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異説 太平洋戦記
作:水谷祐介



三二 詳細不明な進出命令




 「…海軍といたしましては太平洋艦隊が再建されるまで、ハワイやサモア、それにアリューシャンを中心に防御に徹し、攻撃は潜水艦による通商破壊に限る方針であります。それからキンメルに代わる新しい司令長官ですが、とりあえず戦艦『ウェストバージニア』に座乗しているパイ中将を、長官代理に任命する方向で調整しています」
 キング作戦部長が言い終えると、ルーズベルト大統領は一瞬じっとしていたが、すぐに車椅子を回して無言のままマーシャル参謀総長のほうをジロリと見た。
 マーシャルはゴクリと喉をならすと、額の汗を拭い、しゃべり始めた。
 「…陸軍といたしましては、日本軍の侵略に備え、ハワイにサモア、それからニューカレドニア…一応仏領ですが、自由フランス政府の了解は得ましたので…これらの地域の兵力を増強するつもりです。…海軍が再建されるまでの間、出来れば南から圧力をかけたいのですが、オーストラリアの動向がはっきりしない現状では何とも…」
 「オーストラリアか。あれから何か進展はないのかね? イギリスにも同様のアプローチをしたが、そちらはどうだね?」
 「一応日本の同盟国ですからね。もっともチャーチル首相の性格からして、いざとなれば破棄するでしょう。…オーストラリアのほうは、まだイエスともノーとも言って来ません」
 負け戦にあまり関係がないためか、やや悠然とした口調でハル国務長官が答える。
 「はっきりしない連中だな。…まあ、私としてはチャーチル首相が勇気ある決断をしてくれることを願うばかりだ…参謀総長、続けてくれ」

 マーシャルは手元の資料を捲り、どうせならしたくはない話を再開した。
 「…次に、フィリピンのことですが…正直まずい状況です。日本軍はミンダナオ島の主要都市及びそれらを結ぶ道路、レイテ島やミンドロ島等のいくつかの島々を占領して軍政を敷くと共に、マニラやバターン半島にいる我が軍に対する空爆を強化しております。最新の情報では物資…特に医薬品の欠乏が深刻になっているとのことですが…そこは海軍に何とかしてもらわないと…」
 「…その潜水艦による輸送ですが、フィリピンを海上封鎖しているジャップの対潜能力が予想に比べて思いの外高く、必要量はとても運べません」
 「その、私には理解出来ないのだが、なぜジャップはルソン島に上陸しようとしないのだね? このままではフィリピンの我が軍は、戦わずして干上がってしまいかねんぞ」
 ルーズベルト大統領が問いかける。
 「…日本もフィリピンが軍事的な戦略拠点以外に、これといった活用法が無いことに気付いたのではないでしょうか?」
 ハル国務長官が発言する。
 「なるほど。ジャップの無用な消耗を避け、かつ彼等の南への進出拠点を得るために、ルソン島の我が軍は放って置かれるというわけか」
 ルーズベルトは苦笑しながら言うと、再び目を閉じた。

 (…マッカーサー率いるフィリピンの我が軍は、勇猛果敢に戦うも侵略してきたジャップに潰されそうになる。しかしそこへ、ジャップの艦隊を粉砕した我が太平洋艦隊が救援にやって来る……国民の士気と私の支持率を上げるための、素晴らしいシナリオだったが、世の中そう上手くはいかないようだな)

 ルーズベルトが心の中で良からぬことを考えていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。
 「…入りたまえ」
 「…し、失礼します。国務省から…き、緊急の報告です」
 入ってきた職員は見たところ、定年間近の老人でおそらくその仕事ぶりも普段なら穏やかなものであろう。そんな彼が息も切々に大慌てで飛び込んで来たということは、よほどの事だろう。
 ルーズベルトは目で発言を促した。
 年老いた職員は息を整えると『とんでもない知らせ』を話し始めた。



