ヘンゼルとグレーテル、そして魔女はかぼちゃ(頭)
絵本のような世界観を目指したはずでした……。最後に、この話の元になった魔女の切り絵があります。注意して下さい。
大きな森の片隅、名も無い小さな村に、貧しい樵の親子が住んでいた。
優しいが気の弱い父親と、しっかり者の兄妹は、慎ましく暮らしていた。────しかし、父が後妻を迎えたことで、貧しくも楽しい生活は終わりを告げる。
貧乏にたえかねた継母が父親を言いくるめ、口減らしに兄妹を森に捨てたのだ……。
─────暗黒の森─────
オトギ国と周辺諸国に跨がる、とても広大な森だ。ごく浅い所までなら陽の光も届き、人の手も入っているが、その最奥部ともなると、名前の由来通り濃密な闇に支配されている。また、魔女や魔物が住むという伝説もあり、立ち入る人間は無に等しい。
とても子どもが生きていける場所では、なかった。
「ヘンゼルお兄ちゃん。わたし達、これからどうなるのかな?」
「大丈夫だよ、グレーテル! ほら、ぼく目印にパンをちぎって撒いて来たんだ。ちゃんと、家に帰れるよ」
兄のヘンゼルがことさら明るく言うが……本当は、二人とも分かっていた。もう、帰る場所はないと。
ヘンゼルとグレーテルは、母譲りの鮮やかな赤毛に深い緑の瞳を持つ、見た目の良い兄妹だ。高値が付いただろうに、人買いに売らなかったのは最後の親心だろうか?
二人は月の明かりを頼りにパン屑を探したが、夜の森の闇は更に深く、お互いの姿も見えない有様。
手をつなぎながらさまよい歩く内に、ヘンゼルは木の根に足を取られ、傾斜を転がり落ちてしまった……。
「お兄ちゃん!」
咄嗟に、グレーテルの手を離せたのは不幸中の幸いだったが、ヘンゼルは酷い怪我を負ってしまう。
「グレーテル! ここは、坂になってて危ないから、近寄っちゃダメだ!」
ヘンゼルに怒鳴られ、グレーテルは足を止める。
「ちょっと、足をひねったみたいで、上がれそうにないや……。グレーテル、お願いだから、助けを呼んできてくれる?」
「わかったわ。お兄ちゃん、すぐ戻ってくるからね?」
……ヘンゼルは嘘をついた。怪我をしたのは、足ではなく腹だ。大きな枝が貫通し、止めどなく血が溢れている。
明らかに、致命傷。
血止めの薬も、包帯すらない。いずれ血の匂いに惹かれた獣が集まって来るだろう。せめて、妹だけは助けたかった……。
こんな森に人なんているはずがない。それでも助けを頼んだのは、グレーテルを遠ざけるためだ。
「グレーテル。ぼくの分も、強く生きてね……」
痛みに耐えかね、目を閉じた、その時だった。
「助けを呼んできたよ! お兄ちゃん!」
「はやっ!? っていうか、人いたの!?」
グレーテルが驚くべき早さで戻って来たのだ。
「お兄ちゃんを、お願いします……」
掲げられる、かぼちゃをくり抜いて作ったランタン。オレンジ色の光が、泣きそうなグレーテルともう一人を照らし出す。闇に浮かぶのは……かぼちゃの顔? だった。
「人なの!? かぼちゃ頭だよ!? 魔物の類じゃあ……!?」
叫んだ拍子に、腹部から大出血。ヘンゼルの気が遠くなる。
「おうちに運んでくれるって。ご飯も、薬もあるそうよ。行きましょう!!」
「グレーテル……お兄ちゃんいつも言ってるだろ……怪しい人に、ついてっちゃダメだって」
必死でツッコミを入れるが、力んだせいで血がだくだく止まらない。
朦朧とする意識。ヘンゼルが最後に見たのは、手を伸ばして迫り来るかぼちゃ頭だった………。
☆
「ここは……どこ?」
ヘンゼルは、見知らぬ部屋で目を覚ました。慣れしたんだあばら屋ではなく、オレンジ色を基調にした暖かみのある部屋。
調度品は丸っこいものばかりで、ヘンゼルが寝かされてる寝台まで丸い。なんとも可愛らしい部屋だ。
「お兄ちゃん、目が覚めたんだ!!」
丸椅子を蹴立てて、グレーテルが立ち上がる。元気そうな妹の姿に、ヘンゼルは安堵した。
そして、思い出す。意識を失う前のことを。
「ぐっ……」
動くだけで腹部に鈍痛が走る。寝たまま傷口に目をやると、真新しい包帯が巻かれていた。……夢じゃなかったようだ。
「丸一日、寝てたんだよ……? あ、起きたら呼べって言われてたんだった」
誰を!?
