三五 戦艦『大和』咆哮す
一九四二年一月十二日、午前六時。
この時点で、東洋艦隊は度重なる帝国海軍の嫌がらせともいえる攻撃を受けて、その戦力を大きく落としていた。
具体的に東洋艦隊の残存艦艇を列挙すると以下のようになる。
戦艦…『プリンス・オブ・ウェールズ』『マレーヤ』
巡洋戦艦…『レパルス』
重巡…『ドーセットシャー』
軽巡…二隻
駆逐艦…四隻
輸送船…五隻
無論、ただ数が減っているだけではない。
ほとんど、というより全ての艦艇の対空火器はズタボロの状態であり、特に『マレーヤ』は二本の航空魚雷を受けて速力が十五ノットに低下し、『レパルス』にいたっては六門ある主砲のうち四門が使用不能になっている。
普通なら引き上げるところだが、それぞれの艦長はそれを拒否した。
彼等はその理由をあえて言わなかったが、フィリップスもあえて問わなかった。
このような状況に陥ってしまった以上、たとえルソン島にたどり着くことが出来たとしても、無事にシンガポールに帰れる保証はどこにもない。
『レパルス』と『マレーヤ』はもしも攻撃を受けたときに、自ら前進して被害担当艦になるつもりだった。フィリップスはそんな艦長達の無言の覚悟を感じとったのだ。
とは言え、フィリップスはある程度の希望を持っていた。
目的地であるキャビテ軍港まではあと八十キロ程であり、三時間もあれば到達出来るのだ。
懸念されていた潜水艦による夜間襲撃にあうこともなく、前日の帝国海軍第一航空艦隊による空襲も、第六次攻撃隊が去ってからは何も無い。
冬の夜は長く、南シナ海の空はようやく明るくなったというところだ。
状況が非常に悪いことに変わりはないが、少なくとも絶望的ではないのだ。
「…これは行けるぞ」
フィリップスはつぶやいた。
キャビテ軍港には必死で重油を取り除き、輸送船が何とか入れるだけの隙間を作った友軍が東洋艦隊の到着をいまかいまかと待ち望んでいる。
彼等のためにもこのまま進撃を続けなければならない。
しかし帝国海軍は、指をくわえて東洋艦隊がフィリピンに到着するのを、ただ見ているなどということをしたりはしない。
このとき、角田覚治海軍少将率いる第三艦隊第一部隊所属の第四航空戦隊からは、すでに零戦四十、彗星四十、九六艦攻四十の、戦爆雷合計百二十機の攻撃隊が東洋艦隊を目指して南シナ海上空を進撃していた。
また、西村祥治海軍少将率いる第三艦隊第二部隊はルパング島の西側を北上し、東洋艦隊まで直線距離にして六十キロの位置につけていた。
「『榛名』からは何と?」
「うむ…命令はこうだ。『四航戦と連動して、大至急敵艦隊に突撃せよ』…つまりはだな、角田君の機動部隊からすで攻撃隊が出ているらしい。そこで間髪入れずに突撃して、東洋艦隊に痛撃を与えれば勝利間違いなしということだな」
「海と空からの立体攻撃、ですか」
「あぁ潜水艦がいればもっと立体的になったのだがな」
夜間に手負いの艦艇を抱えノロノロと進む東洋艦隊がなぜ潜水艦の襲撃を受けなかったのかと言えば、『潜水艦がいない』からであった。
ただしこれには語弊がある。
正確には『その海域に対艦攻撃部隊所属の潜水艦がいない』というところだ。
帝国海軍における潜水艦部隊である第四艦隊は、この時点で五個潜水戦隊からなっていた。
第四艦隊の主任務は史実とは違い、偵察と通商破壊であり敵艦隊に接近して魚雷をぶちこむ、といった任務はよほどのことがないかぎりはしない。
ただし、最新型の伊号九型潜水艦九隻からなる第二潜水戦隊だけは例外で、この部隊のみは敵艦隊に対して積極攻撃を行うためにそれに特化した訓練をしていた。
そしてその成果は、マーシャル沖の航空戦に破れ、引き上げるハルゼー艦隊に対しておおいに発揮された。
しかしその第二潜水戦隊は今、内地で休養中であり、突然の英国参戦により南シナ海に急遽配置された第四潜水戦隊は、伊号と呂号を合わせて十八隻もの潜水艦を持っているが、艦隊に対する攻撃訓練などはあまりしていない。
