らないはずはないと思っていたのだが、それは彼の勝手な思い込みだったのだろうか。
どうしても納得できなくて、勇者に対して再度断りの言葉を口にしたのだが、その結果が、これだ。
情けないことに、彼は、勇者によって、術をかけられ動きを封じられた挙げ句、王宮北にある塔の最上階に閉じ込められてしまった。
入り口にも、窓にも、魔法がかけられていて、魔力のかけらもない彼には、逃げることも出来ない。
あまりにも理不尽だと怒りをぶつけたけれども、勇者は悲しげな顔で、ごめんなさいと謝るばかりだ。
勇者が最後に言っていた言葉も気になっている。
この旅が終わったら、あなたをたぶらかした悪い女から、あなたを助けてあげようと思っていた。
確かに勇者はそう言ったのだ。
女の名前は言わなかった。
だが、彼には思い当たる人物が一人だけいた。
魔女と呼ばれる、気まぐれな女性のことだ。
確かに、彼女は誤解されやすい。人間には無頓着だし、興味がないことには無関心だ。
それでなくともいい印象を持たれないのが魔女なのに、愛想良くしようともしない。仕事の時くらい笑えと言えば、仕事の時どうして笑う必要があるのかと問い返すような女性だ。
それでも、男が唯一心を許す存在なのだ。
決してたぶらかされたわけではない。反対に、彼女を縛りつけているのは自分の方なのに。
なにを誤解しているのか、勇者は彼女が悪いという。全てが片付いたらここから出すから、もう少し我慢してとも言っていた。
勘違いを解こうにも、最後にここで扉越しに話してから、勇者には会っていない。彼が閉じ込められてからも、すでに2日だ。食事は、魔法でいつのまにか届けられているので、誰かに聞こうにもそれも出来ない。
魔女は無事なのか。
何かそれを知る方法はないのか。少なくとも、勇者が何も言ってこないということは、魔女はまだ無事なのかもしれない。だが、確証は持てなかった。
己の不甲斐なさと情けなさで、男は泣きたくなった。
いつの間にか、外は真っ暗になっていた。
うろうろと狭い部屋の中を歩き回りながら、男は頭を掻きむしる。
どうにかして外と連絡は取れないか、逃げる方法はないのか。それをずっと考え続けているのだ。
だが、やはり方法は思いつかない。
塔は高く、もし窓を開けられたとしても、表面を伝って下りることは不可能だ。部屋にある全てのものを使って綱を作ったとしても、地上にはとても届かないだろう。
扉もなんとかならないかと試していたが、びくともしない。
来ていた服や鎧はそのままだが、剣も身に付けていた飛び道具も全て取り上げられているから、扉を壊すという方法も無理だ。
文でも書いて地上に落とすという方法も考えたが、広間で勇者に気絶させられたのを誰も止めなかったことから、あそこにいた人間は事情を知っていて黙認しているという可能性もある。全てもみ消される可能性は否定できない。
残された可能性は、魔女が気が付いてくれることだが、それも彼女が無事という前提があってだ。
魔女のことは信じているが、連絡が取れないことで男は不安になっている。
「どうしたらいいんだ、本当に」
強く頭をかきむしり、男は呟いた。
魔女と魔法使いの力は違うから、彼女がいれば、この結界も破れるだろうに。それに、彼女は空を飛ぶことも出来るのだ。
再度、髪を掻きむしり、呻いていたら、ぎい、と小さく音がした。
吹き込んでくる風に、窓が開かれたのだと気付くと同時に、静かな声が室内に響く。
「そんなに頭をかき回していると、禿げるかもしれないよ」
その聞き覚えのある声に、安堵とともに振り返ると、窓枠に座りこちらを眺めている女性と目が会った。
月明かりに照らされた赤い髪は、くるくると渦を巻いたままで、無造作に背中に流されている。服も、簡素な寝間着のようなもので、足に至っては、靴さえ履いていなかったが、そこにいるのは、男が一番会いたかった女性だった。