嫌な予感がした。果たして、グレーテルが呼んで来たのは、例のかぼちゃ頭だった。……明るい部屋で見ると、違和感が半端ない。
頭部は、一抱えはあろうかという立派なかぼちゃの被り物。コミカルな顔が彫りこまれているものの、目や口の穴に広がる闇で、素顔は一切見えない。そのせいで、不気味さが漂っている。
服装は、黒のローブ姿。所々に、青々した葉っぱと蔓。……かぼちゃを全面に出し過ぎだ。
思わず警戒して身をすくめるが、助けてもらい、治療までしてもらっているのだ。礼を忘れてはいけない。
「た、助けてもらって、ありがとうっ……ございます」
「無理に起き上がらなくてよいよ。そのままで聞きな」
老婆のようなしゃがれ声。かぼちゃのインパクトが強すぎたせいで気づかなかったが、もしかして、とヘンゼルは思い至る。
「あなたは……魔女ですか?」
「察しの良い坊やだねぇ。その通りだよ。アタシは、かぼちゃの魔女さ! パンプキンと呼んでおくれ」
「まんま過ぎる!!」
ツッコんだ瞬間、傷が痛みを訴えた。呻くヘンゼルを、魔女──パンプキンが笑う。
「本当に、威勢の良いこと。坊や、アンタの名前はなんだい?」
相手は魔女だ。物語でもよくあるが、本名を名乗っていいものかとヘンゼルは逡巡する。
「そういえば、名乗ってなかった! わたしはグレーテルって言います。お兄ちゃんはヘンゼルです。北の村から、親に捨てられてこの森に来……」
「わーーー!? 個人情報流出しちゃダメ! お前はなんでそんなに警戒心がないの!?」
パンプキンは、我慢出来ずに大笑いした。
「よいよい。アンタ達、気に入ったよ。ヘンゼルは怪我が治るまでここで寝てな。グレーテルには、兄ちゃんの看病をしながら、アタシの手伝いをしてもらう──なぁに、すぐ良くなるさ!!」
ヘンゼルは言いしれぬ不安と痛みに苛まれながら、早く治して、ここから出ようと決意した。
「お兄ちゃん、ご飯よ」
あれからさらに一日が経過する。怪我は経過良好だが、ヘンゼルはグッタリしていた……。理由は、食事である。
グレーテルが差し出すトレーに乗っているのは、申し訳程度にご飯粒の浮いたかぼちゃ粥だ。貧乏生活の長いヘンゼルは、食べ物の有り難みを分かっている。まして食事はパンプキンの好意だ。文句なんて、言える立場じゃない。でも……また、かぼちゃか。
かぼちゃの魔女と名乗るだけあって、パンプキンが提供する食事は、かぼちゃ尽くしだった。まずはかぼちゃジュースに始まり、かぼちゃのポタージュ、かぼちゃプリンときてかぼちゃ粥と、段々固形物に近づいてはいるものの、ひたすらかぼちゃ。
甘くて美味しいかぼちゃだが、こうも続くと飽きる。
寝たきり状態で、あまり空腹を感じないから尚更苦痛だ。
「そうだ、グレーテル。お前はちゃんとご飯貰ってるか?」
よかったら少し食べないか? と続けようとしたヘンゼルだったが、動揺し、目を泳がせるグレーテルを見て声を無くす。
「え、も、もちろんよ、お兄ちゃん! ちゃんと食べてるわ……」
ヘンゼルは、疑問を覚える。……もしかして、グレーテルはろくに食事も与えられず、扱き使われているのではないか? と。
グレーテルがそそくさと去って行ったので、なし崩しに終わるが……一度気になると、居ても立ってもいられない。
ヘンゼルは、そっと部屋を抜け出した。
扉の外は、意外と広かった。長い廊下が続き、壁には薬草を干したものが並べられている。そして、トレードマークのかぼちゃの飾りがあちこちに置かれていた。
遠くには、階段も見える。結構なお屋敷のようだ。ヘンゼルは、とにかく廊下の先……甘いかぼちゃの匂い目指して、進んだ。
そっと扉を開いて中を覗くと、そこでは、グレーテルが満面の笑みでオムライスを頬張っていた。
「んー♡卵がトロトロで美味し~い。自家製ケチャップと合う~!」
「ふふ、かぼちゃほどじゃないが、アタシは他の野菜作りも得意なのさ。サラダも美味いだろ? これは全部、朝一緒に採った野菜だよ」
「鶏の世話も初めてしたけど、楽しいです!」
………………ちゃんと良い物食べさせて貰ってた!! ていうか元の家より充実した暮らししてる!!
