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十一、漂泊の憂い
「どんな男?」
 長いキスの後、裕斗は改めて聞いてくる。拓海は俯いて話題をどう逸らそうか思案したが、自分にそういった能力がない事も裕斗に気遣いや弁えがない事も判りきっている事だ。拓海は諦めて簡潔に答えた。
「兄だ。血の繋がった、」
 拓海は多少の軽蔑や好奇の眼差しを向けられることを覚悟していたが、意外な程裕斗の態度はあっさりとしたものだ。
「不毛だな。何でそんな面倒なのに惚れるんだよ。で、振られた理由は? まぁ大体想像つくけど」
「……もう普通の兄弟以上の関係は持てないって」
「くだらないな」
 おずおずと言い添えた言葉をばっさりと切り捨てられて、拓海はたじろいで裕斗を見た。慰めを期待していたわけではないが、隣に座る裕斗は先刻までとは別人のように冷めた表情をしている。
「駅の裏に公園がある」
「え?」
「同類が集まるとこさ。相手が欲しいんなら、其処へ行け。あんたは顔だけは良いからな、相手くらい簡単に見つかる」
 そう言い捨てられて、何も言い返せずにいる拓海に、裕斗はさらに捲し立てる。
「馬鹿らしい。何で俺がお前の自暴自棄に付き合ってやんなきゃなんないんだよ。そりゃあ割り切った遊びなら構わないぜ。性格はともかくお前の体は好みだし。でもお前は一方的に愛されたがってるだけだ。そんな奴に割り切った遊びなんて出来るわけがない。自分を悪者にする気のない奴の自棄に付き合わされるのなんて傍迷惑だ」
「……別に、愛してくれとか言うつもりはない。自棄なのは認めるけど、割り切った遊びで良いんだ。俺だってそのくらい割り切って考えられる」
「その程度の読解力でよく進学校に受かったな。俺は自棄になってる奴に割り切った遊びは出来ないって言ってんだよ。どうせ自分が投げやりになってんのも兄貴に振られたせいにするつもりだろう? それで俺に抱かれたら、傷付いた寂しさに付け込まれたって事にでもするんだ。冗談ぢゃないぜ」
「違う、」
「違わないね」
 感情的になった拓海の言葉を遮って裕斗は言い捨てる。拓海が言葉を続けようとする前に、裕斗が首に腕を回して抱きついてきた。
「違うって言うなら、お前が抱けよ」
「何言って」
「拓海が、俺を抱け」
 拓海の位置からは裕斗の表情は見えない。華奢な肩と異様に白い首から背中へのラインが見えるだけだ。唐突な裕斗の命令の真意を判りかねて拓海は何も言えずにいると、裕斗は一旦体を離して、ほら見ろ、とでも言いたげに見上げてきた。
「ただ欲望を満たしたいだけなら、別にお前が挿れる方でもいいはずだ。躊躇う必要なんかないだろ? 拓海は結局、重荷を背負いたくないだけなんだよ。受身にまわってりゃ自分の意志かどうかなんて考えなくて済むからな。自分から誘っておいて、その事に責任を持つつもりはない、腐った女みたいな思考で反吐が出るね」
 裕斗の言い方が自分に対する単なる挑発である事は拓海にも理解できた。だが、その言葉が全くの真実であるような気がして拓海は何も言い返せない。裕斗はつまらなそうに舌打ちして、服の乱れを直すとそのまま部屋を出て行った。一人残された部屋で自己嫌悪に打ちひしがれていた拓海の耳に階下で談笑する裕斗の声が届いた。会話の内容は聞き取れないが、途切れがちに聞こえる笑い声は女のものである。おそらく裕斗の母親だろう。拓海はぼんやりとそれを聞きながら、帰ろう、と決意した。階段を昇る足音を確認して、拓海は立ち上がる。
「開けろよ。ちょっと手が離せないんだ」
 扉のすぐ向こうで裕斗の声がする。言われた通りにすると、紅茶と焼き菓子を載せたトレイを覚束ない所作で持った裕斗が入って来た。
「甘いの大丈夫? 適当に砂糖入れてきたけど」
 テーブルの上に紅茶を置きながら話す裕斗の声も表情も、先刻までの事がまるで無かったかのように平然としている。ドアの前で立ち尽くしていた拓海は、裕斗の豹変ぶりに呆然としながら答える。
「帰るよ」
「は? 泊まってけよ。そういう事になってんだから」
「なんだよ、それ」
「俺は小食なんだよ」
「意味が判らない」
「だから! おふくろが拓海の分の晩飯まで作っちゃったんだよ。俺一人ぢゃ食いきれない。それにおふくろは今から出かけるんだ。一人で家に居たって退屈だろ。相手くらいしろよ」
「……帰る」
 身勝手な裕斗の言動に付き合い切れなくなった拓海は踵を返して部屋を出たが、階段を降りようとしたところで、階下に認めた人影に身動きがとれなくなってしまう。その間に裕斗が追いついて背後からしがみ付くように抱きついてきた。濃紺のスーツを妙齢の女性には似つかない華奢な体に纏った階下の人は、二人に気付き柔らかく微笑んで会釈をする。固まってしまった拓海の腰に腕を回したまま裕斗が「いってらっしゃい」と声をかけると、その人はもう一度微笑んで慌しく出ていった。
「何固まってんの?」
 無理矢理腕を引っ張って拓海を部屋に連れ戻しながら不審気に裕斗が問う。
「女の人は苦手なんだ。特にあのくらいの年齢の人が」
 思わず素直に白状した後で、拓海は自分の態度は礼を欠いたものだったと実感して言い添えた。
「後であの人に謝っておいてくれないか。挨拶もちゃんとしてなかった」
「別にそんな細かい事で腹立てたりしねえよ、おふくろは」
 裕斗は声をたてて笑って、拓海をベッドに座らせる。甘ったるい紅茶を口に運びながら少し落ち着きを取り戻した拓海は不意に一つの疑問が浮かんだ。
「はじめから俺を抱くつもりは無かったんだろう?」
「は?」
「普通、親が居る時にそういう事はしないだろ。しかも男同士で。からかってたんだな」
「お前、結構根に持つタイプだな」
「はぐらかすなよ。人を振り回して楽しいのか?」
 ムキになって言い返す拓海に、裕斗は呆れたように問う。
「何時、俺が拓海を振り回したんだよ」
「いつも振り回してるぢゃないか、再会した時も、図書館でも、今日だって」
「再会? は、笑わせんなよ。俺に何の興味もない癖に被害者面すんな。拓海が勝手に流されてるだけだろう? 勝手にふらふらしておいて、全部人のせいにしたいんだな。第一、今日誘って来たのは拓海の方だぜ。俺はお前の自棄に付き合ってやらなかっただけだ。それが何でお前を振り回してる事になるんだよ」
 あっさりと裕斗に論破され、拓海は黙り込むしかなかった。窓から差し込む西日は特に怒っている風でもない裕斗の横顔を浮き立たせている。拓海にはそれがまた不可解だった。裕斗が急に冷めた表情になって辛辣な言葉を吐き出す事は何度かあった。だが、怒っているわけでもない平然とした様子で責められるのは拓海にとっては初めての事でいよいよ裕斗の真意が見えない。裕斗は暫く飲み干してしまったティーカップを指で弄んでいたが、不意に顔を上げ拓海を見つめてはっきりと言った。
「遊びは終りだ」






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