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千剣の魔術師と呼ばれた剣士 作者:高光晶

第十章 学園の異端児

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第103話

「ハァ、ハァ、ハァ……」

 息を切らせながらキリルは全力で走る。

 人の手が入っていない森は決して走りやすい場所ではない。
 地面から一部分だけがあらわになっている木の根は、油断すればすぐに人間の足を引っかける天然の罠だ。
 低木の枝葉は常にこちらの行く手を阻み、その速度を落とさせる。
 落ち葉で隠れたやわらかい地面に足を取られれば、途端に身動きができなくなるだろう。

「なんで、ハァハァ、こんな、ことに……」

 この数日でそれらを学んだキリルは、誰にともなく問いかけながら必至で足を動かしている。

 後方からはキリルを追ってくる足音。
 音は次第に大きくなり、それが確実に距離を縮めているのがわかった。

 思わずその距離を確かめようとして、キリルが振り向いたその時。
 足もとの確認をおそろかにした(むく)いを受けることとなった。

「痛っ!」

 地面からコブのように突き出した岩の一部に足を取られ、青臭さに満ちた茂みへとキリルは体を突っ込ませる。

 追っ手はその隙を見逃さない。
 すかさず距離を詰めると、身を起こそうとしていたキリルに飛びかかった。

「うわあ!」

 襲いかかってきたそれが、キリルの体を押さえつける。

 本来ならば絶体絶命のピンチ。
 だがそれの口から放たれたのは、妙に明るく弾んだ調子の鳴き声だった。

「わん」

 キリルは自分を押さえつけるそれに目を向ける。
 体長一メートルほどで四つ足の獣。その体は黄金色の毛に覆われている。
 鼻先を先端として前後にやや伸びた頭部と、開いた口からのぞく鋭い牙。頭頂部には三角形の耳が並んでいた。

「なんとか十五分といったところか」

 荒い息を整えることに精一杯のキリルへ向けて、頭上から男の声がした。

「ハァ、ハァ、……アル、ディスさん」

 キリルが声の主に向けて声をかけたのと、アルディスが地上に降りてきたのはほとんど同時だった。

「一歩目が遅い。足の筋肉だけで走ろうとするな。上体を振って、その勢いを初速に利用しろ」

 降り立つなり、さっそくキリルへの指導を開始するアルディス。

「後ろをふり向くな。動きが鈍れば危険が増すぞ。追ってきている獣の動きは視覚じゃなくて気配で判断するんだ」

「そ、そうは言っても……、ハァハァ。気配なんてどうやって……」

「耳に届いてくる音。地面を伝ってくる振動。感覚をきちんと向けていればそれが自然に発生したものか、何らかの生物が原因で発せられたものか判断することもできる」

「そんな、簡単に……」

 キリルが泣き出しそうな表情を浮かべた。

 確かにアルディスにはそれができるのだろう。
 世の中に名の知れた傭兵たちも、そうやって危険を察知しているのだろう。
 だがそれをろくな実戦経験もないキリルに求めるのは無理というものだった。

 所詮キリルは魔法の『ま』の字にようやく触れた程度の単なる学生だ。
 修練を重ねればアルディスの言う気配というのも判別できるようになるかもしれないが、今のキリルには無理な要求でしかない。

「まあ、今すぐできるようになれとは言わん。とりあえずお前には基礎体力が不足しているからな。今のペースで一時間くらいは逃げ続けられるようにならないと、この森をひとりで抜けるのは危険だろう」

「えっと、その……。逃げるだけで良いんですか?」

 ようやく息を整えつつあるキリルが、遠慮がちに訊ねる。

「勝つ必要も戦う必要もない。別に討伐依頼を受けるわけじゃないんだ。要は森の中を無事に通り抜けられればいい。まずは基礎体力をつけること、そして逃げる力を身につけることが一番の優先事項だと思え」

「はあ……」

 アルディスの言い分に理があると頭では分かっているキリルだが、逃げることが主目的と言われて『はいわかりました』と素直に受け容れることができないのは、まだ強い者へのあこがれが残る少年だからだろう。
 気のない返事をするキリルへ向けて、アルディスは苦笑めいた表情を見せると腰を下ろして話を続ける。

