14:気持ちにサヨウナラ
――日曜日・午後3時
阿笠宅――
「…それで?何なの?」
「何って何がだよ」
「何故あなたが此処にいるのか聞いているのよ」
「またそれか?もういいだろ?用があんだよ」
「…用?午前中からずっとソファーに座って小説読んでる人が何の用があるのかしら?是非聞きたいわね」
「…うるせーな」
「そう思うなら帰ってちょうだい」
ツンケンしながら灰原は俺に毒を吐く。
…こんなやり取りが、つい数時間前にもあった。
午前中に俺が来た時、灰原は『用がないなら帰って。博士はいないから』と言った。
別に博士に用があったワケじゃないから、構わなかったし、そもそも用事なんてものがない。
来たかったから来た、ただそれだけだから。
まあ、そう言われたからといって帰るわけでもない俺は『構わない』と告げると、『忙しいんだけど』と返ってきた。それでも構わない、と言い中に入った。
灰原は『いるのは勝手だけど呼びつけないで』と言い自分の部屋に行った。
絶対に部屋に来るな、と念を押されて。
そして珈琲を取りに来た時に『まだいたの』と呆れ顔をして『ところで何しに来たの』と聞いて来た。
俺は『あぁ…』とか『うーん』とか『別に』と言いあやふやにごまかした。
灰原は諦めたたのか『もういいわ』と言い、また部屋に戻って行き、そして冒頭に戻るわけだ。
「ところでオメー部屋で何してんだ?」
俺は、またごまかす為に質問をした。『ごまかしたわね』と言わんばかりの顔で睨まれたが、追求する気はないのか肩をすくめた。
「…別に。貴方には関係のない事よ」
一瞬、息をつまらせるように止まった灰原に俺は違和感を感じた。
何か、隠してるのか…?
「おい、オメー何して…」
「それ以上追求しない方が貴方の為よ。私に貴方が此処にいる理由を追求されたくないならね」
俺の言葉を遮るようにして灰原はそう言った。…灰原は取引が上手いと思う。俺にはその条件を呑むしかない事を見切って、言っているのだろうから。
それもそうか。あの組織の中で育った女だ。取引が上手くないわけがないんだ。
あの組織の中ではきっと、会話が、毎日が取引みたいなもんだろうからな。命の駆け引きという名の取引。
だから、俺はコイツに口で勝てない事を知っているし丸め込まれちまう。
灰原は知っている。俺がサラリと話さない時は、どんなに追求されても口を開かない事を。俺も知っている。灰原がサラリと話さない事は、いくら聞いても話してくれない事を。
かといって、言えるワケないだろ?『此処に居たいから居る』だなんて。意味が分からない事を言えるワケねぇ…
だから、悔しいけどその条件を呑んだ。否、呑むしかないんだ。
「オメーには勝てねぇよ」
「当然ね」
「……ムカつく」
何それ、まるで小学生ね、とバカにされ益々腹が立つ。腹が立つけど、悪くはなかったりする。
「じゃあ私は部屋に戻るわ」
「何してんのかは聞かねーけど、終わんねーのか?それ」
「そうね。後少しよ」
「ふぅん」
「いい?用があっても部屋には来ないで」
「わぁーってるって」
また念を強く押して、灰原は姿を消した。
それからまた数時間が経った。もういい時間でお腹も空いて来た。
博士はまだ帰らないし、灰原も全く姿を見せない。
「腹減ったー」
そう言ってみたが、当然返事はない。
俺は読んでいた小説をパタンと閉じて、階段に向かった。
灰原の部屋は2階。チラリと階段の上を見たが、あれだけ来るな、と言われた手前、行くわけにはいかず、階段を下りて地下室に行った。
いつも灰原が閉じこもってる地下室のドアを開けると涼しい空気が流れてきた。
ガチャリという音が部屋の中に響いた。
……響く?なんで響くんだ?不思議に思ったが、目に飛び込んできた光景にそんな考えはフッ飛んだ。
「―――――――っ!」
ガランとした地下室。あるのは博士の私物だけで、灰原の物は一つもなくキチンと整頓されていた。
こりゃどういうこった。なんでだよ…。なんでこんな……まるで此処はもう必要ないみたいな…
そこまで考えて、嫌な汗が頬を伝った。
まさか、灰原の奴!!
