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千剣の魔術師と呼ばれた剣士 作者:高光晶

第八章 レイティンの商人たち

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第83話

 ジンバリル商会の敷地内。
 商会の丁稚も使用人も滅多に近づかない倉庫の一室。
 会長であるジュリス・ジンバリルの姿がそこにあった。

 ジュリスの前にあるのは、大きさが人の頭ほどある金属でできたツボだ。
 ツボの口に合わせた大きさのフタが、半開きの状態で乗っている。

 その中身はプルプルと震える半透明の赤い物体。
 これが魔惹香(まじゃくこう)の正体だった。

 本当に効果があるシロモノなのかどうか、最初はジュリスも半信半疑だった。
 今となってはその効き目を疑う気持ちなど、みじんも持っていない。

「まさかあんな化け物を呼び寄せるとは……。おい、すぐにフタを閉めろ」

 忌々(いまいま)しそうにツボを見ながら、ジュリスは使用人服を着た初老の男へ命じる。
 命令に従った使用人がツボへ近づき、そそくさとツボにフタをかぶせる。
 それで用事は終わり。そのはずだった。

 だがフタの閉まったツボから視線を外し、ジュリスたち三人が倉庫を立ち去ろうときびすを返したその時だ。
 カタリと背後から音が聞こえた。

「なんだ?」

 何気なく振り返ったジュリスの目に、魔惹香のツボが映った。
 使用人がしっかりと閉めたはずのフタ。そのフタがずれてツボの口が半開きとなっている。

「変ですね? ちゃんと閉めたはずなのですが……」

 首をひねりながら使用人がツボへ近づこうとする。
 だが、それを待たずして再びカタリとフタが音を立てた。

「え?」

 困惑する使用人の男を前に、フタがボトリと床に落ちる。
 その不自然な事象にジュリスは全身が粟立つのを感じた。

 不吉な予感がする。
 本能がすぐに逃げ出せとわめく。
 それなのに足は動かず、視線をそらすこともできない。

 ジュリスたち三人の目を釘付けにしながら、魔惹香が再び変化を見せる。
 ツボの中に満たされていた半透明の物体。ツボが傾いているわけでもないのに、それが口からこぼれ出してきたのだ。

 明らかに重力を無視したその事象。異常な光景が目の前で起こりつつあった。

「な、なんだ……!?」

 うろたえるジュリスたちの前でツボから()いずり出たゲル状の物体は、床の一部に堆積(たいせき)して赤い半透明の塊を形成していく。
 三人が(こわ)ばった表情で見守る中、それは次第にうずたかく重なり合い、やがて人の形らしきものを成していった。

 赤い半透明のそれは、髪の長い全裸の女という姿を(かたど)りはじめる。

「まさか……、魔物……?」

 傭兵の口から恐れを含んだ言葉がもれた。

「魔物だと? ……冗談じゃない! 商会の倉庫から魔物が出たなどと知れたら……!」

 ジュリス自身も気味の悪い存在を前にして、少なからぬ恐怖を感じていた。
 しかし、それが商会におよぼす影響を瞬時にして理解すると、別の意味で焦りはじめる。

「さっさと退治するんだ!」

 傭兵に排除を命じたのもジュリスにしてみれば当然の処置だったのだろう。
 雇われの身である傭兵は正体不明の相手に迷いを見せたものの、雇い主の意向とあっては無視することもできない。
 相手が静かに(たたず)んでいるだけの無害な存在に見えたのも、彼の背中を押したに違いなかった。

「旦那、危ねえから部屋の隅に寄っといてくだせえ」

 ジュリスへそう告げると、剣を鞘から抜き放って魔物の前に立つ。

「こうもドロドロじゃあ、剣よりも魔法の方が良いんだろうけどよ」

 あいにく傭兵の男は魔法を使う才に恵まれなかったため、力のよりどころとするのは一本の剣のみである。
 男が剣を構えても動く気配すら見せない魔物へ、傭兵は渾身の力を込めて剣を打ち下ろした。

 刃が魔物の脳天に突き刺さるかと思われたその瞬間、ガキンと予想外の音を立てて傭兵の剣が弾き飛ばされる。

「なんだこの硬さ!?」

 驚きに目を丸くする傭兵。
 その瞳に映った赤い人型が突然動きはじめた。

「う、うわあああ!」

 突如体当たりをしてきた魔物は、金属の剣を弾いたとは思えないほどの柔軟性を見せ、傭兵の体にまとわりつく。

「ひいいい! 熱い! 熱いいいいいい!」

 次第に傭兵の全身を包み込んでいく魔物。
 悲鳴をあげる傭兵の声だけが、倉庫の中に響きわたった。

 やがて顔が赤いゲル状のそれで包まれると、その悲鳴すら静寂の中に沈み込んでしまう。

「な……、なんだあれは!?」

 声を震わせて叫ぶジュリスに、魔物が反応した。

「く、来るなあ!」

 今度は部屋の隅で震えるジュリスと使用人に狙いを定めたのか、赤い女の人型がピチャリピチャリと音を立てながら歩いてくる。

 ジュリスは恐怖に包まれながらも、必死でこの状況から脱出する道を探る。
 出口となる扉までは五メートルほど。全力で走ればほんの数秒だ。

 だがあの化け物がそれを大人しく見逃してくれるだろうか。場合によっては使用人の男を囮にして――。
 そんな考えがジュリスの頭をよぎる。

 目標となる扉の位置を確認していたジュリスの目に、またも信じられないようなものが飛び込んでくる。
 締め切っていた扉を叩き割って、赤い剣を手にした女が倉庫の中へ入ってきたのだ。

