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千剣の魔術師と呼ばれた剣士 作者:高光晶

第十章 学園の異端児

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第104話

 マリウレス学園の敷地内には、何も建物の立っていない演習場がある。

 その広さは端から端まで歩いて三十分もかかろうかという結構なものだ。
 武術の稽古だけではなく、魔法を使った演習も行われることを考えれば、当然これくらいは必要となる。
 生徒の放つ制御の甘い攻撃魔法が周囲に被害をもたらすことは、学園としても防止したいところであろう。

 もちろんそれは学園側の事情であって、生徒側――特に新入生にはまた別のとらえ方があった。
 演習時に周囲への影響を気にすることなく動けるのは良いが、新入生にとってこの広さは呪わしいことこの上ない。

「おらあ! ペース落ちてるぞ! しゃきっと走らんかい、新入生!」

 基礎実技担当の講師が怒鳴る。

 演習という名のもとに延々と走らされている生徒は、すでに半数がグロッキー状態であった。

 キリルたち新入生は今、基礎実技の講義を受けていた。
 基礎実技と言えば聞こえは良いが、つまるところは基本的な体力作りである。
 戦技訓練を受ける前に基礎体力を身につけさせようと、学園側が必須講義としてキリルたち新入生に課しているありがた迷惑な講義。上級生や卒業生の間で『洗礼』と呼ばれる嬉しくもない伝統であった。

 今日はこの広い演習場をいっぱいに使って、講義開始からずっと走らされている。
 別に敷地が広かろうと狭かろうと同じ時間走っていることに変わりはないのだが、そこはやはり人間の感覚。無駄に広い演習場の大きさとその終端を示す壁までの距離が、心理的苦痛を容赦なく与えてくれる。

 この状況に置かれた生徒たちの心はひとつ。今はただ、この広大な敷地が恨めしい。

「やれやれ、一体いつまで走らせるつもりなんだか」

 キリルと伴走(ばんそう)しているライがうんざりした様子でぼやいた。

「ほんとだね」

 短い言葉でキリルが同意する。
 森で走って、学園でも走って。自分は魔術師ではなく脚術士になる訓練を受けているのではないかと思ってしまう。

「しかし、意外と余裕があるんだな、キリル」

「そんなこと、ないよ」

「そうは言うけど見てみろよ。魔術師課程でまだへばってないのはキリルだけだぞ?」

 ライの言葉に周囲を見回せば、走っているのは全て戦士課程を専攻している生徒ばかり。
 確かに魔術師課程で今も走っているのはキリルひとりであった。

 この基礎実技は戦士課程と魔術師課程の全員へ履修が義務付けられている。
 もともと戦士課程の人間は軍へ入ろうと志す生徒たちが大半だ。
 当然入学を待たずして基礎体力をつけるための訓練は行っているだろう。

 一方、魔術師課程の人間は知識を吸収することについては貪欲(どんよく)でも、体を鍛えようなどという思考がそもそも存在しない。
 結果、この基礎実技で一番被害をこうむっているのはキリルたち魔術師課程の生徒だった。

 去年まで商会の丁稚だったキリル自身、体を鍛える時間があるなら商慣習や取引規則の暗記に費やしていただろう。体力に自信があろうはずもない。
 基礎実技が免除されている文官課程や教養課程の生徒たちが羨ましいことこの上なかった。

「戦士課程のやつですらダウンしているやつがちらほらいるのに、魔術師課程のキリルが平気な顔してるんだから十分余裕だろう?」

「買いかぶり、だよ」

 これだけ走り続けてなお普通に会話ができるライに比べれば、キリルにそこまでの余裕はない。

 キリルとしては、話しかけられた以上無視するのも心苦しいので一応返事をしているが、逆に言えば端的に言葉を返すので精一杯だ。
 むしろ話しかけないでくれ。と考えているくらいだった。

「それより、ライ。僕にペース、合わせる必要、ないよ」

 息を切らしながら言うキリルに、ライは笑う余裕まで見せながら返事をする。

「いや。このペース結構走りやすいんだわ。体が軽く感じるんだよな」

 どうやらライはあくまでもキリルのペースに合わせて走り続けるつもりらしい。

「そう」

 ならば他に言うべき事はないとばかりに、キリルは口を本来の役目――空気を取り込むという重要かつ最優先の役目――へ復帰させる。

 ライが言うほどキリルに余裕があるわけではなかった。
 かろうじて走り続けていられるのは、ここのところロナとの追いかけっこで多少なりとも体力がついていることと、走っている環境によるものだろう。

 足もとは整地されたデコボコのない地面。
 行く手を阻む木の枝や倒木、茂みがあるわけではない。
 容赦なく襲いかかってくる追っ手もいなければ、逃走ルートを模索しながら走る必要もない状況だ。

 ロナに追いかけられているあの訓練に比べれば、ただ走るだけで良いのである。
 体中が疲労を訴えている今の状態では決して楽とも言えないが、ペースさえ守っていれば何とかなるレベルであった。

「よーし! そこまで!」

 講師の声が演習場に響きわたる。
 それを聞いて地面に座り込む生徒たち。「やっと終わったか」「疲れたあ」という声があちらこちらから聞こえてきた。

 数分の間を置いて集合をかけた講師が、疲労困憊(こんぱい)の生徒たちを前に口を開く。

「さすがに戦士課程の人間は大部分が走りきったな。魔術師課程は……まあ予想通りか。だがひとり残っただけでも大したもんだ」

 担当講師がキリルを見ながら言葉を句切る。
 魔術師課程の人間は大半が十分ともたずに走れなくなっていた。開始早々三分でリタイヤした者もいるくらいだ。
 そんな中、特別体つきの良いわけでもないキリルが三十分走りきったというのは、講師にとっても予想外だったのだろう。