俺はダッと廊下を蹴り、階段を駆け上がり灰原の部屋を勢いよく開けた。
「灰原ぁ!!」
バァンと大きい音を立てて開いたドアの向こうには荷物がまとめられ、何もないといっていい空間だった。
「…灰原!!どういう事だよオメー!!」
大きめのバッグに荷物をつめていた灰原に怒鳴った。
「あれだけ来ないでって言ったわよね」
至って冷静な口調で灰原は言った。
俺はズカズカと部屋に入り、灰原の正面に立った。
「んな事は今はどーでもいい!!どういうつもりなんだって聞いてんだ!!」
「…どうもないわ。ただ出て行こうとしただけよ」
出て行く、だと?
「貴方には関係ないわ」
「関係ねぇだと…?関係なくねぇだろ!!」
俺は灰原の腕を掴んだ。痛いのか、灰原は顔を歪めた
「ちょっと…離してよ」
「いやだ!!」
「…どうして?」
「離したらオメーどっか行っちまうんだろーが!!」
「私が何処へ行こうが貴方には関係ないでしょう」
「…関係、あんだよ」
「どんな?解毒剤は完成して貴方は元に戻った。私の役目は終わったの。他に私が此処にいる理由なんてないんだし、私がどうなろうが貴方に差し支えなんてないでしょ」.
「差し支えがないとか、んな事どーだっていいんだよ!!そうじゃねぇだろ!?オメーは此処に居たくねぇのかよ!?」
「……………。」
「……なあ、灰原。どうなんだよ。此処に居たくないから出てくのか?だったら止めねーよ」
灰原はフイッと顔を反らして下を向き、押し黙った。
今のセリフは一種の賭けのようなもの。…灰原の得意な駆け引きだ。
もし灰原が
「そうだ」と言ったら俺は二度止める事が出来なくなる。だけど灰原が此処に居たくない、なんて思うはずがないんだ。博士には本当に感謝いているだろうから。
灰原みたいに優しい奴が、博士を傷付けるなんて事が出来るわけがない。っていう推理。
「…此処に居ちゃダメだからって理由なら、止めさせてもらうぜ」
まあ、間違いなく後者だろーけどな。
「…此処は私の居場所じゃないのよ」
「それはオメーが決める事じゃねーだろ。周りが認めて、オメーを必要としてんだ。此処はオメーの居場所だよ」
「…もう嫌なの。みんなの優しさが痛いのよ…私なんか…」
「幸せになっちゃいけねーってか?…オメーは人に優しすぎんだよ…それで自分に厳しすぎんだよ。もうちょっと自分にも優しくなれよ」
俺は灰原の言葉を遮るように言った。
いつも弱音を吐かないコイツがこうやって弱音を吐いてる姿が、愛おしいというか、胸がキュウキュウと締め付けられる。
俺、やっぱ灰原が好きだ…
俺はそう確信して強く握っていた腕を引っ張って抱き寄せた。
「ちょ…っ、何よ…!?」
腕の中にすっぽりと収まる灰原は、細い腕で俺を押し退けようとする。
「灰原…逃げんなよ。もう逃げんじゃねーよ」
「…自分の運命から逃げるな、でしょう。耳にタコが出来るくらい聞かされたわ…。それでも…どうしようもなく、消えてしまいたい時が…あるの…」
灰原はゆっくりと話した。ポソリポソリと呟くような声を俺は一言も聞き逃さないように息すらも潜めた。
「そう思った時は話してくれよ。俺でよかったら聞くし、聞いてやりたい」
「…そんな迷惑、かけられないわ…」
「迷惑なんかじゃねーよ。…なあ、オメーは一人じゃねぇんだよ…俺や博士や服部…みんなオメーを心配してんだよ。オメーに頼られる事を誰も迷惑なんて思わねーよ」
「……フッ。貴方って本当にお人よしね、工藤君」
灰原はいつもの笑みを見せてそう言った。
「…で、離してもらえる?もう出て行こうとなんてしないから」
「……………。」
可愛さから一転、凍り付くような冷たい言い方で言った。
「工藤君?聞いてるの?」
「……………。」
離したくない、なんて我が儘、ダメだよな…。
ずっとこうしていたいなんて…。
「工藤君?」
「…約束だからな。もう勝手に出て行こうとなんてするなよ」
俺がそう言うと灰原がコクンと頷いた。それを見てソォッと身体を離した。
「…ごめんなさい。お詫びに夕食ご馳走するわ」
そう言って部屋から出て行く灰原の小さな背中を見ていると、さっきまでの温もりを思い出す。
好きだ、好きだ、好きだ…ただそれだけが頭ん中も心の中も支配する。
ホントはずっと灰原が好きだったんだ。きっと、コナンの時から…。
だけど、気付かないフリをして来た。気付いちゃいけないと脳が無意識にロックをかけていたんだ。
俺が気付いてしまったら蘭を傷付ける事になるから…
だから無意識に自分の気持ちを遠ざけていた。でもこれ以上は、ごまかす事なんて出来ない…。
だけど、蘭を傷付ける事が俺に出来るのか…?