テーブルに並ぶ料理はどれも美味しそうで、思わずヘンゼルは唾を呑み込む。
「あ、お、お兄ちゃん!」
気まずそうなグレーテルと目が合った。さっきの悲痛な顔は、自分達だけ良い物を食べてる罪悪感か……。
「そんな恨めしい顔をするもんじゃないよ。ちゃんと説明してあげるから、ここにお座り」
パンプキンに促されるまま、ヘンゼルはテーブルに着く。
「アタシはね、かぼちゃを媒介に魔法を使う魔女さ。ただ、どうにも回復魔法は苦手でね……。アタシのかぼちゃを食べ続けないと、効果が切れてしまうんだ。でも、効いてるだろ? あんなに大怪我してたのに、たった二日で歩けるようになったんだから」
「そういえば、もう痛くない!」
指摘され、ヘンゼルは今気付いたとばかりに服をめくる。包帯を外すと、あれだけ酷かった傷口がすっかり薄くなっていた。
「すごーい!」
グレーテルの感嘆の声。パンプキンは得意気に胸を張る。
「とはいえ、怪我は内臓までいってたんだ。まだしばらくかぼちゃ料理が続くよ」
ヘンゼルはガックリ項垂れる。……しっかりしているとはいえ、まだ子どもだ。かぼちゃ料理のみは、辛いだろう。
「いや、生きてるだけでありがたいんだ……贅沢言えないさ」
「物わかりの良い子だねぇ。……じゃあそろそろ、大事な話しをしようか。賢いアンタ達なら分かってるだろうが、アタシは、ただ親切で助けた訳じゃない。助けた対価を請求するよ」
ヘンゼルとグレーテルは息を飲み、テーブルの下で手を取り合った。相手は魔女なのだ。どんな無理難題を出されるか、戦々恐々とパンプキンの言葉を待つ。
「オクトーベルの月、最後の週。オトギ国やその周辺では、盛大な祭りが開催される。夏の終わりを意味し、秋の収穫を祝う収穫祭……祝祭・ハロウィーンさね」
貧しい村出身のヘンゼル達ですら知っている、有名な祭りだ。
村ではささやかながらお祭りが開かれていた。
その祭りでは、悪霊や悪魔、イタズラ好きの精霊が活発になるから気を付けなさいと、生前母が言っていたのを思い出す。
……まさか魔女の宴で生贄にでもしようと言うのだろうか? 悲観的なヘンゼルは、頭を振って悪い考えを追い払う。
「アタシ、かぼちゃの魔女にとっても特別な祭り。これほどかぼちゃがもて囃される祭りはないだろ! そう、稼ぎ時だよ!!」
「……は?」
「グレーテル、収穫祭で食べる物といえばなんだい?」
固まったヘンゼルと対照的に、グレーテルは柔軟だ。即、答える。
「うちは貧乏だったから買ったことないけど、芋と栗と……かぼちゃのお菓子かな?」
「その通り!」
パンプキンはローブを翻し、力説する。
「地味な芋や栗とは違い、かぼちゃは見栄えがするから飾りにもぴったり。かぼちゃといえばハロウィーン、ハロウィーンといえばかぼちゃだよ。
アタシは毎年かぼちゃ菓子を作っては売り捌いてるんだ。人手は幾らあっても足りないよ。アンタ達には、菓子の製造から売り子まで、働いてもらいたいのさ」
予想外の対価にヘンゼルとグレーテルは目をパチクリ。
「魔女ってこう……金銀財宝貯め込んでるものだと思ってた」
「冗談はおよし。こちとら、森で自給自足生活だよ? そもそも魔女・魔法使いってのは研究職だ。大手に就職出来ない個人の魔女は、自力で稼がなきゃ魔法の研究を続けられないんだよ……とにかく、お金がいるんだ」
「どこも世知辛いな!!」
パンプキンのリアルな発言に、貧乏生活の長かったヘンゼルとグレーテルは共感した。というか、もっと酷い想像をしていたのでむしろ安心した。こうして二人は、納得ずくで魔女の手先(?)になったのである。
☆
ぐつぐつぐつぐつぐつぐつ。
キャップに、エプロン姿で大鍋をかき混ぜるヘンゼル。大鍋の中身は、トカゲや薬草を煮出した魔法薬……ではなく、たっぷりのカスタードクリームだ。
汗で手が滑りそうになりながら、木べらで粘りが出るまでかき混ぜる。さらに生クリームとかぼちゃを裏ごししたものを混ぜ合わせれば、特製のかぼちゃクリームの完成だ。
部屋中に充満する甘い香りが、作業中の三人の鼻をくすぐった。
「グレーテル、かまどからクッキーを取り出しておくれ。次はケーキさね」
魔法のようにめん棒を振るい、瞬く間に生地を形成しながらパンプキンが指示を飛ばす。毎年作ってるだけあって、かなり手際がいい。
「すごい上質なお砂糖に小麦粉……。雪みたいに真っ白だぁ」
「そりゃそうさ。砂糖は砂糖大根の魔女から、小麦粉は麦の魔女から融通して貰ってるんだ。そんじょそこらの品じゃないよ」
