十五、屈辱の後先(前編)
「何の罰ゲームだよ」
裕斗に呼び出されてディスカウントショップへと連れて来られた拓海はうんざりした顔で裕斗を睨んだ。駅で別れて三日後、つまり昨日の夜に裕斗から電話を受けた時は、裕斗の要望を聞いて拓海は安堵していたのだ。言葉ではなく態度で償えと言った裕斗の要望は、拍子抜けする程簡単なものに思えた。それは、その日裕斗の受験した国立大の合格発表があったらしく、それに受かったから合格祝いを買えというものだった。自分に買える範囲のものなら、と快諾した拓海は今の状況を目の当たりにするまで本当に気楽な心持でいた。
「罰ゲームに見えるから良いんぢゃないか。国道沿いの専門の店に行ったっていいんだぜ」
裕斗は悪びれる様子もなく笑って、子供のようにはしゃいでいる。平然と手にとって品定めしているそれは所謂アダルトグッズで平日の昼間からその類のコーナーに居る自分たちに、一般の買い物客や店員が訝しげな視線を無遠慮に投げかけてくる。ただでさえ人の目を惹く容姿をしている上に小柄で少年地味た裕斗は特に、そのコーナーには不釣合いで余計に周囲の関心を惹き付けている、拓海は居た堪れず早く帰りたかった。
「早くしろよ」
「この兎のヤツ可愛いよな、でも女の構造に合わせて作ってあるし」
憔悴している拓海を余所に裕斗は呑気なものである。
「何でもいいから早く決めてくれ」
「莫迦、俺のもんになるんだから何でもよくねーよ。うわ、これ相当エグいな、こんなの挿入る奴居んのかよ。拓海いける? これ」
「何で俺に聞くんだよ、いいからさっさとしろ!」
「お前、相当変わってんな」
会計を済ませて逃げるように店を出て駅前のショッパーズモールまで来た時、拓海は心底疲れ切っていた。階段の踊り場にあるベンチに頭を抱えて座る拓海の横で、裕斗はそう言って堪えきれないという風に吹き出した。とにかく無我夢中で此処まで逃れてきたのはいいが、一旦体を落ち着けて冷静さを取り戻すと余計に消え入りたい程の恥かしさに襲われる。それに追い討ちをかけるように裕斗は隣で笑いながらからかってくる。
「拓海も欲しかったのかよ、これ」
袋から黒い包装紙で包まれた商品を一つ取り出して、裕斗は包装紙を破ろうとする。
「こんなとこで開けんなよ! 欲しいわけないだろ」
拓海は乱暴にそれを引っ手繰って袋の中に戻した。真っ赤になった拓海の顔を見て裕斗は肩を震わせて必死に吹き出すのを堪えている。
「じゃあ何で同じの三つも買うんだよ、俺に三つも使えっていう、わけ」
言葉の途中で裕斗は吹き出して、遠慮なく笑い転げる。
「〜〜だって、一つだと一緒に使うみたいだし、二つだったら如何にも俺とお前の分って感じだしッ」
「それで三つ? 三つだったらどう思われるわけ?」
「それは……」
「……っ……ほんとにあの時の拓海の顔、最高だったぜ、マジで笑い堪えんの大変だったんだからな……しかも同じ種類のバイブ三本って、意味わかんねえよ、流石進学校の秀才くんは考える事が違うな。凡人の俺には理解出来ねえ」
笑い過ぎて裕斗の言葉は途切れがちになる。
「言うなよっ! こっちは死にたいくらい恥かしかったんだから」
拓海は真っ赤になって怒鳴った。ディスカウントショップのアダルトグッズコーナーの前で気の遠くなる程裕斗の買い物に付き合わされた拓海は、羞恥心と焦りで動揺しきっていた。やっと裕斗が目当ての品を決めて、それを手渡された時、唐突に頭に浮かんだ一つだったら〜の考えに動かされて勢いで三つ商品を掴んでそのままレジに直行してしまったのだ。商品は気を利かせて黒い包装紙で中身は分からないようにされていたが、それは他の客には分からなくても店員は別だ。拓海は支払いの時も気が気ではなかった。逃げ出したい一心で、釣銭を貰い忘れ呼び止められ、尚且つそれを受け取り損ねて小銭をフロアにばら撒くという醜態を演じてしまったのだ。拓海は自分の醜態を思い出してまた頭を抱えた。
「いや、でも、良かったぢゃないか。レジの店員は罰ゲームだと思ってたよ、はじめはポカンとしてたけどさ、お前があんまり緊張してるからさ、プレゼント用の包装しますか? って聞いてたぢゃないか」
「それを裕斗が断ったんだろ! 俺が貰う物なんでいいです、とか言って! 絶対誤解された、もう絶対あの店には行けない」
「本当の事言っただけだろ、まさか三つも貰えるとは思わなかったけど」
裕斗は相変わらず笑っている。何故裕斗はこんなに平然としてるんだ、と拓海は恨めしい気持ちになるが、実際に今拓海を襲っている羞恥心は白昼堂々バイブを買わされた事ではない。むしろそれを買う事くらいで必要以上に動揺してしまった自分自身に対しての方が大きかった。
「大体、そんなもの何に使うんだよ」
このまま裕斗にからかわれ続けるのはたまらない。少しでも話題を逸らそうとして拓海は疲れた顔で訊いた。