 その頃、この年初めての訓練を終えて、シンガポール軍港に帰って来た英国海軍東洋艦隊旗艦、戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』の作戦室。
 英国海軍東洋艦隊司令長官、トーマス・フィリップス海軍大将は、延々三十分に渡って通信参謀が持ってきた本国からの電文を凝視していた。
 「…そういうことか」
 「…何がです?」
 「参謀長、今この状況で、なぜ我が東洋艦隊の戦力が増強されたと思う?」
 「…太平洋戦線には介入しないが、万が一のときに備え、我が国の領土及び領海を守るために、それらの地域の兵力を増強する…ではないのですか?」
 「君が言っていることは間違いではないが、本国が言ってきたことを繰り返しているだけだ。…もっとも私もそういうことだと思っていたよ。この電文を読むまではな」
 フィリップスはそう言うと、参謀長に電文を手渡した。
 「……えっ!?」
 電文を読んだ参謀長が驚きの声をあげると、他の参謀達が後ろ除き込む。…そして一様に驚きの声をあげる。

 「…本気ですか!?」
 「少なくとも首相閣下は本気のようだな」
 「…そんな」
 「私だって信じられん。…信じたくもない」
 「……」
 「…しかし、軍人である以上は命令には従わなければならん。…直ちに準備をするように。出撃は、そう五日後だ」
 「…了解しました」

 フィリップスはそのまま立ち上がると、作戦会議を始めようとしている参謀達を残して、一人羅針艦橋に歩を進めた。
 彼は艦橋に出てそこにいる将兵達と敬礼を交わすと、軍港内をぐるりと見回した。
 右隣には三十八,一センチ連装砲を三基載せた巡洋戦艦『レパルス』が、左隣には同連装砲を四基載せた戦艦『マレーヤ』が停泊している。
 この他にも、空母『インドミタブル』と『ハーミーズ』、重巡『エクゼター』と『ドーセットシャー』、軽巡四隻、駆逐艦十二隻、潜水艦五隻、補給艦六隻、駆潜艇や掃海艇等その他の艦艇が十三隻程碇をおろしている。
 相当な大艦隊である。が、そうは言ってもその規模は帝国海軍がいる以上は、東洋第二位でしかない。しかし…

 (たが今この段階なら何とかなるかもしれない…)
 フィリップスは思った。
 (とは言え気になるのは機動部隊だ。まさかその辺にいるということはないだろが、途中でかち合えば大変なことになる…はっ『マレーヤ』か。確かに大きな補強だが足が遅すぎる。…ここに置いて行くか…しかしその砲撃力は捨てがたいものがある…)

 フィリップスはそのまましばらくの間じっとしていたが、何を思いついたのか再び作戦室に向かった。
 そして作戦室の扉を開けるなり口を開いた。
 「直ちに潜水艦を出撃させる。それから今ここにいない三隻の潜水艦に連絡はつくか?」
 「…? 一応つきますが…」
 「大至急連絡をつけてもらいたい。八隻の潜水艦でルソン海峡に哨戒線を張るのだ」
 「分かりました。…それから長官。今回の作戦に関してですが、やはり主目的はフィリピンの米軍に対する補給ということでよろしいのでしょうか?」
 やはり長官がいないと話は進まないらしい。
 「無論だ。私だってむやみに戦いたくはない。特に今回は相手が相手だからな。遭遇しないことを祈るが、もし遭遇してしまった時には我が東洋艦隊と大英帝国の威信にかけて戦い、そして勝たなければならない」
 「…必勝を期すためには、やはり我が艦隊の全力をあげる必要があると思います。その方向で部隊編成をしてもよろしいでしょうか?」
 「あぁ、シンガポールが空になってもよい」



 「ばかな…」
 崩れるように座った東郷外相が声を絞り出すと、岸商工相が戸惑いの表情を浮かべて『とんでもない知らせ』を報告しにきた官僚にもう一度同じ事を言わせた。
 「…繰り返します。今から三十分程前、英国から外務省に連絡が入りました。…その内容は日英同盟の破棄と我が国との国交断絶及び宣戦布告です。そして二十分程前、オーストラリアとニュージーランドからも国交断絶と宣戦布告の通告を受けました…報告は以上です」
 「…そんな…まさか…」
 東郷外相は頭を抱えた。