「魔女ってなんでそんな限定的なの!? もっと魔女らしい魔女はいないのか!?」
「居るところには居るよ。ただ、アタシが所属してるコミュニティが、植物(食用)の魔女ってだけさ。このコミュニティは、いつか皆でお菓子の家を作る事を目標に、お互い協力を惜しまないんだよ」
「意外とメルヘンチック! そしてカテゴリーにツッコミたい!」
手を止めないが、ツッコミも止まらないヘンゼル。すっかりここでの暮らしに慣れていた。
「そろそろ期待の新人、カカオの魔女からチョコレートが届く頃かな。あぁヘンゼル。バニラの魔女のバニラビーンズを入れ忘れてるよ!! グレーテル、卵の追加を持ってきておくれ」
グレーテルは言われた通り、壁際のかぼちゃの容器から卵を取り出した。まるで冷暗所に置いていたかのように、ひんやりと冷たい卵はいくら取り出してもなくならない。
ツッコミ疲れ気味のヘンゼルとは違い、グレーテルは魔法、ひいては魔女のすごさに驚いてばかりだ。
「さあ、どんどん作るよ!!」
「「はい!!」」
お菓子作りに諸々の準備。やることは沢山あり、ばたばたしているうちに、いよいよその日は訪れる。
「さぁ、祭りの当日だよ。二人とも、家の前に出な」
ヘンゼルとグレーテルは早朝、叩き起こされて外へ出る。
「何度見ても不思議なところだなぁ……」
眠い目をこすりながら、ヘンゼル。ここは森の一画にあるはずなのに、拓けた場所にあり、陽当たりも良い。見渡す限りのかぼちゃ畑が続いている。
そしてパンプキンの家は、中央にデンと構えた巨大かぼちゃなのである。ただのドーム型なんかじゃない、正真正銘のかぼちゃだ。ガラスの窓が嵌められているから、かろうじて住居だとわかるが、初めて見た時、ヘンゼルは何の冗談かと思った。
「準備はいいかい?」
今から街に行くというのに、いつものかぼちゃ頭のパンプキンが、畑から良い頃合いに育ったかぼちゃをもいでくる。
ローブから杖を取り出して、パンプキンの“魔法”が始まった。
『トリックオアトリート』
パンプキンが呪文を唱えると、杖の先から金銀の光の粒子が火花のように飛び散った。
降りかかる光を浴びて、かぼちゃ自体がキラキラと輝き出す。
パンプキンが杖をリズミカルに振る度に、かぼちゃは白く、大きく変化していく。
「綺麗……」
グレーテルが感嘆の声を上げる。完成したのは、純白の、洗練されたデザインの馬車だ。金色の蔓や葉で出来た四輪の車輪が、朝日を浴びて煌めいている。
「貴族が乗りそうな派手な馬車だね。これに乗っていくと、目立ちそうじゃない? 馬はいないけど、動力はなに?」
「安心おし。すでに目隠しの魔法が組み込んであるのさ。動力だけどね、うちには馬がいないし、動物を操る魔法は苦手だから自立走行と飛行の術式を入れてある。抜かりはないよ」
好奇心旺盛なヘンゼルはパンプキンによく質問するが、パンプキンはたいてい快く答えてくれる。二人は先生と生徒のような関係になっていた。
「質問はそれだけかい? じゃあ、出発だ」
三人が乗り込んだ馬車は、森の上空を駆けていく。
☆
馬車の中は、外見から想像出来ないくらい広かった。
ヘンゼルとグレーテルはふかふかのソファに座っているし、テーブルには紅茶セット一式が。馬車というより高級ホテルの一室みたいだ。
備え付けの化粧台が、パンプキンの定位置になっているが、鏡には外の景色が映し出されている。操縦席も兼ねているらしい。
「かぼちゃの家もそうだったけど……うちの家より立派だねぇ」
「広すぎて、落ち着かないよ」
「何を言ってるんだい。この馬車は宿代わりも兼ねてるんだ。このくらい広くないと、窮屈で肩が凝っちまうよ。アタシはね、苦手魔法は多いけど、空間魔法は大得意なのさ! 中でも空間拡張術は便利でいいだろ?」
確かにこの魔法があれば住むところには困らない。ていうか、宿代までケチるなんてたくましいなぁと二人は感心しきりだ。
「では、これより打ち合わせを始める。今からアタシのことはお婆ちゃんと呼ぶんだよ」
「「はい、お婆ちゃん」」
「よしよし。アタシは魔女じゃなく、お菓子作りが趣味のクレア婆さんさ。五人姉妹の長女で、大家族だから各地に親戚がいる。アンタ達はアタシの、嫁に行った末娘の子ども。普段は行商人の親と生活してるが、今年は腰痛持ちのアタシを手伝いに来たって設定だ」
「設定、細かいな!」