ああ、服部の言っていた事が今ならよく分かる…。全てが結び付く。
俺は、どうしたらいいんだろう……。
□■□■□■
階段を降りてキッチンへ行った。シンとした空間にフゥと漏れた息がやけに響いた気がする。
背中を壁に押し当てて、自身の肩を抱くように少し前かがみになった。
赤い顔も、震えも、突然襲ってきた。
「…度胸ないわね、私…」
そう呟き、自分自身に笑った。
今日、出て行こうとした。博士が出かける事を知っていたから。チャンスであり、今日を逃したら、私はまた此処に甘えてしまいそうで…一刻も早く、姿を消してしまいたかった――。
なのに、工藤君が来るなんて…ついてないわね。なんて思っていた。
帰そうとしても工藤君は居座る気だったし、多少危険でも私は出て行く支度を続けた。――工藤君が来た頃、地下室の整理は終わっていたけど自室はまだだったから…。
彼には念を押して言えば部屋には来ないと思って、くどい程念を押した。
でも、たぶん彼は地下室を見てしまったんだろう。スッキリとした地下室を…。
いつも、勝手に地下室行ったり…そもそも、そんなに地下室に行くような人じゃなかったから安心していたから、地下室にも行くな、とは言わなかった。
…今日に限って、地下室に行くなんてね。探偵の感でも働いたのかしら…。
工藤君は私を止めた。行くな、と…。でも私は…此処で何をしたらいいのだろうか…。何をすればいいの?
私が此処にいる理由なんてないのに。だから姿を消してしまいたかったのに。
私の存在価値などない、私なんか居ない方がいい、私には居場所なんてない…解毒剤を完成させてから、そう思う日は増えて行った。
だから逃げようとした。それだけじゃない、分かっていても工藤君と彼女が一緒のところを見ることを辛くないと言ったら嘘になる。…だから、何処かに…、でもそんな彼を振り切って逃げる事も、嘘をついて
「此処に居たくない」と言う度胸もなかった…。
博士の傍にいたい。そして彼の傍に――…って、これだからダメなのよね。
私もスッパリ忘れなきゃ。じゃないと、また逃げ出してしまいそうだから。
もう逃げない為にも―…。
私は心の中の気持ちに蓋をして鍵をかけた。…いつまでも弱い訳にはいかないから。自分の気持ちにサヨウナラと呟き顔を上げた。
そして、夕食を作りテーブルにならべた。
頃合いを見計らったかのように博士も帰って来て、工藤君も2階から降りて来た。
「新一、どうかしたのか?いつもより深刻な顔しとるぞい」
「へ?…いや、別に…」
工藤君は私をチラリと見た。目が合って、彼が何を思っているのかが分かった。
私の事を博士に言うか言わないか悩んでいるみたいだった。
「なによ工藤君。言いたい事があるならハッキリ言いなさいよ」
私はそう言った。博士には心配をかけてしまうかもしれない…だけど、言うな、というわけではない。
「…灰原」
「なによ」
「約束、守るんだろ?」
「ええ」
「なら、いいんだ…」
工藤君はそう言って箸を進めた。博士は
「何の話しじゃ?」と混乱して、それでも工藤君は、私の事は言わなかった。
私は黙々と箸を口に進める工藤君を見て、フッと口端を吊り上げた。
…そういう優しさも罪なのよ、工藤君。…でも、ありがとう。
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