「少し休憩するか」

「わん」

 返事をするかのように、ロナという名前の獣が一声鳴いてその隣へ座った。

「学園の方はどうだ? もう慣れたか?」

 話題に上がるのはキリルが今回通い始めたマリウレス学園のことだ。

「まだなんとも……。相変わらず授業についていくのが精一杯です」

「周りも似たようなもんだろう?」

「学院と違って平民が多いとは言っても、貴族の子弟も少数いますし。裕福な家の子供は入学前から魔法を学んでいるみたいで……、置いて行かれないようにするので必至ですよ」

 幼い頃から家庭教師をつけられ英才教育を受けてきた子供の中には、入学時ですでに初歩的な魔法を扱える人物もいた。
 まして貴族の子弟ともなれば貴人としてのメンツもかかっているだけに、必要な知識や技術を事前にしっかりと叩き込まれているようだ。
 つい半年前まで学園への入学など考えてもいなかった商人見習いのキリルとは、スタート地点からして違うのである。

 思わずため息が出た。

「才能のある人が(うらや)ましいですよ」

「才能だけで強くなれるなら誰も苦労はしない。もちろん才能ある人間へ追いつき追い越そうとすれば、同じだけの努力では足りないだろうが」

 なんとなく励ましのような言葉をアルディスが口にする。

「そうですね。才能がない人間は人一倍努力しないといけない。だからこうして森の中を駆けずり回っているわけですし」

「くさるなよ。才能なんてあってもなくても大して変わりはない。もちろんあった方がいいのかもしれないが、持ってれば持ってるなりに苦労もあるらしい。『才能というのは雨と同じですよ。時に恵みをもたらし、時に災厄をもたらす。ある時は活力や希望となり、ある時は重荷や足枷(あしかせ)となる。だからあるならばあるなりに、ないならばないなりに上手くつきあえばいいのですよ』、だそうだ」

「なんですか、それ?」

「昔の知り合いが言ってたんだよ。嫉妬するくらい才能にあふれたやつだった。天才っていうのはああいうヤツのことを言うんだってくらいにな」

「アルディスさんよりもですか?」

「俺か? 俺は仲間の足を引っぱらないようにするので必死だったからな。才能がないのは百も承知さ」

 さすがにそれは謙遜(けんそん)が過ぎる、とキリルは感じた。
 森に出現する獣や魔物を赤子の(ごと)くあしらい、ナグラス王国で『三大強魔(さんだいごうま)』と呼ばれていた魔物をひとりで討伐したアルディスに才能がないのならば、いったいこの世のどこに才能を持った人間がいるというのだろうか。

「ま、才能がなくても研鑽(けんさん)すればそれなりに戦う技術は身につく。大事なのは自分の力を信じることと、自分の力を過信しないこと、そのバランスだ」

 アルディスが立ち上がってキリルの頭をポンポンと叩く。

「それもまずは基礎的な力を身につけてからだな。もう休憩はいいだろう。今日はあと一時間、みっちりロナから逃げ続けてもらうぞ」

「う……、まだやるんですね」

「当然だ」

「わん!」

 キリルは渋々と重い腰を上げた。
 ふくらはぎをはじめとして、足のありとあらゆる筋肉が一斉に悲鳴をあげる。
 今はまだ足だけだが、明日になれば体中が痛みを訴えるのは明白だった。

 午前中から基礎実技の授業が待っていることを思い浮かべ、キリルは不安を抱えたままそれから一時間ずっと森を駆けまわるはめになった。





 ナグラス王国の首都グラン。
 俗に王都と呼ばれるこの町には大きな教育機関がふたつある。

 ひとつは王立学院。
 こちらはある王族の発案によって設立された貴族用の教育機関だ。
 貴族としての(たしな)みや教養、見識、儀礼を身につけることが目的の学院は、当然ながら貴族の子弟しか入学を許されない。

 もうひとつの教育機関はマリウレス学園。
 こちらはかつて宮廷魔術師を務めたマリウレスという人物によって創設されている。
 学院が貴族を貴族らしく育てることを目的にしているのと違い、学園は広く人材を集め、育て、王国の発展に寄与(きよ)することを目的としている。
 そのため学園では学力や戦技、魔力など人より優れた能力があれば平民でも入学が可能だ。