 そう、まさかである。
 共に戦ってくれる味方、ではないが少なくとも中立でいてくれて、なおかつ講和交渉の仲立ちになってくれないかと密かに日本が期待をかけていたイギリス。
 そのイギリスがコロッと敵方に回ってしまったのだ。
 東郷外相がこの日の日記に『私はこの知らせを聞いてからしばらくの間、これは悪夢だ。私よ早く目を覚ませ。と意味も無く念じ続けていた』と書いた程、文字通り信じ難い知らせだが悲しいかな事実である。

 「…どうやら今日は帰れんようだな。…君、人数分のコーヒーを用意してくれ」
 米内総理は苦笑いを浮かべて言った。
 しばらくして運ばれてきたコーヒーは、まるで会議室の空気のようにどす黒いものだった。


 そしてこの会議はコーヒーの飲みすぎで、胃が痛くなった人が何人も出たほどに延々と続いた。
 いちいちそれを書いているととんでもなく長くなるので、ここでは結果だけ述べることにする。

 帝国海軍は、まず間違いなく出撃してくるであろう英国海軍東洋艦隊に対処するため、大型機対応の滑走路が完成したばかりのミンドロ島の飛行場に、第一航空艦隊の対艦攻撃部隊及び飛行艇部隊を急遽配置する。
 また各艦隊から諸部隊を戦隊単位で引き抜き、これをフィリピンの海上封鎖を担当している古賀峯一海軍中将率いる第三艦隊の指揮下に入れて、北上してくる東洋艦隊に決戦を挑む。
 具体的には第四及び第六航空戦隊、第七戦隊、第一二戦隊、第二三戦隊、第四水雷戦隊、そして第一戦隊が一時的に第三艦隊の隸下部隊となる。

 帝国陸軍は今や敵の領土となった英領マレーを攻略するために、三個歩兵師団を基幹とする第三軍を南方方面軍の隸下に新設、東洋艦隊の脅威が去り次第速やかに攻略作戦を開始する予定だ。
 ちなみに第三軍の司令官には、今のところ山下奉文陸軍中将が推されている。
 これにともない今村均陸軍中将率いる第二軍によるインドネシア攻略作戦は必然的に延期となり、本間雅晴陸軍中将率いる第一軍の一部部隊は、英領ブルネイ方面への転進が決定した。

 そして忘れてはいけない外交問題だが、新たな外交窓口を大至急開設することを迫られた外務省は、とりあえずイギリスにいる吉田茂以下多数の外交官を交換船に乗せて、スペインまで来たところで上陸させスイスに向かわせるということで落ち着いた。



 三日後、台湾にある帝国海軍高雄飛行場。
 開戦時には多数の航空隊が駐在し混雑していたこの飛行場も、フィリピン各地に新しく完成、もしくは占領した飛行場に、ほとんどの航空隊が進出したため駐機場にも余裕がある。
 さてそんな広い駐機場の一角には、基地の防空隊でもないのに居残っている部隊が出撃準備に追われていた。
 ちなみにその部隊とは例によって三四三航空隊である。
 当初の予定ではインドネシア攻略作戦の一つである、蘭領ボルネオ島上陸作戦を援護するために、その最前線であるミンダナオ島のサンボアンガにこの日よりもさらに五日後に進出することになっていた。
 しかし英国の参戦により上陸作戦は延期となり、当初の任務を失った三四三空に与えられた新たな任務は…まだ搭乗員達には知らされていない。
 知らされているのは、というより受けた命令は『レイテ島に進出せよ』ということだけだ。

 「司令! いい加減教えて下さいよ! 我々の任務を!」
 今回、レイテ島への進出が決定した第二戦闘隊隊長の長峰大尉が、富田司令官に詰め寄る。
 「まぁまぁ大尉。何度も言っているように私も知らないのだよ。機密事項とかいう理由でな」
 「…本当でしょうね?」
 「嘘だというのかね?」
 「いえ…分かりました。信じます」
 「よかった。さぁもう時間だ、輸送機はもう飛び立っているようだぞ」
 「えっ!? こいつはまずい! では司令、失礼します」
 「あぁまた会おう!」
 長峰大尉は愛機のもとへと駆け寄り、富田司令はレイテ島には進出しない将兵達と共に帽子を振る用意をした。


 十分後、合わせて三十二機の雷電は富田司令以下多くの将兵に見送られながら、整備兵達を乗せた輸送機を追いかけるように南へ向かって飛んで行った。














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