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千剣の魔術師と呼ばれた剣士 作者:高光晶

第八章 レイティンの商人たち

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第66話

 ネーレの朝は早い。
 まだ朝日が昇る前、空が(しら)みはじめたころにベッドから抜け出て着替えはじめる。

 ベッドの中では、まだ夢の国から帰ってこない小さな双子が幸せそうに眠っていた。
 双子を起こすにはまだ早い時間だ。

 音を立てないよう、ネーレはアルディスが買って来たシンプルな装飾の服へと着替える。
 傭兵のまねごとをしていた時の服装は、家事をするのに向いていないだろう。
 着替え終えると、ネーレは双子達を起こさないようそっと部屋を出てキッチンへと向かった。

 この家にいるのはネーレと幼い双子の少女のみ。
 例えネーレが寝坊しても、日が昇るまで眠りを楽しんだとしても、それを(とが)める者など誰ひとりいない。

 だが、だからといって惰眠(だみん)をむさぼるようなマネをするわけにはいかないのだ。
 主がいないからこそ、その不在時に家を守るのは従者の勤めである。
 ならば全身全霊をもって事に当たらねばならない。

 まずはいまだ眠りから覚めぬ双子を守るため、家の周囲に結界を巡らせる。
 長時間の維持は難しいが、周辺を見回る間くらいは安全が確保できるだろう。

 ネーレは懐に隠し持ったダガーの感触を確認すると、まるで朝の散歩でもするかのように軽い足取りで森の中へと進んだ。
 そのまま軽く走りつつ、双子に害を及ぼしそうな獣たちを片っ端から追い払っていく。

 肉食の獣を見つけるたびに威力を抑えた攻撃魔法で威嚇をして、家と反対の方向へ逃げるよう仕向けた。
 中にはネーレの力量を計ることが出来ず、無謀にも立ち向かってくる獣がいたが、それらに対しては容赦しない。
 雑草でも抜き取るかのように躊躇(ちゅうちょ)なく息の根を止め、血の匂いで他の肉食獣を呼び寄せぬよう炎で焼き尽くす。

 アリスブルーの髪をなびかせて駆け抜ける姿はさわやかな朝の風を思わせる。
 だが森に住む獣たちからしてみれば、それは死をもたらす風であった。
 死神の振るう鎌と言い換えることができるかもしれない。

「ふむ……。ずいぶん減ってきたな」

 いくら知性のない獣といえど、何度も繰り返したことで本能的にここが危険な場所だと認識しはじめたらしい。
 森に住みはじめた頃と比べ、家の近くに寄ってくる肉食獣の数は明らかに減っていた。

 一方で、肉食獣に捕食される危険が少なくなったため、大人しい草食獣はその数を増やしている。
 危険な森の中に突如現れた安全地帯。草食獣たちにとっては砂漠のオアシス的スポットなのだろう。

 ネーレが肉食獣を排除しているエリアは、森から見ればほんの一部である。
 彼女が本気になれば森全体を草食獣の楽園に変えることも可能だが、ネーレにとって必要なのは双子の安全を確保することであり、森の生態系を変えることではない。
 そのため、セーフティスポットの恩恵を享受できるのは、ごく一部の草食獣たちに限られていた。

 もちろん他のエリアに比べて安全とはいえ、彼らが必ずしも天寿を全うできるとは限らない。
 例え肉食獣の牙から逃れることが出来ても、草食獣同士、エサ場の縄張り争いはあるのだ。

 加えて、ネーレというこの安全地帯で唯一の捕食者に狩られる可能性が残っていた。
 その日の犠牲者は茶色の毛を全身にまとった小型のうさぎが二羽。
 ネーレたちの(かて)として選ばれてしまった不運な者たちである。

 三十分ほどかけて周辺の巡回を終えたネーレは、食事用にと狩った獲物を手にして家へ戻る。
 服にまとわりついた砂埃(すなぼこり)を魔法の風で払い落とすと、そのまま炊事場へ向かう。

 狩ってきた獲物をさばくと、手や道具についた血を水魔法で洗い流し、肉は腐敗が進まないよう魔法で冷やしておく。
 同時に血の匂いが家に充満しないよう、風をおこして空気の流れを制御し、換気することも怠らない。
 続いて朝食の準備に取りかかったところで、トコトコと軽い足音を立てながら近づく気配にネーレは気づく。

「ネーレ、おふぁよー」

 寝ぼけまなこをこすりながら、双子がキッチンにやって来た。

「アルディス帰ってきたー?」

 朝の挨拶に続いて、アルディスの帰還を確認する双子。それが毎朝の恒例となっていた。

「まだ(あるじ)は戻っておらぬよ」

「アルディスいつ帰ってくるのー?」

「どうかな。いつ戻るのかは主次第であろうよ。さ、朝食の準備はすぐに終わるから、早く顔を洗ってくるがよい」

 ネーレの答えを聞いて、双子が悲しそうな表情を浮かべる。
 しかし、アルディスがいないことを嘆いても仕方がないと分かっているのだろう。
 言いつけに従い、水のくみ置き場へ移動して顔を洗いはじめた。