もはやヘンゼルのツッコミは返事代わりになっていた。
「しっかり決めておかないと、魔女狩りの餌食さね。……いいかい、魔女だとばれたらアンタ達も終わりだよ。しっかり肝に銘じておきな!」
「……わかったよ、お婆ちゃん」
ヘンゼルとグレーテルの顔が緊張に強張る。魔女狩りの恐ろしさは子どもでも知っているのだ。
「よろしい。グレーテル、そんなに怯えなくてもよいよ。アンタはいつもの可愛い笑顔でお客さんの相手をするんだよ? ヘンゼルは兄ちゃんなんだから、妹を助けてあげな」
パンプキンは杖を振って、二人の前に地図を召喚する。
「記念すべき最初の街は、グリム伯爵領だよ。美味いワインの名産地で、そこそこ賑わってる」
地図には、七日間の祭りのルートが印されている。小さな村しか知らない二人は、地図を見ただけで胸が騒いだ。
「王都には行かないのか……残念」
「王都なんて物価が高くてかなやしないよ。手堅く確実に儲けるには、地方周りが一番さ。これからグリム領を手始めに、北上コースで行くからね。最後のアンデルセン領は、もう冬並みの寒さなんだ。本場の、良質で安価なワインを買っておいて、ホットワインにして売るんだからね」
「さすが、手堅いねお婆ちゃん!」
細々とした打ち合わせをして、目的地まではあっという間だった。
「さあ、そろそろ到着するから準備をしないとね。トリックオアトリート!」
呪文を唱えながら、自分のかぼちゃ頭を杖で叩く。叩いた瞬間、金と銀の粒子が飛び散った。
パンプキンの顔は、ニコニコ目を細めて笑う老婆へと変化。沢山のお菓子を収納した魔法のかぼちゃは、手押し車に偽装される。どこにでもいそうな恰幅のいいお婆さんにしか見えない。
「わぁ、いかにも美味しいお菓子を作りそうなお婆ちゃん!」
「得意料理はシチューって感じだなぁ。魔女っぽくないや」
「ふん、当たり前さ。人は見た目に騙される生き物だからねぇ。それ相応の外見は大事だよ」
「中身は変わらないな~。なんか安心」
「ほら、次はアンタ達の番さね。トリックオアトリート!」
パンプキンはかぼちゃの葉っぱを取り出すと、ヘンゼルとグレーテルの頭に置いて、呪文を唱える。
ポンッ
かぼちゃの葉っぱは光の粒子を浴びて、それぞれがイメージした仮装に変わる。
ヘンゼルが黒猫、グレーテルが小悪魔だ。
「わあ! 魔女っていうか、狸みた、」
「わーわー! グレーテル、思っても言っちゃダメ!!」
ヘンゼルがグレーテルの口を塞ぐ。賢明な判断である。
「さぁ、ハロウィーンの始まりだよ!!」
────こうして、待望の祭りが始まった。
☆
パンプキンとの旅は、驚くことも楽しいことも、一杯あった。
世間を知らない二人には、全てが勉強である。
そして旅を通して分かったが、パンプキンはがめついだけの魔女ではなかった。
「ヘンゼル、お前は勘定をやりな。算術の基本は教えただろう? ほら、これはお釣り用の小銭だよ」
「パン、お婆ちゃんが人にお金を預けるなんて!?」
「アンタ、人を何だと思ってるんだい? それに、アンタ達はお金を持ち逃げするような子じゃないって分かってるからね」
パンプキンにお金を任せられるくらい信頼されてるんだと、ヘンゼルは嬉しくなったものだ。
また意外なことに、パンプキンは新しい街に着く度、必ず気前よく差し入れをした。
「祭りの巡回、警備、雑用。これは全部地元の人が請け負ってくれてるんだよ? アタシ達みたいな旅の老婆と子どもだけの店がやっていけるのも、みーんな裏方が頑張ってくれてるからさ。
利益ばかりを追っちゃいけないよ。人と人との繋がりを疎かにしちゃ、商売は成り立たないんだ」
そう言って差し入れるかぼちゃのお菓子や暖かい料理は、殊の外喜ばれた。
「毎年、婆ちゃんの差し入れを楽しみにしてるんだよ!」
差し入れた人は皆笑顔で、ヘンゼルやグレーテルも嬉しくなる。だから、毎回の別れは悲しいものになった。
「なんで一つの街に絞って売らないの? お婆ちゃんのお菓子はどこでも売れるよ? 儲けは出るでしょ?」
街を移る度にグレーテルは問いかける。パンプキンは、悲しそうに笑った。
「一所に留まってるとね、正体がバレるリスクが高くなるのさ。……親しかった人に追われるのも、巻き込んでしまうのも、辛いんだよ」
苦い思いに、悲しい経験。パンプキンから垣間見えるのは、楽しいことばかりではない。
旅は、いい人ばかりでは無かった。グレーテルが人攫いに連れ去られそうになったこともある。