 もちろん平民にとって、学園に子供を通わせるための学費はそうそう負担できるものではない。
 才能を持ちながらも、高額な学費を前に自ら道を断念した者は数限りなくいるだろう。
 マリーダという支援者がいなければ、おそらく自分もそのひとりだった。
 キリルはそんな事を考えながら、学園内にある寮を出て講義室のある建物へと足を進める。

 まるで自分のものとは思えない足を懸命に動かしながら、一歩一歩痛みを耐えつつ講義室へと入り、倒れこむようにして入口からほど近い席へと身を沈めた。

「おい、キリル。何もこんな入口近くに座らなくてもいいだろう。どうせならもっと向こうの方へ座ろうぜ」

「ん? ああ……、ライか」

 まるで机にしがみつくような体勢から身じろぎして、キリルは声の主を見る。
 そこにいたのは明るい青緑色の長髪を持つ快活そうな少年。
 その少年が呆れたような、それでいて(いたわ)るような視線をキリルに向けて口を開いた。

「まーた、今日も死人みたいな顔してるぞ」

「僕はここでいい。今は動きたくない」

 遅ればせながら呼びかけに対する答えを返すと、ライと呼ばれた少年は当たり前のように隣へ腰を下ろす。

「いつもの家庭教師か?」

「うん。……僕はいいから、ライは好きな席に行きなよ」

「俺もここでいい。でもよくわかんねーな。なんで家庭教師の仕事でそんなボロボロになってるんだよ?」

 キリルの提案をさらりと一蹴(いっしゅう)し、ライが隣の席でカバンから教本を取りだしはじめる。

「うん、不思議だよね。なんで僕、家庭教師の仕事で体中筋肉痛になってるんだろ……」

 ははは、と乾いた笑いをキリルが浮かべる。

 そう。キリルが請け負ったのは、アルディスの保護する双子へ一般常識と言葉遣いを教える仕事だったはず。
 それがどうして毎日毎日襲撃者に見立てたロナから逃げ回ることになっているのか、キリル自身が訊きたいくらいだった。
 これでは家庭教師の仕事をしているのか、それとも戦闘技術の訓練を受けているのかわからない。

「だけどよキリル。昼前には基礎実技の講義があるってわかってるか?」

「うん、忘れたいなあ……」

 基礎実技とは戦技訓練のひとつである。
 もともと『学園で学ぶ』とひとくちに言っても、進む道によってその講義内容は異なっていた。
 商人を目指す者、医術を学ぶ者、詩歌で名をあげようとする者、文官として身を立てようとする者、そして武の道に進む者と様々だ。

 武の道へ進む者にとって戦う術は必須であるが、文官へなろうという者にとっては必ずしもそうではない。
 体を鍛える時間があるなら、ひとつでも多くの書を読み知識を深めるべきだろう。

 当然学園側もそれは理解している。
 だから学生の希望する進路によって講義の内容が異なるのも当然であった。

 武の道へ進む者――ほとんどが国軍や地方の領軍、あるいは貴族の私設軍に入ろうと望む――は、そのカリキュラムの半分以上が実践的な訓練や演習で占められている。
 ライという少年は正にその典型であった。

 一方キリルの進む道は魔術師だ。
 魔術師には幅広い知識が必要で、魔法を習得するための数々の諸知識はもちろんのこと、古語の習得や呪術、薬草学なども求められる。
 当然ながら魔法体系も熟知せねばならないし、魔法学が歩んできた過去の歴史も魔法を扱う上では避けて通れない。

 学園に入って最初にそのカリキュラムを見た時、学ぶことの多さにキリルはめまいを覚えたものだ。
 だからこそ魔術師たちは一般教養や儀礼といった『余分なもの』に時間を費やしたくはないのだろう。

 事実、キリルと同じく学園で魔法を学ぶ魔術師のたまごたちは、どこか世間ズレした人間が多い。
 そうまでせねば魔術師として大成(たいせい)することなどできないとも言える。
 実力が認められて宮廷魔術師や貴族のお抱え魔術師になった途端、魔法以外の部分で周囲との軋轢(あつれき)――温度差や常識の違いと言ってもいい――に苦労するのは必然というものだった。