「たしかキリル、だったよな?」

「あ、はい」

「悪くなかったぞ。走り方にも無理がなかったし、ペースも最後まで落ちなかったしな。入学前に何か鍛錬でもしてたのか?」

「いえ、特には……」

 現在進行形でアルディスから訓練を受けているのだが、これは入学前の話ではない。

「そうか。だが体力があるのは良いことだ。他の生徒たちももう少し体を鍛えろよ。特に魔術師課程の人間は自分には関係ないとか思ってるヤツも多いと思うが、戦いの場じゃ魔術師なんて真っ先に狙われるんだぞ。いざって時に体力がないと、あっさりあの世行きだからな」

 かつて国軍の兵士であり、傭兵としての経験もある講師からの貴重な教訓も、魔術師課程の生徒にはまったく響いた様子がない。

 確かに軍属や傭兵として戦いの場に身を置く魔術師も多いが、誰もが最初から戦いに身を投じようと思っているわけではないのだ。

 生徒たちのほとんどは国の執政部や貴族のお抱え魔術師として召し抱えられることをめざしている。
 自分たちが戦場のど真ん中に身を置くことなど望んでもいないし、そんな未来は考えてすらいないのだろう。
 実際、そうやって内勤のまま一生を終える魔術師も少なくはないのだ。

 講師の忠告を聞く魔術師課程の生徒たちは皆無表情か、そうでなければ苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
 中にはげんなりした表情を浮かべた生徒もいる。おそらく今後も定期的に義務付けられている基礎実技のことを想像しているのだろう。

「今日はここまでだ。解散!」

 講師の合図で基礎実技の講義が終了となる。

「キリル。メシ食いに行こうぜ」

「うん、わかった。その前に着替えて――ってちょっとまってよライ! 引っぱらないでよ!」

 待ちきれないとばかりに腕を引っぱって走り出すライのせいで、震える足をよろけさせながらも走らざるを得ないキリル。
 当の本人は『学園に入ってからはなんだか走ってばかりだ』と複雑な気持ちを抱えながら食堂へと向かって行った。





「と、いった事が学園でありまして。今日の僕は体の方がもうボロボロで走るなんてとても……」

 その日も学園の講義が終了してから、キリルはアルディスに連れられて森の家へとやって来ていた。
 学園での基礎実技でいつも以上に体力を消耗したキリルは、さすがに普段の訓練をするのは無理だと控えめに主張したのだが……。

「そうか。だったらちょうど良い。今日は体力を使い果たした時、どうすれば生き延びる確率を高められるか、より現実に即した形で訓練をするか」

「えーと……、訓練をお休みにするというわけには……?」

「キリルが疲れていようと、怪我をしていようと、森の獣は容赦なんてしてくれないぞ? むしろチャンスとばかりに襲ってくる確率が高くなるだろう。体調が万全な時だったら出来る事が、疲労した時には出来なくなる。その違いを自覚するには都合がいいじゃないか」

「……ですよねー」

 予想以上に厳しい黒髪教官の言葉に、キリルの口から魂の抜けきったような声が吐き出される。

「そんな顔するなよ。確かにその状態で延々訓練をしても効果は薄いだろうからな。今日は三十分くらいで切り上げるさ。俺だって鬼じゃないんだから」

 いえいえ、十分に鬼教官ですよ。という言葉をキリルはかろうじて飲み込む。

 少なくとも学園の講師は万全の状態で三十分走らせるだけだった。
 キリル個人に関しては体調が万全と言えなかったが、それは学外での行動に原因がある。
 少なくともキリル以外の生徒たちは、体力が十分にある状態で基礎実技の講義を受けているのだ。

 一方のアルディスはキリルが体力を使い果たしてヘトヘトであることを承知の上で、『ちょうど良い』と言い切って三十分間森の中を走らせるつもりである。
 容赦がないのは一体どちらなのか、あえて言うまでもないことであろう。


 結局その日、キリルはロナに八回取り押さえられた。

 捕食しようと襲ってくる獣の代わりをロナが務めていることから、つまり三十分の間に八回も獣に襲われて死んだことになる。
 結果だけを見ると散々たるものだったが、意外にもアルディスは「悪くない」とその回数を評価した。

「三十分で十回は死ぬと思ってたんだが……、思いのほか粘ったな。八回だけで済んだなら上出来だろう」

「はあ……、そうですか」

 対するキリルの返事は元気がない。

 これが訓練でなければ短い時間の間に八回も死んでいるのだ。
 あまり喜ばしい結果とも言えないだろう。

「今日はここまでにしておこう。残った時間は双子の話し相手にでもなってくれるか? 少しずつでも言葉遣いを矯正していきたいからな」

 ともかくこれ以上は走らなくてすむという事に、ホッと胸をなでおろしたキリルであった。
2018/01/14 変更 そんな未来が訪れることは思ってもいないのだろう → そんな未来は考えてすらいないのだろう
おかげさまで重版しました!
スニーカー文庫より発売中!

大幅加筆……というか3分の1は書き下ろし。
Web版とは少し違う展開になっています。

さらりと流されたあのキャラが、書籍版ではアルディスの前に立ちふさがる!
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+注意+
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