「うちの子になにするんだい!!」
その時は、パンプキン特製の爆発かぼちゃで撃退したが、目立ってしまったため、早々に去らなければ行けなくなった……。
「ごめんなさい……」と泣くグレーテルを、パンプキンが慰める。
「……イソップ領はね、隣国との国境にあるから、情勢が荒れてると影響が出てしまうんだよ。オトギ国は平和だけど、周辺諸国の中には戦争をしている所もある。
アンタ達の村もそうさ。国境にあるせいでピリピリしてる。それに、辺境なのに物資不足で物価が王都並みに高いんだよ。人は、余裕がないと心まで貧しくなってしまう……」
……飢饉でもないのに、二人が捨てられた理由の一端がわかった気がした。
ヘンゼルとグレーテルが落ち込んでいると、パンプキンはルートを変更して寄り道をしてくれた。
「辛気臭いのは嫌いだよ!! ほら、アンタ達下を見てみな……火山の噴火口さね」
「「うわぁ~!!」」
普通なら決して見ることの出来ない光景。燃えたぎるマグマの眩しいこと。圧倒的な大自然に、二人は気圧された。
「ここからでも熱いだろ? この火山の側は、年中暑いのさ。来年は、この火山の麓の街に商売に行こうかね。暗黒の森には、魔女御用達の洞窟──天然氷室があるんだよ!そこで冷たいアイスクリームを沢山作って、売ったら大儲けだと思わないかい?」
「お婆ちゃんは商魂たくましいな!」
「アイスクリームか……食べてみたいなぁ」
ヘンゼルとグレーテルは、色んな風景を、出会った人を、パンプキンの言葉を全部心に刻みつける。七日間なんて、あっという間に過ぎ去っていく。
──────終わりの時が、刻一刻と近づいて来ていた。
☆
七日ぶりに、かぼちゃの家に帰って来た。
ヘンゼルとグレーテルからしても、“帰って来た”と普通に思える。優しいオレンジ色の内装が懐かしい。もしかしたら、生家よりも馴染んでいるかもしれない。
帰ってすぐ、二人は疲労からリビングで眠ってしまう。
「今日はよく休みな……」
パンプキンは二人を寝台に運んでやる。ヘンゼルとグレーテルのあどけない寝顔を見てから、パンプキンは用意を始めた。
祭りの準備期間中、主に作業場になったダイニングテーブル。
現在そこには、所狭しとご馳走が並んでいる。野菜たっぷりのマッシュポテトにきのこサラダ、メインは鶏の丸焼き。シナモンの香りのクッキーに、ドライフルーツたっぷりのパン。
グリム領で買った葡萄のジュースや、ハーブティーまで用意してあった。
ヘンゼルにとって重要な事に、そのどれにも、かぼちゃは入っていない。
「二人とも、よく働いてくれたからね。腕によりをかけて作ったよ。期間は過ぎたけど、ハロウィーンパーティーさ!! さ、たんと召し上がれ」
「やったー! ご馳走だぁ!」
「美味いよぅ……。うぅ、かぼちゃじゃない料理なんて、何時ぶりだろう」
ヘンゼルは涙を流しながら料理をかきこんだ。パンプキンは、かぼちゃ菓子以外の料理の腕もすこぶる良かった。
「ははは。パンを食べる時は気をつけな? 小さい、良いものが入ってるからね!」
ハロウィーン伝統の占い料理だ。入ってる物にそれぞれ意味があり、それによって運勢を占う。
ヘンゼルにはコインが、グレーテルには指輪が当たって、二人は大喜びだ。
「そろそろデザートだよ。熱々アップルパイ、アイスクリーム添えさ」
お腹いっぱいになる頃、パンプキンが追加で持ってきたデザートは香ばしい良い香りがした。
「これがアイスクリーム……。アップルパイが熱くて、アイスクリームが冷たくて、すっごく美味しい!!」
「アイスクリーム、かぼちゃだ。でも、美味しい! 林檎の酸味と合うね」
パンプキンは二人の食べっぷりを微笑ましく見守る。といっても、顔は相変わらずのかぼちゃで表情は見えないが。料理を食べ終わった二人は、幸せそうに笑い合っている。
直後、パンプキンに現実を突きつけられるとも知らず……。
片付けの終わったテーブルに、大きい皮袋と小さな皮袋が置かれる。
「パンプキン、これは?」
「これはね、アンタ達への報酬さね」
ヘンゼルは目を丸くした。助けてもらった対価の労働ではなかったのかと、顔に書いてある。
「アンタ達は、対価以上の働きをしてくれたよ。これは、心ばかりの礼だ。大きな皮袋の方には、オトギ国の平均労働報酬から算出した二人分の給料が入ってる。アンタ達が稼いだ真っ当な金───これだけあれば、家に帰れるよ」
寝耳に水の出来事だった。村に……家に帰れる?