 その点、キリルは商人見習いだったという経歴が生きていた。
 対人コミュニケーションに優れた魔術師のたまごというのは珍しいらしく、まともに話の通じる魔術師としてわりと好意的に接してもらえている。
 竹を割ったような性格のライが、友達付き合いできるほどには貴重な存在なのだ。

「魔術師は大変だな」

 ライが同情めいた言葉を口にする。

 魔術師は文官でもあり研究者でもあり、そして戦闘職でもある。
 そのため学園では最低限の戦闘技術が必須技能として求められるのだ。

 年次が上がるにつれて各種講義は専門化していくため、高年次の生徒は戦技訓練を受けるかどうか自分で選択することができる。
 だが入学したてのキリルにその選択権はない。
 最低限の戦闘技術という名のもとに、基礎実技と呼ばれる訓練への参加が強制されていた。

 実技とはいうものの、実際には魔法を使った戦闘訓練などという高度なものではなく、ひたすら走ったり、ひたすら筋力強化をしたりと地味なものである。
 戦闘職を目指すライと魔術師を目指すキリルが同時に受講するのも、その内容が職種関係無く通用する体力作りだからだった。
 学園の卒業生、現役の学生を問わず、魔術師に不評なのは言うまでもないことだろう。

「明日になれば……、休みだから」

 とりあえず今日の基礎実技をこなし、家庭教師の仕事――という名の訓練――を終えれば明日は休日である。
 学園が休みの日は家庭教師の仕事も休みになるため、一日中ずっと体を休めることができるだろう。

 おかしい。
 話が違う。とキリルは心の中で愚痴(ぐち)った。
 確か最初は学園が休みの日に午後だけ、という話だったはずだ。

 ところが現実には学園が終わった後、毎日アルディスの訓練を受けさせられている。

『まずはキリルがひとりで行き帰りできるようにならないと、話が進まないからな』

 とは黒髪鬼教官の言である。

 アルディスからすれば、家庭教師どうこうの前にキリルを鍛えることが優先事項になったらしい。
 結局学園が休みの日は家庭教師の仕事も休日となり、代わりに平日は全て訓練にあてられることとなる。

 森への往復に徒歩で二時間もかかることから「学園が終わってからでは間に合わない」とキリルも抵抗したが、それも訓練期間中はアルディスが送り迎えをすることで無理やり解決されてしまった。

「まさか空が飛べるなんて……」

 キリルの体を抱えて当たり前のように空を飛び、徒歩で二時間かかるところをアルディスはわずか十分程度にまで短縮した。
 予想もしなかったアルディスのデタラメさに、改めて頭を抱えたキリルである。

「ん? 空がどうかしたか?」

「いや、なんでもないよ……」

 往復に必要な時間が大幅に短縮された以上、キリルには逃げ場など残されていない。
 それから連日アルディスとロナによる訓練が続くことになる。しかも毎日二時間みっちり。

 おかしい。
 確か最初は家庭教師一時間に訓練一時間という話だったのに……、家庭教師の仕事はどこへ行ったのか。あえて考えないようにしていた疑問がふとした拍子に湧き起こる。

 唯一体を休められるのは学園が休みの日だけ。
 考えてみれば入学してからこの方、キリルは休みの日にどこかへ出かけた記憶がない事に気づく。

 家庭教師の仕事を請け負ったのは間違いだったのかもしれない。キリルの脳裏にふとそんな考えが浮かんだ。
 訓練を受けるだけの毎日でも、家庭教師分の報酬をもらえているのが救いといえば救いであった。

「お、講師がおいでだぞ」

 講師役を務める男性が講義室へと入ってくる。
 机に突っ伏していられる時間は終わりだった。
 いくら全身が筋肉痛で辛かろうと、支援してくれたマリーダや(こころよ)く送り出してくれた商会の主、そして姉代わりであるエリーのことを思えば、だらけているわけにはいかない。

「『才能がないならないなりに』か……」

 アルディスが口にしていた言葉の一部を思い出しながら、キリルは重い体をなんとか起こした。
おかげさまで重版しました!
スニーカー文庫より発売中!

大幅加筆……というか3分の1は書き下ろし。
Web版とは少し違う展開になっています。

さらりと流されたあのキャラが、書籍版ではアルディスの前に立ちふさがる!
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