そこを考慮した第四艦隊司令長官の清水光美海軍中将は、これらの潜水艦を偵察と待ち伏せ攻撃に活用することにした。
つまり、電探を取り付けた伊号潜水艦に東洋艦隊を追尾させ、残りの潜水艦でシンガポールに帰ってくる艦艇に待ち伏せるというわけだ。
だから『進撃中』の艦隊が攻撃を受けることはないのだ。
「よし、そろそろ水偵を上げよう。それから攻撃体制をとるように」
西村少将の命令が伝わると、艦尾の水上機整備甲板は途端に忙しくなった。
二つあるカタパルトに載せられた二機の零式観測機に搭乗員が乗り込み、それぞれエンジンをかける。
「第二三戦隊から通信! 敵軽快艦艇を駆逐すべく、敵艦隊への突撃の許可を求む」
「…いや、敵の軽快艦艇の始末は航空機に任せよう…すぐに返電してくれ」
「了解です」
第二三戦隊は酸素魚雷を装備した朝潮型駆逐艦を八隻持つが、水雷戦隊ではなくどちらかといえば護衛戦隊である。朝潮型も専用の護衛艦の数が揃うまでの繋ぎ的な存在なのだ。
「観測機射出準備完了! …射出します!」
二機の零観は油圧カタパルトから勢い良く射出されると、東洋艦隊に向かって一直線に飛んで行った。
「主砲射撃指揮所より、一式徹甲弾装填完了、照準なり次第いつでも撃てます!」
「対空電探に感有り! 百機以上の編隊北西方面より接近、距離は五万三千、速力三百五十、四航戦と思われる!」
「こいつは調度良いな」
高柳儀八艦長はそう言いながら、戦闘を指揮するべく司令室をでて昼戦艦橋に向かった。
「後は任せたぞ」
戦闘には関与しない西村少将が敬礼しながら見送る。
「えぇ、まか…」
「対水上電探に感有り! 三隻の大型艦探知しました! 一時の方向、距離三万八千、速力十五ノットです!」
「こちら防空指揮所、敵艦隊視認しました!」
「よしきたか!」
高柳艦長はそう叫ぶと返事も忘れて司令室を飛び出して行く。
そして風のように走って昼戦艦橋にたどり着くと、伝声管を通して東洋艦隊についての情報が次々と入ってきていた。
「主砲測距所より、敵艦隊との距離三万七千!」
「観測機より通信! 友軍航空隊敵艦隊に向け突撃開始、三隻の敵戦艦はキング型を先頭に進み右に舵を切りつつあり」
「『武蔵』より通信! 敵艦隊はすでに射程内に入っており、主砲射撃の許可を求む」
「いや、まだ待て」
高柳艦長は双眼鏡を覗きながら口を開いた。
「『武蔵』に伝えてくれ。敵戦艦との距離が二万七千になってから砲撃開始だ」
「…近すぎませんか?」
たまらず副官が尋ねる。
「この艦が就役してから日が浅い事を忘れてはならん。いやむしろ浅すぎるのだ。乗員の中には他の戦艦から応援に来た者もいるが…ここは防御力に頼って出来るだけ接近しよう」
一方、東洋艦隊はこの時大変なことになっていた。
まず突っ込んで来た四十機の零戦は『戦闘』する必要性がないため、落下増槽ではなく二発の六十キロ爆弾を吊していた。
そしてこれを特に狙いを定めることもなく、適当にばらまいたのだ。
しかし八十発もの『雨』に降られた東洋艦隊は、実害は少ないにしろ少なからず混乱した。
そこへすかさず五百キロ爆弾を抱えた彗星が次々と急降下し、航空魚雷を抱えた九六式艦攻はプロペラで海面を叩かんばかりに高度を下げて、東洋艦隊に飢えた野獣のように遅いかかった。
反撃のしようがない東洋艦隊の艦艇群は次々に被弾し、目的地を目前にして南シナ海に沈んでいった。
反撃を受けないだけに第四航空戦隊の攻撃はあっという間に終わり、悠々と編隊を組み直すと、わざわざ『大和』以下第二部隊の上空を一回だけ旋回してから北西の彼方に去って行った。
「まったく、角田さんもやってくれるなぁ。綺麗に軽快艦艇と輸送船だけ沈めて行きおった」
帽子を振りながら高柳艦長は苦笑した。