二人を捨てた両親の所に戻るなんて、考えてもみなかったのだ。
「……パンプキンも、わたし達がいらなくなった? だから捨てるの?」
グレーテルから笑顔が消え、涙が目尻にたまる。
「グレーテル、泣かないでおくれ……。アンタ達のことは、大好きだよ。ヘンゼルのツッコミもグレーテルの天然も、見ていてとても楽しかったさ。でもね、アンタ達はまだ幼い。二人には選べる道が沢山あるんだよ?」
パンプキンは、人さし指を立てて説明する。
「アタシが提示出来るのは、まず家に帰るという選択肢。これが、案外難しい。一度捨てることを覚えた人間はね、繰り返すのさ。もう二人が捨てられないためにはどうしたらよいか、アタシなりに考えた。最初は、金貨や宝石を持たせようかとも思った……でもね、そんな入手先も分からない怪しい大金なんて、トラブルの元さ。
宝を取り上げられて、また捨てられたら意味がない。いや、もっと悪い事になるかも」
言葉にしないが、最悪殺される危険もある。過ぎた大金は身を滅ぼしかねないから。
「だから、アタシはアンタ達そのものに価値を持たせようと思った。ヘンゼルは元々賢かったから、商売のコツや、算術も文字の読み書きもすっかり身についたろ。グレーテルは畑や家事、薬草なんかの知識。それに、沢山の料理や菓子のレシピもね。……ぶっちゃけ、アンタ達に利用価値があるなら、強突く張りな継母は捨てないと踏んだんだよ。
しっかり者で、今度の旅で経験を積んだアンタ達なら、飼い殺しにはならないだろうし、成人してしまえば家を出る事も出来るからね」
パンプキンは小さい皮袋を取り上げる。
「こっちは、アタシが品種改良したかぼちゃの種だ。魔法の力はないが、暗黒の森の土で育てれば、どんな干ばつや冷害にも負けないかぼちゃが育つ。実も、長期保存が効く優れものだよ。この種さえあれば、少なくとも食いっぱぐれる事はない」
ヘンゼルとグレーテルは、言葉を詰まらせた。
ただ手放すのではなく、パンプキンが二人のことを案じていると察したから。両親とは、違って。
「で、この手紙。祭りの時、コネを作っておいた行商人と取引して書かせたものさ。ここは暗黒の森で採れる薬草を卸してる、数少ない卸売業者でね。二人は薬草採りに来た一行に拾われ、旅をしていたことになってる。
確かな身元の人物だから、身についた技能もこのお金も不審がられる事はないさ」
「……アフターケアまで完璧か」
「パンプキンは、どうしてわたし達のためにここまでしてくれるの?」
当然の疑問だった。
「これは言うまいか迷ったんだけどね……魔女はね、仲間思いなんだよ。ヘンゼルとグレーテル、アンタ達にはね、魔力がある。魔女の血筋なのさ」
「嘘……」
ヘンゼルのツッコミに切れはなく、グレーテルは言葉を失った。
「おそらくだが、アンタ達の実母が魔女だったのさ。正体を隠して人間に嫁ぐ者は、少なからずいるんだよ。
グレーテル、アンタは迷わずこの家を見つけたが、ここはアタシの魔法で閉ざされた空間。ここに入れるのは、魔女だけだ。兄を死なせまいと必死だったんだろう、その身に流れる魔女の血が、ここに導いたのさ。
そして、ヘンゼル。アンタは一目でアタシをかぼちゃ頭だと見抜いたね。クレア婆さんの変装ほど力を入れてないが、アタシは老婆に見える魔法を常にかけている。普通なら、見破れやしないよ」
ヘンゼルとグレーテルは、顔を見合わせた。お互い、思い当たる節があったのだろう。
「アタシの示す二つ目の選択肢は、ここにとどまり魔女、魔法使いになるというものだ。アンタ達は、今は親に対して思うところあると思う。でもね、実の母は魔力という加護を与えてくれてた。読み書きも、基礎が出来てたのは父親が教えてくれていたんだろ? 両方の親がいてこそ、アンタ達があるんだ。