「無事だったのか」
彼女ならば、大丈夫だと思っていた。
だが、それでも、一応彼女は女性で、見た目は無力な一般人だ。相手が大人数でやってきたりすれば、無傷ではいられないのではないかと、心配していたのだ。
「んー。私は無事だったけど、家が壊れた」
あっさりという女性に、男の方が青ざめる。
「壊れたって、あの家はそれなりに頑丈だったはずだが」
「知らない。私が壊したわけじゃないし。勇者さまとか、魔法使いとかが暴れたの」
どんな暴れ方をしたのか、彼には想像できない。
中古物件で長年人が住んでいなかったとはいえ、石造りの家だったはずだ。しばらくこの国に滞在する予定で借りた家だが、住み心地がいいようにと、家主の許可の元、改装もしていた。
目の前にいる女性自身もいろいろ手を加えて、彼女一人きりで男を待っている間も安全なように気を配っていたはずである。
「勇者さまは、こっちを本気で捕まえるつもりだったみたいで、家ごと攻撃してきたんだよね。両隣が留守で、怪我人がいなくて、本当によかったよ。さすが魔王を倒した勇者って力だったもの」
勇者が強いことを、男は誰よりも知っていた。
なにしろ、今まで彼を負かしたことのある人間は、勇者を含めて二人しかいないのだ。
「攻撃って、一般市民をか?」
「うん。あなたをたぶらかす悪い魔女なんだって、私」
たぶらかされたのは、私の方なのにねと魔女は笑った。
たぶらかした、というのは言い過ぎだと思うが、かつて男が魔女を攫って逃げたのは事実なので、反論出来ない。
あの時は必死だった。
偶然出会って恋に落ち、どんな手を使っても手に入れようと思った。
ありとあらゆる口説き文句を口にしたし、彼女が気に入りそうな贈り物は全て渡したように思う。
最初は素っ気なかった彼女が、呆れたような態度になり、やがてしつこすぎる彼に諦めたのか相手をしてくれるようになり―――最終的には、男は魔女を連れて逃げた。
今でも、あの時のことを思うと、自分のしでかしたことに、冷や汗をかく。
魔女は、魔法使いとは違って、生まれた時からすでに魔女だ。
なろうと思ってなれるものでもなく、なりたくないからと言ってもやめられるものではないらしい。
持っている魔力も、魔法使いとは質が違う。彼女たちは、力を使うのに呪文など必要としない。息をするほどに自然に、魔女たちはその力を使うのだ。
故に、魔女はめずらしく稀少で、大抵の魔女は生まれた時から、誰かのものだ。
その土地の領主や王族に、保護という名の元に身分と財産を与えられ、彼らに仕えて一生を終える。
彼女も、そんな一人だった。
物心ついたときには、すでに彼女は森の中にある大きな屋敷で、幾人かの魔女と一緒に暮らしていたのだと言う。
男は、その屋敷に魔女の監視と護衛として雇われた。
剣の腕は確かだったとはいえ、出自の怪しかった男を録に面接もせずに雇うくらいだから、あまり真っ当なことをしている主ではなかったのだろうと思う。一度しか見たことのないが、貴族と名乗る割には、胡散臭い雰囲気の持ち主だった。
だが、彼とて、叩けば埃の出る身だ。
敢えて知らないふりをするのも処世術、所詮は仕事と割り切ろうとしたのだが。
たった一人の魔女に恋してしまったために、季節を一巡する前に、職を失うことになってしまった。
魔女を連れて逃げ出す、ということをやってしまったのだから。
これが、王族などに仕える魔女だったら、今ここに男はいないだろう。国認定のお尋ね者として、一生追われ続けることになる。
だが、結果的に、屋敷の主が胡散臭い人間だったために、彼らは救われたとも言える。
表だって、堂々と魔女を捜せない立場に、相手がいたのだから。
「逃げる?」
そう言って、魔女は首を傾げた。