「何って、そりゃあナニに決まってんだろ。拓海も興味ある?」
裕斗は悪戯っぽい笑みを浮かべて含みのある言い方をしてみせる。
「冗談じゃない。俺の謝罪はそれを買って終りだ、それ以上は付き合わないぞ」
「話を飛躍させんなよ。そこまでは言ってないだろ、何? そういうの期待してた?」
裕斗は見透かしたように笑って、拓海の内股を撫でてくる。そのまま唇を被せられそうになって拓海はたじろいで赤面した。
「止せよ、莫迦、こんな場所で」
「何だよ、ケチ。誰も居ないんだからいいだろ」
裕斗は拓海に肩を押し返されて不満気に口をとがらせる。まだ春休みに入っていない平日の午後、確かに若者向けのショッパーズモールは人も疎らだ。特に今二人の居る場所には他の人の姿はない。エレベーターもエスカレーターもあるフロアで態々階段を使うような客がいるわけもなく、だからこそ拓海は逃げ場にこの場所を選んだわけだが、そうは言っても絶対に人と会わないという保障はない。二人の居る中二階の踊り場にはベンチ以外何も置かれていないが、三階の踊り場は喫煙所になっているからだ。此処に用はなくとも、その喫煙所に用のある人間が通りかかる可能性は高い。
「今は居なくても、誰か来るかもしれないだろ。こんな場所でしようなんてどうかしてる」
拓海が溜め息を吐いて言った途端、裕斗は素早く拓海の腕を引き寄せて唇を重ねてきた。唐突な短いキスに唖然としたままの拓海に、したり顔をして裕斗は唇を舐める。
「どうかしてんのは拓海だろ、さっきからそっちに話を飛躍させすぎだぜ。欲求不満なのか?」
裕斗にそう言われて拓海ははっとしてまた赤くなった。これでは自分がまるで裕斗にそういう期待を抱いているみたいだ。裕斗にしてみればいつもの戯れで、今の事だって単にふざけてキスをして自分を困らせようとしただけに過ぎない。それを勝手に裕斗がその先の行為までしてくるんじゃないかと思ってしまっていた自分の思考が拓海は恥かしかった。そんな心持を悟られまいと拓海は裕斗を睨みつけて問う。
「遊びは終りって言った癖に、何でこういう事するんだよ」
「遠まわしに誘ってんのかと思ったからだよ」
悪びれる風もなく裕斗は平然と言ってのける。
「誘ってなんか……警戒してるだけだ! 裕斗は場所とか関係なくそういう事してくるから。初めて会った日も、図書館で会った時だって……」
「まぁ、電車の時はともかく閉架ではあそこまでする予定は無かったな。くすぐってる間に拓海の方が怒って帰るだろうと思ってたけど。拓海が何がしたいんだよって聞いてきたからさ、」
「だったら何だよ?」
「続きをしろって急かされてると思うだろ? 普通」
自己弁護のつもりが墓穴を掘った気分になって拓海は赤面したまま言葉を詰まらせた。それだけでなく閉架でのことまで鮮明に思い出してしまって妙にきまりが悪い。それに裕斗は平気で都合の悪い事ははぐらかしてしまう。拓海がずっと内心引っ掛かっていた「遊びは終り」という言葉の真意も裕斗は説明する気はないらしい。それも裕斗は話を逸らす際に単に誤魔化すのではなく、あえて拓海を混乱させるような事を言って巧妙に本題をずらしてしまうから始末が悪い。裕斗の遣り口を知っている以上、拓海は裕斗の真意を探るには何かしらの痛手を負う事を覚悟しなければならない。そうでなくても裕斗にも不安定な所があり、笑っていたかと思えば急に別人のように冷めた眼をして辛辣な言葉を吐いてくる。裕斗の真意を知るにはそれらを全て乗り越えるだけの強さが必要だ。拓海は未だ自分にそれが備わっているとは到底思えなかった。
「何でそうやってはぐらかすんだよ」
「はぐらかすって?」
「……遊びは終りってどういう意味?」
「拓海こそ何でその言葉に拘るんだよ、俺とまだ遊びたいわけ?」
「それを言ったら、裕斗は俺の質問に答えてくれるのか?」
「それは拓海の答え次第だな」
結局予想通りに有耶無耶にされて、拓海は溜め息を吐いた。裕斗は隣で余裕のある笑みを浮かべたままだ。拓海自身、何故自分がここまで裕斗の真意に執着するのか分からない。ただ自分の内面ばかりを曝け出してしまった事が歯痒いのかもしれない。だからこそ余計に距離が掴めなくなる。裕斗が終わらせたいものが一体何を指すのか――単に自分との関わりを断つというのなら、電話に出た事も今こうして会っている事も変な話で、だからといって遊びが欲望を満たすための体の関係だと限定してみても裕斗が戯れでキスをしてくるのは矛盾している――それに裕斗の態度は会ったばかりの時と全く変わらない。強引で奔放、試すような口振りも、拓海を困らせて悪戯っぽい笑みを浮かべるところも。だからこそ拓海は錯覚してしまうのだ。これまでと変わらずに裕斗が不意に自分の体を求めてくるのではないか、と。
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