十八、屈辱の後先(後編)
わずかな望みも完全に断たれて、拓海は体中の力が抜けていくような錯覚に襲われた。何よりも微かな希望を他の誰でもない裕斗本人に打ち消された事が拓海を絶望的な気持ちにさせていた。
裕斗や不良達が一体何を企んでいるのか最早それすらどうでもいい。殴るなり陵辱するなり好きにすればいい、拓海は投げやりな心持で、相手の気の済むようにやらせて少しでも早くこの場から解放されたいと思った。
裕斗は抵抗する素振りを見せない拓海に少し安堵した顔をして、手早く拓海のベルトを抜く。そのベルトで拓海は洗面台の横の手すりに繋がれる形で後ろ手に縛られた。ベルトは拓海の手首に食い込む程、キツく巻かれている。裕斗は自分を逃すつもりは微塵もないのだ、拓海はそう悟った。
「やけに従順だな。これから何されんのか分かってないのか?」
秋津は大人しく縛られた拓海を見て、訝しげに裕斗に問う。
「びびってんだろ。まぁ、何されんのかは分かってないだろうな、東高のエリートには」
吐き捨てるように答える裕斗に、先程までの弱気な面は全くない。普段通りの勝気な物言いだ。
拓海は自分が今この状況に追いやられている事さえ、はじめから裕斗によって仕組まれた事なのかもしれない、と疑念を抱いた。
「うっわ、超進学校じゃん。勉強以外は何も分かりませんってか?」
「いかにも温室育ちって感じだしな」
「それじゃあ丁重にモテナシてやらないと」
裕斗の言葉に不良達は一層笑みを濃くして口々に軽口を言う。ただ秋津だけが裕斗の勝気な態度に不満気に顔を歪ませた。裕斗はそれに気付いていないのか平然としている。
秋津の表情の変化に気をとられていた拓海は、不意に浅黒い顔をした男に上着を掴まれて反射的に
体を強張らせた。薄手の春物のコートを脱がせようと釦に手をかけている。陵辱したければすればいい、と開き直ったつもりではあったが、実際に事が差し迫ってくると恐怖感と嫌悪感がない交ぜに頭の中を支配してしまう。筋張った男特有の粗雑な造りの手が服の中へと侵入して来た時、殴られた方がマシだ、と拓海は身を捩って叫んだ。
「男の体触って何が楽しいんだよ! 裕斗の事ホモだって莫迦にしてた癖に、これじゃお前等の方が悪質だ!」
「なんだと?」
男達は、抵抗されるのもまた一興だ、とでも言いたげに切羽詰まった拓海を面白そうに眺めている。そんな中で、秋津だけが拓海の言葉が酷く気に障ったらしく拓海を睨みつけて冷酷な声を出した。拓海は秋津が過剰なほどにホモ扱いされる事を嫌悪しているらしいと思い至った。それならば秋津をもっと罵倒すればいい。それが更に自分を窮地に追い込もうとも、これから自分が受ける屈辱の少しくらいは秋津へと報復出来るだろう。第一、自分が犠牲になって相手を面白がらせてやるつもりは毛頭ない。自分が傷付くのならば、傷つける相手も相応の傷を受けてしかるべきだ。拓海は報復の対象を秋津一人に絞って、いかに罵ってやろうかと妙に冷えた心持になった。
それをまたしても遮ったのは裕斗だった。秋津も不良達も拓海が何と言い返すか、あるいは喚きはじめるのか様子を窺っていたのだ。拓海も出来る限り相手の怒りを引き出す言葉を吐き出そうとしていた。そこへ妙な沈黙など気にも留めないという風に裕斗は拓海の前へと歩を進めてきたのだ。そして有無を言わせず拓海の下着の中へと手を突っ込んできた。拓海は驚愕して表情を引き攣らせた、裕斗は構わずに直にそこを握ってくる。
「何で、こんな事を、」
堪らずに拓海は震える声で訊いた。不良達が自分に何をしてこようと、怒りで自分を保つ自信がある。でも、裕斗が相手なら話は別だ。自分は裕斗に惹かれているのだ、まだ裕斗に裏切られてこんな目に遭っているとは信じたくない気持ちが残っていて現実を整理出来ていない。まだ今の自分は心底裕斗を憎む事も恨む事も出来ずにいる。こんな状態で裕斗に触れられると、きっと自分を保てなくなる。拓海は哀願するような気持ちで裕斗を見つめた。
裕斗は拓海の表情を見て、そこへ触れていた手を離してズボンから抜いた。その時、裕斗がほんの一瞬だけ泣き出しそうな顔をしたのを拓海は見逃さなかった。その一瞬の裕斗の表情に、彼の真意があるのだとしたら……そう思うと拓海は言いようのないやりきれない心持になる。脳裏に焼きついた裕斗の苦しげな瞳の色が、拓海の心を酷く揺さぶった。