あの時とは逆の立場だなと、男は思う。男は、かつて魔女に同じことを尋ねた。それほど遠くない過去のことだ。
「逃げたくないなら、おいていくけど」
「逃げるに決まっているだろう」
いいの、と彼女は笑う。
「勇者さま、すごく可愛い子だったから。ああいう感じの子、好きでしょう?」
「顔は好みだが、強引すぎる」
「でも、あなたより強いのでしょう? 自分と対等に戦える人間じゃないと、好きにならないって言ってたらしいよね、勇者さまに。だから強くなったんだって」
言ったかもしれないが、それは友人関係のことであって、恋人や夫婦になる相手に望んだことではない。
「がんばって剣を習っているときに、あまりにも厳しい修行に泣きたくなったけれど、後からあなたに言われたことが役にたって、本当にすごい人だって思ったって、頬を染めて話してくれたけど」
「まったく記憶にないんだが」
そういうことも、あったかもしれない。だが、勇者にだけ、そんなことをしたわけではない。男は、外見に似合わず面倒見が良い方で、自分を慕う人間に剣を教えるときは、常にそういう態度をとっていたのだ。
「それから、一人で辛くて泣いているとき、慰めてもらったとも言っていたけれど」
そうだっただろうか。
男が慰めたのは、勇者だけでなく、王宮にいる悩める騎士見習いや侍女、通りすがりの老人まで多岐にわたる。
仕事に関しては非情にも冷酷にもなれる男だが、普段何もない時は、罪滅ぼしでもするかのように、他人に優しい。
「だから、私は、八方美人なだけで、あれはそんなりっぱな人間じゃないって教えてあげたんだけど。あの人を馬鹿にするのは許さない、やっぱりあなたがたぶらかしているんだって、勇者さま、切れちゃったんだ。逃げるのが、大変だったな」
その時のことを思い出したのか、魔女は深いため息をひとつついた。
「他にも、あなたたちが旅立つ前、何度も私のところを尋ねてきては、どういう関係がしつこく聞いてきたの。鬱陶しくて、あれは私の下僕だなんて言ったり、子供には刺激が強すぎるあれやこれやの惚気を、ちょっと詳しく教えてあげたんだけれど、諦めなかったんだよね」
そんなことがあったのか。
勇者が彼がいない間に、彼の住処を訪ねていたなど、まったく気が付かなかったし、それほど前から勇者が自分に興味を示していたなど、考えつきもしなかった。
「勇者さまって、まだ若いじゃない? それに男女のことに疎いみたいだし、純粋だし。ちょっとくらい斜め上な勘違いをしても仕方ないとは思っていたけれどね。まさかあんな強引な方法で、あなたを自分のものにしようとすると思わなくて驚いちゃった。やめてほしいって言う前に大暴れだし」
せっかく集めた薬草や鉱物が、全部ダメになったと、珍しく悲しそうに魔女が溜息をついた。
「また集めればいいことなんだけれど、あなたがいない間、暇つぶしにいろいろ頑張っていたら、結構な量になってたんだよね」
魔女の趣味は、怪しげな薬造りだ。男にはさっぱりわからないが、いくつもの草や鉱物を練り合わせて、様々な薬を作り出している。売れば金になるものも多いから、趣味と実益を兼ねているらしい。
「あ」
ふいに、魔女が声を上げた。
「そろそろ本気で逃げないと、勇者さまがやってくるかも」
ただ、風の魔法を使って足止めしているだけなのだと、魔女は言った。
彼女がこの塔の結界を強引に破ったように、勇者といる魔法使いも、数刻あれば魔女の魔法を打ち破ってしまうだろう。勇者ともども、魔法使いの優秀さも、男は知っている。
「あの人たちは飛べないから、街からここまで時間はかかるだろうけれど、急ぐ方がいいと思う」
そう言うと、魔女は身軽な動きで、窓から部屋の中に入り込んだ。
「一度、やってみたかったんだ。お姫様を攫う悪い奴」
差し伸べられた魔女の手を掴むと、ふわりと男の体が浮いた。
不安定な状態に、みっともないくらい腰が引けてしまう。