 その間、ネーレは手早く朝食の準備を進める。
 作り置きのスープを温め直し、昨日焼いておいたパンを軽く火の魔法であぶると、先ほど庭園から収穫した葉野菜を水魔法で洗い、適当に手でちぎって塩を一振りする。
 決して豪勢な食事ではないが、午前中の活力を得るには十分な量だった。

 ネーレがその気になれば、貴族の食卓もかくやという料理を並べることは出来る。
 だがこの家の主は過度に(ぜい)をこらした食事など望まないため、必然的に質素なメニューですませるのが習慣となっている。

「パンほくほくー」

「おいしいねー」

 前日とほぼ変わりのない食事にも文句ひとつ言わず、双子たちは笑顔でパンを頬張る
 幸い双子は好き嫌いもなく、出されたものは残さず平らげていた。

 ワガママらしいワガママも口にしない素直さは、これまでにその身へ染みこんだ辛い過去があればこそだろう。
 ネーレはアルディスから聞いた話を知るのみで、実際に双子がどのような状況だったのか知らない。
 だが、双子を忌諱(きい)する慣習は当然知っているし、それが馬鹿げた習わしであることも分かっている。

「どれだけ時が流れても、人の愚かさは少しも変わらぬか……」

 声に出すか出さぬかというほど小さなつぶやきを吐き、ネーレは頭を振る。

 人の愚かさを嘆くのも、ましてや導くのもネーレの役目ではない。
 彼女は彼女の使命を粛々(しゅくしゅく)と果たすだけである。

「ごちそーさま!」

「ごちそーさま!」

 朝食をすべて食べきった双子へ、ネーレがいつものように声をかける。

「食器を洗い場に持っていったら、お昼までは好きにするが良い。だが勝手に庭から出て森へ行ってはいかぬぞ」

「はーい!」

「わかった!」

 元気いっぱいに返事をした双子は食器を洗い場へ持っていくと、ふたりで顔を寄せ合って何をして遊ぶか相談しはじめた。

「今日は何する?」

「リアナたちはブランコこぎたいなー」

「うん。じゃあフィリアたちもブランコするー」

「最初はどっちが乗る?」

「一緒に乗る?」

「一緒にこげるかな?」

「面白そう!」

「行こう行こう!」

 ふたりは手をつなぎ、キャッキャと騒ぎながら庭へと出て行った。

 目指すのは五日前にネーレが庭へ作った小さなブランコだろう。
 庭から外へ出られない双子たちのために、ネーレは空いたスペースへ子供の遊び道具をいくつか作っていた。
 この十日間だけでも、ブランコに滑り台、シーソー、跳び箱が庭へ新たに追加されている。
 家を作った当初はかなり広々としていた庭も今では遊具に占拠され、手狭な感じすらしていた。

「さて、さっさと終わらせてしまうか」

 ネーレは朝食に使った食器類をテーブルの上から片付けると、手早く洗い物を終え、室内の掃除にかかる。

 掃除とは言ってもホウキで掃いたり、雑巾で拭いたりするわけではない。風と水の魔法を応用して、手も触れる事無く(ほこり)をかき集め、汚れを洗い流すのだ。
 手を使って掃除すれば半日以上はかかるほどの広さを、ものの三十分で掃除し終わると、今度は服の洗濯に着手した。

 まずは大きめで底の深い桶に水を満たし、アルディスが王都から買ってきた汚れ落としを加える。
 そして汚れた服を桶の中に放り込み、水を魔力で動かしはじめた。
 桶の中で渦を巻くように水流が発生し、その流れへ乗るように服が水の中で踊りだす。

「ふむ。こんなものか」

 さほど時間をかけずに洗濯をすませたネーレは、日当たりの良い場所へロープを張り、服を手早く干していく。
 そしてブランコで元気に遊ぶ双子を確認した後、昼食の下ごしらえをするために家の中へと入っていった。

 ネーレと双子の一日はこうして過ぎていく。

 危険な獣が巣くう森の中とは思えないほど緩やかで穏やかな時間が流れる中、ひと通り家事を終えたネーレは庭に作ったベンチへ腰掛けて双子がはしゃいでいるのを見守っていた。

「たまにはこういうのんびりした時間も悪くはあるまい」

 出来る事ならば主に付き従って行きたいとは思う。
 だが主は若く、まだまだ先は長いのだ。二、三年のんびりと過ごしたところで問題はないだろう。

「ふっ。他の者たちに聞かれたら何と言われることか……」

 珍しく苦笑めいた表情でネーレがつぶやいた。

「ネーレ! ネーレ!」

「見て見てー!」

 元気よく呼ぶ声に視線を向けると、双子が長く伸びたプラチナブロンドを揺らしながらブランコをこいでいた。
 風圧でくしゃくしゃになった髪が顔にまとわりついている。
 ちょっと(わずら)わしそうな表情をする双子を見て、ネーレはあることに思い至った。