しかし裕斗はそれを打ち消すかのように別人のように冷ややかな笑みを作った。もう瞳に感情はなく、拓海が自分に縋る事は許さない、とでも言いたげな突き放した笑みだ。
「ご親切な事に、俺が拓海の体を手に入れる手助けをこいつ等はしてくれるってさ。条件は一つ、お前の後ろの具合をこいつらにも味見させてやる事だ」
「な、に」
裕斗が唐突に明らかにした不良達の企てを聞いて拓海は呆然とする。
「運が悪かったな、拓海。俺だって本意ぢゃないんだぜ」
裕斗は悪びれる事なく笑っている。拓海は呆然としたまま、裕斗が不良達の企てに乗った真意が判らずにいた。本意も何も、今まで裕斗は回りくどい事をせず、好き勝手に触れてきたはずだ。それに単に体を手に入れたいなら、裕斗の家に泊まりに行った時どうとでも出来たはずなのだ。
「よく言うぜ、乗り気なくせに」
秋津が嘲笑を含んだ声で裕斗を揶揄った。裕斗は動じる事なく秋津の方へと振り返って言い放つ。
「まさかお前等がヘテロ相手に手を出そうとするとは思わなかったからな。結局お前らも俺と同類って事だろう」
「興味本位さ、それに俺は男より女の体の方が好きだし」
「ホモじゃなくてバイだぜ、俺らは」
不良達は悪びれる風もなく笑った。ただ秋津だけが何も言わずに裕斗を睨みつけている。拓海の推測通り、秋津はホモ扱いされる事が我慢ならないようだ。しかしそれは初対面の拓海よりも裕斗の方が承知しているはずだ。拓海は裕斗があえて秋津を怒らせるであろう言葉を言ったのか訝しかった。
「お前と同類だって? 冗談じゃない。同情に決まってんだろう、こっちは男のお前とヤんのなんてウンザリしてんだよ。でもそれで捨てたら可哀想だと思ってな。他の男とくっついてくれりゃ、俺もわざわざ男のお前なんかと遊んでやらずに済むからな」
秋津は吐き捨てるように言う。それは弁解というよりもむしろ裕斗を傷つける事を目的とした言い様だった。拓海は一抹の不安を感じて裕斗を見た。だが裕斗は背を向けたままで、どんな表情で秋津の言葉を聞いたのか拓海には知る由もない。
「男相手に欲情するくせに」
何気ない風を装って裕斗が返した言葉は、明らかに秋津に向けた挑発だった。
秋津の表情からは既に笑みは消えていた。乱暴に裕斗の襟首を掴んで、
「予定変更だ。まずはお前がどういう人間なのか、お友達に知ってもらわないとな」
と怒りを押し殺した低い声で言う。
「へぇ、あんたが可哀想な俺の相手になってくれるってわけだ」
裕斗の声に怯えはない。あくまでも秋津を挑発するつもりらしい。
「新しいのより、使い慣れた玩具の方が何かと便利だからな」
負けずに挑発し返した秋津の顔を引き寄せて裕斗が耳元で何か囁く。次の瞬間、裕斗は激昂した秋津に床に突き飛ばされていた。裕斗は衝撃に顔をしかめてタイル張りの床に腰をついている。明らかに裕斗にとって不利な方向へと状況は進んでいる。拓海は裕斗が何故あえて挑発的な態度をとって自ら悪い方向へと事を進めるのか理解出来なかった。裕斗を助けようにも縛られた状況では手の打ちようがない。秋津は床にしゃがみ込んだままの裕斗を見下ろして一笑すると、靴底で裕斗の股間を押さえ付けた。裕斗は苦痛に顔を歪ませる。秋津は靴先でそこを弄りながら楽しげな声を出す。
「そういう顔の方が裕斗らしいぜ。これからどうして欲しいか言ってみろよ、いつもみたいに」
秋津を見上げた裕斗の顔にはもう挑発的なところも強気なところも残っていなかった。拓海の目に映ったものは、弱々しく傷付き疲れた少年が瞳を潤ませている姿だ。
「……抱いて、くださ、い」
か細い声で途切れがちに少年は言った。
「何だ、結局いつものパターンか」
「裕斗は秋津には逆らえないからな、惚れた弱みってやつ?」
「秋津とやってる時だけは可愛気があるよな」