…………二人が来てから、魔法の事も人の世の事も、平等に見せたつもりだ。どちらの世界にも、楽しいことばかりじゃない。また、家族に捨てられるかもしれない。魔女狩りは、恐ろしいもんさ。それでも聞くよ。人の世界と魔法の世界───どちらの世界で生きて行くかい?」
ヘンゼルとグレーテル、二人の頭の中で、思い出が駆け巡る。
優しかった実母の顔。穏やかな父との生活。継母が来てからの、辛い出来事。……パンプキンと過ごした日々。
そして二人は、決断する。
「………………わたし、パンプキンみたいな魔女になりたい」
「ぼく達は、魔法を選ぶよ。いっぱいツッコんで来たけど、ぼくはパンプキンを尊敬してる。パンプキン、ううん、師匠! もっと働くから、ぼく達を弟子入りさせて下さい」
「「お願いします!!」」
立ち上がって深々と頭を下げる二人に、パンプキンはため息を吐く。
「もう、家族の元には帰れないよ?」
「そんなの、捨てられた時から覚悟してた」
「それに優柔不断な父さんと、シビアなくらい決断力のある義母さんはお似合いだと思う。わたし達が居ない方が、あの人たちは幸せなんだ」
ヘンゼルとグレーテルの迷いのない瞳。二人の意志を覆すのは、例え魔法でも難しいだろう。
「修行は厳しいよ。覚悟しな」
弟子入りを認める言葉に、ヘンゼルとグレーテルは手を取り合って喜んだ。パンプキンの話しは続く。
「二人を同胞と認めたからには、アタシも本当の姿を見せよう」
パンプキンは、食事の時でさえ脱がなかったかぼちゃ頭に手をかけ、引き抜いた!!
すぽんっ
引き抜くと同時に、野暮ったいローブがかぼちゃの中に収納される。現れたのは、年の頃は十代後半、愛らしい顔立ちの少女だった。
白髪とは光沢からして違うパールホワイトのお下げ髪に、皺どころかシミ一つない陶器のような肌。妙にきらきらしい衣装を纏っている。
「……お婆ちゃんじゃないじゃん!!」
ヘンゼルがすかさずツッコミを入れた。
「何言ってるんだい。見た目で判断すると、痛い目を見るよ? 魔女・魔法使いは寿命が長いからねぇ、老化が遅いのさ。アタシも見たままの年齢じゃないんだよ」
口調はそのままなのに、声まで変わっている。鈴を転がすような、澄んだ響き。
「じゃあパンプキンて本当は何歳なの?」
「……ヘンゼル、レディに年齢を聞くもんじゃないよ?」
美しいラズベリーレッドの瞳が細められる。どうも微妙な年頃のようだ。年齢の話題は、強制終了された。
「でも、パンプキン綺麗……。魔女ってもっと地味な格好しかしないと思ってた」
グレーテルの素直な称賛にパンプキンの機嫌が良くなる。
「ふふ、ありがとう。普段着は黒ローブと決まってるけど、例外もあるのさ。服装の規定なんかもおいおい教えてあげるよ!」
二人は、初めてパンプキンの心からの笑顔を見た。本当の姿を知り、絆が強くなった気がする。
「魔法の世界も人間の世界も根本は一緒。どこにでも柵はあるし、魔法って自由なようで制約も多い。アンタ達は嫌になることもあるだろう。選択を、後悔する時が来るかもしれない。
……アンタ達を拾って、この道に導いた者として、アタシは誓うよ。この先何があっても、ヘンゼルとグレーテルを放り出したりしないと」
パンプキンはいつだって二人に向き合ってくれた。誠実な人柄に偽りがないのは、一緒に暮らしていたらわかる。
ヘンゼルもグレーテルも、パンプキンが大好きなのだ。 それは、パンプキンの見た目が変わっても、変わらない。
「長い付き合いになるね。二人とも、これからよろしく頼むよ」
返事代わりに、二人はパンプキンに抱きついた。パンプキンも、それに答えてくれた。
────暗黒の森には魔女が住んでいる。
かぼちゃの家からは、いつも明るい笑い声と鋭いツッコミが絶える事がなかったという。
かぼちゃ頭の魔女と、弟子達はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。