「こ、今度はなんだ!?」

 持ち主へ断りもなく倉庫に入り込んできたのは、黒い長衣に身を包んだ妙齢(みょうれい)の女性。
 赤茶けた長髪を背に流す、見ほれるような美女だった。
 赤い剣を手に持ち、同じ色の瞳でジュリスたちを一瞥した後、人型をした魔物に哀れむような視線を向ける。

 黒衣の女は一言も発することなく、重さを感じさせない動きでふわりと魔物へ近づく。
 『走る』でもなく、『飛びかかる』でもなく、あまりに静かな身のこなしは、まるで氷の上を滑っているかのような錯覚すら起こさせる。

 瞬く間に距離を詰めた黒衣の女は赤い剣を両手に持つと、魔物の首めがけて真横に振り抜く。

「な、なにが……?」

 一連の出来事に思考が追いつかず、ジュリスは答える者もいない問いかけを口にするのが精一杯だ。
 剣を振り抜いた女はそのままの体勢で動かない。
 一方の魔物も、金縛りにあったかのような様子でピクリともしなかった。

 倉庫の中に沈黙が訪れたのはほんの刹那。
 張りつめたな時間を再び動かしはじめたのは魔物であった。

 だがそれは魔物の意思によるものではない――魔物に自我があるのならば、だが。
 その首に一筋のズレが生じると、やがてその線にそって頭部が首から横滑りをはじめた。

 傭兵の男では傷ひとつ与えられなかった魔物の首が、ゴトリという音を立てて床へ落ちる。
 まるで熟れた果実を木から振り落とすかのように、あっけない光景。

 一瞬の遅れを経て、魔物の体が床に崩れ落ちる。
 バケツの水をぶちまけた時と同じ音が倉庫に響いた。

 それを見届けると、黒衣の女はジュリスたちの方を振り向きもせず、きびすを返して倉庫から立ち去っていった。

 誰何(すいか)をする間もなく、真意を問いただす余裕もなく、ジュリスは悪い夢でも見ているような気分で立ち尽くす。
 呆然とするジュリスたちがようやく我に返ったのは、時計の秒針が二回ほど周回してからのことだ。

「た……、助かったのか……?」

「そ、のようです……」

 静寂に包まれていた倉庫にようやく音が戻ってくる。
 ジュリスは先ほど目の前で繰り広げられた一幕を思い出す。

「白昼夢、というわけではないな……」

 魔物が無言なら、それを倒した黒衣の女も無言。
 妙に現実離れした一連の出来事にジュリスは自分の目を疑ったが、倉庫の床に残されたものを見て(まぎ)れもない現実であることを実感する。

 皮膚が焼けただれて息を引き取った傭兵の体。
 赤い液体をぶちまけたかのように濡れた床。
 そして紅水晶を削って作ったと勘違いしそうな、魔物の首。

「どうしたものでしょうか……?」

 初老の使用人がジュリスに判断を請う。
 その声にジュリスは思考を切り替えて、自分がどうすべきか必死に頭を働かせた。

「まずい……」

 傭兵の死はどうとでもごまかせる。
 だが、魔惹香の存在を知られてしまったのが痛かった。

 もちろん魔惹香が今回起こっている魔物襲撃の原因であると知られたわけではない。
 だが少なくとも、ジンバリル商会の倉庫に正体不明の魔物が存在した事実を黒衣の女には知られてしまっている。
 黒衣の女はジュリスを救ってくれた恩人であると同時に、ジュリスを破滅に追い込む糾弾者(きゅうだんしゃ)ともなり得るのだ。

「まずい。まずいぞ」

 今回ジュリスが行ったことは明らかな重犯罪である。
 いくら撃退することを前提とした予定調和の計画だとしても、魔物や獣を誘引(ゆういん)してレイティンを陥落の危機に(おとしい)れたことに代わりはない。
 獣の討伐や城壁防衛のため戦った兵士や民兵たちの中には、大勢の犠牲者や怪我人が出ているはずだ。

 加えて経済的な損失も莫大になる。
 討伐軍編成のために使われた大量の物資や、傭兵への報酬でも多額の出費は避けられない。
 なにより、一時的とはいえ門を閉じて外部との流通を完全に断った影響は大きいはずだ。
 経済を知らぬ素人はたかが二日程度と軽く見るかも知れないが、その二日でどれだけの損害が出るか聞けばきっと顔を青くするだろう。

 さらには都市国家レイティンに対する風評という面も問題だった。
 例え撃退に成功しても、魔物と獣の集団に襲われた都市国家という風聞(ふうぶん)はしばらくついて回る。
 獣に追い詰められて籠城せざるを得なかったなどと、悪意のある噂を流されれば軍の面目は丸つぶれだし、危険な都市として商人や旅人の足が遠ざかれば街は活気を失う。
 そういったデメリットを織り込んだ上で、ジュリスはジンバリル商会が利益を得られるよう計画を立て、事態を操ってきたのだ。

 しかしその計画が外部に漏れてしまったらどうなるか?

 これだけの損害を国に与えたのだ。
 まして一歩間違えば都市を魔物に蹂躙(じゅうりん)されていただろう。となれば国家転覆罪が適用されてもおかしくはない。
 レイティンの法に照らせば、縛り首は(まぬが)れないはずだった。

「安全なところへ……」

 側で不安そうな顔を向けてくる使用人の横を素通りし、ジュリスは慌てて倉庫を後にした。
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