目の前で繰り広げられている光景に呆然としている拓海の横で、傍観している不良達は平然と談笑している。拓海はただただ言葉もなく、立ち尽くしていた。白で統一されたトイレは明かりが灯されていないせいか薄暗く灰色地味ている。無駄に広いつくりの障害者用トイレの真ん中で、裕斗は秋津に犯されていた。苦しげな裕斗の喘ぎ声が、四角い空間に響き渡って拓海の耳に否応なく届いてくる。不良達がどう考えていようと、裕斗が本心からその行為を承諾していようと、拓海にとって目の前で行われている事は歴然とした強姦だった。秋津はいわゆる前戯、何の準備もなく裕斗に挿入した。ただでさえ挿入される側に大きな負担がある事を知る拓海は、受身の苦痛を知る分裕斗が今されている事を考えると身の毛立つ程だ。そもそも性行為に使う器官として作られていないはずのそこを、女のそれの代わりとして以上に乱暴に扱っている。それがどれだけ危険な事なのか秋津も不良達も全く考えていない、これはセックスではない、単なる暴力だ、拓海は血の気が引いて今にも意識を失いそうだった。
「やめてくれ、それ以上やったら死んでしまう、」
裕斗の内股を伝う鮮血を見て、拓海は堪えきれずに震える声で叫んだ。秋津はそれを聞いて律動を止め嘲るように笑う。
「こんなんで死ぬかよ。それにコイツだって楽しんでるんだぜ?」
秋津は拓海に見せつけるように背後から裕斗のモノを握ってみせる。裕斗は身体を震わせて濡れた声を漏らす。
拓海の視先に気付いた裕斗は、痛みと快楽に歪む顔に痛々しい笑みを浮かべる。それは拓海に対してというよりは、残りの不良達に向けて作った煽情的な笑みの形だ。拓海はもう何も言えなかった。
後ろから突き上げられる度、裕斗は拓海の全く知らない表情と声を出す。それが演技なのか裕斗の本来の姿なのかすら拓海には判別出来ない。ただ、裕斗は射精した瞬間、伏し目がちにひどく自虐的な笑みを浮かべた。泣きたくても泣けない状況に居る時、自分を守ろうとする何かが無理矢理顔を歪ませた時にできるそれだ。しかしその直ぐ後に秋津が身勝手に果てた時、裕斗の顔からその笑みは消え、ひどく冷めきった無表情へと切り替わった。
「ほら、次いいぜ」
事が済んでしまうと、秋津は裕斗の存在にはまるっきり無関心で突き飛ばすように裕斗を不良達の方へ押しやってそう吐き捨てた。そして何事も無かったかのような顔で精液と血で汚れた下部をトイレットペーパーで拭っている。不良達はそれを気にするわけでもなく、目の前に与えられた餌に飢えた獣が飛び付くかの如く、抜け殻と化した裕斗の体を獰猛に貪り始めた。裕斗の表情は苦痛も嫌悪も失って、意志を持たぬ人形のように為されるがままになっている。肌に血の気はなく、不良達の浅黒い肌が重なる度、一層その青白さは際立った。図々しい程に粗雑で強靭な肉体を持つ男達は、愚鈍で短絡的な思考からか自分達の体と裕斗の体を同一視しいるらしかった。自分が堪え得る範囲で乱暴な扱いをしても平気だと思い込んでいる。傍から見ている拓海は、裕斗の腕よりも二周りも太い男の腕が遠慮なく裕斗の華奢な肩を掴んで引き寄せる度、硝子細工が脆く崩れるように裕斗の肩が壊れてしまうのではないかと気が気でなかった。
間断なく男達は裕斗の体を蹂躙して、気の遠くなる程の雄の匂いが個室の空気を満たす。不良達の欲望から解放された裕斗は力なく壁に凭れかかっていた。服の乱れを直している不良達の横で、それまで傍観していた秋津が、冷笑を浮かべたまま裕斗の傍へと寄る。秋津に気付いた裕斗は冷めた目で秋津を見上げる。何か言葉を発する余力も裕斗には残っていないらしい。無表情のまま見上げてくるだけの裕斗の髪を掴んで、秋津は乱暴に裕斗を引き寄せる。
「勘違いするなよ。お前は俺にとってただの便所だ」
秋津はそう言って裕斗の肩に歯を立てながら笑った。裕斗は空を見つめたまま、その言葉に冷めた表情を崩す事なく黙りこんだままだ。秋津は裕斗の首筋に鬱血の痕を残してそのまま身を翻す。
「……良かったな、裕斗が身代わりになって」
秋津は、惨状を目の当たりにして半ば放心していた拓海を挑発するように笑い、そう言い捨ててトイレを出て行った。自分に向けられた蔑むような笑みの中に、拓海は秋津の歪んだ欲望を垣間見た気がした。
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