「ちょっと待て! 急に浮くな!」
「いつまでたっても慣れないねえ」
呆れたように息を吐くと、彼女は体を動かし、彼の腰にその手を回した。
「重いから、鎧とか、脱いでよ」
「あのなあ、これ、結構高いんだぞ。売ると金になるぞ」
「そうなの? でも、国からの支給品だって言っていなかった?」
「報酬をもらいそこなったんだ。このくらい、持って逃げてもいいだろう」
勇者が自分を欲しいなどと言ったせいで、もらうはずだった報酬のことはうやむやになってしまったのだ。
「仕方ないなあ。でも、出所がばれて、ヒドイ目に合うなんてことは、ないよね」
「出所がわからないように、適当に潰して形を変える」
「悪人だねえ」
「俺が、いつ善人になった?」
男がふてぶてしく笑うと、そうだねえ、と呑気に笑われた。
「あんたみたいな私利私欲まみれの傭兵って、大陸中を探したって、そんなにいないよね」
彼が今までやってきたことを思い出したのか、しかめ面になった彼女は、あんなことやこんなこともあったなどとぶつぶついながら頷いている。
「でも、鎖に繋がれて従順になった傭兵なんて、見られたものじゃないから、助けてあげる」
「そこは、あなたのことが愛しいから助けに来たとか言うべきじゃないのか」
「言ってほしいの?」
妖艶に笑ってみせると、魔女が男の頬をあいている方の手で撫でた。
「でも、私、あなたを攫う悪い魔女らしいからね」
「いまさら良い魔女だなんて言われたらそっちの方が不自然だ。それに最初から、あんたが良い魔女だなんて、思っていなかったし」
「言うねえ。君だって、出会ったときから、油断ならない男だったのに」
「真っ当な人間だったら、魔女を攫って逃げたりしないだろう?」
「それもそうね」
自由と引き換えに、彼女から裕福な暮らしも故郷さえも奪ったのは、彼だ。
ただこの魔女が欲しいと、貪欲なまでに思った結果だった。ののしられても、蔑まれてもいいと思ったのだが、あの時魔女は、『面白そうだからいい』と、あっさり彼の手を取ったのだ。
それ以来、魔女は常に彼の側にいてくれる。
「勇者さまは、追いかけてくるかな」
彼に手を添えたまま、魔女が呟いた。
すでに、塔から遠く離れた場所を、男は魔女とともに飛んでいる。
「なんだ、気に入ったのか?」
「だって、可愛い。昔のあなたみたいで必死なの。恋する相手は私じゃないけれど」
彼女をつなぎ止めようと、男は、毎日、彼女に言葉を捧げた。
その時のことは、正直言われるたびにむず痒い気分になるのだが、そんなに似ているのだろうか。少なくとも、勇者が自分に対して何か言葉を口にしたことはない。
「思い切り挑発したから、追いかけてくればいいのに。いつまでもこの国にいたら、あの子、きっとダメになる」
そういえば、勇者はまだ10代なのだ。
魔王を倒したということで、これからきっと普通の生活など送れないだろう。いいように利用されるか、最悪新たな脅威として追われるか。
平和になった世界に、突出した英雄などいらないのだ。
「あいつのためには、確かに国を出た方がいいのかもしれないが」
追いかけられるのは勘弁してほしいが、表情豊かな勇者が、変わってしまうのは残念な気がした。桁外れに強いということを覗けば、ごく普通の少女なのだ。
「そうすれば、もっと楽しくなるかもよ」
悪巧みをする子供のように魔女は笑った。
彼らを追いかけてくるもよし、この国で踏ん張ってみるのもよし。
どちらにしても、それを決めるのは、勇者だ。どの道を取るかは、自分で選ぶしかない。
だが、勇者が追いかけてくるならば、魔女の言うとおり面白いことになるかもしれない。
勇者は、魔女相手に喧嘩をふっかけるような少女なのだ。
そんなことを考えながら、男は、塔の方向に振り返る。
すっかり遠くなった王宮の塔の中で、勇者が騒ぐ姿が見える気がした。