「そういえば、一度も髪を切ったことがないな……」

 ネーレは家の中からイスとハサミを持ち出すと、庭の真ん中に移動して双子を呼び寄せる。

「呼んだー?」

「ネーレも遊ぶの?」

 息を切らせてやって来た双子の髪は、汗で首筋や頬に貼りついていた。

「お主らの髪もずいぶんと伸びたであろう。そろそろ切った方が良いと思うが……、お主らは長い髪のままが良いか?」

「んー? 髪の毛?」

「えーとね、リアナたちは短い方が良い」

「じゃあフィリアたちも短くするー!」

 ふたりとも髪の長さにはこだわりがない様子で、動き回る際、邪魔にならないショートカットを選ぶ。

 決めたからにはさっさと切ってしまおうということで、ネーレがハサミを握って双子の髪をカットすることにした。
 風魔法を使えばハサミなど持つ必要は無いのだが、ネーレにとってこれはある意味気晴らしのようなものである。
 双子と会話をしながら、それ自体を楽しむかのようにゆっくりと双子の髪へハサミを入れていく。

 チョキチョキと髪を切る小さな音と、双子の話し声、そして風に揺れる木々のざわめき。時折そこへ割り込むように聞こえてくる小鳥のさえずりが、まるでここだけ時間の流れから隔絶したかのような錯覚を起こさせる。

「終わったぞ。では交代だ」

「何かチクチクするー」

 フィリアの髪を切り終え、今度はイスにリアナを座らせる。

「リアナもフィリアと同じ長さで良いのか?」

「うん! リアナたちもフィリアと同じくらいが良い!」

 結局リアナもフィリアと同じ長さを選んだ。
 ゆっくりと時間をかけてリアナの髪をカットし終えたのは、日がすっかり昇りきった時間帯だった。

「これで良かろう。さて、そろそろ昼食にしようか」

「ネーレは良いの?」

「ネーレも髪切る?」

 イスを手にして家へ戻ろうとしたネーレへ、双子が問いかける。

「我か? 我は別に――」

「じゃあネーレはフィリアたちが切ってあげる!」

「リアナもネーレの髪切るね!」

 お返しとばかりに双子が声をあげる。

「ム……。お主らが、我の髪を……切るというのか?」

 すっかりその気となった双子を前にして、ネーレはしばし考え込む。

「ハサミ自体は普段から使っておるし……。何事も経験、か……」

 ふたりとも刃物の危険性は十分承知しているはずだ。
 遊び半分で首にハサミを突き立てたりすることはないだろう。念のため肌にそって物理障壁を薄く展開しておけば危険はない。
 ネーレはそう判断し、フィリアへハサミを手渡すとヒザをたたんで地面へと腰を下ろす。

「さあ、準備は良いぞ。先端の方を少し切るだけで良いからな。怪我をせぬように気をつけるのだぞ」

 ネーレの合図でフィリアがハサミを髪の毛にあてる。
 すぐにチョキチョキチョキ、と小さな音がネーレの耳に入ってきた。
 フィリアが恐る恐るアリスブルーの髪を切っているようだ。

 自然界には存在しない異音と森にあふれる自然の音。人間の手を介さなければ出会わないであろう音の調和が、不思議と心を落ち着かせるのはなぜだろうか。
 たわいもない事を考えながら、ネーレは微笑ましい気持ちで目を閉じる。

 そんな時、ネーレは森の中をまっすぐに進む人間の気配を察知した。何者かがこの家に向かって近づいてきているのだ。
 だがネーレは動かない
 その気配は彼女がよく知る者であり、自分たちに害を及ぼすことのない相手だと分かっているからだった。

 やがて木々の間から姿を現したのは、(ふじ)色のローブに身を包み、腰に三本の剣を下げた黒髪の少年。額に巻いているのはスミレ色の布。後頭部の結び目から垂れ下がって余った布が風に吹かれて揺れていた。

「なんか、また物が増えてないか?」

「無事の帰還。何よりだ、我が主よ」

 庭の遊具を見て苦笑する(あるじ)に向け、庭に座ったままの従者がたおやかに笑みを浮かべる。

「あ! アルディスだ!」

「お帰り! アルディス!」

 家主の帰宅に気付いた双子が、嬉しそうに声をあげる。

 それが災いし、それまで慎重にハサミを動かしていたフィリアの手元が狂った。
 ジョキリ、と大きな音を立ててハサミの刃が閉じられる。
 続いてポトリと、まとまった何かが地面に落ちて音を立てた。

「あ……」

「あ……」

「あ……」

 ネーレ以外の三人が同時に口を開き、何とも言えない声を発する。

 六つの瞳が一点に注がれる。
 肩を過ぎてまっすぐに背中へ伸びていた長髪の一部がバッサリと途中から消え去り、代わりにアリスブルーの物体がひとかたまり、無情にもその姿を地面の上へさらしていた。
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