つまり、三隻の戦艦は例によって無事? なのである。
「電探室より報告、敵戦艦部隊が右に回頭した模様、このまま行くと我が艦隊と反航します」
「敵先頭艦との距離三万」
「後は我々の仕事だ」
高柳艦長は自分にいい聞かせるように静かに言った。
「敵先頭艦との距離…二万八千です!」
「こちら射撃指揮所、照準なりました。いつでもどうぞ!」
『大和』の艦橋前に設置された二基の四十一センチ三連装砲塔が、ゆっくりと旋回して砲身をもたげる。
「二万七千六百…二万七千五百…」
伝声管を通じて敵先頭艦…『プリンス・オブ・ウェールズ』との距離が艦内に響く。
東洋艦隊側からの発砲はまだ無い。
高柳艦長は右斜め前から向かってくる東洋艦隊を凝視しながら、その時を待った。
「…二万七千二百…二万七千百…二万七千!」
「撃ち方ぁ、始めっ!」
「敵戦艦より発砲閃光!」
その報告にフィリップスは思わず舌打ちした。
そもそも戦艦がいること自体信じがたいことである。
「敵との距離は?」
「およそ十七マイルです!」
「艦長! 敵はすでに射程圏内です! 砲撃許可を!」
砲術長が叫ぶ。
しかし、艦長は渋った。
『プリンス・オブ・ウェールズ』の艦橋に取り付けられた測距儀は規模が小さく、その性能に問題があった。
だから本気で当てるためには、十六マイルぐらいまで近づかなければならないのである。
その時、『プリンス・オブ・ウェールズ』を左右から挟み込むように、合わせて十二本の巨大な水柱が吹き上がった。
『大和』は飛ばし過ぎ、『武蔵』は手前過ぎたのである。
この模様は東洋艦隊上空を飛行する観測機にきっちり観測され、両艦の射撃指揮所は観測機、測距室、電探室からの報告を総合して照準を修正する作業に入った。
そして両艦の砲身がわずかに動いた頃、耐えきれなくなったのか最後尾の『マレーヤ』が射撃を開始した。
四発の三十八,一センチ砲弾が『大和』の前方、約五百メートルに落下する。
「敵さん、相当焦っているようだな」
高柳艦長がつぶやくなか、照準の修正が終わった主砲が再び唸りをあげた。
『武蔵』の第三斉射が至近弾を得た頃、ようやく『プリンス・オブ・ウェールズ』は砲撃を開始した。
六発の三十五,六センチ砲弾は『大和』を約百メートル通り過ぎて落下した。
そんななか東洋艦隊は左に軽く舵を切った。
こうすることによって、今まで艦橋が邪魔で撃てなかった後部砲塔も射撃可能となる。
特に『レパルス』は前部砲塔が使い物にならないから、こうして初めて主砲を撃てるのだ。
そして戦闘開始から十分後。
『大和』の第七斉射がようやく『プリンス・オブ・ウェールズ』をとらえた。
こちらも後部砲塔からの射撃を開始している『大和』が発射した十二発の四十一センチ砲弾の内、五発が前部の二砲塔に命中し二基とも射撃不能に追い込んだ。
続けて、『武蔵』の第八斉射の内三発が同じところに命中し、二基の砲塔を吹き飛し火災を引き起こした。
「弾薬庫に注水しろ!」
艦長が叫ぶ。
砲塔の下は弾薬庫…火が入れば終わりだ。
「それにしても…いい加減当てんか」
フィリップスは誰にも聞こえないようにつぶやいた。
だがすぐに首を振って苦笑した。無理であると。
なぜならレーダーや観測機はとうの昔に破壊されているし、二基の砲塔がやられ測距の精度も著しく低下しているのだ。
ユトランド沖海戦を経験した老齢の『マレーヤ』の射撃のほうがむしろ正確で、すでに『大和』に四発の命中弾を与えていた。
ちなみに最初から砲塔が一つしかない『レパルス』の射撃は不正確にもほどがあり、一回だけ『大和』に至近弾を与えただけであった。
フィリップスは頭に一瞬、『降伏』の文字を浮かべ、すぐにそれを打ち消した。
東洋艦隊はもはや壊滅したと言って良い。
東洋艦隊司令長官としてここで生き残るわけにはいかない。
彼は長官用の椅子に座り直し、静かに目を閉じた。
|